第18話 少し前の私たち
パーティーランク配信がある日の昼、夕奈は大学の学生食堂で、午後の講義に使う資料を読んでいた。
トレーには半分残った丼と、蓋を開けていない紙パックの飲み物。スマホには十九時からの配信予定が表示されている。講義が終われば西大井へ戻り、夕食を済ませ、十八時半には接続確認へ入らなければならない。
背中合わせの席から、聞き覚えのある名前が聞こえた。
「昨日のNOVA-3、見た? HALがまた一人で二人落としてた」
「公式マークの三人と当たったら事故だろ。俺なら逃げる」
二人の学生が、一台のスマホで短い切り抜きを見ているらしい。音は小さかったが、AKの銃声と、航平の報告が途切れ途切れに聞こえた。
「でも、ランクなんだから本気でやるしかなくない?」
「そうだけどさ。配信なんだから、一般側にも少しくらい見せ場を作らせてもよくない? HALが詰めたら何もできないじゃん」
「手を抜かれる方が嫌だけどな」
「見る方はそうでも、当たった方は三十秒で終わるぞ」
悪意のある話し方ではなかった。二人とも笑っていて、自分たちも一度は公式プレイヤーと同じ試合へ入りたいと話している。強い相手に勝てたら動画にできる、とも言った。
夕奈は資料の同じ行を二度読んだ。
本気で来た相手に手を抜く方が失礼だと思う。ランクマッチに入った以上、公式も一般も、勝ちたい気持ちは同じだ。そう言いたかった。
だが夕奈が口を挟めば、なぜNOVA-3をかばうのかと聞かれる。大学では、YUNAの中に沢渡夕奈がいることを誰も知らない。
昼休みの終了を知らせる時刻が近づき、二人はスマホをしまった。夕奈も紙パックへストローを挿し、講義資料を閉じた。飲み物はもうぬるくなっていた。
その日の夕方、次のパーティーランク配信では、開始前から前回と違う数字が画面に出ていた。
配信遅延、四十五秒。
前回より長い。接続するサーバーも変更され、マッチングを始める時刻は配信画面に映さない。コメント欄には、NOVA-3公式チャンネルの番組モデレーターが入っていた。数字が増えたぶん安全になったのか、視聴者との距離が増えただけなのか、夕奈には判断できなかった。
三好玲奈の声が、三人だけの通話へ届く。
「遅延が長くなった分、視聴者の反応も遅れて届きます。コメントを見て会話する場合は、今までより間が空くことを意識してください」
「ゲームの中では四十五秒先を生きて、コメントには四十五秒前の返事をするんですね」
航平が言った。
「混同しないでください」
「努力します。頭が二つ必要になりそうですけど」
「一つで処理してください」
玲奈の返しに、夕奈は笑った。
夕奈は四十五秒の表示をもう一度確かめ、配信開始のボタンへカーソルを移した。
「配信を開始します」
待機画面が切り替わる。三人の挨拶を終え、夕奈はマッチングを始めた。
何試合かを重ねるうち、配信開始から三時間を過ぎていた。次で最後にすると告げて入った試合の中盤、NOVA-3は工業区画の南側を移動していた。
夕奈はMP9とScout-56。遥真はAKとAuto-8。航平はLancer-56とCARを持っている。回復も投げ物も、前回より余裕があった。
「次のエリア、西寄りです」
航平がマップを広げると、次の円は西側へ寄っていた。
「西の倉庫を通れば近いです。ただ、北の高架に一部隊います」
高架の部隊は、すぐには撃ってこなかった。
NOVA-3が南の壁沿いを進むと、相手も西側へ動く。こちらが止まれば、向こうも止まった。
前回とは別の試合なのに、背中に視線が張りつく。
「西の倉庫を通ります」
「また反応を見るんですか」
航平が聞く。
「違います。エリアへ近いからです」
答えが早すぎて、自分でも言い訳に聞こえた。
西の倉庫には大きな搬入口がある。建物の奥には地下の点検通路があり、東側の発電設備へ抜けられる。発電設備の上には、倉庫前の広場を見下ろせる作業台があった。
夕奈は西の倉庫にピンを刺した。
