第66話 出るなら、勝つために
翌日、品川へ向かう電車で、夕奈は三人のチャットを開いた。
昨夜、航平は「明日、自分で答えます」と言った。会議で聞くと決めていたのに、出場するのか確かめたくて、夕奈はメッセージを打ちかけた。送らずに消したところで電車が減速し、窓の向こうに品川のビルが近づいてきた。
夕奈はスマートフォンを鞄へ押し込んだ。
◇
会議室の扉を開けると、乾いた銃声がした。
遥真が椅子に座り、競技クライアントで射撃練習をしていた。会議用モニターには練習場の標的が映っている。机に置かれた三台のタブレットは、その画面だけ場違いに白い。
『DWC国内予選・最終参加意思確認』。
「まだ押してませんよ」
航平は夕奈より先に言った。タブレットの注意事項を開いているのに、目は遥真のモニターへ向いていた。
「聞いてません」
「顔が聞いてました」
遥真が標的を撃ち抜く。
「出るんだろ」
「ハルさん。一行目で止まってる人が決めないでください」
「説明はあとで読める」
「押したあとは遅いです」
いつもの調子に聞こえた。けれど航平の指は、注意事項の同じ行から動いていない。先日の衝突は、冗談の底に残っていた。
夕奈が向かいの席へ座ると、玲奈が入ってきた。後ろには配信担当の社員が一人いた。腕に抱えた進行表から、赤い付箋が何枚もはみ出している。
「お待たせしました」
社員は遥真の画面を見て苦笑し、机の端へ進行表を置いた。
「三人が出るなら、金曜の合同企画を動かします。出演者は今、代役を探しています」
遥真の銃声が止まった。
「もう動かしてるのか」
「出場意思の確認はまだです。ただ、決まってからでは間に合わないので」
一番上の紙には、NOVA3Radio、個人配信、強化スクリムが同じ週の欄に押し込まれていた。取り消し線の横に、担当者の名字が手書きで並んでいる。誰かの予定を動かして、自分たちの練習時間を空けてもらっている。
「出ないなら、今止めます」
社員に言われ、夕奈は紙を持ち上げた。赤い付箋が指に触れ、一枚だけ剥がれかける。
「止めないでください」
声が先に出た。
航平が夕奈を見る。玲奈は急かさず、正面のモニターを大会画面へ切り替えた。
国内予選は二日間、全十試合。順位ptとキルptの合計で、上位二チームが日本代表になる。参加予定欄には公式契約チームのほか、地方大会を抜けたチームや、国内上位選手の混成チームが並んでいた。
配信時間も、同時視聴者数も、限定スキンの販売数も載っていない。
「大会の外では、これまでどおり告知も配信もあります」
玲奈が言った。
「でも、試合で数えるのは順位とキルだけです」
「それでいい」
遥真が即答した。玲奈ではなく、夕奈を見ている。
以前の撃破イベントでは、本気で勝つことと、一般プレイヤーに楽しんでもらうことを同時に求められた。今回は違う。商品の紹介が上手くても、苦情へ丁寧に返しても、1ptにはならない。
夕奈は剥がれかけた付箋を指で貼り直した。
「先に、変わらないことも伝えます」
玲奈の声で、航平の肩がわずかに固くなった。
「DWCで好成績を取っても、専任体制の継続は約束できません。大会後の配置や契約は、個別に確認します」
「途中では?」
航平がすぐに聞いた。
「個別の話が先に進んだら、大会中でも誰かが外れますか」
夕奈は、航平に「次も、俺が変だと気づいて質問するまで待つんですか」と言われた夜を思い出した。
「三人が出場を選べば、会社はDWC終了まで、この体制を支援します。体調不良や契約違反などがない限り、配置変更を理由に取りやめさせません」
「三人とも」
「はい」
航平の親指が、タブレットの縁を一度こすった。
「結果は、会社を離れたあとも自分の実績として使えますか」
「公開された出場歴と成績なら使えます」
答えを聞いても、航平は参加欄を開かなかった。
「俺には、その方が大事です」
遥真が椅子を回した。
「なら出るだろ」
「それだけなら、三人で出る理由はないんですよ」
