第73話 三枠目はない
最終試合までの休憩は、20分だった。大型モニターから順位表が消えても、夕奈の頭には3つの数字が残っていた。TIERAX、99pt。
AURAVEX、91pt。NOVA-3、86pt。2位までは5pt差。
航平はタブレットを机に置き、AURAVEXとの差を確認していた。画面には順位ptとキルpt、それから同点になった場合の条件が表示されていた。
「細かい組み合わせは、全部覚えなくていいです」
航平が言った。
「AURAVEXが先に落ちても、俺たちが点を取れなければ届きません。逆に、俺たちがチャンピオンでも、向こうが高順位でキルを重ねたら確定とは限らない。必要なのは、俺たちが自分で順位とキルを取ることです」
夕奈はタブレットを引き寄せ、AURAVEXの順位欄を見た。
AURAVEXが最初の戦闘で負ければいい。
紗月たちが0ptで終われば、NOVA-3はずっと楽になる。考えた瞬間、夕奈はタブレットを膝から机へ戻した。紗月の顔を、まともに思い浮かべられなかった。
AURAVEXは、NOVA-3が結成された頃から前を走っていた。撃つ場面と離れる場面が揃い、5試合を通して崩れない。夕奈たちが一度勝っても、その次の試合ではまた先にいるチームだった。
『落ちて』と頭に浮かぶ。その直後、紗月たちが弱いままでいてほしいわけではない、と打ち消した。どちらも消えなかった。
夕奈は冷えた指先を、反対の手で軽く擦った。遥真の視線が一度だけ手元へ落ちる。
「飲み物、取ってきます」
夕奈は席を立った。
待機室を出ると、廊下の空調が火照った頬に冷たかった。自動販売機は角を曲がった先にあった。スタッフが機材を運び、別のチームの選手が足早に部屋へ戻っていった。
その中に、AURAVEXの紗月がいた。紗月も夕奈に気づき、足を止める。
「5pt差だね」
「はい」
どちらも、もう順位を隠す必要はなかった。紗月は手にしていた水のボトルを開けず、夕奈を見た。
「私たちが先に落ちたら楽になるって、考えた?」
夕奈はボトルを持つ紗月の手を見た。きれいに否定する言葉なら浮かんだが、口にはしなかった。
「考えました」
紗月はボトルを持ち替えてから言った。
「私も。NOVA-3が早く落ちたら、その分だけ楽になる」
自動販売機の冷却音が、二人の間を埋めた。夕奈はようやくボトルから目を上げた。
「一緒に行けたらよかったとは思います」
「うん」
「でも、譲る気はありません」
紗月は開けていないボトルの蓋に指をかけた。
「それでいい。私も譲らないから」
紗月はボトルの蓋を開けないまま、廊下の角へ向かった。その先でMAKIとRENKAがデバイスケースを抱えて待っていた。
「話、終わった?」
MAKIが聞く。
「終わった」
紗月が答えると、MAKIはねじれていたケースの肩紐を直した。
「最終戦も先頭は私。代表になる道を、誰かに先に踏ませたくない」
MAKIは同じ調子のまま続けた。
「もし前で倒れても、二人は戻らなくていい」
「それをMAKIが先に決めないで」
RENKAは即座に返した。配信で聞く穏やかな報告より、低く硬い声だった。
「戻せるなら戻す。無理なら紗月と先へ行く。救助できるかを決めるのは、後ろから道を見ている私」
MAKIが振り向く。
「置いていくって言う割に、戻る気あるじゃん」
「ある。だから、返事が届かないところまで一人で行かないで」
夕奈は以前見たAURAVEXの試合記録を思い出した。MAKIが先に踏み込むたび、RENKAは一段手前の退路へ回っていた。今廊下で交わされているのは、画面の中で何度も見た動きの続きだった。
「一人で行くんじゃない。最初に行くだけ」
「違うなら、試合で分かるようにして」
MAKIはケースの留め具を指で弾いた。