「このまま倉庫を通ります。ハルさん、入口の右を見てください。航平さんは高架の部隊をお願いします」
「右見る」
「高架、三人とも西へ寄り始めました」
三人は倉庫の搬入口へ向かった。
夕奈は視点を西側へ向け、倉庫の中と、その先の出口を画面に入れた。映すつもりはなくても、視聴者にはその道しか見えない。四十五秒後の誰かが、今の自分を見ている。
倉庫へ入る。外から姿が消えたところで、高架の上から足音が一つ落ちた。近いのか、金属に反響しただけなのか分からない。夕奈は西の出口へ向けていた印を消した。
「地下へ下ります。東の作業台を取ります」
「エリアは西です」
航平が確かめる。
「分かっています。上から見られたまま出たくないです」
「反応は見ない?」
遥真が聞いた。
夕奈は「見ません」と言えなかった。
「見えても、それだけで決めません」
「了解。先に行く」
遥真が点検通路へ入る。航平は最後尾に残り、入口側の足音と高架の動きを確認した。
「相手、まだ高架です。西側へ寄ってるようには見えます」
三人は暗い通路を抜け、東側の発電設備へ出た。
金属階段を上がれば、倉庫の屋根より少し低い作業台がある。遥真が先に上がり、広場を見下ろした。
「高架の三人、見える。西へ下りてる」
夕奈は画面の時計を見た。何秒だったか数えようとして、途中が抜けていることに気づく。暗い通路で一度、足を止めた。航平が入口を見直した時間もある。
「遅延と同じくらいですか」
「分かりません。計ってません」
航平の返事に、夕奈は苛立ちかけた。計ると決めていなかったのだから当然だった。
相手が四十五秒前のNOVA-3を追っているのか、エリア側へ下りただけなのか。高所から見れば、東の作業台も最初から見えていたかもしれない。
「倉庫の中まで来ますか」
「来るかもしれません。先頭、一人だけ速い」
遥真がAKを構えた。
「先頭は今でも落とせる。撃つ?」
「まだ待ってください。ほかの二人がどこを見るか分かりません」
「分かった」
航平は作業台の後方へ移動した。
「北の銃声、さっきより近いです」
「航平さんは北を残してください」
「見ます。ただ、東が逃げ道になるかはまだ分かりません」
数秒後、高架から下りた一人が西の搬入口へ入った。二人目も続く。最後の一人は入口の外で足を止め、倉庫ではなく東の発電設備へ銃口を向けた。
もし配信を見ているなら、その画面では、NOVA-3はまだ倉庫の奥へ進んでいる頃だ。けれど入口の外に残った敵の銃口は、まっすぐ東の発電設備へ上がった。
夕奈はScout-56の照準を、入口の外に残った敵に合わせた。敵の銃口が作業台へ上がり、夕奈の初弾より先に火を噴いた。
シールドが半分削られる。夕奈は階段の手すりへ引っかかったまま、一発を返した。
二発目。三発目で青い光が砕けた。
「外、一人割りました。見つかってます」
「落とす」
遥真のAKが重なる。
強い反動を押さえ込みながら撃ち、逃げようとした敵を広場の中央で捉えた。ダウン表示が出る。
「一枚落とした。中の一人、東へ走ってる」
航平のLancer-56が西の搬入口へ伸びたが、中の二人は揃って戻らなかった。一人だけが点検通路を逆に抜け、夕奈たちのいる東側へ走ってくる。
「北の銃声――」
航平の報告は、東口の扉が開く音に消えた。
敵が一人、夕奈のすぐ下へ銃口を向けて外へ出る。夕奈は遥真の報告を待たず、作業台から飛び降りた。
夕奈はMP9に持ち替えた。二十発が一気に減る。
敵のシールドが割れたが、倒し切る前に弾がなくなった。相手が扉の内側へ戻ろうとする。
「東、割りました。中へ戻ります」
「見える」
作業台から遥真が撃った。
東口へ逃げた敵が崩れる。
「二枚目」
「最後、倉庫の中央。西から出るかもしれません」
航平が言ったあとで、北側の弾が作業台の縁を叩いた。
「別部隊、もう見える位置です。さっきの報告、聞こえました?」
「途中までです」
最後の敵は、倒れた二人へ近づかなかった。倉庫の西口へ走り、二人から距離を広げている。
