第70話 TIERAXの背中
国内予選二日目の朝、会場へ向かう車内で、遥真は向かいの窓を見ていた。沢渡夕奈は昨夜の「それだけではありません」の続きを言えないまま、航平がタブレットを開く音を聞いた。
隣の航平が、タブレットに表示された順位表を確認していた。
1位はTIERAX、61pt。2位はAURAVEX、53pt。NOVA-3は6位、37pt。代表圏までは16pt差だった。
「順位表、変わってません」
航平が言った。
「一晩で変わったら困ります」
「大会運営の集計ミスで、俺たちだけ百ポイント増える可能性もありますよ」
「それで代表になって、嬉しいですか」
「一回は喜びます。そのあと、黙って返します」
向かいに座っていた遥真が口を挟む。
「最初から返せよ」
「百ポイントを見た人間が、無感情で返せると思います?」
会場が近づくと、航平がタブレットを閉じた。
「一試合目で、全部取り返そうとはしないでくださいね」
「全部は取り返しません」
遥真が窓の外を見たまま言った。
「分かってる」
昨夜と同じ返事だった。夕奈はその先を言わなかった。
車が会場の選手入口へ着くと、機材検査の列にTIERAXの三人がいた。
佐伯玲司の隣にいるのは、KYOとTOMAだった。公開ロスターと前日の公式映像で顔は知っている。実物のKYOは映像で見るより眠そうで、デバイスケースのファスナーが半分開いていた。緑色のケーブルが一本、床すれすれまで垂れている。
TOMAが無言でそれをケースへ押し戻した。KYOは礼も言わず、遥真に気づくと列を一歩外れる。
「久我。体験の日、俺の席に座ったよな」
「座った」
夕奈はそこで、遥真がTIERAXの体験参加で使ったのがKYOの席だったと初めて知った。
「あれは一日貸しただけだ。今日、前にいるのは俺だから」
敵意より、確認に近い声だった。遥真も目をそらさない。
「分かってる。撃てるなら撃つ」
「俺も撃つ」
二人のやり取りへ、TOMAが手元の端末から顔を上げた。
「KYO、予備の変換端子」
「入れた」
「昨日もそう言って、佐伯さんのを使った」
「今日はある」
TOMAは返事を信用せず、KYOのケースを自分で開いた。緑色のケーブルの下から小さな端子を取り出し、透明な袋ごと胸ポケットへ入れる。
「俺のだぞ」
「必要になったら返す」
「今必要になった」
遥真が二人の手元を見ていた。TIERAXは三人が同じ方向だけを見ているチームではなかった。試合前の列で、端子一つを巡って押し合っている。
KYOがケースを閉じ、遥真へ顎を上げた。
「久我。俺を見て走ってくるなよ」
「見えたら撃つ」
「それでいい。俺も、お前がどこへ戻るかまでは知らない」
「お前は自分が戻る場所も知らないだろ」
TOMAが言った。KYOは初めて笑いかけたが、佐伯に名前を呼ばれ、表情を消して列へ戻った。
TOMAも続く。胸ポケットから、KYOの透明な袋だけがのぞいていた。
夕奈たちはNOVA-3の受付へ向かった。『前衛』や『退路を管理する選手』という呼び名は、あの二人のどこまでを説明しているのだろう。少なくとも、今見たものは公式映像に映っていなかった。
◇
国内予選第6試合。NOVA-3は一日目と同じ南側の整備施設へ降下した。
周辺に直接重なる部隊はいない。
三人とも武器と最低限の回復を揃えた。航平から余ったミディアムシールドを受け取った夕奈も含め、防具は整ったが、弾には余裕がなかった。
ラウンド1の収縮は北寄りだった。
航平がマップを開く。
「昨日より遠いです。道路側が混む前に出たいですね」
「北へ行きます。西から抜けましょう」
三人は整備施設を離れた。
ラウンド2へ向けて北上する途中、道路沿いの建物から銃声が聞こえた。
