第27話 勝った次の朝
勝った翌日にも、一限はある。
沢渡夕奈は六時半のアラームを止め、枕元のスマートフォンを伏せた。画面には公式スクリムの結果、アーカイブ、視聴者の短い動画が並んでいる。NOVA-3の名前は、夕奈が眠っている間にも広がっていた。
一つを開きかけて、やめた。今から見れば、大学への準備が遅れる。
顔を洗い、鞄に講義資料を入れる。机には、昨夜使ったコントローラーが置かれたままだった。
勝利画面に並んだ三つの名前と、その下のNOVA-3。そして、遥真の声。
「待った分、取れた」
思い出すと、寝不足の頭が少しだけ冴えた。
夕奈は机のコントローラーを一度見て、部屋を出た。
大学の講義室へ入った瞬間、聞き覚えのある声が耳に届いた。
『デスボは見ません。配送車で迎えます』
夕奈は足を止めた。自分の声だった。
講義室の中央で、二人の学生が一台のスマートフォンをのぞき込んでいる。片耳に入れたイヤホンから、動画の音が小さく漏れていた。
画面には、壊れた配送車へ戻るYUNAの視点が映っている。
『先頭は車一台分前。もう一人は――』
『前、削る』
遥真の連射へ映像が飛び、最後の敵が倒れる。
動画の上には、大きな文字が重ねられていた。
『HAL、AURAVEXを撃破! 最終戦で逆転チャンピオン』
夕奈は自分の席へ向かいながら、歩く速度を落とした。
「最後のHAL、やっぱり強いよね」
スマートフォンを持っている学生が言った。
「この距離で外さないの、変でしょ」
隣にいた相沢千紘が、画面を見たまま首を傾ける。
「でも、その前にYUNAがデスボを見ないって決めたから撃てたんじゃない?」
「それはそうだけど、倒したのはHALじゃん」
「倒したのはね。でも、建物に入ってたら挟まれてたんでしょ、たぶん」
動画の題名にはHALしかいない。それでも千紘の口からYUNAの名が出て、夕奈は「ありがとう」と言いかけた。
大学も学部も、YUNAの公開情報には含まれていない。沢渡夕奈が礼を言えば、その理由まで答えなければならなくなる。
夕奈が席へ近づくと、千紘が顔を上げた。
「あ、沢渡さん。おはよう」
「おはよう」
「沢渡さん、デルタフィールドやってたよね。昨日のNOVA-3見た?」
一瞬だけ、返事が遅れた。
「少しだけ見たよ」
千紘は何も疑わず、スマートフォンをこちらへ向ける。
「最後、すごかったよね。私、細かいルールは分からないけど、三人で同じところを見てる感じがよかった」
「三人で?」
「うん。前に見たときは、HALだけ先に走ってるように見えたけど、昨日はちゃんとチームだった」
「私たち――」
千紘が画面から顔を上げた。
「私も、そう見えた」
夕奈はスマートフォンの画面へ視線を戻し、机の端に手を置いた。
「沢渡さん?」
「ごめん。ちょっと寝不足で」
「ゲームしてた?」
「少し」
千紘が笑う。
「勝つまでやめられないやつ?」
夕奈も笑った。
「昨日は、勝ったから終われた」
講義が始まるまで、まだ時間があった。夕奈は席に座り、イヤホンをつけて先ほどの動画を開いた。試合後にNOVA-3が公開した、三人の音声付きの試合録画が元になっている。投稿から半日も経っていないのに、再生数は伸び続けている。
動画は、AURAVEXとの戦闘から始まっていた。
夕奈が敵のシールドを割る。
遥真が倒す。一階から出た相手を夕奈が落とす。
すぐに、最後の戦闘に映像が切り替わった。
航平が左を見続けていた時間は、ほとんど残っていない。声が入るのも、敵の位置を伝える短い部分だけだった。
夕奈の判断も映っている。
『デスボは見ません。配送車で迎えます』
しかし、その直後には遥真の撃破場面が始まる。
敵が倒れる瞬間は分かりやすい。
音が鳴り、撃破表示が出て、誰が強いのかが一目で伝わる。
デスボックスを開かなかった時間や、左を抑え続けた時間は、画面の上では何も起きていないように見える。
切り抜きに残った夕奈の判断は、遥真が撃つ直前の数秒だけだった。コメント欄にも、遥真への言葉が多く並んでいる。
『HALの火力おかしい』
『競技チームでも見たい』
『YUNAのデスボを見ない判断も早かった』
『KOHEI、最後どこにいた?』
最後の一文で、夕奈の指が止まった。
航平はずっと左を見ていた。そこが崩れていれば、AURAVEXと戦う途中で別部隊に詰められていた。だが、切り抜きだけでは分からない。
夕奈が画面を閉じようとしたところで、教壇に講師が立った。講義室のざわめきが静まり、出席確認が始まる。
「相沢千紘さん」
「はい」
千紘が返事をする。いくつかの名前が続いた。夕奈はイヤホンを外し、スマートフォンを伏せる。
「沢渡夕奈さん」
「はい」
講師は次の名前を呼んだ。講義が終わると、学生たちが一斉に席を立った。千紘は次の授業が別棟にあるらしく、夕奈へ手を振る。
「またね、沢渡さん」
「うん。またね」
夕奈も資料を鞄に入れ、講義室を出た。廊下を歩いている途中で、スマートフォンが震えた。
NOVA-3の三人だけが入っているチャットに、遥真からリンクが送られている。
先ほどの切り抜きだった。最初に反応したのは航平だった。
『俺の胃を守ったところは、ほぼ全カットでした』
いつもなら、そのあとに泣いている顔か胃薬のスタンプが続く。今日は何も来なかった。夕奈は入力欄を開く。
夕奈は『航平さんが左を止めたから勝てました』と打ち、まだ送らずにいた。
夕奈が返事を決められずにいると、遥真からメッセージが届いた。
『俺だけで勝ったみたいに見える』
さらに少し間を置いて、もう一つ届く。
『最初の判断も入ってるけど』
夕奈は廊下の端へ寄り、入力中の文を直した。
『航平さんが左を止めてたところ、もっと残ってほしかったです』
送ってから、遥真の言葉にも返していないことに気づく。もう一度入力する。
『ハルが倒したから、私の判断も残ったんだと思います。でも、三人で勝ったところまで見てほしいです』
夕奈は送信済みの文面を読み返した。直したい箇所はあったが、取り消しは押さなかった。
航平から返事が届く。
『本人より丁寧に悔しがられると、俺が何も言えなくなるんですが』
今度は、胃薬のスタンプがついていた。夕奈は少し笑った。続いて、もう一通届く。
『俺の後方視点、社内の収録には残ってます。自分で見ると、かなり地味ですが』
夕奈は『次の配信で見せますか』と打った。送る前に、講義室で聞いた「HALの火力おかしい」を思い出す。地味な画面を見せれば伝わるのか、それも航平へ説明を任せることにならないか、決められなかった。
入力中の表示が消えたあと、遥真から届いた。
『俺が、航平が左にいたって言う』
航平の返事は、考えている顔のスタンプ一つだった。
夕奈はスマートフォンを伏せた。廊下の向こうで、誰かのイヤホンからHALの銃声が、もう一度だけ漏れた。




