第52話 佐伯玲司
航平がマスターへ到達した夜、三人がシーズン終了前の練習を終えると、玲奈から通知が届いた。
『TIERAXの佐伯玲司選手が、短い挨拶を希望しています。通話へおつなぎしてもよろしいですか』
航平は夕奈と遥真に確認し、承諾を返した。ほどなく、三人の通話に別の声が加わった。
「急に悪い。TIERAXの佐伯です」
「早坂、昇格おめでとう。シーズン終了までは落とすなよ」
「ありがとうございます」
「この通話を頼んだのは、その試合より前だ。冬の予選が終わった時点で、ネクスフィアに活動記録を見せてほしいと伝えていた」
「何の記録ですか」
夕奈が先に聞いた。
「久我が前へ出て倒れた試合と、戻るようになったあとの試合。勝った場面だけじゃない」
佐伯はそこで航平へ戻した。
「昇格試合なら、序盤に起こしを切らなかった数秒はよかった。高台の右端は見落としてたが」
航平はマイクを引き寄せた。
「両方見られてたんですね」
「誘う相手の味方だからな」
「今日、話したいのは久我だ」
「俺に?」
遥真が聞く。
「ああ。今度、TIERAXの練習を見に来ないか」
遥真のマイクが、椅子の脚へ靴を当てる音を拾った。夕奈は画面の玲奈を見て、航平は「おめでとうございます」と言いかけてやめた。
「返事は今じゃなくていい」
「まだ、分からない」
「それでいい。返事は今じゃなくていい」
佐伯が抜けると、夕奈がすぐに聞いた。
「見に行きたいですか」
「見たい。でも、行くかは分からない」
「見たいなら、行ってから決めてもいいんじゃないですか」
航平が言う。夕奈は同意しなかった。
「会社へ先に確認してください。見学と勧誘は、同じではないので」
「分かってる」
遥真の返事は航平に向いたのか、夕奈に向いたのか分からなかった。三人は練習予定を開いたが、次の開始時刻を決めるまで普段より長くかかった。
佐伯から遥真へ届いたのは、日程を合わせるという短い連絡だけだった。短いせいで、見学の先にある言葉が余計にはっきりした。
翌日、遥真が玲奈へ見せると、玲奈は画面を一度読み、行くことを止めなかった。
「見てきてください。ただ、その場で先の返事はしないでください」
「分かりました」
「久我さん」
玲奈は端末を返す前に、遥真の指が通知を開いたままなのを見た。
「見たいと思うことまで、許可を取らなくていいんです」
遥真には、その言葉の方が返しにくかった。
遥真は佐伯から届いた候補日の一つに、参加できると返した。その後の練習でも、いつもと同じ声で報告した。数日後、新しいランクシーズンが始まった。航平のバナーには初めてのマスターバッジがつき、三人で決めた次の目標も動き始めた。
その初日の午後、遥真はTIERAXの練習拠点を訪れた。都内のオフィスビルの一角だった。
受付にはTIERAXのロゴがある。だが、ネクスフィアプロモーションのフロアに並んでいるようなキャラクターボードや商品告知は見当たらなかった。
壁にあるのは、大会名と練習相手を書いた予定だけだった。受付の呼び出しを押す前に、奥から銃声が聞こえた。一定の間隔で三発、少し空いて、また三発。佐伯がその音を背負って出てくる。
「来たか」
「はい」
「今日は見せるだけだ。そんなに固くならなくていい」
佐伯はそう言って、遥真を奥へ案内した。最初の部屋の壁いっぱいに一か月分の予定が映っている。国内の名前に混じって、遥真も知っている海外チームの略称があった。
NXR。
JDV。
国内大会の配信で名前を聞くことはあっても、普段の練習相手として並ぶチームではない。
「海外ともやるんですか」
「合うときだけだ。夜中になる日もある」
佐伯はモニターの前の椅子を示し、遥真が座ると、壁の予定を説明せずに画面を切り替えた。映ったのは、NOVA-3の試合だった。
遥真が敵を倒した場面ではない。
結成したばかりの頃、二人より先に屋上へ降り、敵二人を倒したあとでダウンした場面だった。
配信には出ていない初ランクだった。共有に同意したとき、遥真はもっと新しい試合を見せるのだと思っていた。あの夜の失敗を、知らない部屋で佐伯と並んで見ることになるとは思わなかった。
画面の横で、三人の距離を示す線が大きく開いた。
夕奈は中階の階段を上っていた。航平は下から奥の敵と、帰り道が階段しかないことを伝える。それでも遥真は屋上で撃ち続けた。
