第33話 東京ゲームショウ二年目
幕張メッセの天井は、見上げてもすぐには端が見つからなかった。
頭上には巨大な広告と照明が幾列も吊られている。別のホールの音楽と歓声に混じり、遠いブースの低音が一拍遅れて足裏へ響いた。
空調は効いているはずなのに、通路には人の熱が残っていた。沢渡夕奈は、スタッフ用の通行証を首から下げ、三好玲奈のあとを歩いていた。一年前にも、東京ゲームショウの仕事はあった。
ただし、品川の会議室で収録した告知映像が、ステージの途中で数分間流されただけだった。その時間、夕奈は大学の講義室にいた。
今年は違う。
NOVA-3には、メインステージの公式番組で生出演する枠が与えられていた。
「ここから先は関係者以外立入禁止です」
玲奈が通行証を警備スタッフに見せる。三人も続いて黒いカーテンの奥へ入った。
出演用のブースは、客席から見えないステージ裏にある。外へ送られるのは、三人の声と、操作されたアバターの映像だけだ。
観客の前に現れるのは、YUNA、HAL、KOHEI。沢渡夕奈たちの顔ではない。
「音声確認をします。沢渡さんからお願いします」
スタッフに促され、夕奈はマイクへ向かった。
「NOVA-3のYUNAです。本日はよろしくお願いします」
確認画面の中で、YUNAの口が夕奈の声に合わせて動く。栗色の髪。白と青の衣装。胸元の細いリボン。一年前と同じ顔だった。
「HALです。よろしくお願いします」
「KOHEIです。本日は俺の胃より会場の熱気を優先して進めます」
航平の確認に、操作スタッフが笑った。
「本番でも、進行を止めない範囲なら大丈夫です」
「その範囲を見極める仕事が一番難しいんです」
「早坂さん、本番前に失敗の準備をしないでください」
玲奈に言われ、航平は素直に口を閉じた。
夕奈は机の上の進行表へ目を落とした。前半は新シーズンの紹介、中盤はNOVA-3の活動と限定スキン、後半には来場者参加型の企画がある。
夕奈が説明し、航平が視聴者に近い言葉に直し、遥真が結論を置く。航平の紙には、夕奈と遥真へ話を振る時刻だけが細かく書かれていた。自分の発言欄には、名前ではなく「つなぎ」とある。
読み合わせでは、うまくできていた。本番でも同じように進めればいい。正面の返し用モニターが、会場の客席の映像に切り替わった。夕奈の指が進行表の上で止まる。
開演前にもかかわらず、ステージ前には何列もの人が集まっていた。後方には立ち見の来場者もいる。
巨大画面に、次の出演者としてNOVA-3のロゴが表示された。客席の中で、何人もの人がスマートフォンを持ち上げる。まだ三人のアバターは映っていない。
ただのロゴを撮っている。
「多いですね」
夕奈が呟いた。
「去年より、だいぶ」
航平もモニターを見ていた。遥真は何も言わず、客席の映像から目を離さない。
「間もなく入ります」
スタッフの声がする。会場の音が、ブース内のスピーカーから大きくなった。司会者が前のコーナーを締め、声を張る。
『続いては、デルタフィールド公式契約チームから、この三人です!』
巨大画面が青と白の光に切り替わる。
『NOVA-3!』
拍手が起きた。
夕奈の正面で、YUNAのアバターが画面中央に現れる。左にはHAL、右にはKOHEI。
イヤホンの中へ、客席の声が流れ込んできた。
「YUNA!」
「HALだ!」
「KOHEI、胃は大丈夫か!」
最後の声に、航平がすぐ反応する。
「まだ番組が始まったばかりなので、現時点では健康です」
会場に笑いが広がった。夕奈は一度呼吸を整え、開始の挨拶へ入る。
「こんゆな。NOVA-3のYUNAです。今日は東京ゲームショウの会場から、デルタフィールドの新しい情報を皆さんと見ていきます」
「HALです。よろしくお願いします」
「KOHEIです。今日は会場の皆さんと、事故らず最後まで進めたいと思います」
最初の挨拶は、三人とも問題なく終えた。
司会者から新シーズンで注目している変更を聞かれ、夕奈は新しいエリア構造について説明する。
「建物へ早く入るだけではなく、周囲の部隊がどの道を使うかまで考える必要が増えると思います。先に場所を取っても、使い方を間違えると挟まれやすくなります」
航平が進行表の時間欄を指で一度叩き、続ける。
「いい部屋を取ったからといって、家賃を払うだけでは勝てないということですね」
「家賃は関係ありません」
「取った場所の窓と入口を、ちゃんと見ましょうという話です」
客席の後ろからも笑いが届き、司会者が遥真へ向く。
『HAL選手は、新しい武器を使う予定はありますか?』
「使います。強ければ」
客席から笑いが起きた。航平が尋ねる。
「強いかどうかは、どこで判断します?」
「反動と弾数。あと、二人がカバーできる距離で使えるか」
夕奈は遥真を見た。遥真は司会者の方を向いたまま、次の質問を待っていた。
客席から拍手が起きた。
『ユウナセットも使ってるよ!』
別の場所から声が飛ぶ。夕奈は思わず笑った。
「ありがとうございます。今シーズンも、近距離と中距離を両方見られる組み合わせは使う予定です」
限定スキンを買ったという声も聞こえた。AURAVEXとの試合を見たという人もいた。三人が積み重ねてきたものが、目の前の反応になって返ってくる。
一年前に収録した映像には、返事をする観客はいなかった。今は、自分の言葉が届いた瞬間に人の声が返ってくる。そのことが、夕奈には嬉しかった。
