第5話 入口の違う三人
NOVA-3の顔合わせの日、夕奈は予定より二十分早く品川のビルに着いた。来訪者用のカードを受け取り、ゲートを通る。もう何度目かの手順なのに、手の中のカードはまだ軽く感じない。
今日は、契約の説明でも、YUNAの資料確認でもない。同じチームになる二人に会う日だった。
HALは会社が声をかけた上位ランク常連。KOHEIは別タイトルの競技志望。夕奈は自分で応募した。同じチーム名の下へ、三人は違う入口から来ている。
指定された会議室の前には、今日の予定名が表示されていた。NOVA-3 顔合わせ。その文字を見た瞬間、夕奈は足を止めた。
NOVA-3。まだ一度も三人で話していないのに、名前だけはもう用意されている。
夕奈は小さく息を吸い、会議室の扉を開けた。中にはまだ誰もいなかった。
白い長机に三つの椅子。壁際のモニター。机には人数分の水と資料が置かれている。
夕奈は一番端の椅子に座ろうとして迷った。逃げていると思われるのも、真ん中で張り切って見えるのも嫌で、結局は右端へ腰を下ろした。
膝の上で手を組む。
今日はコントローラーを持ってきていない。なのに、指先だけが何かを探すように落ち着かなかった。
廊下から足音が近づき、扉が開いた。入ってきたのは、背の高い青年だった。
黒に近い髪。無地のパーカーに、細身のパンツ。顔立ちは整っているが、目立とうとしている感じはない。会議室に入ったあと、彼は一度だけ部屋全体を見て、それから夕奈に視線を向けた。
「沢渡さん?」
低く、静かな声だった。夕奈は慌てて立ち上がった。
「はい。沢渡夕奈です。YUNAで活動します。よろしくお願いします」
少し早口になった。相手はそれを笑わなかった。
「久我遥真です。HALです。よろしく」
久我遥真。資料で見たHALの文字が、目の前の青年に重なった。
デルタフィールドの上位帯で、何度か名前を見たことがある。夕奈が届きそうで届かなかった場所に、当たり前のようにいた人だ。
そんな相手が、今は同じ会議室に立っている。遥真は夕奈の向かいに座ろうとして、ふと空調の方を見た。
「そこ、寒くないですか」
「え?」
「風、当たってるから」
言われて初めて、夕奈は自分の肩に冷たい風が当たっていることに気づいた。
「あ、大丈夫です」
「無理しなくていいです。長くなるかもしれないし」
遥真はそう言って、真ん中の椅子を引いた。こちらに座ればいいという意味だと、夕奈は一拍遅れて気づいた。夕奈は一瞬迷ってから、席を移った。
「ありがとうございます」
「いえ」
会話はそこで止まった。遥真は、余計な言葉を足さない人らしい。
夕奈は彼の手元を見た。長い指。短く切られた爪。ゲームをする人の手だ。何か話したくても、ランクの話では一方的に知っているようになる。大学はまだ個人的すぎる。
夕奈が言葉を探していると、廊下から少し速い足音が聞こえた。次の瞬間、扉が開いた。
「すみません、遅れてはないですよね。受付でカードをかざす場所、一回間違えました」
明るい茶色の髪にラフなジャケット。声は軽いが、ふざけすぎてはいない。周囲を見て、笑い方を調整しているように見えた。
「早坂航平です。KOHEIでやります。よろしくお願いします」
航平は二人に頭を下げたあと、空いている椅子に座った。
「えっと、もう自己紹介終わった感じですか?」
「名前だけ」
遥真が答える。
「助かります。置いていかれたら、初日から回収不能になるところでした」
航平は軽く言った。夕奈は笑いかけたが、返し方が分からず、真面目に挨拶した。
「沢渡夕奈です。YUNAです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。資料で見ました。終盤判断が強い人ですよね」
航平が自然に言った。夕奈は顔を上げた。
「え、資料にそこまで書いてあったんですか」
「書いてました。あと、負けず嫌いとも」
「それは……たぶん、合ってます」
「合ってるなら大事です。負けず嫌いじゃないと、このゲーム長くできないんで」
航平は笑った。夕奈の肩から力が抜けた。会議室の扉がもう一度開き、三好玲奈が入ってきた。
「お待たせしました。全員揃っていますね」
三人が姿勢を正す。玲奈は長机の正面に立ち、資料を開いた。
「本日は、NOVA-3の顔合わせと、活動開始前の確認を行います。すでに個別説明は済ませていますが、チームとして動くのは今日が初めてです」
チームとして。その言葉に夕奈は背中を伸ばした。実感より先に、会社の資料では三人が同じ枠へ入っている。
