第32話 返事が届く距離
――AURAVEX/RENKA
東京ゲームショウを控えた夜、練習室の外を清掃用のワゴンが一度通った。廊下から車輪の鳴る音がしても、MAKIはヘッドセットを外さなかった。
机には、おにぎりの包みと飲みかけの水が残っている。紗月が持ってきた明日の予定表は、三人がそれぞれ違う色のペンで書き込んだせいで、集合後の線が何度も枝分かれしていた。
紗月はステージの音響確認。MAKIは射撃デモ。RENKAは初心者体験卓へ入る。スタッフから渡された説明資料には、『初めて遊ぶ方にも伝わる言葉で』と赤く追記されている。
RENKAはその一文へ丸をつけたまま、別の紙に「ダウン」をどう説明するか書いていた。倒れたけれど、まだ試合からいなくなってはいない状態。書くと長い。消すと、意味が違った。
隣の画面で、試合の終了音がした。
五試合総合一位。
MAKIは結果画面を閉じた。代わりに開いたのは、NOVA-3に負けた最終戦の録画だった。
また見るの、とRENKAは言いかけた。MAKIの手元には食べていない鮭のおにぎりがあり、包装の端だけが細く裂けていた。
最後の七秒が流れる。
配送車の前へ出たMAKIが倒れる。紗月は一階で救助に触れ、RENKAは二階窓から守った。一階へ能力が入り、窓にいるRENKAもシールドを割られた。三人とも別の方向を向き、空いた射線からNOVA-3の弾が順番に入ってくる。
デスボックスが三つ並ぶ直前で、MAKIは再生を戻した。
「今の、窓の弾が一発遅い」
RENKAが言う。
「そこじゃない」
「私が見たいのはそこ」
「私が出たところ」
MAKIは配送車へ飛び出す直前で止めた。画面の中では、RENKAの『届く』が短く入っている。自分の声なのに、ヘッドセット越しで聞くと無責任に明るかった。
「届くって言った」
「聞こえてたよ」
MAKIは画面から目を離さない。
「聞こえてたから出たんじゃない。出るって決めた後に、聞こえた」
「どっちでも同じ。私は、戻せると思ってた」
RENKAの射線は窓に残っている。紗月はMAKIに触れたが、NOVA-3を退ける弾も、起こしきる時間も足りなかった。声だけが届いていた。
紗月は予定表の上に置いた携帯を伏せ、二人の声が入るところへ再生位置を戻した。
「RENKAの『届く』と、MAKIの『出る』。両方聞いて、どっちか止めるのが遅れた」
MAKIは救助に触れた場面まで再生を進めた。
「救助には来たじゃん」
「来たんじゃなくて、触っただけ。窓が割れる前に決めてない」
紗月は自分で言い切ってから、唇の内側を噛んだ。机の端に置いた紙コップを取り、空だと気づいて潰す。
MAKIは少し裂けたおにぎりを押しやった。
「私は、あと一歩で落とせた。下がって建物を取られるより、あそこまで行く」
「あの一歩を止めたいんじゃない」
RENKAは全体マップを開き、配送車の後ろから建物まで線を引こうとした。途中に敵の射線が二本ある。
「そこへ戻ったら、私が撃てなくなるけど」
MAKIが配送車の前を指した。
RENKAはマップを閉じた。
三人は練習用カスタムを開こうとした。いつもの練習相手はもう退出していたので、代わりに射撃場へ入り、標的と遮蔽物で配送車の場面に近い位置を作る。
最初は、MAKIが出なかった。
低い壁の手前でRENKAの返事を待ち、撃てたはずの標的を見送る。奥の標的が隠れてから、MAKIは照準を大きく振った。
「これなら死なないね」
声に棘があった。
「出ていいって言う前に、もう窓が危なかった」
「だから待った」
「そんな待ち方をしてって言ってない」
「私も、こんな撃ち方するつもりない」
MAKIは壁を越え、今度は一人で奥まで走った。RENKAも追う。戻す距離を短くすることばかり考えたせいで、二階役の標的を見失った。
紗月が後ろから「窓」と言ったときには、RENKAの画面が赤く染まっている。
「今のは、RENKAが前すぎ」
「分かってる」
「私を戻すため?」
「分かってるって言った」
ヘッドセットの耳当てが急に熱くなり、RENKAは片方だけ外した。MAKIは次の標的を出そうとする。紗月がその手を押さえた。
「一回止めよう。二人とも、負けた場面より極端になってる」
「じゃあ紗月が決めて」
MAKIに言われ、紗月の指に力が入った。
「私が撃ってるときに、二人とも起こされるつもりで走らないで」
MAKIの手が止まった。
「起こしに来なくていいってこと?」
「倒れてからそれを言わないで。私だって、あのとき撃てる敵がいた」
RENKAは外していた耳当てを戻した。録画では紗月が救助に触れたところばかり見て、その前に銃を下ろした瞬間を飛ばしていた。
「撃ち続けたかった?」
「そう。でもMAKIが倒れたから、行った。途中で切るくらいなら、最初から撃てばよかった」
「それで私が落とされても?」
紗月は答える前に、押さえていたMAKIの手を放した。
「嫌だよ。だから二人とも止めてるの」
廊下のワゴンが、今度は反対向きに通る。さっきより速度が遅い。練習室の前で一度止まったが、ノックはなかった。
RENKAは射撃場から抜け、初心者体験卓の資料を閉じた。閉じるとき、赤い追記がまた見えた。
「明日、初心者に説明するんだよね」
MAKIが言った。
「うん」
「ダウンって何、って聞かれる?」
「たぶん」
「倒れたけど、終わってない、でいいじゃん」
RENKAはメモを見た。自分が二行かけていた意味が、MAKIの言葉なら短い。
「それ、借りる」
「一個貸したから、もう一本」
「今のと引き換えにはならない」
「けち」
MAKIはやっとおにぎりの包装を開いた。けれど一口食べただけで、また録画の画面へ目を戻す。
紗月の携帯が二度震えた。一度目は会場スタッフからの変更連絡。二度目はチーム用サーバーの退出を促す通知だった。紗月は内容を読み、予定表の集合時刻を一本だけ引き直した。
「終わるよ」
「あと一本」
MAKIはすでにロビーを開いている。
「明日、射撃デモで手が震えても知らない」
「震えない」
「寝不足で機嫌が悪いのは?」
「いつもと変わらない」
RENKAが言うと、MAKIが睨んだ。紗月は笑わず、ロビーへの参加を拒否した。
承認待ちの表示だけが残る。MAKIは数秒待ってから、自分で閉じた。
RENKAは机の空き容器をまとめた。MAKIの水はまだ底に少し残っていたので、それだけは置いておく。紗月は三人分の入館証と予定表を照らし合わせ、MAKIが自分の証を射撃台の横へ置きっぱなしにしているのを見つけた。
退室すると、MAKIが先に重い扉を押した。廊下へ出た後も手を離さず、二人が通るのを待っている。
RENKAは入館証をMAKIの上着のポケットへ押し込んだ。
「次も出るよ」
MAKIが、扉の向こうを見たまま言う。
RENKAは三人分のごみを持ち直し、後ろの紗月が通るだけの幅を空けた。
「出る前に、紗月にも言って。私の返事だけで行かないで」
MAKIはRENKAから紗月へ目を移した。
「さっきは、RENKAが言う前に出た」
「それも聞いてる」
紗月が扉を押さえると、MAKIはようやく手を離した。




