第31話 SONELIAの笑い方
SONELIAの三人は、本番前からよく笑っていた。
品川の社内配信スタジオ。横長の机には六本のマイクが並び、正面の確認用モニターでは、NOVA-3とSONELIAのアバターが待機画面の中で動いている。
「昨日の配信、見ました。あれ、撃つまで怖かったですよね」
SONELIAの進行役、RIOこと神谷莉央が夕奈へ言った。
「はい。相手が武器を下ろしていたので」
「私だったら、撃つ前に三回くらい謝りそう」
明るい声を挟んだのは、MAHOだった。
「謝っている間に別部隊が来るよ」
TSUMUGIが返す。
「それで倒されたら、配信タイトルは『謝罪中に全滅』かな」
「切り抜きだけは伸びそう」
三人が笑う。MAHOだけが一拍早く笑い終え、RIOは続きを言おうとして咳き込んだ。TSUMUGIが水を寄せたが、勢いがつきすぎてボトルがRIOの肘へ当たる。
「ごめん」
「今の方が切り抜かれそう」
「本番前だから、まだ駄目」
二度目の笑いは最初ほど揃わなかった。夕奈もつられて笑ったが、流れが速いというより、止まりかけるたび誰かが先に手を出しているように見えた。
夕奈は、RIOの手元にある進行表へ目を向けた。
質問候補の横には、三色の書き込みがあった。途中で消した名前、読めない矢印、同じ質問に二人分の丸。『ここはRIO』と書いた上から、『たぶんMAHO』が重なっている。役割表というより、前にうまくいかなかった跡を残した紙だった。
航平も気づいたらしく、椅子から身を乗り出す。
自分たちの進行表を引き寄せ、余白にYUNA、HALと書きかけた。航平自身の名前だけがないことに気づいた夕奈が見ると、航平はペン先でそこを隠した。
「うちの試合前メモより細かいですね」
「今日は質問が難しいので、決めようとして増えました」
RIOは笑って答え、机の端に置いた常温の水を飲んだ。
「質問の答えも、事前に決めているんですか」
夕奈が尋ねる。
「答えまでは決めません。何が来るか分からないので」
RIOは進行表を指先で押さえた。
「最初に受ける人だけは決めます。でも、本番で違う人が先に喋ることもあります」
「その場合は?」
「たぶん、被ります」
RIOは平然と答えた。横でMAHOが「被ったあと、どっちも譲るときもある」と付け足す。TSUMUGIは商品資料を探しながら、「そこで私が次へ行って、二人に怒られる」と言った。
夕奈は自分の前に置かれた進行表を見る。
NOVA-3側の紙には、夕奈が進行、航平が補足、遥真がプレイ面と書いてある。三人の名前は一度も重ならず、SONELIAの紙よりきれいだった。そのきれいさが、夕奈には急に頼りなく見えた。
「間もなく始めます」
操作スタッフの声が入った。SONELIAの三人は、直前までの雑談を止めた。
RIOが背筋を伸ばす。MAHOはマイクを近づけすぎ、イヤホンへ返った音に顔をしかめて指一本分だけ戻した。TSUMUGIは商品紹介資料の前のページを開き、誰にも言わず直した。
昨日の配信で、自分は線を引いた。スキンを使ってくれたことは嬉しい。それでも、同じ試合に入ったら敵として戦う。今日は、その気持ちを視聴者へ伝えなければならない。
待機画面の数字がゼロになる。配信が始まった。
◇
「こんばんは。SONELIAのRIOです。今日はNOVA-3の皆さんと一緒に、応援してくれる人との向き合い方について話していきます」
RIOは一言目だけ語尾を少し上げ、そのまま滑らかに六人の紹介へ移った。
六人の紹介を終えると、RIOはAURAVEX戦の話題を出した。
「NOVA-3といえば、公式スクリム最終戦の勝利も話題になりました。HALさんの撃破場面は、かなり切り抜かれていましたよね」
「はい」
遥真が答える。それだけで終わった。RIOは慌てず、航平へ視線を移した。
「でもKOHEIさんは、あの間ずっと左から来る部隊を止めていたそうですね」
「映像には、ほぼ残っていませんけどね」
航平はいつもの調子で返した。
「敵を倒す場面の横で、俺は左を見てました。二人は正面の敵で忙しそうだったので」
「敵は、そっちにもいたんですか?」
MAHOが驚いた声を入れる。
「二人です。俺には十分多いです」
「左を止めてくれたから戦えました」
夕奈が返した。
「最後は止めきれませんでしたけどね。勝利画面で倒れてたの、俺だけです」
「起こそうとはしたんです」
「試合が終わってからでした」
コメント欄に笑う記号が流れた。
「その間、HALさんは何を考えていたんですか」
TSUMUGIが尋ねる。
「正面を倒すこと」
「本当に正面だけですね」
「左は航平が見てたから」
遥真は答えると、返しモニターのマップへ目を戻した。RIOが頷く。
「左って、どの映像に入っていました?」
RIOが返しモニターの再生バーを戻す。航平は笑ったまま、机の下で進行表の角を一度だけ強く折った。