次の映像に切り替わる。
夕奈が攻撃を指示するまで、遥真が照準を合わせたまま待った場面。
さらに、航平が戻れる通路を残しながら、敵を建物から出さなかった場面。
どれも撃破映像として切り抜かれる場面ではなかった。
「かなり見てるんですね」
「誘う相手の試合だからな」
佐伯は当然のように答えた。最後に、別の映像が再生された。
不自然な動きをする敵と遭遇し、航平がダウンした試合だった。
遥真は削った敵を追える位置にいる。
だが、撃ち続けずに引き返し、航平を起こすための射線を作った。
佐伯が映像を止める。
「前のお前なら、こっちを追った」
画面の端に、逃げていく敵が映っている。
「倒せたと思います」
「俺もそう思う」
佐伯は否定しなかった。
「それでも戻った。どうしてだ」
「航平を残したら、次の戦闘で人数が足りないからです」
「それだけか」
遥真は、止まった映像を見た。
撃ち続ければ、一人は落とせた可能性が高い。
以前なら、その結果を優先していた。
「一人倒すより、三人で戻る方が勝てると思いました」
「そうだな」
佐伯は映像を少し戻した。
夕奈が遥真を呼び戻す直前、航平が撃たれた方向を報告している。
「最近のお前は、撃ったあとの形を見るようになった。自分が倒せるかだけじゃなく、味方が残るかを見てる」
戻した映像の中で、航平の報告が途切れ、夕奈が遥真を呼び戻す。最初の頃なら、倒せる敵がいるのに、と思ったはずだ。今は、銃口を戻す先に航平がいる。
「NOVA-3で変わったところです」
佐伯は頷いた。
「じゃあ、これは」
映像が切り替わる。デルタ・ウィンターオープン予選、第五試合。公開された大会アーカイブだった。
カスケード・ダムの西階段から、遥真が中央放水路へ戻る。攻撃ウルトの予告範囲が、その戻り先に重なった。東へ走った三人の光跡を、堤頂路の射撃が追う。
佐伯は、NOVA-3の部隊全滅表示が出る直前で止めた。
「戻った判断が間違いだったか」
「違います」
遥真はすぐに答えた。
「西階段をそのまま上がってたら、攻撃ウルトの中で落ちてた。戻る場所が一つしかなかったのが悪いです」
「次はどうする」
「入る前に、二本目を決める。無理なら、相手が寄れない射線を残してから入る」
「勝ったところだけなら、配信で足りる」
佐伯は停止した画面を閉じた。
「負けたあと、何が残る選手かを見てる」
佐伯は答え合わせをしなかった。そのまま次の部屋へ向かう。遥真は遅れて立ち上がり、自分の背中が汗ばんでいることに気づいた。
「次、こっちだ」
案内された別室には、三台のゲーミングPCが並んでいた。前衛のKYOと、退路と時間を管理するTOMAが座っている。公開ロスターで見た二人だった。佐伯は空いていた自分の席へ戻り、ヘッドセットを着けた。
三人の短い練習が始まる。遥真が後ろへ立っても、誰も画面から目を離さなかった。
「右、二枚。奥は回復中」
KYOが先に言う。
「手前から削る。戻りは階段」
「十二秒。別が来たら東」
最後はTOMAだった。
短い報告だけで三人の向きが変わる。KYOが一つ前の柱へ出た。
「前、出る。背中は任せる」
「背中を守るんじゃない」
TOMAは退路へ先に入り、KYOが戻る階段に銃口を置いた。
「六秒後、同じ射線へ戻せ」
KYOは返事の代わりに一人を削り、六秒目に階段へ滑り込んだ。佐伯の弾が追ってきた敵を止める。三つの銃口が、もう一度同じ通路に向けて並んだ。
戦闘が始まる前から、撃ったあとの場所まで揃っている。
遥真は画面を追った。自分が撃てると伝えたとき、どの角度まで許され、何秒で戻れと言われるのか。
TOMAの「戻せ」という返事は、夕奈の確認より半拍早かった。遥真はその間をもう一度数えた。
自分なら、この戦闘でどこに入るのか。
考えているうちに、右手の指が机の上でキー配置をなぞっていた。練習が終わると、KYOがヘッドセットを外した。
佐伯もヘッドセットを外してKYOの画面へ近づき、先ほどの戦闘を確認する。
「二回目、遅れたな」
「右を見すぎました」
「次も同じなら先発を替える」
「分かりました」
KYOは次の練習設定を開いた。佐伯はそこで遥真へ向いた。
「来れば、すぐ出られると思ってるか」