夕奈はScout-56に戻した。
「西へ出ます。航平さん、右へ動かせますか」
「クラック、入ります」
航平がクラックチャージを起動し、西口の左端へ一発を撃ち込んだ。小さな爆発に押され、敵は反対側へ逃げた。
そこには遥真の射線が通っている。
「右、出た」
AKの銃声が短く続いた。
部隊撃破の表示が出る。
「物資はいいです。東へ離れます」
航平は北の射線へスモークを一つ使った。夕奈は歩きながらパックを二つ使い、遥真は倒した敵の7.6弾を拾えないまま高台を下りた。
北から来た部隊が倉庫へ着く頃には、NOVA-3は東へ離れていた。遅延を利用して待ち伏せた形ではない。むしろ東まで読まれ、先に撃たれたところを、火力で押し返して逃げただけだった。
『相手、ずっと西を探してた?』
『配信の遅れを使ったのか』
『最後の一人は東を見てたぞ』
コメントは、四十五秒遅れて流れてくる。
今の夕奈たちは、もう次のエリアへ向かっていた。
試合はラウンド5まで進んだ。
残り三部隊。
NOVA-3は高架駅の東側にある保守通路を取っていた。正面のホームに一部隊。南の道路沿いに、もう一部隊がいる。
ホームの部隊は高い位置にいるが、次のエリアから少し外れていた。南の部隊はエリア内に近いものの、遮蔽物が少ない。
「ホーム、南を撃ち始めました」
航平が言う。
上と下で銃声が交わる。
「今は撃ちません。南が動くまで位置を隠します」
夕奈の索敵ウルトは使える。だが、索敵波を通せば二部隊へ警告が出て、東側にまだ別の部隊がいると知らせる。位置を隠すため、夕奈は点灯した表示をそのまま残した。
「ホームの右、一人だけ前に出てる」
遥真が見つけた。
「落とせる?」
「撃てる。でも、倒してもホームへ上がれない」
「なら待ちます」
遥真の照準は一人を追ったが、銃声は鳴らなかった。
南の部隊が道路を渡り始める。ホームから集中して撃たれ、一人のシールドが割れた。
それでも南は止まらず、駅の階段まで入った。
「二部隊、近づきます」
「戦わせます。私たちは東の出口を見ます」
ホームで爆発音が鳴った。
一人がダウンする。
続けて別のキルログが流れ、両方の部隊が一人ずつ欠けた。
「今です。ホームへ上がります」
三人は保守通路から階段を駆け上がった。
夕奈がScout-56で、回復に入ろうとした敵を削る。
「正面、割りました」
「合わせる」
遥真のAKが敵を落とす。
航平は南階段にスモークを入れ、残った部隊の合流を遅らせた。
「右の一人、俺が止めます。二人はホームを取ってください」
Lancer-56の銃声が続く。
夕奈と遥真がホーム中央の遮蔽物へ入る。ホーム側で完全撃破され、デスボックスになった敵は一人だけだった。夕奈がそのヘビーシールドに着替える間、遥真は交換せずに南階段に照準を置き、すぐ次の射線を作った。
交換が終わった瞬間、右通路から航平の声が入る。
「右、落としました」
ホーム側で最後まで立っていた敵が倒れ、遥真が先ほどダウンさせた一人も完全撃破に変わった。ホーム側の部隊撃破表示が出る。
最後の二人が、南階段の煙を抜けてくる。
「左から一人。右は少し遅いです」
航平の報告を聞き、夕奈は左へScoutを撃った。
一発。二発。
敵が遮蔽物へ逃げる。
「ハルさん、右を先に」
「行く」
遥真は一人で深く入らず、夕奈の横から右へ射線を広げた。AKで右の敵を削り、夕奈のMP9が近距離で重なる。
一人が倒れる。
残った敵は、三人に別々の角度から見られていた。
「最後、ホームの柱裏です」
「逃げ道、南だけです」
航平が出口を塞ぐ。
「今、詰めます」
三人が同時に前へ出た。
最後の敵が倒れ、画面中央にチャンピオンの表示が広がった。
表示が広がっても、夕奈の左の親指はスティックを前へ倒したままだった。
「ユウナ、終わった」
遥真に言われて、ようやく指を離した。
「勝ちました」
「ナイス」
遥真が短く言う。
「今日は胃も残りました。かなり珍しい勝ち方です」
