第13話 金曜十九時
金曜の十八時四十分、品川の会議室には、コントローラーの代わりに三本のマイクが並んでいた。
中央に夕奈。右に遥真。左に航平。
机の端には進行表、リスナーから届いた投稿、告知資料が順番に置かれている。正面の大型モニターには、青と白のNOVA-3のロゴと、配信開始までの残り時間が表示されていた。
いつもの会議室でも、ゲーム画面がないだけで頼れるものが減る。敵の位置も次のエリアも武器もなく、夕奈が見られるのは進行表と時計、隣の二人だけだった。
「告知だけは落とさないでください」
三好玲奈が操作席から言った。夕奈の手元には一時間分の進行表があるのに、玲奈が指したのは最後の三行だけだった。商品名、発売日、来週も金曜十九時。
「途中は?」
「三人の番組です。私が会議室の外から喋るわけにはいきません」
航平が進行表を持ち上げた。
「失敗しても三人の番組、と」
「成功した場合もです」
遥真は投稿用紙を一枚抜いた。
「これ、読む?」
「まだ選んでません」
「もう面白い」
用紙をのぞくと、『三人の中で一番、寝起きが悪そうなのは?』とある。夕奈が戻そうとする前に、航平が夕奈を指した。
「本番で聞かれたら、俺は今と同じ答えにします」
「どうして私なんですか」
「昨日の朝、通話に入って最初の一分、敬語がありませんでした」
「あれは寝起きではなく、急いでいただけです」
「覚えてない」
遥真まで言った。夕奈が反論するうち、操作スタッフが無言で十本の指を広げた。十秒前だった。
進行表の一行目へ戻る時間がない。夕奈は投稿用紙を伏せ、マイクへ向いた。
待機画面が切り替わり、三人のアバターが並ぶ。コメント欄に文字が流れ始めた。
『NOVA3Radio初回待機』
『金曜十九時きた』
『ゲームなしで三人だけ?』
夕奈はマイクへ向き直った。
「金曜十九時になりました。NOVA3Radio、初回放送です。進行はYUNAが担当します」
「HALです。よろしくお願いします」
「KOHEIです。今日は撃たれませんが、時間には追われる予定です」
『もう追われる前提』
『一時間もつのか』
「最後まで見て、確かめてください」
夕奈が返すと、航平が小さく笑った。
「YUNAさん、もう進行役が板についてますね」
「まだ始まって一分です」
「では、残り五十九分で判断してください」
夕奈は進行表の最初の項目へ視線を落とした。
「まずは、今週のNOVA-3です。昨日のランクマッチについて、ハルさん。結果はどうでしたか」
「二十位」
答えが終わった。
「……理由もお願いします」
「武器がなかった」
航平がすぐに補足する。
「正確には、ハルさんだけ途中までAK持ち。俺とYUNAは弾と回復だけで、最後は三人とも素手でした」
『公式プレイヤーの活動報告が素手』
『何も拾えないことあるんだ』
「あります。武器がない時の合流場所まで決めていなかったので、次からは第一と第二の二か所を降りる前に決めます」
「素手の三人で気合を入れるより、武器のある場所まで逃げる方が強いので」
航平が言うと、遥真も続けた。
「最後は三人で一人を殴った」
「倒せましたか?」
コメントに夕奈が気づくより早く、遥真が答えた。
「倒せなかった」
『そこまで言うんだ』
『見たかった』
「公開するかは会社と相談ですね。公式プレイヤー三人が素手で囲んで負ける映像、宣伝になるのか怪しいので」
航平の言葉にコメント欄が笑いで埋まった。その中へ、放送前に遥真が抜いた質問が流れてきた。
『寝起き悪いの誰?』
夕奈は見なかったことにして次の紙を取った。遥真がコメント欄を見ている。
「ユウナ」
「今週の活動報告は以上です」
「質問、来てる」
「次は、事前にいただいた投稿です」
「逃げましたね」
航平が言い、コメント欄に『進行で逃げた』が増えた。夕奈は紙を一枚めくったが、上と下を逆に持っていた。YUNAの困り顔が自動で出たらしく、さらに笑う反応が流れる。
「……起きてから五分あれば普通です」
「五分は悪い側です」
「俺はすぐ起きる」
「ハルさんは、起きても会話が始まるまで時間がかかるでしょう」
最初のコーナーは、予定より早く終わるはずだった。夕奈が時計を見ると、逆に一分半遅れていた。
最初の投稿は、練習が終わったあと最初にすることについてだった。
「私は、まずリザルトを見ます。負けた直後は、理由が分かった気になっていることが多いので」
「俺は録画を保存して、気になったところに時間を入れます」
航平が答える。
「あとで見返す時に、最初から全部探すのは大変なので。ただ、時間を入れたところが原因じゃないこともあります」
夕奈は遥真へ顔を向けた。
「ハルさんは?」
「水飲む」
「そのあとです」
「もう一回入る」
「反省は?」
「負けたらする」
「どうやって?」
「もう一回やって、同じところで負けたら考える」
「一回目は保留なんですね」
航平が言う。
「録画も見る。二人が止めたら」
「自発性が一つ減りましたね」
そのやり取りでコメントが増えた。夕奈は一つ拾い、もう一つだけ答えた。
進行表へ戻ろうとしたとき、画面の下に新しい質問が流れる。読まなければ、そのまま消えてしまう。それが惜しくて、夕奈はもう一つ拾った。
