第14話 商品紹介のマイク
翌週の金曜、夕奈たちはNOVA3Radioの開始より一時間早く、品川の収録用会議室に集まっていた。
机の上には、黒いゲーミングヘッドセットが三台並んでいる。先週の放送で告知した、ネクスフィア協力モデルの新製品『NEXSOUND H7』だった。
夕奈がイヤーカップを耳に当てると、会議室の空調音が少し遠くなった。代わりに、ゲームのロビーで流れる低い音楽が輪郭を持って聞こえる。
「締めつけ、きつくないですか」
隣で航平がヘッドバンドを調整していた。
「私は大丈夫です。航平さんは?」
「頭が大きい判定を受けてます。調整幅があるので、まだ救われました」
「それ、紹介で言うんですか」
「言い方は考えます。公式の商品紹介で、自分の頭部事情を報告する必要はないので」
夕奈が笑うと、向かいの遥真はヘッドセットをつけたまま、左右へ少し顔を動かしていた。
「ハルさん、どうですか」
「音の前後は分かりやすい」
「それ、本番まで覚えておいてくださいね」
航平がすぐに言う。
「今の一言だけでも、資料を読むより使った感想になってます」
今日の商品紹介は、遥真が主担当だった。先週渡された進行資料には、商品名、装着感、音の方向、マイク性能について順番に話すよう書かれている。
ただ、遥真が資料を見ながら長く話せるとは、夕奈にも思えなかった。三好玲奈が操作席の横から声をかける。
「本番前に、実際の使用場面を一つ作ります。短いランクマッチを行い、使って気づいた点を各自でメモしてください。勝敗は問いません」
「商品紹介前の試合で二十位を取った場合も、正直に報告しますか」
航平が尋ねると、玲奈は少しも迷わなかった。
「順位を紹介する企画ではありません。音について話してください」
「逃げ道を塞がれました」
三人は活動用PCへ向き直り、マッチングを始めた。
降りたのは、二階建ての店舗と立体駐車場が並ぶ商業区だった。近くに一部隊いる。物資を集める間は姿が見えなかったが、ラウンド1の終わりが近づいた頃、隣の店舗で扉の開く音がした。
「正面の建物にいます。一階に一人見えました。残り二人は分かりません」
航平が窓から外を確認する。
夕奈はScout-56を構えたまま、建物の入口を見た。一人だけを追って中へ入れば、残りの二人に上下から挟まれる可能性がある。
遥真の声が入った。
「右奥、一人。階段を上がってる」
「見えたんですか」
「見えてない。足音」
夕奈も耳を澄ませた。
銃声も扉の音も止んだ隙間に、金属を踏む短い音が聞こえる。低い位置から高い位置へ移っていることは夕奈にも分かった。ただ、遥真が言う右奥より近く、正面の階段に聞こえた。
「私は正面寄りに聞こえます」
「右奥。たぶん外階段」
どちらかを待って確かめれば、相手が屋上へ出る。夕奈は正面の窓を自分で見て、遥真を右へ送った。航平には裏を頼んだ。
三人が道路を渡る。遥真が見ていた外階段の出口には、誰も出なかった。
代わりに、一つ奥の連絡通路で影が動いた。遥真が照準をずらすより先に撃たれ、シールドを半分削られる。
「そこだった」
夕奈は窓越しにScoutを撃った。敵が連絡通路から階段へ戻り、金属音が今度は近くなる。
「下ります。ハルさん、回復を」
「まだ撃てる」
遥真は一発返してから壁へ下がった。敵が逃げる方向を夕奈が押さえ、航平の射撃が一階から上がってきた一人を止める。
「裏――すみません、もう入ってます」
報告の直前、航平の後ろで扉が開いた。航平は振り向きながら撃ち、夕奈も正面から一階へ入る。最後の一人を見つけたのは足音ではなく、床へ伸びた銃口の影だった。
遥真が回復を終えて合流し、三人はその部隊を倒した。
物資を拾いながら、航平が言った。
「今の、紹介に使います?」
航平は自分のシールドを戻しながら、連絡通路を見上げた。
「右と上は分かった。でも、階段を一つ外した」
遥真が言う。
「音が反響したのか、相手が途中で止まったのかまでは分からない」
夕奈も、最初に正面だと思ったことをメモした。三人とも同じ音を聞き、位置の取り方は一致しなかった。
「良かったところだけ切るより、そのまま話した方が使用感にはなります」
航平が言った。
「商品担当の方が困る可能性はありますけど」
試合は終盤で別部隊に挟まれ、六位で終わった。勝敗にかかわらず、三人が音をどう使ったかは紹介できる。
練習を終えたあと、三人は同じ収録用会議室でリハーサルを始めた。
商品紹介を担当するスタッフも同席している。机の上には、先週より厚い資料が置かれていた。商品の特徴と、使用時の注意事項、読み間違えてはいけない名称が色分けされている。
遥真はマイクの前で、指定された文章を読み始めた。
「NEXSOUND H7は、高精度サウンドが勝利へ導く――」
そこで止まった。スタッフが資料から顔を上げる。
「HALさん、続けて大丈夫です」
遥真は文章をもう一度見たが、口を開かなかった。
「何か読みにくい箇所がありますか」
「これ、道具だけで勝てるみたいに聞こえます」
会議室が静かになった。
商品担当のスタッフは、少し考えてから答えた。
「勝てると断言してもらう必要はありません。HALさんが実際に助かったところを話していただければ大丈夫です」
遥真は「勝利へ導く」の部分を指で隠し、その前後を読み直した。夕奈は先週の放送で、自分が黙ったときに遥真が返事を急かさなかったことを思い出した。