「俺の個別画面なら。たぶん本編には、ほとんど」
RIOは二度戻して見つけられず、再生を止めた。
やがて、視聴者から寄せられた質問へ移った。
画面横のコメント欄が速くなり、スタッフが選んだ質問が共有モニターに表示される。
RIOが読み上げた。
「『YUNAさんは、自分のスキンを使っている人を倒すのは、やっぱり嫌でしたか?』」
夕奈は背筋を伸ばし、回答案の該当箇所を開いた。
「嫌というより、応援してくれている可能性がある相手だったので、すぐに撃つことには迷いました。ただ、武器を下ろしたまま近づかれると、別部隊から見たときに私たちが協力しているようにも見えますし、実際に別の部隊も接近していて――」
夕奈の説明が長くなる間、コメント欄の更新が目に見えて遅くなった。回答案の次の行へ移っても、最初の質問はまだ画面に残っている。
夕奈はそれに気づき、さらに説明を足そうとした。
「それから、ゲーム内では応援を確認する手段も――」
「自分のスキンに倒されたら――」
RIOの声と重なった。二人とも止まり、イヤホンには行き場のない息だけが返る。
「ごめんなさい、どうぞ」
「いえ、YUNAさんから」
MAHOが助けるつもりだったのか、「どっちに転んでも気持ちが忙しいですね」と笑った。RIOはまだ笑えず、TSUMUGIも共有モニターの質問から目を上げなかった。コメント欄に一つだけ『今かぶった』と流れ、それが消えるまで誰も次を言えなかった。
夕奈は回答案の先を指で隠した。
「嬉しかったです。でも、怖かったです。私の名前をつけた相手を、自分で撃つのが」
そこまで言うと、台本にない言葉の方が短かった。『それなら分かる』というコメントが二つ続き、その下に『でも次は?』が出た。
TSUMUGIがそれを読んだ。
「次に同じスキンで来たら、どうしますか」
夕奈は膝の回答案を机へ移した。紙の角がマイクスタンドに当たり、一枚だけ床へ落ちる。RIOが拾おうとして椅子を引き、脚が机に当たった。マイクが低い音を拾う。
夕奈は落ちた紙を見たまま答えた。
「今度は、最初から撃ち返してほしいです。私も迷わず、同じ試合の相手として戦います」
コメント欄が動いた。
『次は撃ち返す』
『YUNAスキンで倒しに行く』
『戦った方がファンも嬉しい』
TSUMUGIが最後のコメントを拾い、投票へ移ろうとして、進行表をめくった。
「では、次にYUNAさんと戦うときの――」
「その前に、装備です」
RIOが小声で直す。TSUMUGIは一度だけ目を閉じた。
「装備を、皆さんに選んでもらいます」
モニターの切り替えは半拍遅れた。何もない青い画面に六人の顔が映り込み、やがてYUNAスキンに合わせた三種類の武器チャームとバナーフレームが表示される。
「今日の合同カスタムで使う組み合わせです。投票をお願いします」
説明し終えたTSUMUGIの肘を、RIOが進行表の下で軽くつついた。謝罪なのか、合図なのか、夕奈には分からなかった。投票が始まると、コメント欄の速度が上がった。
「青と白の組み合わせが一番YUNAらしいと思います。黒の方は夜間エリアで見ると印象が変わって、ジャケットのラインも――」
また説明が長くなりかけ、夕奈は自分で止めた。
「私は青と白が好きです。ハルは?」
「黒」
「理由もお願いします」
「見つけにくいから」
MAHOがすぐに笑った。
「ファンの皆さんに選んでもらう商品を、敵から隠れる基準で選んでいます」
航平も続ける。
「HALは撃つ側なので、撃たれる側への配慮が商品説明に含まれていません」
「勝つなら大事」
遥真は真面目だった。夕奈は小さく笑った。
「では、HALから隠れたい人は黒、見つけてもらって戦いたい人は青と白でお願いします」
コメント欄に、
『青白で正面から行く』
『黒で奇襲する』
という反応が流れる。
◇
投票で選ばれた青と白の装備を使い、六人は合同カスタムへ入った。終盤、NOVA-3が倉庫へ踏み込むと、夕奈の一発がRIOのシールドを割る。
「割れた。ちょっと待って」
「入口、止める」
MAHOのコンカッション弾が敷居で弾け、夕奈と遥真の足を鈍らせた。TSUMUGIはすぐに移動ウルトを切らない。
「橋へ――いや、窓にいる。裏」
「橋って言った?」
MAHOが半歩だけ逆へ寄った。RIOの回復音に二人の声が重なる。
「どっち」
「裏。私、まだ」
TSUMUGIが移動ウルトを起動した。MAHOはまだ入口へ撃ち返していた。RIOが先に裏橋へ滑り、まだ回復しきらないまま窓から撃ち返す。TSUMUGIは退路を空けるつもりで橋の先へ走りすぎ、MAHOは倉庫の角に一人残った。
「MAHO、来て」
「今行く。そっちじゃない、こっち!」
呼んだ側と呼ばれた側で同時に方向を直した。それでも夕奈たちが入口で一瞬詰まったぶん、三人は裏橋へ抜ける。RIOの窓、MAHOの倉庫角、戻ってきたTSUMUGIの橋下から弾が飛び、追ったNOVA-3は足を止めた。