番組は予定どおり中盤へ進んだ。司会者が客席へ向き直る。
『ここで、会場の皆さんに聞いてみましょう。NOVA-3の配信や試合を見たことがある方、手を挙げてください!』
返し用モニターの中で、多くの手が上がった。前方だけではない。後ろにいる人も、通路側の人も手を上げている。
同時に、何台ものスマートフォンが巨大画面へ向けられた。画面の下から上まで、四角いレンズが並ぶ。誰も沢渡夕奈を撮ってはいない。
映っているのはYUNAだ。顔も、大学も、住んでいる場所も知られていない。それでも、夕奈の体が先に固まった。
これまで配信画面の向こうに一人ずついた人たちが、同じ場所に集まり、同じ方向からこちらを見ている。
次の企画説明は、夕奈の担当だった。画面には、来場者投票で新装備の組み合わせを決める企画名が表示されている。最初の一文も覚えていた。
それなのに、声が出なかった。巨大画面のYUNAだけが、何も知らないように瞬きを続ける。
ほんの一秒だったはずなのに、司会者が夕奈へ視線を向けるまでが長く感じられた。
航平が息を吸う。しかし、夕奈の代わりに企画名を読み始めることはなかった。
「HALさん、さっき新武器の話が出ましたけど、今の構成から持ち替えるなら、どの距離を変えます?」
夕奈へ集まった流れを、別の場所へ動かした。遥真も企画説明には触れない。
「中距離。近距離は残す」
「理由は?」
「詰められたときに、三人とも距離を取るのは遅いから」
遥真はマイクから口を離しかけ、戻した。
「前は、俺が撃てれば持ち替えてた。でも今は、二人の位置を見て決める。撃ったあとに戻れない武器は、強くても使いにくい」
客席から感心したような声が漏れた。航平が、今度は観客へ声を向ける。
「皆さんは、近距離と中距離、どちらの新装備が見たいですか?」
客席から両方の声が返る。
「きれいに分かれましたね。こうなると、決める人の胃に負担がかかります」
笑いが起きた。航平は客席から夕奈へ顔を戻し、進行表の企画説明欄を指で押さえた。
遥真が話を終える。
「次は、YUNAからです」
夕奈は返し用モニターを見た。スマートフォンは、まだこちらを向いている。怖さは消えていない。声が震えれば、その瞬間も残る。
夕奈は進行表にある自分の名前を親指で押さえ、息を吸った。
「すみません。こんなに見てもらえていると思っていなくて、少し驚きました」
夕奈は台本の次の行を指で探した。客席から小さな笑いが起き、すぐに拍手が重なった。
「ありがとうございます。続きを話します」
画面の企画名を確認する。
「ここからは、会場の皆さんの投票で、私たちが次の実演で使う装備を決めます。近距離を強くするか、中距離を安定させるか、皆さんが見たい組み合わせを選んでください」
一文目の途中で息が足りなくなり、句点の前で吸い直した。次からは台本の行を追わず、客席を見て話した。
投票方法を伝え、航平に選択肢の説明を渡す。航平が会場向けに言い換え、遥真が最後に答えを置いた。
「選ばれた方で、ちゃんと勝ちにいきます」
拍手が返ってきた。夕奈は正面のYUNAを見た。さっきと同じ顔。同じ衣装。
YUNAの口が、夕奈の言葉に遅れず動いていた。
◇
出演を終え、三人がブースを出ると、ステージ裏の通路は本番前より静かになっていた。
夕奈は壁際に用意された水を取り、一口飲む。喉が乾いていた。キャップを持つ指には、まだ力が入っている。
航平は玲奈と、次の集合時間を確認していた。遥真が近くへ来る。
「戻れてた」
夕奈はペットボトルから口を離した。
「二人が話してくれたからです」
「航平が振った」
「遥真さんも、いつもより長く話していました」
「少しだけ」
「助かりました」
遥真は返事をせず、夕奈が持っているペットボトルへ一度視線を落とした。
「でも、戻ったのは夕奈だろ」
スタッフ通路で遥真に名前を呼ばれると、夕奈の耳には会場の音より近く届いた。
「次も、お願いします」
遥真は、試合中にカバーを頼まれたときと同じ間で頷く。
「うん」
夕奈はペットボトルのキャップを締め直した。航平がこちらへ戻ってくる。
「次もお願いしますの中に、俺が入っていなかった場合、かなり寂しいんですけど」
「航平さんにもお願いします」
「後から追加された感じがします」
「最初から二人ともです」
「それなら安心しました。三人で幕張まで来て、一人だけ対象外は胃に悪いので」
夕奈は笑った。本番前より、自然に声が出た。玲奈が三人へ次の予定を伝える。
「十五分後に、公式ブースで写真用のアバター撮影があります。それまでは休憩してください」
三人が休憩スペースへ入ると、壁際のモニターにはイベント関連の配信がいくつも表示されていた。
公式ステージ。新作紹介。会場を歩く配信者。その中の一つに、見覚えのある名前があった。カイト。
彼の同時配信画面には、直前のNOVA-3の出演映像が表示されている。ちょうど、夕奈の声が止まった瞬間だった。映像の横には、大きな配信タイトルが出ていた。
『TGSメインステージで止まったYUNA――NOVA-3は競技チームか、販促キャラクターか』
航平は題名を見たまま、進行表の裏に「十二時四十一分/六秒」と書いた。
「番組は、そのあとも動いてます」
航平がリモコンへ手を伸ばす。夕奈は反射的に「待って」と言い、持ったままだった水を一口飲んだ。もうぬるかった。
映像がまた六秒前へ戻る。今度は、画面の外から入ってくる航平と遥真の声を聞いた。




