第78話 勝った後の話
東京ゲームショウから数日後、沢渡夕奈は品川の会議室で、一冊の資料を見つめていた。
表紙には、アークライン国内展開計画と記されている。以前、候補者として説明を受けたときより厚く、机へ置いても表紙がきれいに閉じない。
夕奈が手を離すと、途中のページが勝手に開いた。来年春のテスト配信、発売前イベント、競技形式を試す大会、初心者向けの番組。色の違う付箋が何枚も重なり、その全部に仮と印字されている。
発売日はまだ公表されていない。それでも会社の中では、誰かが一年先のステージに立ち、試合をし、初めて遊ぶ人へ説明するところまで想像されていた。
次に勝手に開いたのは、立ち上げメンバー役割案だった。火力、戦術研究、配信進行。その中央に、チームリーダー候補という欄がある。
記載されている活動名は一つだった。
YUNA。
会議室へ入ったときから、視界には入っていた。けれど、そこだけを先に読むことができなかった。正面に座る三好玲奈が、端末を閉じる。
「DWC終了後、アークラインの中心プレイヤーとして活動してほしいと、正式に打診します」
夕奈は月ごとの予定を一枚めくった。
「練習は、いつから始まりますか」
「正式に引き受けていただいたあとです」
夕奈は次のページにかけた指を戻した。
「今日、答えないといけませんか」
「いいえ」
玲奈はすぐに答えた。
「現在はDWCへ向けた活動を優先してください。契約条件と回答時期については、大会終了後に改めて確認します」
「断ることもできますか」
「もちろんです」
「会社としては、沢渡さんに引き受けてほしいと考えています。ただし、世界大会前に進路を決めさせるつもりはありません」
資料に書かれた日程は具体的だった。ただ、その予定に夕奈の名前が入るかどうかまでは決まっていない。
東京へ来た春は、ゲームの仕事ができるなら、用意された予定の中へ入ることしか考えられなかった。
夕奈はチームリーダー候補の欄を指した。
「中心というのは、宣伝の中心ですか」
「それも含まれます」
玲奈は答えた。
「公式配信、イベント、広告への出演は、立ち上げメンバーの仕事です。初めてアークラインを知る人へ、ゲームの魅力や勝敗の見方を伝えてもらいます」
東京ゲームショウで見たティザー映像を思い出す。画面へ向けられたスマートフォン。巨大なモニターに映る、新しいゲームの名前。
その場所の中央にYUNAが立てば、多くの人は、まずアバターの顔を見るだろう。
新人だった頃と同じように。
「私が一番、配信に向いているということですか」
「配信実績も評価しています」
玲奈は、そこで言葉を切った。
「YUNAの顔と名前が、選考と無関係だとは言いません」
玲奈が端末を操作すると、以前行ったアークラインの社内テスト映像が表示された。
夕奈が中央の目標から離れ、遥真を入口へ戻し、航平へコアを渡した場面。続いて、通路を一つ見落とし、航平の耐久をほとんど失わせた場面まで再生される。
「この二つを、同じ選考資料に入れました」
「失敗した方もですか」
「はい」
玲奈は四枚のカードを資料の上へ置いた。火力、戦術研究、進行、リーダー。印刷された役割案と同じ言葉だった。
「仮に沢渡さんが引き受けたら、最初の編成でどう置きますか」
面談で試されるとは思っていなかった。夕奈はカードへ手を伸ばし、リーダーを中央へ、残り三枚を周囲へ並べた。
すぐに違和感が残った。
「このままでは置きません」
「なぜですか」
「火力の人が、撃つことしか決められなくなるからです」
夕奈は火力のカードを裏返した。戦術研究も裏返す。進行だけは迷い、横向きにした。
「初めて組む人なら、得意なことは知りたいです。でも、役割を先に渡して、その人が何を見たかまで決めたくありません」
「では、リーダーは?」
中央に残った一枚を見下ろす。夕奈はそれも裏返した。
「必要です。でも、何でも最後に決める人にはしたくないです」
玲奈は正解とも不正解とも言わなかった。代わりに、国内予選の最終試合を再生した。中央の遮蔽へ走った航平、車両の左へ回った遥真、後ろから敵のシールドを割った夕奈。三方向の銃声のあと、CHAMPIONの文字が出る。
