第62話 アークライン・テスト
翌週、三人は品川のテストルームへ呼ばれた。
入口でスマートフォンを預け、機密保持に関する確認書に署名する。室内で見聞きした内容は、配信でも個人の連絡でも話してはいけない。自分たちの端末に、録画や画像を残すことも禁じられていた。
説明を受けている間、夕奈の目は正面のモニターへ何度も戻った。
黒い画面の中央を白い線が走っている。途中で青と橙に分かれ、互いを追い越すように交差したあと、一つのタイトルを作った。
ARCLINE。
前回の面談で初めて名前と展開の概要を知り、ゲームの中身はまだ知らされていなかった新作だった。
タイトルロゴを見て胸が浮いた。夕奈はすぐ、前回の面談で聞いた「今と同じ形の活動は続きません」という玲奈の声を思い出した。
「説明は画面にも出ます。分からなければ、試合中に聞いてください」
開発側のテスト担当者は、それだけ言って三人を席へ案内した。
中央を取るとコアが出る。それを相手陣まで運べば得点。持つ人は遅くなり、近くの味方へ渡せる。夕奈が一度で覚えられたのはそこまでだった。
操作確認へ入ると、画面の端に別の数字がいくつも現れた。中央の確保率、コアの距離、倒された敵が戻るまでの時間。視線を一つへ合わせるたび、別の表示が色を変える。
キャラクターを走らせると、止まりたい場所から半歩ぶん滑った。デルタフィールドとは靴の裏が違うようだった。夕奈は同じ角を二度曲がり、二度目も壁へ肩を当てた。
「見るもの、多いですね」
夕奈が言うと、航平が設定画面を開いたまま答えた。
「多いです。しかも、どれを捨てていいのか教えてくれません」
「敵を倒せば減る」
遥真はすでに射撃場で武器を試していた。
「それは、たぶんどのゲームでも正しいですけど、ここでは死んだ敵もすぐ戻ってきます」
航平はそう返しながら、三人の装備を見比べる。遥真は短時間だけ火力を上げる構成、航平は移動を補助する装置、夕奈は敵の進路を曲げる干渉フィールドを選んだ。
遥真は火力、航平は移動、夕奈は進路制御。相談して選んだわけではない。別タイトルなのに、装備欄だけを見ればいつもの三人に見えた。
「変えますか」
夕奈が聞いたが、遥真はもう準備完了を押していた。航平も設定画面を閉じる。
「まず、このまま困りましょう」
それが作戦と呼べるのか分からないまま、一戦目が始まった。
中央エリアへ入った直後、遥真が敵一人を捉えた。コアはまだ出ていない。
「右、一人。落とせる」
「合わせます」
夕奈も射線を重ねる。敵の耐久がなくなり、画面上の人数表示が三対二に変わった。倒した敵の欄では、復帰までの秒数が減り始める。
遥真は止まらない。後退する二人目を追って、中央から右の通路へ入る。夕奈も遅れまいとついていった。
「中央、あと五秒です。コアはまだ出てません」
航平の声が入る。
夕奈は一度だけ振り返った。航平が中央に残っている。敵は二人。目の前の一人を倒せば、人数差を広げられる。
「先に落とします」
そう判断したとき、中央の確保率が止まった。反対側の入口から、追わなかった三人目が範囲へ入っている。
「踏まれてます。俺一人だと確保を進められません」
航平が中央柱を挟んで撃ち合う。その間に、最初に倒した敵が自陣側から復帰し、左通路を戻ってきた。航平は移動補助装置で足元に短い青の加速帯を出し、柱の裏へ滑ったが、二方向から詰められて倒される。
範囲内が敵だけになり、橙の確保率が最後まで伸びた。中央台に出たコアを、復帰した敵が拾う。
敵側がコアを取得。
「え、中央は?」
「取られました。俺は復帰待ちです」
