第59話 今、NOVA-3です
大学の講義を終えて品川へ向かう電車の中で、夕奈は今日の台本をもう一度開いた。
NOVA3Radio特別回。
三人でのグリムマスター到達を記念した配信で、通常回より三十分長く枠が取られている。
台本の前半には、開始挨拶、ランキング確定まで待った時間、最終戦で印象に残った場面が並んでいた。航平が作った進行案を番組スタッフが確認し、玲奈が会社として話せる範囲を書き加えている。
いつもと違うのは、視聴者から今後の活動について質問を受ける後半だった。
三人の回答欄は、意図して空欄にされていた。
最初の個人配信では、挨拶から質問への返し方まで会社が用意した。あの頃の夕奈には必要な台本だった。
今も、話してはいけない情報はある。今日は、その範囲だけが示され、三人の答えは台本に書かれていなかった。電車が品川駅へ着く。
夕奈は台本を閉じ、大学の課題が入った鞄を持ってホームへ降りた。
◇
ネクスフィアプロモーションジャパンの会議室には、NOVA3Radio用の机と三人分のマイクが用意されていた。
夕奈が入ると、航平はすでに進行用のタブレットを確認していた。遥真はヘッドセットを首にかけ、配信画面に表示される三人のアバターを見ている。
YUNA、HAL、KOHEI。三人のアバターの横には、同じランクシーズンのグリムマスターバッジが表示されていた。図柄は同じでも、刻まれた最終順位は一人ずつ違う。
遥真も、過去のグリムリーパーや戦績バッジで埋まっていた四枠の一つを空け、三人で取った今季の一枚を左端に置いていた。
「今日だけ見ると、最初から全員グリムマスターだったみたいですね」
航平が言った。
「航平さんの最終日を見ていた人は、そうは思わないと思います」
「境界線を往復する配信で、かなり尺を使いましたからね。もっと余裕を持って入る予定だったんですけど」
「予定を組んだ人が一番遅かった」
遥真が言う。航平はタブレットから顔を上げた。
「ハルさん、最終日の練習中も俺の順位を見てましたよね」
「落ちてないか確認してた」
「気遣いの言葉に聞こえないんですよ」
「落ちたら、また上げる必要があるから」
「ほら、完全に作業の進捗確認です」
夕奈は笑いながら、自分の席に座った。
マイクの横には、印刷された台本が置かれている。紙の上でも、三人の回答欄は空いていた。
少しして、玲奈が会議室へ入ってきた。
「本番前に、一点だけ確認します」
玲奈は遥真を見る。
「外部チームからの打診内容や、見学・体験参加で知った非公開情報については公表しないでください。相手側にも関わる話です」
「分かりました」
「現在の所属や、今後どのように活動するつもりかは、ご自身の言葉で話して構いません」
遥真は台本へ目を落とした。
「書いてない」
「書いていません」
玲奈は夕奈と航平にも視線を向けた。
「話せない範囲はこちらで決めます。話す内容まで、こちらで作るつもりはありません」
航平が、自分の回答欄を指で軽く叩いた。
「台本を作った側としては、ここが空いていると落ち着かないんですけどね」
「埋めるのは本番中で結構です」
「かなり厳しい提出形式ですね」
「回答者も作成者も同じなので、締め切りには間に合います」
玲奈はそう言って、配信スタッフへ開始準備を頼んだ。夕奈は空白の回答欄を折って隠した。配信開始までのカウントが確認用モニターに表示され、夕奈はヘッドセットをつける。
三。二。一。
待機画面が切り替わり、配信が始まった。
「こんゆな。NOVA-3のYUNAです」
「HALです」
「KOHEIです。本日は三人グリムマスター到達記念、NOVA3Radio特別回です」
航平の進行に合わせて、コメント欄へ祝福の言葉が流れ始める。
『三人ともおめでとう!』
『最終戦見てた』
『KOHEI五百一位にならなくてよかった』
『HALずっと順位確認してたの笑った』
『YUNA起こしてからの逆転すごかった』
航平が順位についてのコメントを拾った。
「五百一位だったら、それはそれで見せ場になったという意見もあります」
「なっていません」
夕奈はすぐに返した。
「あそこで落ちたら、航平さんだけ次のシーズンへ持ち越しでした」
「一人だけ第二章が始まるところでしたね」
「始めなくてよかった」
遥真が言う。航平は少し笑った。
「二人とも、順位が確定するまで全然喋らなかったですよね。配信中なのに」
「話したら順位が変わるわけではありませんから」
「夕奈さんも静かでしたけど、理由が違いますよね」
「話したら何か悪いことが起きそうだったんです」
「何の根拠もないやつですね」
「分かっています。でも、あの数分だけは静かにしていたかったんです」
最終戦の結果が反映され、航平の名前が上位五百人の中に残ったとき、夕奈はすぐに声を出せなかった。