玲奈がモニターをつけた。
画面には、YUNA、HAL、KOHEIの名前と、NOVA-3のロゴが並んだ。
青と白を基調にした、すっきりしたデザインだった。三つの光が三角形を作るように配置され、公式チームらしい見栄えもある。
けれど夕奈には、そのロゴが少し遠く見えた。自分たちが作った形ではなく、用意された形だ。
「まず、それぞれの役割について確認します」
玲奈が言った。
「YUNAさんは、終盤判断と立て直しを評価しています。チームとしては、状況整理と判断の軸を担っていただく予定です」
夕奈は頷いた。「判断の軸」という言葉が重かった。
「HALさんは、火力役です。単独で戦況を動かせる力があります。ただし、チーム活動では個人技だけでなく、三人で勝ち切る再現性を重視します」
遥真は表情を変えずに聞いていた。
単独で戦況を動かせる。その言葉は、夕奈には眩しく聞こえた。会社にそこまで言われる人。最初から期待されている人。
「KOHEIさんは、状況共有と調整役です。クロスサイトでの競技経験、報告の整理、味方の位置管理を評価しています。デルタフィールドでは、チーム全体の動きをつなぐ役割を期待しています」
クロスサイト。その単語に、航平の笑顔は残ったまま、目の奥だけが静かになった。第一志望だったクロスサイトの公式チーム選考に落ち、デルタフィールドでゲームを仕事にする道を選んだ人だ。
「やれることはやります」
それ以上は言わなかった。玲奈も深く踏み込まなかった。
「三人の活動名、配信チャンネル、初期告知素材はすでに準備が進んでいます。初配信は個別、その後にNOVA-3としての合同配信を行います。練習予定、ランク配信、公式スクリムについては段階的に入れていきます」
予定が次々と説明される。YUNA、HAL、KOHEI。並んでいればチームに見えるが、今は同じ机についているだけだった。
「何か確認したいことはありますか」
玲奈が三人を見た。最初に口を開いたのは航平だった。
「同じマンションって聞いたんですけど、全員ですか?」
夕奈は顔を上げた。資料には、会社指定物件としか書かれていなかった。
玲奈は頷いた。
「同じマンションの別階です。同居ではありません。練習や移動、機材トラブル時の対応を考えて、初期契約メンバーの一部は近い物件に入ってもらっています」
「チームっていうより、詰所ですね」
航平が言った。冗談の形をしていたが、「詰所」という言葉だけが夕奈に引っかかった。玲奈は特に笑わなかった。
「近い方が助かる場面は多いです。ただし、生活の管理は各自で行ってください。部屋への立ち入りや私的な接触については、本人同士の距離感を尊重してください」
「了解です。勝手に夜食持って突撃したら怒られるってことですね」
「相手が望んでいなければ、怒られます」
「分かりやすい」
航平は軽く肩をすくめた。遥真は何も言わない。
玲奈が資料を閉じた。
「では、最後に三人から一言ずつお願いします。今後の活動に向けて、簡単で構いません」
簡単と言われると、余計に難しい。夕奈は最初に指名されないことを祈った。玲奈の視線は、まず遥真に向いた。
「HALさんからお願いします」
遥真は少しだけ考えたあと、口を開いた。
「勝ちたいです」
短いが、軽くはなかった。
「デルタフィールドは、勝てる動きが一番大事だと思っています。だから、勝つためなら合わせます」
「合わせる」に夕奈は安堵しかけたが、遥真は続けた。
「ただ、勝てる方を選びたい」
会議室の空気が固くなった。夕奈の判断を勝てると思わなければ、彼は待たない。
「次、KOHEIさん」
玲奈が促す。航平は椅子の背に軽く体を預けてから、少しだけ姿勢を戻した。
「俺は、正直に言うと、デルタフィールドが第一希望だったわけじゃないです」
夕奈は息を止めたが、航平は続ける。
「でも、ゲームで食べていきたい気持ちは本物です。だから、ここで仕事をもらった以上、半端にはやりません」
さっきまでの軽さとは違う声だった。
「勝つために必要なことを拾います。二人が前に出るなら、後ろから見ます。止めた方がいいときは止めます。嫌がられても、言います」
第一希望ではないことを隠さず、逃げるとも言わない。
「最後、YUNAさん」
玲奈の視線が夕奈へ向き、心臓が一段強く鳴った。夕奈は膝の上の手をほどく。言葉は用意していなかった。
昨日、玲奈と整えた言葉ではなく、自分の足りなさも含めて伝えたかった。
「私は……」
声が詰まった。夕奈はNOVA-3のロゴ、それから遥真と航平を見た。
