第60話 選べない夏
大学三年の春になると、講義が始まる前の話題が変わった。
去年までは、履修登録やアルバイト、新しく出たゲームの話が多かった。今は、夏季インターン、業界研究、早期選考という言葉が、教室のあちこちから聞こえてくる。
沢渡夕奈が席に着くと、隣の相沢千紘がノートパソコンの画面をこちらへ向けた。
「沢渡さん、これ見た?」
表示されていたのは、夏に開かれる合同説明会の案内だった。
ゲーム、映像、配信に関わる企業が集まり、業界別の説明会や社員との座談会を行うらしい。参加企業の一覧には、ゲーム開発会社だけでなく、大会制作、映像配信、広告運用を行う会社も載っている。
夕奈が以前から名前を知っている企業もあった。
「ゲーム関係に興味あるって言ってたよね。一緒に行かない?」
千紘は、夕奈が現在ゲームの仕事をしているとは知らない。
沢渡夕奈がYUNAであることも、DWC国内予選を目指していることも知らない。デルタフィールドをよく遊ぶ学生だと思っている。
「予約、必要?」
「座談会だけ事前登録みたい。私、配信関係の会社と映像のところを申し込もうと思ってる」
千紘が画面を下へ動かす。
ゲーム開発会社の説明欄には、企画、広報、運営、コミュニティ管理といった職種が並んでいた。
夕奈はすでに、契約プレイヤーとしてゲームの仕事をしている。だが、千紘の画面に並ぶ「就職先」の欄へ、今の契約をそのまま置くことはできなかった。
今の契約が終わったら、自分は何になるのか。
選手を続けるのか、別のチームへ移るのか、会社へ就職するのか。どの欄も「未定」から動いていない。
DWC国内予選に出ると決めた夜は、世界へ行くことだけを考えていた。けれど大学へ来れば、同じ学年の学生たちは、世界大会とは別の未来へ向かって動き始めている。
「行きたいかも」
夕奈が答えると、千紘はすぐに申込ページを送ってくれた。
「じゃあ、座談会も同じ時間にする?」
「予定を確認してからでもいい?」
「もちろん。人気のところは埋まるかもしれないから、早めがいいと思う」
講師が教室へ入り、会話はそこで終わった。夕奈は申込ページを閉じられないまま、スマートフォンを机の端に置いた。
申込ページには、ゲーム開発だけでなく、運営や大会制作の仕事も並んでいた。会社をプレイヤーの席からしか見てこなかった夕奈は、どれも見ておきたかった。
講義が終わると、夕奈は廊下へ出て社内アプリを開いた。説明会の日付を、NOVA-3の活動予定表に重ねる。同じ日の午後に、予定が入っていた。
DWC国内予選対策・強化スクリム。
TIERAX、AURAVEXを含む国内上位チームが参加する全五試合。国内予選前に、強いチームの移動や戦闘判断を直接確認できる数少ない機会だった。
開始時刻も、説明会とほぼ同じだった。どちらかを途中で抜けることはできない。夕奈は予定表を何度か見直したが、日付は変わらなかった。
その日の夜、三人は練習前に通話をつないだ。
「合同説明会と、強化スクリムが同じ日でした」
夕奈が伝えると、航平はすぐに予定を確認した。
「説明会は別日なしですか?」
「今年は、その一日だけです」
「スクリムの方も、参加チームを考えると動かせませんね」
遥真は黙っている。
「スクリムに出てください」と、二人のどちらかが言ってくれないか。航平の返事を待つ間、夕奈はマイクのケーブルを指に巻いた。そう言われれば、説明会を諦めた理由を自分だけで持たずに済む。
「玲奈さんには確認しました?」
「まだです」
「先に聞いた方がいいと思います。大学の予定を優先してもいいなら、代わりの一人を入れられるかもしれません」
巻いたケーブルが指に食い込んだ。代役を探すのは正しい。それでも、自分の席は思ったより簡単に空くのだと聞こえた。
「そうですね」
夕奈はケーブルを外せないまま返した。航平は代案を重ねなかった。
「夕奈は、どっちに行きたい」
「両方です」
夕奈は答えた。
「どちらかだけなら?」
遥真は急かさず、航平も答えを補わない。夕奈はケーブルを外して、また同じ指に巻いた。
翌日、夕奈は玲奈に相談した。
玲奈は日程を確認したあと、すぐに言った。
「合同説明会へ行っても構いません。スクリムへの参加を、会社から強制することはありません」
「でも、国内予選前の強化スクリムですよね」
「重要な機会です。ただし、大学の進路に関わる予定を諦めるよう命じることはできません」
玲奈の返答には、推奨も命令もなかった。大学を選べば代役を手配し、スクリムを選べばその準備をする。どちらでも契約違反にはならない。
「会社に言われたから」は使えない。母や千紘に何と話すかまで、自分の選択に残った。