「最初の文章を、使った場面から話す形に変えてもいいですか」
夕奈が尋ねると、玲奈は商品担当へ視線を向けた。
「事実と異なる説明にならなければ問題ありません」
スタッフも頷いた。
「お願いします。ただし、商品名は正式名称で、発売日は正確に入れてください」
夕奈は進行表の余白に、先ほどの試合を短く書いた。右奥。上方向。一つ奥だった。
遥真が共有。三人で動く。三行目には丸をつけなかった。
「ハルさん。文章を覚えなくていいので、さっき何が聞こえたかだけ話せますか」
「階段の足音」
「どこまで分かりました?」
「右奥。上に向かってた。でも、思った出口には出なかった」
「そこまで話しましょう。私はもっと手前だと思っていました」
遥真は進行表ではなく、夕奈が書いた四行を見た。
「それなら話せる」
本番が始まると、先週より多くのコメントが流れた。三人が初回放送で苦戦したことも、遥真が商品紹介を担当することも、すでに告知されている。
活動報告と投稿コーナーを終え、夕奈は机の上のヘッドセットへ手を伸ばした。
「ここからは、来月十二日発売のゲーミングヘッドセット『NEXSOUND H7』を紹介します。今日は三人とも、放送前のランクマッチで実際に使いました」
『HALの商品紹介きた』
『ちゃんと長く話せる?』
遥真もコメントを見たらしい。
「必要なことは話します」
『不安が増した』
「では、必要なことから聞きます」
夕奈は笑いを抑えながら、最初の質問を渡した。
「ハルさんが実際に使って、一番良かった点は何ですか」
遥真はマイクへ向いた。
リハーサルで決めた問いだった。それでも、コメントが流れる本番では、すぐに言葉が出てこない。
夕奈は進行表の次の問いへ行きかけ、ペン先を戻した。
「さっきの試合で、右奥の階段に一人いると最初に言いましたよね」
「うん」
「姿は見えていませんでした。何が分かりやすかったんですか」
遥真はその場面を思い出すように、少し視線を下げた。
「音の位置です。一階の通路じゃなくて、上へ動いてるのは分かった。前後だけじゃなくて、高さも取りやすかった」
遥真はそこで一度、夕奈を見た。
「でも、俺が見た出口には来なかった。一つ奥だった」
『外したってこと?』
コメントを見た遥真は、言い換えなかった。
「外した。見てないまま正面へ走るよりは早く直せた」
夕奈は、自分には手前に聞こえたことも添えた。同じ音でも距離の取り方は一致しなかった。航平は裏口の報告が一発遅れたことを話し、音だけで人数まで決めないようにしていると言った。
「便利になった分、聞こえた人の予想まで事実みたいに渡さない方がいいですね」
航平はヘッドセットの位置を少し直した。
「俺は『裏にいる』と言う前に、もう撃たれましたから」
『ちゃんと使用感になってる』
『距離はマップで変わるのか』
『HALがいつもより話してる』
夕奈は最後のコメントを拾った。
「今日は主担当なので、いつもより話してもらいます」
「もう結構話した」
「まだ三分です」
「残りは航平が話せる」
「主担当の移譲は受け付けておりません」
航平が即座に返し、コメント欄が笑いで流れた。
そのあとは、装着した感覚やマイクの聞こえ方を三人で話した。夕奈は締めつけが強くないことを伝え、航平は長時間使うなら自分に合う位置へ調整した方がいいと話した。遥真は、足音が多い場所でも方向を分けて聞きやすかったと、自分が確かめた範囲だけを言った。
終了時刻の前に、夕奈は正式な商品名と発売日をもう一度案内した。
「NEXSOUND H7は、来月十二日発売です。詳しい仕様と対応機種は、公式サイトをご確認ください」
今度は告知を残り一分まで持ち越さなかった。
「それでは、今週のNOVA3Radioはここまでです。おつNOVAでした」
三人の声が重なり、終了画面に切り替わる。
マイクのランプが消えると、商品担当のスタッフが技術資料を開いた。
「距離の聞こえ方まで断定しなかったのは助かりました。高さという表現は仕様の範囲内です。ただ、距離を一つ外した場面は、ゲーム側の音響設定との関係を技術担当に確認します。アーカイブの説明欄へ注記が要るかもしれません」
玲奈は進行表の「高さ」に付箋を貼った。
「商品名と発売日は正確でした。確認が戻るまで、告知用の短い動画は保留にします」
「はい」
夕奈が答える横で、遥真はヘッドセットを机に置いた。スタッフと玲奈が操作席へ移り、航平もマイクのコードをまとめ始める。遥真が小さな声で言った。
「さっきの質問、助かった」
夕奈は彼の方を向いた。
「あのままだと、言ってないことまで読んでた」
「途中で止まったじゃないですか」
「止まっただけ。次が出なかった」
夕奈は外したケーブルを輪にしながら答えた。
「先週、私が黙ったときは待ってくれたので」
遥真は少し考えてから、「うん」と言った。
会議室を出ようとしたところで、夕奈のスマホに社内連絡が届いた。
月次活動報告面談。来週火曜、十七時。
参加者、NOVA-3三名、担当マネージャー三好玲奈、契約チーム統括課長・及川雅人。
配信時間、視聴者数、活動実績、競技評価について報告します。
夕奈はスマホを鞄にしまった。
「及川さんも来るんですね」
「商品配信より胃に来る名前が出ましたね」
航平が巻きかけのコードを持ったまま言う。遥真は商品箱をスタッフへ返し、「何を聞かれる?」と玲奈に尋ねた。