次に時計を見たとき、予定より三分遅れていた。
倒せそうな敵は追わずにいられても、画面に現れた言葉を置いていくのは難しかった。
「次の質問です。三人で活動を始めて、最初の印象と変わったところはありますか」
夕奈は投稿用紙から顔を上げた。
「最初は、ハルが私の話を聞いていないと思っていました」
夕奈が言うと、遥真がすぐに顔を向けた。
「聞いてた」
「返事がなかったので」
「聞いたら動く」
「聞いたのか、たまたま同じ方へ行ったのか、こちらには分からないんです」
遥真は納得していない顔で、マイクへ近づいた。
「ユウナが黙った時は、考えてる。だから今は少し待つ」
「それ、変わったところとして今初めて知りました」
「言ってなかった?」
「言われてません」
航平が笑いをこらえる音がマイクに入った。
「二人とも、分かり合った話に着地しないでもらっていいですか。俺は最初、二人とも俺より喋らないと思ってました」
「今は?」
「片方は思ったより喋るし、片方は思ったより急に喋ります。予定が立ちません」
「航平は、最初から話すと思ってた」
「ハルさんの中で、俺だけ変化がないんですね」
「前より長い」
「悪い方へ更新されました」
コメント欄が速く流れる。
『HAL、聞いてるなら返事して』
『KOHEIだけ予定外に弱い』
夕奈がその言葉を追っていると、操作席のスタッフが残り時間を示した。あと二分。告知が丸ごと残っている。
「最後にお知らせがあります」
夕奈は告知資料を開いた。一枚分の文章が詰まっている。最初から読めば間に合わない。
「ネクスフィア協力モデルの新作ゲーミングヘッドセットについて――」
一行目を読んだところで、航平が資料の三か所を指した。商品名。発売日。次回の紹介日時。夕奈は文章から目を離した。
「全部は読みません。必要な三つだけ伝えます。ハルさん、商品名と発売日をお願いします」
遥真は迷わず該当箇所を見つけた。
「新作ゲーミングヘッドセット『NEXSOUND H7』。発売は来月十二日です」
「航平さん、次回の内容を」
「発売に先駆けて、NOVA-3が実際に使用した紹介配信を、来週のNOVA3Radio内で行います」
夕奈は残り時間を確認した。
「詳しい内容は公式サイトにも掲載しています。紹介は来週の金曜十九時です」
スタッフが残り三十秒を示す。
「NOVA3Radioは、毎週金曜十九時からお送りします。次は、告知を残り一分まで取っておかないようにします」
「初回から改善点が分かる番組になりましたね」
航平が笑う。遥真も資料から顔を上げた。
「次は、最初から短く答える」
「そこは、少し長くしてください」
スタッフが終了の合図を出す。
「それでは、初回のNOVA3Radioはここまでです。おつNOVAでした」
「おつNOVAでした」
「おつNOVAでした」
三人の声は、合同お披露目の時より少しだけ揃った。
終了画面に切り替わり、マイクのランプが消える。会議室へ空調の音が戻ってきた。
「終わった?」
遥真が尋ねた。操作スタッフが笑い、消えたランプを指した。
「終わっています」
「最後、俺だけ少し早かった」
三人の「おつNOVA」は揃って聞こえたが、遥真には自分の声のずれが分かったらしい。航平がヘッドホンを片耳だけ戻す。
「確認します?」
「今はいい」
夕奈は告知資料を見た。線を引いた三つは言えた。代わりに、読むつもりだった投稿を二つ落とし、寝起きの話に予定外の時間を使った。成功とも失敗とも一語では呼べなかった。
伏せていたスマートフォンには、大学のグループ課題の通知が六件たまっていた。
『沢渡さん、今日の資料確認できますか』
放送前に、終わったら見ると返していた。夕奈は『遅くなってごめんなさい。帰ったら確認します』まで打った。
すぐに『明日の朝でも間に合います』と返ってくる。
夕奈は入力欄の「今夜やります」を消した。消したまま送る文がなくなり、画面を伏せる。母に両方続けると言った日のことを、こんなところで思い出したくなかった。
「沢渡さん」
玲奈が呼んだ。注意されると思って顔を上げると、玲奈は夕奈ではなく、机の下を見ている。放送中に落とした投稿用紙が一枚、遥真の靴の横まで滑っていた。
遥真が拾う。放送前に読んだ、寝起きの質問だった。
「これは読んだ」
「進行表には入っていません」
「でも答えた」
「番組は、そういうものなのかもしれませんね」
玲奈は曖昧な返事をしてから、厚い資料を遥真の前へ置いた。表紙には『NEXSOUND H7 紹介担当HAL』とある。
「来週は、この製品を実際に紹介します」
遥真は最初のページを開いた。一行目を黙読し、二行目の途中で夕奈へ紙を向ける。
「『臨場感あふれる音響体験』って、何?」
「私に聞かれても」
「体験してから言えばいいんじゃないですか」
航平が資料をのぞき込み、一行目を別の言葉に直そうとして、やめた。
「使っても同じ感想にならない可能性がありますね」
「それでも紹介するの?」
遥真は二ページ目を開かなかった。夕奈は明日の朝に回した大学の資料を鞄へ入れ、遥真の一行目を横からもう一度読んだ。
誰も、来週うまく話せるとは言わなかった。




