第4話 YUNAの顔
翌日、夕奈はひとりで品川のビルに入った。昨日と同じ受付、入館ゲート、来訪者用のカード。母に合わせて歩いた場所を、今日は夕奈が先に通った。
白いブラウスに黒のパンツ。髪もいつもより丁寧に結んできた。エレベーターの鏡には、昨日と同じ沢渡夕奈が映っている。指定階では、三好玲奈が待っていた。
「おはようございます、沢渡さん。今日は初配信の準備をします」
案内された小さな会議室には、モニターへ向かう席が二つ並んでいた。机の資料の横には、カメラとマイクもある。
「今日、もうアバターを動かすんですか」
「はい。本番で初めて触ると、必ず慌てます」
ゲームなら、初めての武器を本番では使わない。夕奈が席に着くと、玲奈はYUNAのアバター資料を開いた。
画面が切り替わり、ひとりの女の子が現れた。夕奈は思わず居住まいを正した。
明るい栗色の髪。白と青のジャケット。細いリボン。新人らしい柔らかさはあるのに、弱そうには見えない。よくできていると思ったことが、夕奈には悔しかった。
配信画面や告知に使う表情差分を、玲奈が順に見せた。YUNAは、夕奈の知らないところで、もうまっすぐ前を見ていた。
どの表情でも、見た人がすぐ覚えられる顔だった。
「……かわいいですね」
そう言ってから、自分の声が思ったより小さいことに気づいた。玲奈は画面を次の資料へ送った。
「社内でも反応は良いです。新人公式契約プレイヤーとして、最初に知ってもらいやすいデザインになっています」
プロフィール欄の「新人」という文字へ目が戻る。夕奈は舌先を上顎につけたまま、次の言葉を出せなかった。
「次に、プロフィール文です」
玲奈が資料をめくる。モニターに文章が表示された。
YUNA。
ネクスフィアプロモーション所属、NOVA-3の新人公式契約プレイヤー。デルタフィールドでは、終盤判断とチームの立て直しを得意とする。負けず嫌いで、最後まで勝ち筋を探すプレイスタイル。好きなものはランクマッチ、甘いカフェラテ、青系のスキン。目標は、NOVA-3の一員として結果を残すこと。
好きな物の欄は合っている。夕奈の指は、目標の「結果を残すこと」で止まった。何で結果を残すのかが書かれていない。
「修正したい箇所があれば、言ってください」
玲奈が言った。夕奈は修正欄へカーソルを置いたが、何を足せば「勝てる選手」になるのか、まだ文章にできなかった。
「個人情報は、ここまでなんですね」
夕奈が言うと、玲奈は公開項目の一覧を出した。大学名も住所もない。ところが画面の隅に、薄い灰色で消された一行が残っていた。
現役大学生として学業と活動を両立中。
「これは?」
「商品担当が出した案です。親しみやすい、と」
「消すんですか」
玲奈は「はい」とは言わなかった。マウスを動かし、灰色の一行を選択したまま止める。
「私は載せない方が安全だと考えています。ただ、沢渡さんが学生であることまで隠したいかは、まだ聞いていません」
昨日、大学は辞めないと母へ言った。今日の資料から大学が消えていると、守られているより先に、片方の自分を切り取られたようにも見えた。
「大学名は出したくないです。でも、学生じゃないふりをするのも……」
「しなくて構いません」
「じゃあ、聞かれたら?」
玲奈は答えかけ、やめた。
「そこは練習してみましょう。私が決めた一文を読むだけでは、本番で別の聞かれ方をしたときに困ります」
灰色の一行は消されず、採用もされないまま残った。夕奈は余白へ何か書こうとしたが、「大学」まででペンを止めた。
玲奈が次の画面を出す。待機画面、自己紹介、短いプレイ映像、コメント、終了挨拶。枠は並んでいたが、どこで何分話すかは空白だった。
「個人の初配信なんですね」
「まずYUNAを知ってもらいます。三人のお披露目は、そのあとです」
まだ顔も知らないYUNA、HAL、KOHEIが、次週の欄ではすでに横一列に並んでいる。夕奈はHALの三文字を見てから、KOHEIへ目を移した。
「ゲームもします」
玲奈はそう言って、配信担当者が付けたメモを開いた。『初回は会話優先。プレイ映像は短く』とある。その下に別の字で、『本人が話せない場合は試合を長めに』と書き足されていた。
「私、話せないと思われてます?」
「まだ誰にも分かりません」
玲奈の答えは慰めにならなかった。夕奈は『本人が話せない場合』のメモから目を離せなかった。
そこへ、会議室の扉が軽くノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、配信担当のスタッフだった。玲奈より柔らかな雰囲気の女性で、手には小さな機材ケースを持っている。
「沢渡さん、今日はよろしくお願いします。アバターの動作確認だけ、先に見させてもらいますね」
「よろしくお願いします」
夕奈は慌てて頭を下げた。スタッフがカメラとマイクを接続し、確認用ソフトを立ち上げると、資料の中にいたYUNAが瞬きを始めた。
「では、正面を見てください。軽く笑ってみましょう」
夕奈の頬は固まったままだったが、画面のYUNAは一拍遅れて口元を上げ、リボンまで揺らした。夕奈本人より、笑い慣れて見えた。
「口の動きも見ます。何か短く話してみてください」
「えっと……沢渡夕奈です」
スタッフと玲奈が同時にこちらを見た。モニターの名前欄には「YUNA」と表示されている。
「あ、違う。YUNAです」
スタッフは少し笑い、すぐ音量メーターへ目を戻した。
「大丈夫です。今のための確認です。本番前に慣れておきましょう」
玲奈も静かに言った。