目標を言い出したのは航平で、会社の活動予定には入っていなかった。
夕奈は最終戦について尋ねられ、自分が移動中にダウンした場面を話した。
「私は、起こしてもらっただけです」
「だけではないでしょう」
航平が言う。
「復帰した直後に、正面は追わないと決めたのは夕奈さんです」
「でも、逃げる先の岩は間違えました。航平さんが直してくれましたよね。その前に、起こしきってくれなかったら判断もできませんでした。ハルも、敵を追わずに入口を止めてくれました」
「航平が起こしきるって言ったから」
遥真が答えた。
「止めれば戻せると思った」
成功した理由を細かく並べれば、もっと長く話せた。
夕奈が一番覚えているのは、自分がダウンしている間も、二人が別の進路へ動かなかった場面だった。
番組前半が終わり、航平が視聴者から届いたメールを開く。
「では、後半は質問に答えていきます。今日は似た内容のメールが何通か届いているので、まとめて一通読ませていただきます」
航平は一度、夕奈と遥真を見た。二人とも頷く。
「三人ともグリムマスター到達、おめでとうございます。NOVA-3は販促チームとして配信を続けていますが、ここまで競技成績が上がったなら、純競技を優先してほしいという意見も見かけます。一方で、配信やイベントを減らしてほしくないという人もいます。NOVA-3は、これから配信と競技のどちらを優先しますか」
メールを読み終えると、コメント欄にも言葉が増えた。
『大会を本気でやってほしい』
『配信減るのは寂しい』
『両立は無理じゃない?』
『販促チームだから配信優先でしょ』
『HALは純競技へ行くの?』
同じチームを見ながら、大会、毎週の配信、販促、競技専念と、違う未来を望んでいる。
航平は三人分の意見を先にまとめず、遥真もマイクから離れなかった。夕奈は自分のマイクを近くへ寄せた。
「NOVA-3は、デルタフィールドを知ってもらうために作られたチームです」
自分の声が、ヘッドセットを通して少し遅れて返ってくる。
「部屋も機材も、配信する場所も会社に用意してもらいました。配信で動くYUNAの姿も、私一人で作ったものではありません」
夕奈の指が、台本の空欄を押さえた。
「だから、配信をやめるつもりはありません」
コメント欄の流れが速くなる。夕奈は全部を読もうとしなかった。
「でも、大会で勝つことも諦めません。難しいと思います。予定が重なって、どちらも嫌になる日もあるかもしれません」
実際に、大学の課題を開いたまま配信へ入った夜があった。数字を見て、正しい判断ができなくなったこともある。
夕奈は次の言葉を探した。台本の空欄に、視線だけが落ちる。
「今は……どちらかを捨てたくありません」
その先が一度つかえた。
「うまく両立できる、とまでは言えません。でも、配信も競技も、三人で続けたいです」
言い切ったあと、胸の奥に小さな重さが残った。約束にするには頼りない言葉かもしれない。それでも、誰かが書いた正解より、自分の重さだった。
航平が、次に遥真へ顔を向けた。
「ハルさんの今後についても、かなり質問が来ています。答えられる範囲でお願いします」
遥真は三人のバッジを見てから、マイクへ近づいた。
確認用モニターにはHALのアバターが映っている。表情はいつもと大きく変わらない。
夕奈は隣を見なかった。中華料理店で残ってほしいと言ったときとは違う。もう、夕奈が答えを待っていることを示す必要はなかった。
遥真は自分で選び、その結果をここで話そうとしている。
「打診や体験参加の具体的な話はできない」
コメント欄に、いくつもの疑問符が流れた。遥真はそこで終わらなかった。
「でも、俺は今、NOVA-3です」
夕奈の指から力が抜けた。配信中でなければ、隣を見ていた。
「では、最後に俺ですね」
航平が言った。
「俺は、配信と競技に順番をつける答えを用意してません」
航平は進行表へ置いた指を動かしかけ、空欄の上で止めた。
「ただ、三人で決めた目標は、三人で最後までやれました。これは本当です」
夕奈は航平を見る。航平は確認用モニターではなく、正面のマイクを見ていた。
「会社に予定を組んでもらうのは仕事なので仕方ないです。配信もイベントも、大会も、急に増えるときがあります。でも、どこまで勝ちたいかまで任せるつもりはありません」
「今回の目標は終わりました。次のことは、まだここに書けません」
航平は空欄を軽く叩いた。
「でも、終わったかどうかを、俺たち以外に先に決められたくはないです」
コメント欄には、祝福する言葉が流れた。同時に、納得しない言葉も残った。
『両方やるのは中途半端』
『純競技チームには勝てない』
『配信を軽く見てない?』
『この三人で続けてほしい』
『NOVA-3ならできる』