航平の言葉に、夕奈は進路を戻そうとした。しかし遅かった。
遥真が二人目を倒した頃には、コアは中央から左通路へ運び出されていた。夕奈たちは遠く、航平もまだ自陣側から走り直している。追いつけないまま運搬距離の表示が伸び、終点で光が弾ける。
得点は敵側に入った。
次の中央争いでも、三人は撃ち合いに勝った。けれど最初の得点差を返せないまま、制限時間が終わる。
結果画面では、遥真の撃破数が全員の中で一番多かった。
その隣に、敗北の表示がある。
「倒したけど、負けた」
遥真は数字を見たまま言った。
「撃破数だけなら勝ってます」
航平が言った。
「でも、向こうだけ得点の光がつきました」
夕奈は中央から離れた瞬間を思い出した。自分も遥真についていった。航平一人を残したことより、敵を倒せば戻れると思っていたことの方が、口にしにくい。
「最初、私が止めるべきでした」
「俺が追った」
「私も追いました」
「二人とも追ったので、俺が一番人気なかったですね」
航平が軽く言ったが、誰も笑わなかった。何を変えればいいかは見えた気がする。どこまで変えればいいかは、まだ三人とも分からない。
二戦目の前に、三人は最初の役割を決めた。
遥真が前で敵を止める。航平がコアを運ぶ。夕奈が中央と両方の進路を見る。
「今度は、先に形を決めます」
夕奈が言うと、航平が頷いた。
「俺が持ちます。途中は……やりながらで」
試合が始まり、今度はNOVA-3が先に中央を確保した。青くなった中央台にコアが現れる。
航平がコアを取る。コアの表示が中央台から航平へ移り、移動速度が落ちた。航平は背中の移動補助装置を起動し、右通路へ短い青の加速帯を敷く。低速そのものは消せないが、直線区間だけは落ち込みを抑えられる。夕奈は中央に残り、遥真が航平の前を進む。
最初はうまくいった。
だが敵は、遥真と正面から戦わなかった。脇道から航平だけを狙い、運搬を止める。航平が遮蔽に隠れたところで、夕奈の画面に近距離受け渡しの表示が出た。
代わればいい。そう思ったのに、夕奈は中央から動けなかった。
コアが盤上にある今、中央を守っても次のコアは出ない。ルールは分かっていた。なのに自分は全体を見る役で、運ぶのは航平だと決めた。その形から外れる判断だけができなかった。
「航平さん、一度戻れますか」
「戻ると距離が消えます。夕奈さん、受け取れます?」
敵が航平へ詰める。加速帯は消え、装置の再使用時間はまだ残っていた。
「俺、戻る」
遥真が助けに向かった。
だが、遥真が着く直前に航平の耐久がなくなった。コアが遮蔽の脇へ落ち、青い回収表示が中立の白に変わる。受け渡し表示が出たときに夕奈が動いていれば、受け取れた。中央に残った今は、敵の方が落下地点に近い。
遥真は一人を退けたが、別の敵が落ちたコアを拾った。その間に復帰した敵が中央通路を抜け、夕奈は正面と脇道から挟まれる。
自陣側から復帰した航平と、敵を退けた遥真が戻ったときには、中央通路は敵に押さえられ、コアも敵の運搬者から前方の味方へ受け渡されていた。三人は追ったが、残った距離を運び切られた。
二戦目も敗北した。夕奈は、自分の運搬距離がゼロのままなのを見た。
「役割を決めたのに」
航平が返す。
「決めたから動けなかったのもあります。俺が『受け取って』って言うのも遅かったです」
責める声ではなかった。夕奈には、その方が痛かった。
「では、決めないんですか」
「全部は」
「全部って、どこまでですか」
「分かりません。そもそも、敵が横から来るのを俺も見てませんでした」
「俺は見た」
遥真が言う。
「見て追った結果、間に合わなかったんですよね」