「参加の返事は、いつまでですか」
「スクリムは今週中です。大学の説明会は?」
「座談会が埋まり始めています」
「では、それまでに決めてください」
玲奈は二つの日付を、夕奈の予定表で見比べた。
「どちらを選んでも、もう片方が不要だったことにはなりません。それだけは、先に分けて考えた方がいいと思います」
夕奈は返事の代わりに予定表を閉じた。自室へ戻り、机の上に二つの画面を並べる。
片方には、合同説明会の申込ページ。もう片方には、強化スクリムの参加確認。
説明会ページの残席は減っていく。スクリム側には、国内上位と戦う五試合の開始時刻だけが並んでいた。
夕奈はしばらく画面を見たあと、NOVA-3の参加欄にチェックを入れた。それから千紘とのメッセージを開く。
『ごめん。あの日、仕事が入ってた』
送信前、夕奈は「入ってた」のあとへ「自分で選んだ」と打ち足し、その一文だけを消した。千紘からの返事は、数分後に届いた。
『分かった。資料もらえたら送るね』
千紘は説明会へ行き、夕奈はスクリムに出る。それぞれ違う一日を選んだ。
◇
六月の終わり、二つの予定が重なった日を迎えた。強化スクリム一試合目。NOVA-3は早めに収縮内へ入り、二階建ての建物を確保した。
中央に近く、次の移動先も選べる。悪くない場所に見えた。
しかし、ラウンドが進むとTIERAX共通の競技スキンを着た三人が北側の高所を取り、別部隊が低地から建物の出入口に射線を通した。低地側は正面に二人、左の出口を見られる位置に残り一人がいる。
「正面、二人。右上にTIERAX」
航平の報告が入る。
「右、削れる」
遥真が高所へ照準を向けた。
夕奈は建物を守ろうとした。
せっかく早く入った場所だった。ここを失えば、次に安全な遮蔽を取れる保証はない。
「右上を止めます。正面が来たら中で迎えます」
遥真が高所の敵を削る。
その間に正面の部隊が投げ物を入れ、航平のシールドが割れた。
三人は建物の中で動けなくなり、収縮に追われて外へ出たところを二方向から撃たれた。
一試合目は十一位だった。説明会を断って出た最初の試合で、何もできなかった。その考えを引きずったまま、二試合目の準備画面が開いた。
中盤、高架付近を移動していると、正面に一部隊が見えた。
遥真が先頭の一人に弾を当てる。
「前、七十。もう一回出れば割れる」
夕奈も敵の位置を確認した。
三人で詰めれば、一人を落とせる可能性はある。
しかし東側から二つ目の部隊の銃声が近づいていた。さらに高架の上には、三つ目の部隊が動いている。正面を追えば、東と高架上の別々の射線に挟まれる。
ここで戦闘を始めれば、倒し切る前に挟まれる。
「倒しません。全員、左へ戻ってください」
遥真は追わずに射線を切った。
航平もスモークを使わず、遮蔽の裏を通って後退する。
目の前の敵を倒さないまま、NOVA-3は場所を譲った。
後退したことで、高架全体を見られる位置へ移れた。
先ほど削った部隊へ別の二チームが集まり、戦闘が始まる。
その混乱の中を、TIERAX共通の競技スキンが三つ抜けていった。
「TIERAX、南へ移動」
航平の報告で、夕奈はマップと画面を見比べた。
高架下へ入ったTIERAXは、正面の広い道路を使わない。コンクリート壁の脇から斜面へ下り、建物の裏側へ消えた。
細い道に見えた。ただ、三人が斜面へ入ったところで別部隊のスモークが重なり、出口までは見えない。高架の上から見下ろしにくいのか、見ていた部隊が別の敵へ向いただけなのかも分からなかった。
「今の道、見えました?」
夕奈が尋ねる。
「途中まで。出口は見えてません」
航平がマップに印をつける。斜面の途中で線が切れた。
二試合目は、戦闘を避けたあと別の場所で挟まれ、九位で終わった。
それでも夕奈の頭には、先ほどTIERAXが消えた斜面が残っていた。三試合目。収縮は、先ほどと近い方向へ寄った。
まったく同じ状況ではない。高架下にはAURAVEX共通の競技スキンが三つ先に入り、建物の屋根から周囲を見ている。
正面の道路へ出れば、屋根の三人から撃たれる。戻れば収縮の外へ押し出される。夕奈は二試合目にTIERAXを見失った斜面へ視点を向けた。
「高架下から左の斜面へ入ります。出口は見えていません。止まったら戻れないので、空いている方へ抜けます」
「先頭行く」
遥真が前へ出る。
「後ろ見ます。出口、俺も知りませんからね」
航平が最後尾についた。三人は高架の柱をつなぐように移動した。
斜面へ下りたところで、AURAVEXの射撃が届く。斜面は開けているのではなく、高架を支える三本の柱が途中の遮蔽になる。ただし、柱から次の柱へ渡る一秒だけは屋根から見える。