二階の窓で人影が動く。
「建物、三人います」
航平が報告した。
窓の銃口がNOVA-3へ向き、弾を飛ばしてくる。
遥真が道路脇の壁から体を出した。短い連射音が続き、窓にいた敵のシールドが割れた。
「一人割った」
遥真は壁を離れ、道路の縁まで二歩出た。敵は奥へ逃げている。あと一度、顔を出せば落とせる距離だった。
「ハル、詰め――」
夕奈が言い切る前に、航平が南を向いた。
「後ろ、足音です。道路を渡るなら今しかありません」
夕奈は敵の窓ではなく、遥真の残弾表示を見た。最初のマガジンはもう半分を切っている。
「詰めません。私と航平さんが先に渡ります」
航平は返事より先に道路へ出た。横切った背中を見て、夕奈の足が一瞬止まる。航平は夕奈の決定を待たずに、もう道を選んでいた。
「航平さん、先に出るなら言ってください」
「今しかないって、今言いました」
航平の声は道路の半ばで遠くなった。夕奈も続く。
「ハル、窓を止めて最後に」
「もう撃ってる」
遥真の射撃が窓へ戻った。
敵を倒すためではなく、窓から顔を出させないための弾だった。
道路の反対側へ着いた航平が、岩陰から顔だけを出した。夕奈も隣へ滑り込む。
「二人、入りました」
「行く」
遥真は窓へ最後の一発を撃ち、すぐに道路を渡った。
敵は追ってこなかった。ただ、遥真が道路の中央へ出たところで、南から来た部隊の弾が岩の端を削った。遥真は最後の一歩だけ進路を変え、夕奈の隣ではなく航平の足元へ滑り込む。
NOVA-3も振り返らなかった。
「弾、足りてますか」
夕奈が尋ねる。
「半分使った。次は近距離しかない」
航平が少し笑った。
「撃破なしで弾だけ減ったので、収支は赤字ですね」
「道路を買った」
遥真が言う。
「弾で買えるんですね」
「買えた」
遥真の返事は短かったが、照準はまだ割った窓へ向いていた。
夕奈は今の動きを、機材検査の列で見たTIERAXへ当てはめようとしてやめた。KYOは変換端子さえ自分で持っていなかった。手本になる作戦を教えられたわけではない。
三人は次の建物へ入った。
夕奈はマップを開く。
「ここでは守りません。北西の岩場へ移る準備をします」
「南から一部隊来ています。まだ距離はあります」
航平が後方を見る。遥真は残弾を確認した。
「次は近距離なら行ける」
夕奈は北西の岩場、航平は南から来る足音、遥真は残った弾で届く距離を見ていた。視線は揃っていないまま、三人のキャラクターだけが同じ出口へ向かった。
◇
ラウンド3。
NOVA-3は低い平屋から、北西の岩場へ移動しなければならなかった。進路の先では二部隊が撃ち合っている。一方は岩場の裏、もう一方は道路沿いの車両と小屋を使っていた。
敵の一人が、夕奈たちへ背中を向ける。遥真なら落とせる距離だった。
「背中、一人落とせる」
航平が岩場までの進路にピンを置く。
「ただ、車両側の二人がこっちを見ています」
夕奈は所持品に一つだけ残った攻撃用の投げ物を選んだ。
「倒しません。車両の二人を動かして、三人で渡ります」
低い窓枠に当てた投げ物が跳ね、車両と小屋の間へ落ちる。赤い警告が灯ると、車両側の一人は小屋へ入り、もう一人は反対側の車輪まで下がった。進路を見ていた二つの銃口が、道路から消える。
「今です」
三人は平屋を出たが、同時ではなかった。遥真は背中を見せた一人へ照準を残し、夕奈より半歩遅れる。爆発が車体の裏で鳴った。車輪側へ下がるはずだった敵が、爆風を避けて道路側へ飛び出した。
「違う、こっちへ来ます」
航平の予想とは逆だった。敵の初弾が夕奈の足元を削る。遥真が道路の途中で振り返り、倒すための連射を入れた。
「ハル、残らないで」
「こいつは下げる」