遥真は言い返さず、射撃ボタンを二度押した。結果画面では武器が動かない。
テスト担当者から休憩を入れるか聞かれ、遥真は「いらない」と言い、夕奈は「少しだけ」と同時に答えた。
三人は席を立った。遥真は射撃場へ入れない画面を何度も開き、航平は給水機の前で紙コップを二つ重ねてしまった。夕奈は水を一口飲んだが、口の中の乾きは消えない。
「次、誰が運びますか」
夕奈が聞く。
「持った人」
遥真が言った。
航平は少し考えた。
「渡せる人がいたら、渡す。俺も声を出す。そこまででいいんじゃないですか」
作戦と呼ぶには、あまりにも途中だった。
席へ戻る。三戦目の画面が開いても、夕奈は最初の役割欄を埋めなかった。中央、コア、三人の位置。見えるものから目を移していく。
序盤は互角だった。
中央の確保率が何度も青と橙を行き来し、両チームが一度ずつコアを届けた。次に運び切った側が勝つ。残り時間は一分を切っている。
NOVA-3がわずかに中央を取り返した。中央台に出たコアを夕奈が拾い、コアの表示が夕奈の名前へ移る。
「右、運べそうです。でも私だと遅いです」
「前、空ける」
遥真が右通路へ出る。逃げる敵一人の耐久を大きく削った。
「右、逃げる」
敵は終点とは反対側へ走りながら、何度も遥真へ銃口を返した。入口から引き離そうとしているようにも、ただ耐久の少ないまま逃げているようにも見える。
夕奈はコアを持ったまま、中央と航平の位置を見た。
「誘ってるかもしれません。入口を空けないで」
「あと一発」
「その一発は、戻ってきた敵に使ってください」
遥真はもう一発だけ撃った。敵の返しでシールドが半分削れ、そこでようやく足を止める。
「……戻る」
右の入口へ射線を残すまでに、ほんの少し間が空いた。敵はそこへ入ろうとし、遥真の二発目を受けて遠い通路へ回った。
夕奈は航平の横まで下がる。一度目は距離が足りず、受け渡し表示が消えた。
「もう一歩、こっちです」
航平が戻る。二度目の動作で、ようやくコアの表示が夕奈から航平へ移った。
「航平さん、運んでください。私は中央を横切って、追う相手を止めます」
「受け取ります。残り四十五秒」
航平は残していた移動補助装置を右通路へ展開した。青い加速帯が終点方向へ伸びる。コアの低速は残る。それでも直線を抜ける数秒は縮まる。
航平が終点へ走る。
夕奈は中央へ戻った。敵二人が左から入ろうとしている。倒し切る火力は足りない。
それでも、倒す必要はなかった。
夕奈は干渉フィールドを入口に置いた。光の壁に触れた一人の進行方向がずれ、最短の通路から押し出される。もう一人は壁へ触れる前に止まり、夕奈の見えない柱側へ消えた。
「左、一人は遠回りしました。もう一人、見えません。ハルは右のまま」
「右、一人見える」
「撃って、入れないでください」
遥真の射撃が右の敵を止める。左の二人は夕奈を倒そうと向きを変えたが、その分だけ航平から離れた。
「あと十秒。今は右から見られてません」
航平の声。夕奈の耐久が削られる。左の二人が中央を抜ければ、航平の背中まで一直線になる。
けれどコアは、もう終点に近い。
「二人とも私を見ています。そのまま運んでください」
言った直後、左の一人が夕奈から銃口を外した。中央柱の裏を回り、航平へ通る斜めの通路に入る。
「違う。一人、航平さんへ行きました」
「見られました。あと五秒」
航平のシールドが削られる。加速帯の端を外れれば撃たれにくいが、終点までの距離が伸びる。航平はコアを離さず、細い柱の陰へ進路を曲げた。狙って置いた加速帯から自分で外れ、残り時間の表示が一度赤く点滅した。