「上から来ます。俺、五十削られました」
航平のシールドが減る。
夕奈は足を止めそうになった。
ここで航平を回復させるために戻れば、高架下に残される。進めば、次の遮蔽まで航平を撃たせることになる。
そのとき、正面道路へ出た別部隊がAURAVEXの屋根へ撃ち返した。屋根の二人がそちらへ向く。残った一人の銃口も一度道路側へ振れ、すぐ斜面へ戻った。夕奈はその一人へピンを置く。
「ハル、残った一人を一回だけ止めてください。航平さんは柱をつないで建物裏まで走って」
「撃つ」
遥真がブレイクショットを起動し、斜面を見続けた一人へ撃ち返す。
屋根の銃口が航平から遥真へ向いた。遥真はもう一発返し、柱を叩く弾から身を隠す。航平は屋根に背を向け、次の柱へ走った。
航平は一つ目、二つ目の柱で射線を切り、三つ目から建物の裏へ入る。夕奈は次の柱へ移る瞬間だけ屋根を撃ち、遥真も最後尾で同じ遮蔽をつないだ。
三人が遮蔽へ入った直後、別の部隊が正面の道路を渡ろうとし、AURAVEXから撃たれた。
夕奈たちが選ばなかった道だった。
「入れましたね」
航平がシールドパックを使いながら言う。
「ハルさん、助かりました。二本目へ走るとき、屋根に背中を向けっぱなしだったんで」
「三本目もです。次はそこまで煙を残しましょう」
夕奈は言ったあと、建物裏から斜面を振り返った。三本目の柱は、こちら側から見ると屋根へ半分出ている。TIERAXが同じ場所を通ったかどうかも、もう確かめられない。
夕奈はマップを開き、切れていた赤い線を出口まで伸ばした。途中の柱へ、航平が「屋根次第」と短く書き足す。
その試合でNOVA-3は終盤の建物まで残り、五位に入った。ただし、斜面を抜けたあとに拾えた場所は、TIERAXが入った建物とは違った。四試合目と五試合目では別方向の収縮になり、同じ道を試す場面は来ないまま、五試合総合は中位で終わった。
TIERAXは、戦闘後の離脱と移動の速さで上位に残った。AURAVEXも、取った場所を簡単には崩さない。
夕奈のマップには、高架下から斜面へ抜ける赤い経路が一本増えた。線の途中には、消せない「屋根次第」が残った。
◇
スクリム終了後、夕奈はスマートフォンを開いた。大学のグループチャットには、会場入口の看板、企業ブースへ並ぶ学生、座談会の資料が次々に上がっていた。その一枚で、参加証を下げた千紘が、夕奈も話を聞きたかった会社のブース前に立っている。
少しして、千紘から個別にメッセージが届いた。
『資料、送るね。ゲーム会社のところ、運営職の話もあったよ』
画像が何枚も添付されている。そのあとに、もう一通届いた。
『座談会に出た人だけ、夏の少人数面談に申し込めるみたい。専用の案内だから転送はできないって。ごめん』
夕奈は「よかったね」の五文字を消し、千紘が写った写真をもう一度開いた。
仕事内容や選考時期、求める人物像に加え、社員への質問内容まで千紘のメモに残っていた。夕奈は一枚ずつ保存する。だが、座談会での声はメモ越しにしか分からず、少人数面談の案内は保存することさえできなかった。
『ありがとう。助かる』
送信しても写真を閉じられないまま、夕奈はパソコンにスクリムのマップを表示した。
高架下のコンクリート壁から斜面を通り、建物の裏へ抜ける。
二試合目にTIERAXが通り、三試合目にNOVA-3が試した経路に、赤い線を一本引く。
航平からメッセージが届いた。
『今日の道、候補に残しました。道路側が屋根を撃ったところから見直したいです。次は屋根の三人がこっちを向いた場合も。TIERAXの入口と出口は、別視点を探します』
続いて、遥真からも届く。
『通った』
夕奈は『通った』の横に返事を打ちかけ、やめた。遥真と航平も、あの柱から柱へ走った時間をまだ覚えている。
夕奈は千紘から届いた説明会資料をスマートフォンに残し、モニターのマップへ戻った。赤い線を消して引き直しても、三本目の柱だけは屋根から見える。
その途中で会社から予定通知が届いた。『NOVA-3・次年度活動方針面談』。日時は翌週の午後だった。夕奈は大学用の手帳を開き、空いていた行へ日時を書く。隣には、今日の合同説明会とある。
手帳を閉じようとしたとき、千紘が企業ブースの前で笑っている写真がもう一度目に入った。夕奈は写真を閉じず、その上へ手帳を置いた。画面の半分が隠れ、参加証と千紘の肩だけが下からはみ出した。
モニターには赤い道、手元には行けなかった会場の写真が残る。どちらも、次に同じ日が来たときの答えにはならなかった。




