第54話 縛れない一秒
スクリム開始前の待機画面には、参加する二十チームの名前が並んでいた。NOVA-3の欄には、YUNA、HAL、KOHEI。数日前までと何も変わらない並びだった。
夕奈には、以前と同じには見えなかった。
画面を少し下へ動かすと、TIERAXの名前がある。佐伯玲司を含む三人のプレイヤーネームが、その横に並んでいた。
遥真は数日前、あのチームの練習席に座っていた。次のシーズンには、HALの名前がそちらへ移っているかもしれない。
「開始まで三分です」
航平の声に、夕奈は参加チーム一覧を閉じた。
「今日はTIERAXを追いかける試合じゃありません。五試合を通して、俺たちの判断を崩さないことを優先します」
「分かった」
遥真が答えた。夕奈も続こうとしたが、わずかに声が遅れた。
「……はい」
返事をした遥真は、味方二人の装備欄を順に開いた。開始前のマップには、ブレイクショットを撃ったあとに戻る場所まで遥真のピンがある。
けれど夕奈の中には、別の声も残っている。
楽しかった。夕奈を待つより、撃てる時間が長かった。
一度くらい、TIERAXで噛み合わなければいいと思った。佐伯が遥真を誘ったのは間違いだったと思えばいい。その願いを、夕奈は誰にも言えなかった。
試合開始のカウントが画面中央に表示される。夕奈は親指をスティックへ戻した。今はNOVA-3のスクリムだ。
そのことだけを見なければならなかった。一試合目、NOVA-3は湾岸倉庫区の南側へ降りた。
初動の被りはない。三人は必要な武器と回復を確保し、ラウンド2の収縮が始まる前に移動を開始した。
中盤、遠くのキルログにTIERAXの名前が流れる。
一人、二人。
少し間を置いて部隊撃破の表示が出た。
次にTIERAXの姿を確認したとき、彼らはすでに戦闘場所を離れ、北西の建物へ移っていた。
「もう次に入ってますね」
航平が言った。
敵を倒してから離れるのではない。
倒す前から、必要な物資と次の場所が決まっているような速さだった。
NOVA-3も以前より速くなった。夕奈が周辺部隊を確認し、航平が退路をつなぎ、遥真が最後の射線を切って三人で移動する。
移動を終えるたび、TIERAXが場所を変えたあとを追っている感覚が残った。
終盤、NOVA-3はラウンド5の収縮を前に、高架下の遮蔽へ入った。
「右、二部隊。左は射線一本です」
「左から次の岩まで行きます。ハル、右を止めてください」
「見る」
遥真が牽制を入れる。夕奈と航平が先に移り、最後に遥真が射線を切って合流した。
判断を崩さず次の岩へ着いたとき、TIERAXはさらに前の建物を取っていた。NOVA-3は八位。
TIERAXは三位だった。
悪い試合ではないのに、遥真があの速度を楽しいと言った理由が分かってしまった。
二試合目は、高架線路を挟んだ工業区が終盤の中心になった。
ラウンド3。
NOVA-3は高架の南側、太い支柱が並ぶ場所を移動していた。正面には、TIERAX共通の競技スキンが三つ見えた。背後では、別の部隊が遠くの倉庫から銃声を出していた。
「正面、TIERAXです。右の一人だけ離れてます」
航平が中央の遮蔽へ入りながら言った。
夕奈にも見えている。
TIERAXの一人が、味方二人より右側の支柱を使って射線を広げていた。中央との距離が少し開いている。
「戦術、切る」
遥真がブレイクショットを起動し、Raptor-5を撃った。強化された数発が、敵のシールドだけを速く削る。
短い連射音のあと、敵のシールドが割れる。
「右、一人割った」
ブレイクショットの強化弾は残っている。表示はもう半分を切っていた。今なら通常より短く人数有利を作れるかもしれない。
背後の倉庫で続いていた銃声が止まり、キルログに部隊撃破が出た。航平が支柱の隙間から後方を一度だけ見る。勝った三人が倉庫を出て、高架南側の一つ目のコンクリート壁へ走っていた。
「背後の戦闘、終わりました。まっすぐなら、すぐ来ます」
遥真の位置から、右の支柱までは近い。