遥真が右入口から照準を振り、航平を撃った敵へ数発入れる。その分、右で遠回りしていた敵が中央へ戻り始めた。
夕奈の干渉フィールドは再使用待ちだった。夕奈はコアではなく戻ってくる敵を撃ち、中央で足を止める。
「あと一秒」
航平の耐久はわずかしか残っていない。次の弾が柱に当たった。敵が航平ではなく遥真へ一度照準を振った直後、運搬距離の表示が最後まで伸び、画面中央で青い光が広がった。
VICTORY。
夕奈は赤くなった画面の向こうに、その文字を見た。
三戦目は遥真の撃破数が少なく、航平は最後の運搬中に一発も撃っていない。夕奈の被撃破数は三戦で最も多い。その結果欄の隣で、航平のキャラクターがコアを抱えたまま立っていた。
「届いた……」
航平が大きく息を吐いた。夕奈もつられて笑い、終点に着いたコアから目を離さなかった。遥真が画面を覗き込み、小さく頷く。
終了を知らせる表示が出ても、夕奈はコントローラーから手を離せなかった。
次は、最初から航平へコアを渡した方がいいかもしれない。敵が遥真を避けるなら、自分が逆側から中央を押さえる方法もある。四人用のルールなら、誰をどこに置けばいいのだろう。
考えが次々に浮かんでくる。もう一戦、やりたい。そう思ってから、夕奈は指先の力を緩めた。
もう一戦を考えたところで、活動方針面談の「終了」が戻ってきた。新しいゲームを面白いと思った自分が、今の三人を置いて先へ動いたような気がする。夕奈はコントローラーを机に置き直した。
テスト担当者が、勝利画面を残したまま尋ねた。
「最後、狙いどおりでしたか」
「渡したところまでは。そのあとは、思っていた形と違いました」
夕奈は終点の手前を指した。最後の弾が柱に当たった場所だった。
「私が見失った一人を、ハルが撃ってくれました。航平さんも、柱へ曲がって運び続けてくれました」
テスト担当者は頷きも否定もせず、映像の時刻を二つだけ控えた。夕奈はまだ終点を見ていた。今度は航平が柱へ曲がる前に、あの敵を止めたい。右の敵まで戻ってきたら、自分だけで何秒持つだろう。
テストが終了し、遥真は射撃場の画面を開き直した。
「武器、切り替えが速い。もう少し触りたい」
「俺は二戦目ですね。『受け取って』って言うのが遅かったです」
「三戦目も一回、離れました」
夕奈が言うと、航平は自分の手元を見た。
「あれ、俺も近づけばよかったんですよね。たぶん」
航平が受け渡しに使ったボタンを指で確かめ、隣では遥真が武器を切り替えている。夕奈の口にも「もう一戦」が出かかった。唇を噛む。
「夕奈は?」
遥真が尋ねた。
「難しかったです」
夕奈は「難しかったです」のあとを続けられなかった。玲奈が端末を閉じる。
「久我さん、早坂さんは先に戻ってください」
航平が立ち上がりかけて、夕奈を見る。
「沢渡さんだけ、確認したいことがあります」
遥真も足を止めた。夕奈は二人に何も言えないまま、椅子に残っていた。
遥真は玲奈に尋ねず、航平も軽口を挟まなかった。扉が閉まる直前、航平は名札のない扉を一度見た。
扉が閉まる。夕奈は二人の足音が廊下の奥へ消えるまで待ってから、玲奈へ尋ねた。
「この話は、あとで二人にもできますか」
「ゲームの反省とは別の話です」
玲奈はそう答えた。
三戦目の画面が消える。テストルームの空調音だけが大きく聞こえた。
夕奈は二人が座っていた椅子を見た。航平の紙コップが二つ重なったまま残っている。遥真のコントローラーは、射撃ボタンの側だけ少し斜めを向いていた。
「沢渡さんにだけ、お伝えします」
玲奈は夕奈の正面へ座り直した。夕奈の椅子が、誰も触れていないのに小さく軋んだ。