「画面に出るときはYUNAです。ただし、沢渡さんが消えるわけではありません。そこを混同しないためにも、練習します」
本名を名乗ることが、いきなり間違いになる。
「もう一度、お願いします」
スタッフが言う。夕奈は小さく息を吸った。
「YUNAです。よろしくお願いします」
YUNAが夕奈の声に合わせて口を動かし、笑った。その奥に自分がいるのかは、まだ確かめきれなかった。
玲奈が、初配信の開始挨拶を表示した。
夕奈は文字を見て固まった。
「こんゆな、ですか」
「候補の中では、覚えてもらいやすいという意見が多かったです」
「それを言うのは、私ですよね」
玲奈は一拍遅れて頷いた。
普段の自分なら絶対に言わない。でも、YUNAなら言う。夕奈はマイクの前で文を読んだ。
「こんゆな。NOVA-3のYUNAです。今日も一試合ずつ、ちゃんと勝ちにいきます」
読み終えると耳が熱かった。ただ、「一試合ずつ、ちゃんと勝ちにいく」の箇所だけは、練習用の文章を読んでいる感じがしなかった。
「硬いですね」
玲奈ではなく、配信担当のスタッフが言った。
「すみません」
「悪いという意味じゃないです。かわいい挨拶との落差が、思ったより大きくて」
夕奈は、かわいく言い直す方が難しかった。玲奈は原稿を直さず、困った質問の練習へ移った。
「大学名を聞かれたとします。返してみてください」
「大学名は言えません。でも、都内の――」
玲奈の手が上がった。夕奈は「都内」まで口にした自分に気づく。
「今のも駄目ですか」
「駄目とは決めていません。ただ、一つ答えると次は沿線、学部、曜日と聞かれる可能性があります」
「じゃあ、何も言わない方がいいんですね」
「私はそう考えます。沢渡さんは?」
守られているのか、YUNAに必要のない沢渡夕奈を片づけられているのか。夕奈は即答できなかった。
スタッフが視聴者役のまま、別の質問をした。
「一番好きな降下地点はどこですか?」
「北西の研究区画です。建物が細くて、隣の部屋を取られても――」
言葉は勝手に続いた。自分でも早いと思うほど、武器箱と窓の位置まで話せる。
「今みたいに戻せると楽ですね」
スタッフが言う。夕奈は頷いたものの、大学の問いをうまく断れたわけではない。進行表の余白には、「話題を戻す」ではなく、「都内まで言った」と書いた。
終了挨拶の「おつゆな」まで読むと、夕奈は笑ってしまった。スタッフが音声を確かめ、確認画面を止める。
夕奈は膝の上から手を上げた。
「私は、キャラとして見られるんですか」
会議室が静かになった。夕奈は玲奈の答えを待った。玲奈はすぐに答えなかった。画面の中のYUNAが、笑顔のままこちらを見ている。
やがて玲奈は、落ち着いた声で言った。
「最初は、そう見られることもあります」
「かわいい新人。会社が用意した新しい子。NOVA-3のYUNA。そういう見方をする人もいると思います」
玲奈は画面を選考時のプレイ評価へ切り替え、「終盤判断」の行だけを拡大した。
「採用会議で最も長く話したのは、ここです。味方の状態を見ながら、終盤まで道を残す判断でした」
玲奈は画面のYUNAではなく、夕奈を見た。
「髪の色ではありません」
夕奈は膝の上で手を握った。
「……プレイで、覚えてもらいたいです」
「新人だからじゃなくて、ちゃんと勝てる人として見られたいです」
玲奈は夕奈の言葉をメモ欄へ入力した。
「その方針でいきましょう。アバターにも、その仕事を手伝わせてください」
「最後に……勝つ道を選べる選手に、なりたいです」
夕奈は資料の「終盤判断」を見ながら言った。
玲奈が「最後に勝つ道を選ぶプレイヤーを目指します」と整え、自己紹介文へ入れた。夕奈が読み上げると、「プレイヤーを」のところだけ一度つかえた。
資料は社内アプリへ共有された。外部へ出さないよう念を押してから、玲奈が次の予定を開く。
「明後日は、ご自宅で一度つないでもらいます」
玲奈が機材一覧を見せる。夕奈は項目を追うより先に、白い壁と硬いワークチェアしかない部屋へYUNAが入ってくるところを想像した。置いたままのおにぎりや大学の資料は、カメラに映らない。それでも、そこにある。
「その前に、明日、NOVA-3の顔合わせがあります。そこでHALさん、KOHEIさんとも初めて会っていただきます」
活動名しか知らないHALとKOHEI。その二つの名前に、夕奈の背筋が伸びた。
「緊張しますか」
玲奈に聞かれて、夕奈は返事に困った。
「します。でも、たぶん緊張してる場合じゃないですよね」
「緊張はしても構いません。活動に支障が出なければ」
「厳しいですね」
「担当なので」
玲奈の表情がわずかに緩んだ。会議室を出る前に、夕奈は閉じたモニターを振り返った。
西大井へ戻る電車は混んでいた。夕奈は片手でつり革を持ち、もう片方で社内アプリのデザイン一式を開いた。
揺れた拍子に拡大され、YUNAの片目だけが画面いっぱいになる。慌てて閉じると、隣に立っていた女性が少しだけ身を引いた。夕奈は小さく頭を下げ、そのまま次の駅までスマホを出せなかった。
次の駅で隣の女性が降りると、夕奈はスマホを出し直した。今度はYUNAの顔ではなく、初配信用に直した自己紹介文を表示する。
『最後に勝つ道を選ぶプレイヤーを目指します』
夕奈は唇だけで、最後まで読んだ。
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※掲載内容は、FPSやバトルロイヤルゲームでよく使われる一般的な用語を分かりやすくまとめたものです。名称や細かな意味、使われ方はゲームによって異なります。