「私は、二人みたいに分かりやすい強みはありません。でも、負けそうな終盤で、まだ残っている道を探すことはずっとやってきました」
夕奈は息を吸った。
「だから、判断を任されるなら、逃げ道じゃなくて、勝つ道を選びたいです」
会議室が静かになり、航平が息を吐いた。
「いいですね。逃げ道じゃなくて勝つ道。初回告知のキャッチコピーにできそう」
「茶化さないでください」
「茶化してないです。半分くらい本気です」
「半分なんですね」
「残り半分は、たぶん今後の俺の胃痛です」
夕奈は今度こそ少し笑った。遥真は静かに夕奈を見ていた。
「判断が勝てるなら、合わせます」
その言葉に、夕奈の笑いが止まった。遥真は続けた。
「勝てると思ったら、ちゃんと言ってください」
まだ信頼ではない。ただ、入口には見えた。
「言います」
夕奈は答えた。玲奈が頷いた。
「分かりました。三人の方向性は確認できました」
打ち合わせが終わると、玲奈は次の予定を共有した。
「明日は各自、配信準備と機材確認です。明後日の二十一時から、NOVA-3として初めて三人でランクに入ります。配信はまだ入れません。まずは内部確認を兼ねたチーム練習です」
夕奈はその予定をメモした。明後日二十一時。まだ勝利画面ではなく、ただの予定表だ。
「本日は以上です。お疲れさまでした」
三人は立ち上がった。
会議室を出ると、廊下には午後の静けさがあった。会社の中では、別の会議や作業が続いているのだろう。遠くから誰かの話し声と、キーボードを打つ音が聞こえる。
エレベーターの前まで、三人は自然に並んで歩いた。
エレベーターが来る。三人で乗り込む。夕奈が一階のボタンを押そうとすると、遥真が先に押した。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
航平が二人を見て、少しだけ笑った。
「今、会話の角度が全然合ってないですね」
夕奈は少し遅れて笑った。
「まだ初日なので」
「まあ、初日から合いすぎても怖いですけど」
航平の軽口で空気はやわらいだが、会話は続かない。エレベーターの数字が下がる。夕奈は二人との距離をまだ測れなかった。
一階に着いた。ゲートを通り、受付にカードを返す。
ビルの外に出ると、品川の空は高く明るかった。駅へ向かう人の流れが、午後の光の中を途切れずに進んでいる。
「じゃあ、また明後日ですかね」
航平が言った。
「たぶん、アプリで連絡来ると思います」
夕奈が答える。
「了解です。初ランク、事故らないように頑張ります」
「事故る前提なんですか」
「初顔合わせのランクなんて、だいたい何か起きますよ」
航平は軽く言った。夕奈には、たぶんその通りだと思えた。遥真が駅の方を見た。
「じゃあ」
「あ、はい。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
三人は駅前で足を止めた。同じマンションへ帰るのに、今日はまだ一緒に帰る空気ではなかった。
航平がスマホを見ながら言った。
「マンションの場所、あとで確認しときます。迷ったら誰かに助けを求めます」
「受付と同じですね」
夕奈が言うと、航平は少し笑った。
「そうです。俺は初動で迷うタイプなので」
遥真が短く言った。
「マップ見ればいい」
「正論が一番痛いんですよ、HALさん」
そのやり取りに、夕奈は会議室の中より自然に笑った。
三人は同じ駅へ、まだ少しずつ違う歩幅で歩き出した。
本作をお読みいただき、ありがとうございます。
☆ゲームについての豆知識をご紹介☆
ゲーム配信やライブ配信では、映像や音声を安定して届けるために、さまざまな機材が使われます。
中心となる配信用PCのほか、ゲーム画面やコメントを確認するモニター、声を届けるマイク、ゲーム音や通話を聞くヘッドセット・イヤホンなどが基本的な機材です。
顔出し配信ではWebカメラや照明を使用し、音質を調整するオーディオインターフェース、家庭用ゲーム機の映像をPCへ取り込むキャプチャーボードなどを加える場合もあります。
さらに、ゲーム操作に使うキーボード、マウス、コントローラーと、配信を途切れさせないための安定したインターネット回線も重要です。
必要な機材は、ゲーム配信、雑談配信、顔出し配信、アバター配信など、配信スタイルによって異なります。最初からすべてをそろえるのではなく、配信内容や予算に合わせて環境を整えていくことが大切です。
※掲載内容は、一般的な配信環境で使われる機材を分かりやすくまとめた一例です。




