第65話 選ばなかった方
講義が終わっても、沢渡夕奈はノートパソコンを閉じられなかった。大学から、卒業後に何をしたいかと聞かれている。
今の仕事についてなら書ける。尋ねられているのは、その先だった。
DWCが終われば、NOVA-3のデルタフィールド専任活動も一区切りになる。
アークラインの立ち上げメンバー候補に入っていることも、まだ決まった進路ではなかった。選考から外れる可能性もあれば、選ばれたあとで自分が断る可能性もある。
答えを入力しないまま、画面の問いを見つめていた。
「沢渡さん、それ来た?」
隣から声をかけられた。相沢千紘も、スマートフォンで同じ画面を開いている。
「今、見てたところ」
「私、とりあえず一般企業にした。映像か配信関係には行きたいけど、職種まではまだ決められないし」
「もう出したの?」
「第一希望だけね。あとから変えていいって書いてあるし」
千紘はそう言いながら、鞄に充電器をしまった。
「沢渡さんは、ゲーム会社?」
「まだ決めてない」
「そうだよね。あ、説明会の追加資料、送ったの見た?」
「通知は見た。ありがとう」
「座談会でもらった資料も入ってる。会社ごとに分けたから、気になるところだけでも見てみて」
千紘は、夕奈が合同説明会へ行けなかったことを大げさには扱わなかった。
仕事と重なったなら仕方がない。資料があるから送る。ただそれだけのこととして話している。
「今度、お昼でも食べながら見る?」
「うん。お願い」
「私も一人で読んでると、全部いい会社に見えてくるから。沢渡さん、変なところ見つけるの得意そうだし」
「どういう意味?」
「グループ課題で、みんなが大丈夫って言った映像の音ずれを最後に見つけたでしょ」
「ずれてたから」
「そういうところ」
千紘が笑い、次の講義へ向かうために席を立った。夕奈はその背中を見送り、ノートパソコンに残していた高架下の地図へ戻った。スクリムの録画には、まだ見直したい場面が二つある。千紘から届いた通知は、画面の隅に残った。
◇
夜、練習開始まで一時間を切ったところで、母から電話が来た。夕奈は机に大学の資料を広げたまま、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもし」
『夕奈、ご飯食べた?』
「今から。練習の前に食べる」
『今からって、またパンだけとか違うやろな』
テーブルの端には、スーパーで買ってきた弁当が置いてある。
「今日はお弁当ある」
『野菜は?』
「入ってる」
『端にちょっと緑のやつが入っとるだけで、野菜あるって言うてへん?』
「見てないのに決めつけんといて」
夕奈が返すと、母は電話の向こうで笑った。食事は取っているか。朝の講義に遅れていないか。提出課題は間に合っているか。
いつもの確認が一通り終わったあと、母が尋ねた。
『三年になったら、就職の話も増えるんやろ』
「今日、大学から進路希望調査が来た」
『何て書いたん?』
「まだ出してない」
『何で?』
夕奈は、閉じたノートパソコンを見た。
「卒業後に何をするか、まだ決められなくて」
『今の会社で、そのまま働くんと違うん?』
「社員じゃないから。今の契約が卒業後まで続くって決まってない」
母の返事が途切れた。
『この前言うてた大会は、どうなっとるん?』
「DWC?」
『世界大会につながるやつ』
「国内予選に出る準備をしてる。明日、正式に出場するか最終確認がある」
『夕奈は出るつもりなん?』
「そのつもり」
答えたあと、夕奈は合同説明会と強化スクリムが同じ日だったことを話した。母は黙って最後まで聞いた。
『会社に、スクリム出ろって言われたん?』
「言われてない。大学を優先してもいいって言われた」
『二人に頼まれたん?』
「航平さんは、代わりの選手を相談する案も出してくれた」
『ほんなら、夕奈が選んだんやね』
「うん」
電話の向こうで食器の触れる音がした。
『行って、どうやった?』
「予選で使えるかもしれない道を見つけた。上位のチームが、どれくらい早く動くかも分かった」
『行ってよかった?』
夕奈は、すぐに「よかった」と言えなかった。
「よかったと思う」
『思う、なんや』
「説明会にも行きたかったから」
『そら、行きたかったやろ』
母は責める声ではなかった。
『自分で選んだ道でも、選ばんかった方は気になるで。気になったらあかん、とは誰も言うてへん』
「でも、説明会の資料を見たら、スクリムを選んだことまで迷いそうで」
『迷ったらええやん。見んかったことにしても、なくならへんで』
「お母さんも、そういうことある?」
『あるに決まっとるやん。選ばんかった方がどうなったかなんて、誰にも分からへんし』
夕奈は、未読のまま閉じた千紘の資料を見た。
「会社の次の話は、まだ詳しく言えない」
『仕事やったら、言えんこともあるやろ。話せるようになったら話したらええ』
『今聞いても、うちにはゲームの名前ばっかり増えて分からんし』
「デルタフィールドは覚えた?」
『それは覚えたで』
「三年目でやっとやけど」
『毎年、新しい言葉を増やす方が悪い』
夕奈は声を漏らして笑った。航平には、守秘義務を理由にして、話せるはずの「嬉しかった」まで黙った。母には、そこまで話していない。
母は少し間を置いた。
『それで、夕奈は大会に出たいん?』
「出たい」
夕奈は今度は待たずに答えた。
「この三人で、勝ちたい」
『ほんなら、それが今、夕奈が自分で選んだ道なんやね』
「うん」
『負けたときに、会社に言われたからとか、二人のためやったからとか言うたらあかんで』
「言わない」
『大会に出ることには、まだ賛成したわけちゃうで』
「分かってる」
『でも、自分で決めたことなら、ちゃんとやり』
「うん」
『あと、弁当は冷める前に食べ』
「今から食べる」
通話を切る直前、夕奈は小さく「ありがとう」と言った。母は聞き返さず、『ほな、またな』と答えた。
◇
夕奈は弁当を食べ終えると、千紘から届いた資料を開いた。ゲームを作る仕事、大会を動かす仕事、配信を届ける仕事。知らない名前の中に、続きを読みたいものが二つあった。そこに印をつけてから、画面を閉じた。
練習ロビーへ入ると、遥真は射撃場で動く標的を追い、航平は高架下の経路をマップに引き直していた。
「明日の確認、私は出ると答えます」
夕奈が言うと、遥真は標的を撃ったまま「分かった」と返した。出るとも、出ないとも言わない。
航平は線を引く手を止めた。
「俺は、まだ決めきれてません」
「はい」
「夕奈さんと同じ答えじゃなくても?」
「同じでなくていいです」
夕奈は自分の準備完了を押した。
「私は出たいです。この三人で、勝ちたいから」
航平は高架下に引いた線を一本消し、別の出口へ引き直した。
「明日、自分で答えます。その前に、この道をもう一回試しましょう」
「行ける」
遥真が射撃場から戻り、二つ目の準備完了を押した。航平の印も点き、三人は高架下を選んでマッチへ入った。