「この場面を、選考担当は沢渡さんの判断としてまとめています」
「違います」
夕奈は画面を止めた。
「航平さんが先に右へ行って、ハルが『今』と言いました。私は後ろから撃っています」
以前なら、評価される説明を自分から崩すのが怖かったはずだ。今は、二人の判断を自分の実績に数えられる方が嫌だった。
玲奈は映像の注釈欄を開き、その場で一行を直した。
「推薦した理由を、訂正する必要はありますか」
「私が全部決めたから、なら訂正してください」
「そこではありません」
玲奈は裏返された四枚を見た。
「用意された役割を、そのまま正しいことにしなかった。今の返答も含めて、私は沢渡さんを推薦しています」
褒められたのに、夕奈は素直に頷けなかった。役割案には、まだYUNAだけが印刷されている。
夕奈の指が、資料に印刷されたYUNAの文字へ触れた。契約初日の会議室では、同じ名前を指されて「はい」と答えるだけで精一杯だった。今は、その隣にリーダー候補と書かれている。
「ありがとうございます」
声の最後が掠れた。夕奈は言い直さず、YUNAの文字から指を離した。
「やりたいと思っています」
「アークラインを、もっと知りたいです。勝ち方を見つけたいし、私が分かったことを、見ている人にも伝えたいです」
「でも」
夕奈は役割案の空いた三つの欄を見た。喜んだ顔を二人に見せるところまで考えると、言葉が止まった。
「これを喜んだら、NOVA-3が終わってもいいと思っているみたいで」
「私には、そうは見えません」
玲奈は静かに答えた。
「NOVA-3で世界大会に勝ちたいことと、アークラインをやりたいことは、同時に本当で構いません」
「でも、ずっと同時にはできません」
「はい」
「いずれ、選ぶ必要があります」
夕奈は唇を結んだ。
幕張で遥真に言われた「なら、やればいい」が浮かんだ。
夕奈は資料を一枚戻した。
「ハルと航平さんにも、同じような話があるんですか」
「ほかの契約者との面談内容はお答えできません」
「三人でアークラインをやる可能性はありますか」
「現時点で、NOVA-3をそのままアークラインのチームとして配置する予定はありません」
夕奈の指が、役割案の空いた三つの欄へ滑った。
「二人に何もないという意味ではありません」
玲奈が続ける。
「ただ、それぞれの希望も会社からの打診も、本人が話す前に私からお伝えすることはできません」
役割案では、夕奈の欄だけが埋まり、残る三つは空白だった。
空欄のうち二つにHAL、KOHEIと入った図を一瞬だけ想像した。二つとも、空白のままだった。
「これは、NOVA-3の次を決める面談ではありません」
玲奈は資料を閉じた。
「沢渡さん自身の次を決めるための面談です」
閉じた資料の宛名は「沢渡夕奈」だった。夕奈はその表紙に手を置いた。
「この話を、二人にしてもいいですか」
「正式な打診を受けたことと、沢渡さん自身の気持ちは話して構いません」
「分かりました」
「回答は大会後です。それまでは、NOVA-3の活動予定に変更はありません」
夕奈は資料を玲奈へ返した。
◇
会議室を出ると、品川の廊下は静かだった。
壁には、東京ゲームショウで公開されたアークラインのキービジュアルが新しく掲示されている。
四人のキャラクターが、光の走る都市を背に並んでいた。
その少し先には、DWC日本代表となったNOVA-3とTIERAXの告知がある。
夕奈は二枚のポスターの前を通り、エレベーターを待つ間に三人のチャットを開いた。
入力欄のカーソルが点滅する。夕奈は一文字も消さずに打った。
『今日、練習のあとに話したいです』
続けて、もう一行を打つ。
『DWCのあとについて』
送信した。エレベーターが到着する前に、遥真から返事が来た。
『聞く』
航平は少し遅れて送ってきた。
『練習のあと、外で話しませんか』
扉が開き、夕奈は一人で乗り込んだ。
「アークラインを、やりたいと思っています」
まだ二人はいない。金属の壁に返った声を聞いて、夕奈は眉を寄せた。
「……違う。やりたいです」
エレベーターが下降を始め、膝が少し沈んだ。