夕奈はコメント欄を一度だけ下まで流し、進行表の次の項目を開いた。
「たくさんのコメント、ありがとうございます」
「これからの予定は、決まり次第、公式のお知らせでご案内します。今日の配信も、最後まで見てくださってありがとうございました」
「おつゆな」
「お疲れさまでした」
「KOHEIでした。また次回もお願いします」
終了画面に切り替わる。配信中を示していた赤いランプが消え、夕奈はヘッドセットを外した。
会議室の中には、配信機材の小さな動作音だけが残る。
「二人とも、台本より長く喋りましたね」
航平が言った。
「回答は書いてありませんでしたから」
「書いていなければ何文字でもいいというルールではないんですけど」
「時間には収まっています」
玲奈が、部屋の後ろから答えた。
「番組として問題ありません」
「内容は?」
航平が尋ねる。
「次の活動でも守ってください」
玲奈はそこで口を閉じた。航平は進行表の「次回も同様」の欄へ丸をつけた。
配信スタッフが機材を片づけ始めたあとも、三人は席に残っていた。
玲奈は会議室の端から、一冊だけ薄いファイルを持ってきた。三人の間へ置く。
表紙には、見慣れない大会ロゴが印刷されていた。
DWC。デルタフィールド・ワールドチャンピオンシップ。
航平の指が、空欄の残った進行表から離れた。
「今年、国内予選が始まります」
玲奈が表紙を開く。最初のページで目に入ったのは、細かな条件ではなく、中央に置かれた二つの枠だった。
「ここから世界へ行けるのは、二チームです」
遥真が身を乗り出した。ページの端に、TIERAXとAURAVEXの名がある。夕奈は隣を見なかった。航平は「二枠」と口の中だけで読み、ウィンターオープンで届かなかった一キルを思い出すように、唇を結んだ。
国内で強いと呼ばれるチームが集まり、そのほとんどが残れない。ページをめくる音が、さっきまでの配信より近く聞こえた。
航平は前年大会のリンクを見つけ、返事をする代わりに画面を開いた。夕奈と遥真も、机の中央へ寄る。玲奈は止めなかった。
映ったのは、前年の欧州地域決勝で四位に入ったGRAVENORだった。黒を基調にした競技スキンの三人が、画面の端から端へ途切れず動く。三人の視点は別々なのに、誰かが前へ出るたび、帰る場所だけは先に決まっていた。
その連係が、最後の戦闘で一度だけ切れた。先頭が味方の射線を越え、戻れない場所で倒れる。順位は四位。
解説の英語を聞き取れなくても、画面から押し寄せる速さと、一度の断絶で順位が止まる残酷さは伝わった。国内で見てきた上位帯のさらに先に、同じ試合へ入る相手がいる。
遥真が映像を止めた。
「ここまで行ける?」
夕奈は、二枠と書かれたページを見た。
「行くなら、この人たちと戦うためです」
航平がアーカイブを閉じる。
「ここからは、さっきの空欄と同じです」
玲奈は三人を順番に見た。
「会社の台本には書きません」
遥真が最初に顔を上げた。
「出る」
航平は代表枠をもう一度見てから、ファイルを閉じた。
「俺も出たいです。二枠なら、取りにいきたい」
航平はファイルを閉じたまま、夕奈の欄には触れない。遥真も次を言わずに待った。
夕奈は、表紙に印刷されたDWCの文字を見た。グリムマスターのときは、航平が先に目標を口にした。今回はもう、二人の声が机の上にある。
「私も出ます」
顔を上げる。
「配信を続けたまま、本気で代表を取りにいきます」
玲奈はしばらく三人を見たあと、ファイルの後ろから一枚だけ紙を抜いた。
「出るなら、販促の実績だけでは守れません」
「分かっています」
参加の意思を残す欄は、一人ずつだった。遥真は紙が届く前からペンを持っている。航平は日付を見つけて「ここだけは確認します」と言い、夕奈に肘で押された。
「今、そこですか」
「締め切りを落としたら世界以前の問題なので」
配信中より少し早い声で、航平が答える。夕奈は笑いかけ、代表枠の「2」をもう一度見てから、自分の欄へ印をつけた。
最後に遥真の紙が机を滑ってくる。印は枠から大きくはみ出していた。
「ハル、はみ出しています」
「見れば分かる」
「分かっているなら直してください」
遥真がペンを取り直すより先に、玲奈が紙を引いた。
「読み取れますので、このままで結構です」
航平が吹き出した。夕奈も声を抑えられなかった。玲奈は三枚を重ねようとして、遥真の印を見て一度だけ手を止めた。
「じゃあ、最初から言わなくていいだろ」
遥真が夕奈を見る。
「言いたかったんです」
夕奈が答えると、今度は遥真がペンの蓋を落とした。机の下へ転がり、航平が拾おうとしてマイクのコードに膝を引っかける。スタッフに止められ、三人とももう一度笑った。
配信の赤いランプは消えていた。玲奈が三枚を抱えて出ていったあとも、遥真だけはペンの蓋を探して机の下をのぞいていた。