夕奈が正面の二人を見れば、敵は遥真だけに照準を集められない。航平も中央からカバーできる。遥真が敵を落としたあと、元の高架下へ戻る経路も残っていた。
行ける。条件は揃っている。夕奈は口を開いたが、指示は出なかった。ここで遥真を前へ出す。
TIERAXの選手を相手にして、失敗する。
遥真がダウンする。
自分の判断で負ける。そのとき、遥真はどう思うのだろう。TIERAXなら、もっと早く答えが返ってきたと考えるかもしれない。
NOVA-3では勝ち切れないと、はっきり分かってしまうかもしれない。
「夕奈、行くなら今です」
航平の声が入る。
「夕奈?」
遥真は、割った敵に照準を合わせたまま待っている。
夕奈は、まだ答えられなかった。
効果表示が短くなり、点滅へ変わる。
背後で足音が金属板を踏んだ。先ほどの三人が一つ目の壁を越え、高架下へ入っている。
「背後、もう高架下です」
敵が右の支柱から離れる。
削られたシールドを回復しながら、支柱の陰を低速で中央の二人がいる遮蔽へ戻っていく。
ブレイクショットの表示が消えた。中央の味方が拾得式の遮断バリアを支柱の間に置き、右へ出る射線を閉じる。
孤立していた一人が味方と合流し、攻める条件が消えた。
「背後、来ます。倉庫側の部隊、距離詰めてる」
航平が振り返る。
夕奈も背後を確認した。先ほどまで遠かった部隊が、高架の南側へ入っている。
「北へ抜けます」
夕奈はようやく指示を出した。
正面のTIERAXは、三人が移動を始めた瞬間に射線を広げた。
「正面、止められてます」
「スモーク入れます」
航平が投げたスモークが、支柱の間を白く塞ぐ。
その中へ入ろうとした航平のシールドが、一気に削れた。
「後ろ、近い」
振り向くより早く、背後の部隊から投げ物が入る。爆発がスモークの手前を覆い、航平の体力が消えた。
「航平さん、ダウン」
「見えてる」
遥真が戻り、航平へ詰めようとした敵を撃つ。一人のシールドを割り、そのまま体力まで削った。
「一人ロー。右へ逃げた」
夕奈と遥真の二人では、前後の部隊を止め続けられない。
TIERAXは距離を詰めず、正面の通路に射線だけを通していた。背後の部隊がNOVA-3へ近づいても遮蔽から出ず、どちらからも撃たれない角度に残っている。
「夕奈、左」
遥真の声で、夕奈は照準を振った。
敵が一人、支柱の横から出てくる。夕奈はSMGを撃ったが、先にシールドを割られた。
遥真が敵を削り返す。
それでも、航平を起こす時間はない。
夕奈がダウンし、最後に残った遥真に二方向から弾が集まった。
部隊全滅の表示が出る。
結果画面に切り替わっても、夕奈の右親指はスティックに残っていた。
「次まで四分あります」
航平は試合結果を閉じた。
遥真が尋ねる。
「さっき、何を待った」
画面には、背後から近づいていた別部隊も映っている。
「背後を見ていて……」
「それだけか」
夕奈は航平を見た。航平はリプレイを開かず、残り時間だけを表示している。夕奈はコントローラーから右手を離した。
「ハルを前に出して、失敗したらどうしようと思いました」
「いつも出してる」
「今は、いつもと違います」
「私の指示で失敗して、それでハルがここを離れたくなったらって……考えました」
「行くかどうかは、俺が決める」
遥真が言った。
「はい」
「撃てる場所と、戻れるかは言う。今までどおり決めてくれ」
「でも――」
「TIERAXの返事と混ぜるな」
夕奈は口を閉じた。
「混ぜてます」
遥真が自分の装備欄を閉じる。
「今は味方だ。味方として使え」
遥真の準備完了が点く。航平が次の試合の準備を進める。
「あと一分です。次は、今いる三人で行きましょう」
夕奈は準備完了を押した。三試合目。終盤まで残ったNOVA-3は、低い建物と岩場の間にいた。
残り七部隊。ラウンド5の収縮まで時間は少ない。
正面を移動する部隊のうち、一人だけが味方から離れた岩へ入った。残り二人は建物の裏側にいる。
遥真を右へ出せば、孤立した一人を二方向から挟める。
航平の射線も届く。