敵のシールドは割れたが、岩場側の部隊からもその敵へ弾が飛んだ。挟まれた相手はNOVA-3を追わず、小屋の裏へ逃げる。投げ物で作った通路というより、別の銃口に一瞬借りた空白だった。
夕奈、航平、遥真の順に岩陰へ滑り込む。車輪側へ下がった敵が顔を出したときには、三人とも道路を渡り終えていた。
最後に入った遥真のシールドは一目盛り減っている。
夕奈は空になった投げ物欄を閉じた。
「撃破なし。私の投げ物もゼロです」
「でも、今度は誰も最後に残ってません」
遥真が岩の向こうを見たまま答えた。
「三人で渡れるなら、その方がいい」
「ハルさんは最後でしたけどね」
「置いていかれてはいない」
遥真はそう言ってから弾倉を替えた。夕奈は、さっきの敵を自分たちが動かしたのか、岩場の部隊に助けられたのか、決めないまま次の銃声へ向いた。
◇
ラウンド4に入る前、NOVA-3はコンテナの門を守る一部隊と向かい合った。三人とも同じ青い競技スキンで、左右のコンテナと中央の足場に一人ずついる。
「抜けるなら、どこか一つ下げないと無理です」
航平が門の外壁へパルスセンサーを射出した。一度目の走査で三つの輪郭が出る。中央の一人が身を乗り出して本体を撃った、その直後だった。
門の西側に、別部隊の攻撃ウルトを示す赤い予告線が走った。左のコンテナから中央の足場まで、爆発範囲が順に灯る。守っていた三人が一斉に配置を捨てた。
「右、空きます」
航平が言い終える前に、足場から飛び降りた一人が右の入口へ滑り込んだ。
「違う、一人来ます」
敵の初弾で航平のシールドが一目盛り減った。夕奈は入口から離れようとしたが、背後にも次の予告線が点く。止まれば爆発を受ける。
遥真が敵を割った。夕奈のクラックチャージがコンテナ際で弾け、逃げようとした体を入口側へ押し戻す。航平は下がりながらLancer-56を入れ、確定表示に変えた。
1キル。右入口には三人の銃声と、西から迫る爆発音が重なっていた。
残る二人はNOVA-3を追わず、攻撃ウルトの範囲外へ北から逃げた。右が空いたのは、その二人が門を捨てたからだ。
「爆発した床を通ります。航平さん、先に回復を」
夕奈はデスボックスの方角さえ見られないまま走った。三人が門の右側を抜けた直後、背後の足場が爆発する。航平は移動しながらシールドパックを一つ使い、コンテナを二つ挟んだところでようやく銃を持ち直した。
◇
ラウンド5。
残り四部隊。
NOVA-3は三人生存していた。1キル。強い高所は別部隊が持っている。
夕奈たちが使えるのは、道路脇に止まった大型車両の裏だけだった。完全な遮蔽ではなく、左右から撃たれれば長くは持たない。
「車両裏を取ります。右の部隊が動いたら撃てる位置です」
「左、俺が見ます」
航平が答える。
遥真は高所へ照準を向けた。
「上を止める」
三人が車両へ移る途中、高所から弾が飛んだ。
高所の連射が航平に追いつき、シールドの表示が砕けた。
「車両まで行きます」
航平がスモークを投げた。白い煙が道路へ広がる。
敵は煙の端に照準を合わせている。
遥真が足を止めた。
「上、撃つ。航平、回復して」
Raptor-5の連射が高所へ伸びた。
敵一人が頭を引っ込める。
遥真は次の敵へ照準をずらし、航平へ射線が通らないように弾を置き続けた。
「フル使います。五秒」
航平が車両の陰でフルシールドパックを使う。
夕奈は右側を見る。
「右、二人動いています。こっちへ来るかもしれません」
「航平、あと何秒」
「二秒」
遥真の弾が減っていく。
遥真が角へ弾を置くたび、高所の敵は頭を引っ込めた。
「戻りました」
航平の回復が完了した。
遥真は射撃を止め、車両の陰へ下がる。
「弾、あと一マガジン半」
「私の5.56、渡します」
夕奈は予備弾を落とした。