誰が入口で、誰が退路だったのか、夕奈にはもう分からなかった。SONELIAの三人も、逃げ切った直後に「今どっちだった?」と聞き合っていた。
試合後、最後の質問が共有モニターに出た。
『NOVA-3の反省会は、真面目すぎませんか?』
以前の夕奈なら、録画を見る理由も、試合中に修正できるようになった経緯も、一つ残らず説明しようとした。
夕奈は口を開く前に、航平と遥真を見た。航平がわずかに頷く。遥真もマイクへ近づいた。
「反省会は、これからもやめません」
夕奈は、そこで一度区切った。回答案には『一試合につき一項目』と書いてある。さっきの試合だけでも、入口、橋、回復の声が残っていた。
「見やすくはしたいです。ただ、どこを残すかは、まだ決められていません」
航平がマイクへ寄る。
「一試合につき一つ、と思っていたんですけど」
「俺は入口が見たい」
遥真が横から言った。
「私は橋です。三人が分かれたところ」
夕奈が答えると、航平が回答案の『一項目』を指した。
「もう二つあります」
『まとまってない』
というコメントのすぐ下に、
『今ここで反省会始まってる』
と流れた。航平が後者を指で示すと、夕奈は口を閉じた。
スタッフ席から玲奈の咳払いが聞こえた。笑ったのか、時間を知らせたのかは分からなかった。
◇
配信が終わり、画面が終了映像に切り替わった。スタッフがマイクを切ったことを確認する。直前まで明るく笑っていたRIOは、すぐに手元の進行表を引き寄せた。
「最初の質問、私が入ったせいで余計に止まった」
RIOが余白へ書き込んでいる途中で、MAHOが腕を伸ばし、その下に「最初の冗談」と足した。肘で投票欄を隠され、TSUMUGIは資料を自分の側へ引いてから印をつけた。
RIOはペンを置き、水をゆっくり飲んだ。
SONELIAに助けられた、と思っていた。けれどRIOの紙には、助けた印ではなく、夕奈と声が重なった場所に二重線が引かれている。二度目に言葉が詰まりかけたときは、航平と遥真の声が先に入った。
「あのとき、私を止めようとしたんですか」
夕奈が尋ねると、RIOは進行表を夕奈にも見える向きへ動かした。
「止めるつもりでした。長くなっていたから。でも、私も同じところへ入って、もっと長くしました」
「私は冗談が早かった」
MAHOは自分で書いた『最初の冗談』を丸で囲む。
「私は二人が止まったから、次へ行った。たぶん、待つより進めたかっただけ」
TSUMUGIは投票欄につけた印を塗りつぶした。RIOの声がかすれる。MAHOが新しい水を押し出した拍子に、TSUMUGIのペンが転がり、今度は夕奈の靴の下まで来た。
「笑えないときは、どうするんですか」
夕奈が尋ねると、RIOは蓋に指を掛けたまま答えた。
「決めてないです。私は怖くなって喋ります。MAHOは、だいたい先に笑わせようとします」
「だいたいじゃない」
「今日もした」
TSUMUGIが言うと、MAHOは言い返しかけて、新しい水の蓋をRIOへ渡した。
「TSUMUGIは次へ行きます。たまに、私たちを置いたまま」
「待っても何も出ないときだけ」
「その判断が早いんだって」
三人の声がまた重なった。今度は誰も譲らず、二つほど言葉が聞き取れなかった。
「私がまた長くなったら、航平さんが――」
「長くなる前がいいですね」
航平が言う。
「誰が止めるんですか」
夕奈が聞き直すと、航平は遥真を見た。
「長い、って言えばいい」
「ハルが?」
「長い」
「今は聞いていません」
「皆さん、お疲れさまでした」
玲奈が六人の近くへ来た。手には、次の活動予定を表示したタブレットがある。
「本日の合同番組については、後日視聴データを共有します。それからNOVA-3には、次の出演が決まりました」
夕奈は顔を上げた。
「東京ゲームショウ二年目の出演です。今年は事前収録だけではありません」
玲奈がタブレットを机に置く。メインステージ公式番組。公開生配信。
昨年より長い出演時間。
資料の下には、想定観客数の欄があった。
「多いですね」
「読み返しても減りませんよ」
航平がタブレットを伏せると、遥真が夕奈の方へ戻した。
「見ればいい」
「見るのと、見られるのは違います」
夕奈が言うと、RIOが自分の進行表越しに観客数をのぞいた。
「これは、私も笑えないかもしれない」
「そのときは私が先に笑います」
MAHOが言ったが、誰もすぐには続かなかった。TSUMUGIが床に落ちた夕奈の回答案を拾い、紙についた靴跡を親指でこする。
「取れない。これ、使います?」
「持って帰ります」
夕奈は回答案を受け取り、靴跡を内側にして折り、鞄の外ポケットへ入れた。
六人のうち、誰の笑い声だったのかは分からない。小さく一つ漏れて、少し遅れて別の誰かが続いた。