遥真が戻る経路には、まだ敵の射線が通っていない。
「右の岩、敵より先に取れる。戻るなら岩の裏。でも、建物の奥は見えない」
遥真から情報が入る。夕奈の中に、さっきと同じ怖さが浮かんだ。前へ出して倒されたら。
今度も自分の判断で負けたら。
今、遥真はNOVA-3の火力役として、夕奈と同じ試合で勝とうとしている。
「ハル、右へ出てください。航平さんは中央。私は――」
言い切る前に、建物の奥から別の敵が一瞬だけ顔を出した。孤立していると思った一人へ、射線が届く位置だった。
「待って。二人目、奥にいます」
「了解」
遥真はもう右の岩へ走り始めていた。止まれば開けた場所に残る。
「行く。奥を止めて」
「航平さん、奥を一緒に。私は右へ寄ります」
夕奈と航平が建物側に射線を通す。奥の敵は一度引いたが、もう一人の位置までは見えない。遥真が孤立した敵へ撃つ前に、北東の丘から別部隊の弾が岩場へ落ち始めた。
「撃つ」
「合わせます」
航平の弾は建物の窓へ入り、敵を奥へ戻す。遥真はブレイクショットを起動し、右からシールドを割った。夕奈のScout-56が一発重なるが、敵はダウンせず岩の裏へ逃げた。
丘からの射撃が、その敵の逃げ先にも入る。遅れてダウン表示が出た。NOVA-3の弾だけで倒したのか、丘の一発が最後だったのか、キル表示が重なって分からない。
「確定、取れます。でも丘も見ています」
夕奈には、敵の背後にある低い壁までの道が見えた。ただし、そこは丘からも半分見える。確定を取るか、ダウンを残すか。二択を整理している間にも、丘の弾が壁の角を削った。
「確定は取りません。低い壁へ――丘から見えるので、中央ではなく左の溝を通ってください」
「行きます」
航平が左の溝へ走る。夕奈も建物の二人に弾を置きながら続いた。建物側の一人がダウンした味方に触れようとすると、遥真の通常弾が岩の裏へ戻す。丘の部隊はNOVA-3ではなく、起こしに入った敵を撃ち始めた。
「二人、溝です。壁まではまだ」
「戻る」
遥真は確定を取らないまま射線を切り、二人のいる溝へ落ちた。三人はそこから低い壁へ回る。夕奈が最初に示した戻り道とは違い、航平のシールドも半分失った。
背後で起こし完了の音が鳴る。NOVA-3のキル表示は増えない。
一人をダウンさせても確定を取らず、NOVA-3は三人で次の場所を取った。
「今の、間に合いましたか」
低い壁へ着いてから、夕奈は尋ねた。
「最初の指示は早かったです。途中は俺も変えました」
「丘が撃たなかったら、まだ岩にいた」
遥真も言う。夕奈は「はい」と返し、成功の言葉にはしなかった。
NOVA-3はその試合を三位で終えた。
残る二試合でも、TIERAXは戦闘後の離脱と次の場所取りでNOVA-3を上回った。
五試合目、遥真が孤立した敵を割ったとき、夕奈の声はまた一拍遅れた。
「俺、行ける」
「右の戻りは見えてます」
遥真と航平が別々に言う。夕奈は二人の言葉を待った自分に気づいたまま、攻撃を指示した。敵を一人落とした三人は物資を取らずに次の遮蔽へ向かう。航平は途中で進路を変え、遥真も一度だけ戻った。
「今のは、遅かった?」
夕奈の問いに、遥真はすぐ答えなかった。
「行けた」
それが速さの評価なのか、結果だけなのか、夕奈には聞き分けられなかった。
全五試合の総合順位は、TIERAXが二位。NOVA-3は七位だった。
「お疲れさまでした」
玲奈の声が通話に入る。
「結果と録画は、明日共有します。今日は終了で構いません」
通話には三人が残った。夕奈はマイクへ顔を寄せたが、遥真への最初の呼びかけさえ決められなかった。
通話を終えると、航平から『録画を見る前に、今日は外で話しませんか』と店の地図が届いた。
西大井駅から少し歩いた場所にある中華料理店だった。夕奈が返信を打つ前に、遥真から届いた。
『行く』
夕奈は地図を開いたままコートを羽織った。袖に腕を通し損ね、スマートフォンを落としかける。持ち直してから、『私も行きます』と送った。
玄関で片方の靴紐を結び直し、部屋を出た。




