第43話 切られた言葉
金曜の夜、ネクスフィアプロモーションのビルを出ても、夕奈はカイトの配信を開かなかった。品川駅へ流れる人に混ざり、通知だけを残した。
通知のサムネイルには、NOVA3Radioで話しているYUNAの顔が大きく使われていた。
消そうとした指を止め、画面を伏せた。西大井までの短い電車でも、通知は消えなかった。
暗い窓には、乗客の肩越しに夕奈の顔が映っている。誰も、数十分前まで夕奈が何千人もの前で話していたことを知らない。
普通に遊んでいる人の試合が壊されるのを、見なかったことにはしたくない。
考えは変わっていない。だが、太い文字になった一文は、自分が口にしたときより強い調子に見えた。
◇
自室へ戻ると、夕奈は鞄から大学の資料を取り出した。
提出期限は月曜の正午。今夜中に参考文献を整理しておけば、明日の練習後に本文を仕上げられる。
ノートパソコンを開き、途中まで書いた課題を表示した。同じ一文を三度読んでも、内容が頭に入ってこない。画面の右下には、カイトの配信開始を知らせる表示が残っていた。
夕奈は参考資料を一段落読んだ。気づけば、カーソルは配信の通知へ戻っていた。
「……一回だけ」
誰に言うでもなく呟き、配信を開く。
カイトはNOVA3Radioの映像を、夕奈が会社の文章から自分の言葉へ移る場面で止めていた。
『私たちは、勝つために戦っています。でも、それだけじゃありません』
映像は、その直後に切り替わった。
『普通に遊んでいる人の試合が壊されるのを、見なかったことにはしたくないです』
断定を避けた説明も入っている。言葉は作り変えられていない。ただ、長く残るのは一般プレイヤーを守ろうとするYUNAだった。
「記録を運営へ送ったことは間違っていないと思います。不自然な相手に試合を壊されたら、腹も立つでしょう」
カイトは続けた。
「ただ、運営と直接連絡できて、モデレーターもついていて、会社から活動を守られている公式側が、一般プレイヤーを守る側の顔をするのは違うんじゃないですか」
コメント欄が速くなる。
『公式だからできた対応だもんな』
『代表とは言ってない』
「代表とは言っていない。確かに、その通りです。でも、自分たちの動きを話すだけなら、『自分たちはこう動いた』で終わるはずです。一般プレイヤーの試合まで持ち出せば、立場を大きく見せていると受け取る人も出るでしょう」
視聴者数が六千人を超える頃、疑問として置かれた言葉が結論へ近づいた。
カイトは「違和感」と呼んでいたものを、「代表面」と言い換えた。
「誰かに選ばれた代表でもない。一般プレイヤーと同じ立場で遊んでいるわけでもない。それなのに、守る側の言葉だけを使うのは、代表面していると言われても仕方がないと思います」
夕奈の指が停止ボタンの上で止まった。
会社に守られ、運営へ直接記録を出せたことは事実だ。だが、配信の最初と今では言葉の強さが違う。
夕奈は配信を閉じ、課題へ戻った。スマートフォンが震える。
航平から、三人のチャットへ連絡が届いている。
『見ても返事しないでください。コメント欄も巡回しなくて大丈夫です』
続けて、遥真からも短く届く。
『見た?』
夕奈は迷ってから返した。
『見ました』
夕奈は課題へ戻り、参考資料の一文を選択したまま待った。選択範囲の青だけが画面に残る。やがて、遥真から届いた。
『言ってないことは、言われてない』
『はい』
『でも、全部同じ意味でもない』
遥真がこれだけ続けて文章を送ってくるのは珍しい。
『ハルは、どう思いましたか』
入力中の表示が一度消え、もう一度点いた。届いたのは一文だった。
『明日話す』
夕奈は画面を伏せた。課題は、ほとんど進まなかった。
◇
翌朝にも、大学の講義はあった。
夕奈は寝不足のまま講義室へ入り、いつもの席へ向かう。相沢千紘は、すでに友人と話していた。
「公式が一般プレイヤーの代表みたいに話すの、ちょっと違う気がする」
聞こえてきた言葉に、夕奈の足が一瞬だけ遅くなる。
千紘の隣にいる学生は、スマートフォンで夕奈の発言部分だけを抜き出した動画を表示していた。
配信の声には身元を守るためのごく薄い加工が入り、教室ではスマートフォンの小さな音に周囲の話し声まで重なっているため、普段の夕奈の声と結びつけられるほど鮮明には聞こえなかった。
「会社も運営もついてる人が、普通のプレイヤーと同じ立場ではないでしょ」
「でも、代表になるとは言ってなくない?」
千紘が答える。
「自分たちがいた試合で、別の人も狙われてたから止めたって話でしょ」
「それなら、自分たちのことだけ話せばよくない?」
「一般の人が同じことを言っても届きにくいから、公式が言った意味はあると思うけど」
夕奈は席に着いた。目の前の二人に説明できても、動画を見た全員のところへは行けない。
「沢渡さん、おはよう」
千紘が夕奈に気づいた。
「おはよう」
「昨日のNOVA3Radio、見た?」
夕奈は鞄から資料を取り出しながら答えた。
「少しだけ」
「沢渡さんは、どう思った?」
