第38話 見えていない出口
配信が終わっても、三人は通話を切らなかった。
夕奈の録画は、先ほどの試合で止まっていた。配信遅延の映像ではNOVA-3が事務棟の手前にいるが、実際の三人はもう南の通路まで移動している。
「ここです」
航平が録画を数秒戻した。
倉庫の二階窓にいた赤い装甲が、西の事務棟にも現れる。さらに夕奈が南へ進路を変えたあとには、通路の出口を狙っていた。どこでこちらを見たのか、夕奈は録画から拾えなかった。
フェンスの切れ目に残った遥真の視点では、壁二枚を挟んで夕奈が動くたび、敵の銃口も同じ幅だけ動いた。
「見えてる動きだった」
遥真が言った。
遥真の声は試合中より低かった。リプレイの敵影からカーソルを動かさない。
敵はこちらの進路を知っているように、夕奈には見えた。
「これで決まりですか」
夕奈が聞くと、航平は返事をせず、同じ場面をもう一度流した。赤い装甲が西の窓に現れる。夕奈が南へ折れ、通路内で左右へ動くと、出口の先にいる敵の銃口も動く。三度目には音を消した。
「……怪しいです。でも、まだ決まりとは言えません」
遥真が椅子を少し引いた音がした。
「足音の距離じゃない」
「俺もそう思います」
航平はそこで一度、再生を止めた。次に出た声は、さっきより固かった。
「でも、俺たちが腹を立ててることと、向こうで確かめられることは別です。試合と場所が分かる形にして送ります」
撃たれた瞬間まで戻す。航平は数字を写しながら、フェンスの向こうで倒れた自分の画面だけは再生しなかった。
「玲奈さんにも共有します」
「お願いします」
夕奈が答えると、航平はもう次の時刻を入力していた。
◇
翌日から、配信運営側が条件を変えた。
開始前、スタッフが遅延の表示を確かめ、いつもと違う接続先を読み上げた。航平は聞かれる前に頷いた。夕奈たちは理由を配信には出さず、普段どおりランクと練習を続けた。
同じ表示名の敵とは会わなかった。
三日経っても、追加の映像は増えない。品川の会議室で、玲奈は提出済みの資料を閉じた。
「調査は運営側で続いています。こちらから相手を断定しないこと。会っても、確かめるための危険な動きはしないでください」
夕奈と遥真が頷く。航平の前に置かれたペットボトルだけが、ほとんど減っていなかった。
「分かりました」
航平はペットボトルの蓋を開けず、録画一覧へ視線を戻した。
会議が終わり、夕奈がタブレットを鞄に戻していると、航平だけが録画一覧を閉じていなかった。
「航平、直近のスクリムも見ますか」
夕奈は声をかけた。別日に行った直近のスクリム第五試合で崩れた移動を、今日のうちに三人で確認する予定だった。
「二人で先に見てください。こっちは俺がまとめます」
「提出は終わっていますよね」
「終わってます。追加が出たときに、すぐつなげられる形にするだけです」
「私も時刻を拾えます」
「夕奈さんは次の試合を見てください。こういう整理は俺がやります」
航平は入力欄を増やしながら、夕奈の端末には操作権を渡さなかった。
月次報告の画面を、航平だけが長く見ていたことを夕奈は思い出した。撃破数にも、切り抜きの題名にもならない仕事を、航平はいつも先に拾っていた。
「一人でやらなくても――」
「大丈夫です。表にするだけなので」
航平は笑った。夕奈の端末にあるカーソルは動かない。
「表にするだけ」で済む顔ではなかった。昨夜の通話でも、航平は試合の反省より先に映像の欠けを気にしていた。夕奈が昼食の包みを見ると、買ったときの折り目がそのまま残っている。
遥真は録画を止め、航平の手元を見たまま口を挟まなかった。玲奈の社用端末に通知が入った。
「問い合わせ窓口に映像が届いています」
玲奈が足を止め、内容を確認する。送り主は一般プレイヤーだった。
数日前、NOVA-3が遭遇した相手と同じ表示名を含む部隊に追われたという。逃げる側と、少し離れて退路を見ていた味方。その二人分の録画が添えられていた。
玲奈が映像を共有すると、航平はすぐに自分の端末へ取り込んだ。
「俺たちの試合とは別の日です」
マップも場所も違う。追われているのは公式マークのない一般部隊で、配信もしていない。
逃げた一人は、階段を下りる途中で進路を二度変えている。路地に残った味方の映像では、その姿が出口へ出る前から、敵が一つ目、二つ目の出口を順に捨てて回り込んでいた。
遥真が画面に身を寄せた。
「変える前に、向いてる」
「敵の味方が別の角度から見て伝えたか、足音を拾った可能性は残ります」
二人の録画では、時計が一秒ずれていた。逃げた選手が階段へ入る前、追う敵の味方がどこにいたかは、どちらにも映っていない。
「これ、先に動いたって言えますか」
夕奈が尋ねた。航平は二本を重ねかけ、手を止めた。赤い装甲が一つ目の出口を捨てる。その瞬間、逃げる選手はまだ階段の途中にいた。
「言えません。別の位置から見ていた敵が報告したとして、一つ目に間に合うかどうか。この一秒で変わります。二つ目は……」
航平は角の手前で止まった敵を見た。
「ここを、俺が決めたくないです」
夕奈の背中に冷たいものが走った。
公式マークも撃破報酬もない場所で、同じことが起きていた。
航平が映像を止めた。
「怪しいだけで決めつけたら、今度は俺たちが壊す側になります。分からないところも、そのまま送ります」
航平は夕奈を見ず、停止した二つの録画へ向けて言った。
「この映像も、運営へ提出します」
玲奈が言う。
「航平さん、見てほしい場面だけ添えてください。その先は運営へ渡します」
「分かっています」
航平は答えながら、もう空のファイルを開いていた。玲奈がその手元を見たが、閉じろとは言わなかった。
◇
西大井へ戻ったあとも、航平は映像を閉じなかった。運営への共有は終わっている。それでも、逃げた選手が階段へ入るところから再生し、敵が角を曲がるたびに止めた。
自分たちの試合なら、見落とした報告を探せばいい。一般の二人の映像では、敵が見ていた角度と、聞いていた音が分からない。その空白を見ていると、自分が席を立った間に何かが起きる気がした。
午後十一時四十八分、夕奈から通話が来た。
「夕飯、食べましたか」
航平は机の端の弁当を見た。輪ゴムも外していない。
「今食べてます」
返事の途中で、リプレイの発砲音がマイクへ入った。
「それ、何回目ですか」
「まだ、順番が分からないので」
「何回目ですか」
航平は再生を止めた。答えないまま輪ゴムを外すと、通話の向こうで夕奈が「数えていますからね」と言った。
何を数えているのか聞く前に、今度は遥真が通話へ入ってきた。
「まだ見てる?」
航平は弁当の蓋を開けた。冷えた米が、蓋の裏に一粒だけついている。
「食べるまで切りません」
夕奈が言った。
「俺もいる」
遥真の声が重なる。航平はリプレイへ伸びかけた手を引き、割り箸を割った。うまく割れず、片方の先が少し太くなった。
最初の一口を飲み込むまで、二人は何も聞かなかった。冷えた米の味だけが、ようやく口の中に戻ってきた。