「分かった。戻れるって言えるところまで行く」
紗月は二人の答えを急かさずに待っていた。MAKIが歩き出すと、RENKAはその半歩後ろへつく。三人は並び直し、AURAVEXの待機室へ入っていった。
静かな廊下では、三人の声が自動販売機の前にいる夕奈まで届いた。
夕奈は飲み物を買うために来たことを忘れたまま、NOVA-3の待機室へ戻った。
◇
夕奈が戻ると、航平はまだ条件表を見ていた。遥真は試合用の設定画面を開き、感度とボタン配置を一つずつ確認していた。夕奈は自分の席に座った。
「AURAVEXの結果じゃなく、私たちが取った点で決めたいです」
航平が顔を上げる。
「紗月さんと話しました?」
「自動販売機の前で会いました。でも、今決めたのは私です」
夕奈はタブレットの数字を見た。
「先に落ちてくれたらとは思います。でも、それを勝ち筋にはしたくないです」
航平は数秒かけてタブレットのカバーを閉じた。
「点差は俺が見ます。ただ、試合中に5ptを追い続けるのはやめましょう」
航平は閉じた端末を机の端に置いた。
「敵を1人倒したら1pt。順位を1つ上げれば、最後に順位ptが変わる。でも、計算しながら撃っても当たりません」
「航平さんでも?」
「俺を暗算機つきの照準だと思ってました?」
遥真が設定画面を閉じる。
「AURAVEXが落ちるのを待たない。俺たちが取る」
条件表には、初日終了時の37ptと、現在の86ptが並んでいた。その間もAURAVEXは得点を重ね、91ptで二位に残っている。
「はい」
夕奈が答えると、航平は閉じた端末をさらに机の端へ押した。
「それで行きましょう。最後まで三人で点を取りに行く」
スタッフが待機室の扉を開け、チームの確認窓口になっている航平を呼んだ。最終試合前の音声回線と選手登録を確認するらしい。
「すぐ戻ります。二人とも、その間に勝手に作戦を増やさないでくださいね」
「増やしません」
「ハルが返事してないんですよ」
「増やさない」
航平は疑うように二人を見たあと、スタッフと廊下へ出た。扉が閉まり、待機室に夕奈と遥真だけが残る。夕奈はコントローラーを持ち直した。
手のひらには汗があるのに、指先だけが冷たい。親指を動かしても、いつもの感覚が戻らなかった。
机の上に、温かい缶が置かれた。夕奈が顔を上げると、遥真が自分の席へ戻るところだった。
「飲んだ方がいい」
缶には、温かい緑茶と書かれている。
「ハルは?」
遥真は自分の机に置いた同じ缶を見せた。
「ある」
「いつ買ったんですか」
「休憩に入ったとき」
「私も買いに行ったんですけど」
「手ぶらで戻ってきたから」
夕奈は自分の手を見た。
紗月と話したあと、そのまま待機室へ戻っていた。飲み物を取りに出たことまで忘れていたらしい。
「ありがとうございます」
缶を持つと、熱が指先へ移った。遥真はそれ以上、何も言わない。
夕奈は遥真の机を見た。試合画面も、シールドや弾数の表示も出ていない。それでも、飲み物を買わずに戻ったことまで見られていた。
「ハルは、よく見ていますね」
夕奈が言うと、遥真は缶から目を上げた。
「見てる」
何を、とは聞けなかった。
缶を握ったまま、夕奈は黒いモニターに映る自分の顔を見た。頬の熱は、さっきより上がっていた。
航平が戻ってくる前に、夕奈は緑茶を一口飲んだ。少し苦くて、熱かった。
◇
休憩終了の音で、三人は選手席へ戻った。最終試合のロビーには、TIERAX、AURAVEX、NOVA-3の名前が並んでいる。
九試合を終えて残った三チームに、代表枠は二つしかない。三枠目はない。
航平は点差の表示を閉じ、遥真が先に準備完了を押した。夕奈も、緑茶の熱が残る指をコントローラーへ戻した。
夕奈が準備完了を押すと、開始までのカウントが表示された。