佐伯に聞かれ、遥真は首を横に振った。
「思ってません」
「お前と同じくらい撃てる選手はいる。練習についてこられなければ外すし、チームを崩すなら使わない」
「はい」
「それでも興味があるか」
遥真は、KYOが座っている椅子を見る。
「あります」
返事はすぐに出た。KYOは次の練習設定から顔を上げず、TOMAだけが遥真を見た。佐伯の表情は変わらない。
「なら、最後まで見ろ」
二人は最初の部屋へ戻った。佐伯は直前の練習記録を三人分印刷し、KYOの一枚を机へ広げた。
「さっきの二回目だ」
佐伯はKYOが右を見た時刻に赤ペンを置き、そこから線を引いた。TOMAとの距離が開いている。命中率の欄には丸も罰もない。遥真なら一人を削った方を先に見る。佐伯の赤線は、削ったあと戻れなかった場所で止まった。
「ここでは、撃った数より、次に同じ席へ座れる動きを見られる」
佐伯は紙を戻した。褒められるときより、椅子を外されるときの方が早い。さっきのKYOはそれを聞いても水を飲まず、次の設定を開いた。
「今年はDWCの日本代表を取る」
佐伯は壁の予定表を見ながら言った。
「国内で足りるところに合わせない。遅ければ、俺も含めて替わる」
NOVA-3にも、三人でグリムマスターへ入り、公式スクリムの五試合総合で勝つ目標がある。遥真はそれも本気で望んでいた。
壁の向こうで、また三発の銃声がした。ここでは昼の番組も、商品紹介の打ち合わせも、その音を止めない。
負ければ席を失う。KYOがまだ座っている椅子が、頭から離れなかった。その代わり、朝から夜まで、勝つためのことだけを考えられる。遥真が以前から欲しかった時間が、壁一枚向こうで続いていた。
「俺には、今の契約があります」
遥真は言った。
「知ってる。盗みに来たんじゃない」
佐伯は、航平を起こすために戻った映像をもう一度出した。
「話すなら、向こうの正面から話す。お前がここで返事をして終わる話じゃない」
「NOVA-3は」
言いかけると、佐伯が映像を止めた。航平へ戻る途中の遥真が、中途半端な姿勢で固まる。
「そこで覚えたものを抜いたら、今のお前じゃない。それでも、俺が一番に見るのは競技の結果だ」
「NOVA-3で覚えたことは評価してる。でも、お前の火力を販促枠だけで終わらせる気はない」
遥真の眉が動いた。販促枠。
最初のイベントで、決められた時刻に笑ってステージへ出た。商品名を言い、終われば三人でランクへ戻った。そのどちらもNOVA-3だったはずなのに、佐伯の三文字は、前半だけをチームの名前にした。
「NOVA-3は、競技も本気です」
「知ってる」
佐伯は引かなかった。
「本気なのと、競技だけに時間を使えるのは別だ」
否定できなかった。
佐伯は一度も目をそらさず、次の問いにも迷わなかった。
「久我、うちに来ないか」
佐伯が言った。
「お前の火力を、競技だけで試せる場所がある」
遥真は答えなかった。二人で練習室へ戻ると、KYOが席を立ち、TOMAの画面をのぞいていた。遥真は空いた椅子の背へ手を置いた。ポケットの中でスマートフォンが震え、三人用のチャットに夕奈から連絡が届いた。
『明日の練習、二十時からで大丈夫ですか』
続けて航平が送ってきた。
『新シーズン最初の練習なので、まず三人の現在地を見ましょう』
チャットの二つの名前は、明日も三人で練習する前提で並んでいる。遥真は返信欄を開いた。「大丈夫」と打つだけなら数秒で済む。親指は一文字も押さず、画面を閉じた。
佐伯は電源の入ったKYOの席を示し、待った。
「一度、練習に入ってみろ。見てるだけじゃ分からないこともある」
遥真はスマートフォンをしまい、さっきKYOが使っていたPCへ向き直った。
「……練習には、入りたいです」
「分かった。日程は送る」
佐伯はそれ以上、条件を足さなかった。遥真はKYOが使っていた席の背から手を離す。掌に、硬い縫い目の跡がついていた。
ポケットの中で、三人用のチャットがもう一度震えた。今度も取り出さなかった。
廊下へ出る直前、佐伯にだけ「失礼します」と言った。
受付を抜けると、奥の銃声が扉一枚ぶん遠くなった。エレベーターの鏡に、自分だけが映る。遥真はポケットへ手を入れたが、端末は出さなかった。掌の縫い目の跡を、親指でなぞりながら一階まで降りた。