夕奈は机の上の学生証へ目を落とした。ここではYUNAと名乗れない。答えられる範囲で、曖昧にしない言葉を選んだ。
「全部の人を代表するって意味には、私は聞こえなかったかな」
「だよね」
千紘は頷く。隣の学生は、納得しきっていない顔をした。
「でも、公式が言うと重くなるじゃん。それでも言った方がよかった?」
「重くなるからこそ、言ったことを次も守らないといけないんじゃないかな」
夕奈はそれ以上続けなかった。学生は考え、スマートフォンを机に置いた。
「次も同じことをするなら、まあ分かるかも」
「私は最初からそう言ってたけど」
千紘が言う。
「今のは後出しでしょ」
二人は別の話題へ移った。誤解は残ったままだった。
◇
その日の夜、三人と玲奈は通常配信前の通話をつないだ。
航平の共有画面には、NOVA3Radio後の反応がまとめられている。
「批判だけではありません。同じマッチにいたという人から『NOVA-3が進路を止めたから最後まで試合ができた』という投稿があり、投稿映像とマッチ履歴も一致しています。話してくれてよかったという反応もあります」
「全部に答えたら終わりませんし、代表かどうかを投票で決める話でもないですから」
「投票で決まったら、航平さんが進行するんですか」
「俺は開票作業の担当に回されます。画面には映りません」
軽口を言ったあと、航平は言葉を切った。夕奈はその間が気になったが、今は聞かなかった。
「ハルの言葉も使われています。言わなければよかったと思いますか」
夕奈は、昨夜の遥真の言葉を思い出した。ちゃんと戦える場所じゃないと、勝っても意味がない。
「思わない」
遥真は画面から目をそらさなかった。
玲奈が共有画面を切り替えた。
「会社から、追加声明を出す案も用意しています」
夕奈の端末に短い文章が表示された。
『NOVA-3は、一般プレイヤー全体を代表する意図で発言したものではありません』
夕奈は一度読み、文書を閉じた。
「追加声明は出しません」
「分かりました。では、通常の活動に戻します」
◇
配信が始まると、NOVA3Radioについて尋ねる言葉が流れた。
『代表発言について説明して』
『カイトの動画見た?』
『昨日の言葉よかった』
『公式が言うことじゃない』
モデレーターは同じ文の連投や中傷だけを止めている。批判そのものは残っていた。
夕奈は一つずつには答えなかった。
「こんゆな。今日は通常ランクです。三人で勝ちにいきます」
それだけ言って、マッチへ入る。
中盤、貨物倉庫で一部隊とぶつかった。相手が投げ物で入口を潰すと、夕奈は無理に越えず別の角度へ回る。遥真が正面を下げさせ、航平が退路を見ている間に撃つ順番を決めた。三人は短く部隊を倒し、物資を取りすぎずに離れた。夕奈はコメント欄を見なかった。
その試合は四位で終わった。終盤、別の二部隊に挟まれ、航平を起こす時間を作れなかった。
夕奈は悔しさの残る結果画面を閉じ、次のマッチ検索を始めた。
そこからさらに五試合を重ねた。この日は三時間の短い枠で、合計六試合を終えた。勝った試合も早く終わった試合も、増減Pとして同じ累計に加算された。夕奈は必要な報告と判断を止めず、コメントについては試合の外で扱った。
◇
配信終了後、航平が先に通話を抜ける準備を始めた。
「明日の台本、今日のコメントを見て少し直して送ります。二人も寝てください」
「航平さんも寝てください」
「俺は人に言った分だけ寝ます」
「それだと少なくないですか」
「細かい計算は明日にしましょう。お疲れさまでした」
航平が通話から抜ける。画面に残った参加者は、夕奈と遥真の二人だけになった。いつもなら、どちらかがそのまま終了の挨拶をする。
「言ったこと、変えたい?」
夕奈は考えた。
批判を見なければよかったと思った瞬間はある。もっと誤解されにくい言い方があったのではないかとも考えた。
夕奈はあの試合の再生画面を思い浮かべ、首を横に振った。
「変えたくないです」
「じゃあ、それでいい」
カイトの動画も、違う受け取り方をする人も消えない。夕奈は通話終了のボタンを見た。押せば、今日の活動は終わる。
「ハルは、もう寝ますか」
「まだ」
「何かするんですか」
「少しだけ」
何をするのか、遥真は言わなかった。夕奈も詳しくは聞かなかった。
「私も課題があります」
「終わってないの」
「提出は月曜です。ハルは何をするんですか」
「射撃場。一マガジンだけ」
遥真の側でゲーム音が戻った。夕奈が参考資料を読み直しているあいだに、短い連射が二度続く。
「二マガジン目です」
「今のは確認」
「何のですか」
「一回目が、まぐれじゃないか」
「それなら三回目も必要になります」
遥真はしばらく黙った。銃声も止まる。
「夕奈、二行目」
夕奈は画面を見た。課題は一行目の途中で止まっていた。
「見えていませんよね」
「キーの音、止まってた」
「ハルの銃声を数えていたからです」
「じゃあ、撃たない」
「練習になりません」
遥真が短く笑った。夕奈は課題の続きへ戻り、今度は一行を最後まで書いた。