航平の声が少し尖った。遥真も言い返さない。
夕奈は膝の上で握った手をほどいた。アークライン、卒業後の仕事、二人の進路。答えを待っていることが多すぎる。けれど、今ここで誰かに先を言わせたら、また同じになる。
「続けたいです」
玲奈が夕奈を見る。
「大会に出たいです。今の形を残してもらうためじゃなくて、この三人で勝つために」
言い切ると、喉がひどく乾いていた。夕奈は玲奈から二人へ向き直った。
「大会のあとをどうするかは、まだ決めていません。でも、ハルにも航平さんにも、一緒に出てほしいです」
遥真が練習画面を閉じた。
「俺も出る。TIERAXの話とは分ける。今はNOVA-3で勝つ」
最後に航平が残った。
「持っていくなら」
彼は夕奈と遥真を見た。
「このチームが終わったあとにも残る実績を、今の二人と世界へ行った結果にしたいです」
航平は『出場する』を選んだ。夕奈と遥真も続く。
玲奈が三台の表示を確認したとき、航平が手を上げた。
「大会活動の変更は、三人へ同時に知らせてください。個別契約や守秘義務までとは言いません」
「原則、同時に共有します」
夕奈も航平の方を向いた。
「私からも、話せることは先に話します」
「お願いします」
許した声ではない。ただ、拒んだ声でもなかった。
登録画面に、YUNA、HAL、KOHEIの活動名と本名が並ぶ。玲奈が確定を押すと、参加チーム一覧にNOVA-3が加わった。
AURAVEX。TIERAX。SONELIA。知らないチーム名。
その上に、日本代表選出枠、二。
航平がスマートフォンを持ち上げ、玲奈に「公開前です」と止められた。
「まだ撮ってません。残しておきたかっただけです」
「正式発表まで待ってください」
航平はしまったが、遥真はもう立っていた。会議机の端へ置かれたコントローラーを取り、夕奈の前に滑らせる。
「時間あるんだろ。三人で一回やるぞ」
配信担当の社員が、自分の進行表を胸へ抱えた。
「十一時までなら、この部屋を使えます」
「四十分ですね」
航平がモニターへ練習場を戻す。さっきまで遥真一人だったロビーに、二つの名前が加わった。
配信担当の社員は扉へ向かったが、赤い付箋が一枚落ちていることに気づき、戻ってきた。夕奈より先に拾い、進行表の金曜欄へ貼る。
「代役が決まったら連絡します」
「すみません」
夕奈が頭を下げると、社員は困ったように笑った。
「謝るのは、勝ってからにしてください。負けたら私も悔しいので」
「ありがとうございます」
夕奈が頭を下げ直すと、社員は進行表を抱えて廊下へ出た。閉まりかけた扉の向こうで、電話をかける声が聞こえる。夕奈は顔を上げ、机のコントローラーを自分の前へ引き寄せた。
あと四十分。二人と何を試すか考えながらモニターへ向き直ると、遥真はもう練習場の標的を一番遠くへ置いていた。
「ハル、まずは近い標的からお願いします」
夕奈が言うと、遥真は遠くの標的に照準を合わせたまま答えた。
「遠いのが先に見えた」
「見えた順で撃つと、本番でも予定が消えますよ」
航平はそう言いながら、遥真の標的ではなく、横から近づく移動標的を出した。遥真が遠距離へ撃った直後、その標的が夕奈の画面を横切る。
夕奈は一発目を外した。二発目で胴へ当て、三発目は遥真の弾とほぼ同時になった。
「俺の」
「私の画面では私です」
「記録はハルさんです」
航平が淡々と告げる。
「本番なら1ptはチームに入るので、どちらでもいいですけど」
夕奈は笑いかけて、息だけが漏れた。大会後の三人をまだ決められないまま、大会中の1ptだけは同じ場所へ入る。
玲奈が机の端へ三台のタブレットを重ねた。いちばん上には、エントリー完了の文字が残っている。夕奈がその画面を見ていると、練習場の標的が起き上がる音がした。
モニターへ向き直ると、今度は近くと遠くに一つずつ並んでいた。遥真はまだ撃たずに夕奈を待っている。
「どっちから?」
夕奈は照準を上げた。
「近い方から。終わったら、次です」