航平の声にも笑いが混じっていた。コメント欄が一気に流れる。
『チャンピオン!』
『少し前の位置を追わせたのうまかった』
『三人とも最後まで噛み合ってた』
『YUNAの判断で勝った』
夕奈は、流れていく言葉を追った。その中に、一つだけ違うコメントがあった。
『公式プレイヤーが一般相手にそこまでやる必要ある?』
昼休み、背中越しに聞いた声とほとんど同じだった。夕奈はその一文を読み直した。
その下に続いた露骨な個人攻撃は、読み終える前に灰色に変わった。
『運営によって非表示になりました』
夕奈は削除表示の下を一度スクロールした。最初の一文だけは残り、同じ位置へまた戻ってきた。
カーソルがコメント欄の縁で止まる。
「ユウナさん、コメント欄をいったん閉じてください」
航平の声が、三人だけの通話に入った。
「締めを先にします。俺がつなぐので、その間に戻ってきてください」
夕奈は返事の代わりに、コメント表示を閉じた。画面の端から文字が消える。
「いやあ、勝てましたね。今日は俺の胃が最後まで生存しました」
航平が配信へ向けて話し始める。
「ハルさん、最後どうでした?」
「三人で撃てたから、楽だった」
「火力役から楽という言葉が出ました。これはたぶん、チームが少し強くなった証拠です」
航平が遥真へ話を振る間、夕奈はミュートボタンに置いていた手を離した。
チャンピオン表示の下には、HALとKOHEIの名前が残っていた。
夕奈はマイクへ向き直る。
「見に来てくれて、ありがとうございました。今日は……おつゆなでした」
「おつはるでした」
「今夜はここまでです。勝った話の続きは、また三人でします。おつこうへいでした」
「おつNOVAでした」
配信終了画面に切り替わった。しばらくして、社内連絡アプリに配信運営から報告が届く。
連投一件、個人攻撃二件を制限。活動内容への批判は削除対象外のため、コメントを維持。
夕奈は「活動内容への批判」の一行を指で押さえ、もう一度上から読んだ。
「今日の勝ち方、俺は悪いと思わない」
遥真が言った。
「向こうが見てきた可能性があったから、見えてる情報を使っただけだろ」
「断定はできませんけどね」
航平はそう言ってから、夕奈へ声を向けた。
「ただ、コメントを閉じるのは逃げじゃないです。試合中に全部読む必要もないので、次から気になったら先に言ってください」
「……分かりました」
夕奈は答えた。
夕奈は配信画面を閉じた。右端に細いコメント欄のタブだけが残った。
タブを開かなくても、昼休みに聞いた声と同じ一文を思い出した。
夕奈はマウスから手を離し、強く曲がっていた人差し指を伸ばした。
本作をお読みいただき、ありがとうございます。
☆ゲームについての豆知識をご紹介☆
eスポーツでは、選手同士が情報を共有し、それぞれの得意分野を生かしながら、チームで勝利を目指します。
チーム戦では、全体の状況を整理して方針を決める判断役、積極的に敵へダメージを与える火力役、回復や物資管理、味方の援護を担う支援・調整役などに分かれることがあります。
バトルロイヤルでは、マップへの降下後に武器や回復アイテムを集め、安全地帯へ移動しながら他の部隊と戦います。試合が進むほど安全地帯は狭くなり、最後まで生き残った一人または一部隊が勝者となります。
大会は、オンライン予選や地域予選、グループステージ、準決勝、決勝など、複数の段階に分けて行われることがあります。順位、勝敗、キル数などをもとにポイントを計算し、上位チームを決める大会もあります。
※掲載している役割分担は、チーム戦における一般的な一例です。役割の名称や人数、担当範囲は、ゲームのルールやチーム方針によって異なります。
※試合や大会の形式、ポイントの計算方法、進出条件なども、競技タイトルや大会ごとに異なります。
※本作では、内容をより分かりやすくお楽しみいただけるよう、解説や挿絵を随時追加しています。すでにお読みいただいた方にも、新たに加わったイラストをお楽しみいただけましたら幸いです。