そのとき、右側で撃ち合いが起きた。
キルログに同じ部隊タグの三人が倒された側に並び、一つ目の部隊撃破が表示された。撃ち勝った側のプレイヤーIDも二つ流れ、残った一人が車両の反対側へ逃げてきた。
「右、一人だけ。俺が取ります」
航平が再使用可能になったパルスセンサーを車両の反対側へ射出した。逃げてきた一人を一波で拾う。敵の返し弾が本体を砕き、表示が消えた。
それでも航平は引かなかった。輪郭が消える前に車両の下へLancer-56を通し、自分から左へ回る。
「コウさん、そっちは高所から見えます」
夕奈は逃げてきた敵ではなく、高所の窓へScout-56を撃った。顔を出した一人が下がる。いつもなら遥真に任せていた射線だった。
「二秒だけください」
秒数を言った航平自身が、もう車両の外にいる。逃げてきた敵が航平へ向き直ったところで、遥真が右から一発当てた。
「正面、こっち」
遥真は倒し切ろうとせず、敵の顔を自分へ向けた。夕奈の二発目が高所を止め、航平のLancer-56が無防備になった背中へ入る。
敵が倒れる。
部隊撃破の表示が出た。
残り二部隊。
同時に、最終収縮が始まった。
高所の部隊が降りてくる。相手は三人。見えているシールドは、NOVA-3より上だった。
NOVA-3も三人揃って、車両の陰に立っていた。
高所から降りた先頭が左斜面へ踏み込んだ瞬間、航平のLancer-56が一発当たった。夕奈は着弾音で左を向く。
「左。もう降りています」
「先頭、割れる」
遥真が撃った。
「合わせます」
夕奈も車両から体を出す。
先頭のシールドが割れる。
直後、二人目の投げ物が車両裏へ入った。
爆発で航平が削られる。
高所から降りた三人目が、別角度から夕奈を撃った。
「右もいます」
夕奈が振り向いたときには、航平がダウンしていた。
遥真が先頭の敵を大きく削る。
だが、起こす時間はない。
「一人ロー」
「押します」
夕奈は前へ出た。
一人を倒し切る前に、右から撃たれる。
シールドが割れ、体力が削られた。
遥真も二方向から射線を受ける。
最後まで撃ち返したが、人数差は返せなかった。
画面が暗くなる。2位。
2キル。
獲得11pt。夕奈はリザルトを見つめた。
最後の撃ち合いで一発足りなかったことも、同じ画面に残っていた。遥真は空になりかけた弾薬欄を閉じた。
航平がヘッドセットを少しずらした。
「2キルなのに、ずっと敵を止めてましたね」
遥真は、自分のキル数を見ていなかった。
「二人が進めたなら、撃った意味はある」
夕奈は遥真のリザルトから順位表へ目を移した。
総合順位が更新される。TIERAXは74ptで1位、AURAVEXは59ptで2位、NOVA-3は48pt。順位は一つ上がり、5位になった。
代表圏との差は、11pt。航平が順位表を見ながら言った。
「一試合で五ポイント縮めました」
「あと四試合です」
夕奈は答えた。遥真が水を一口飲む。
「十一点なら、一試合で消せる」
「毎回それをやろうとしないでくださいね」
航平に釘を刺され、遥真は返事の代わりに、ずれていたヘッドセットを両耳へ戻した。
その拍子に、首へ掛かっていた予備ケーブルが机へ落ちた。夕奈が拾おうとすると、遥真は先に掴み、航平の方へ放る。
「これ、邪魔」
「ハルさんのです」
「お前が持ってろ」
「さっきまで弾を使い切ってた人に、予備を預けられただけですよね」
航平は文句を言いながら、ケーブルを自分のケースへ入れた。夕奈は、今朝TOMAがしまった緑色の一本を思い出したが、似ているとは言わなかった。
遥真はもう次の画面へ向き直っている。夕奈も順位表を閉じた。ヘッドセットの奥で、航平のケースを閉じる音だけが近く鳴った。




