第二章 02
寮に戻った直毘はキッチンでフライパンを振っていた。コンロの熱で頬に汗が流れる。
「そろそろ聞いてもよいか?」
律儀にテーブルの前で待っている雪那が、背中へ声を投げてきた。
「なにをだ?」
「宮柱月読とはうまく会話できているように見えたが、どうにも全身から極度の緊張と疲労が見てとれた。しかし、明確な恐怖を感じ取れなかった。どういう理屈だ?」
「別の人格みたいなもんを作って引っ張ってきた。まあ、仮面を被ったって言い方が正しいだろうな」
「なるほど。恐怖する存在だからこそ、新たな自分を作り出して対処する、ということか。だがそれは続けられるものか?」
フライパンの中に解いた卵を入れる。
「近いうちに限界が来るな」
「そうか。今日の私はお前の剣になれたか?」
「正直助かったよ」
「なら幸いだ。あの立ち回りで良いのであれば、続けよう」
「お前も無理すんな。自分の人間関係構築だって楽じゃないだろ」
出来上がった炒飯を皿に盛りつける。
「なに、お前がいる。ならばなんとかなる」
「信頼が重いな」
いつの間にか隣に来ていた雪那が配膳をする。だから音を消すな。武士め。
「茶は私が淹れよう。直毘は座して待つといい」
「はいはい、頼むよ」
どさっと椅子に全身でもたれかかる。初日から疲労困憊だ。
ことん、と湯飲みが置かれる。
「ふむ、外ではやはり常在戦場のようだ。ゆるりとするといい」
「はっ、寮初日どうなるかと思えば、いまじゃお前の前が一番楽だよ」
「そうか。私も存外今日は緊張していたらしい。ここはなかなか心が休まる」
「……腹減ったな。食べるか」
「無論。いただきます」
スプーンを口に入れた雪那の目が剥かれる。相変わらず食事に対する反応は見ていて面白い。
時間を掛けて食べ終え、雪那がキッチンで洗い物を始める。
「午後はどうすんだ?」
「走る、と言いたいところだが、私も社会性を身に付けねばならない。そのために入学した」
「なら情報収集でもするのか?」
「どうにもネットの情報は愉快だがあてにできない。やはり実地に限るだろう。外に出向き、高校生の日常と向き合わねばなるまい」
「……一応聞くけど、なにするつもりだ?」
「幸いここ周辺には同じ高校生が多い。ひとりふたり見繕って尾けて観察する」
「おい待て、やってることがストーカーじゃねえか」
「む? 何かを学ぶにはまずは観察するのが定石ではないか」
理屈は合っているからタチが悪い。だが絵面は最悪だ。和服姿の小柄な少女が遠くから学生を睨む。なんだそれは。
「あれだ、そういうのは人と学ぶものなんだよ。尾行すんな」
かちゃかちゃという音が止まる。雪那を見ると、視線が宙を浮いているように見えた。
「あまりむやみに頼りたくはないのだが、しばし付き合ってくれないか? なに、休んだ後でいい」
「どうせ買い出しにいかなきゃならん。それっぽいとこでも回るか」
「感謝する」
そう言って、雪那が洗い物を再開する。直毘はスマホを操作して弟の情報を拾う。特にアンチもいない。
切り抜き動画があった。音量を絞って流す。美少女のアバターを被った弟が明るい声で視聴者と話している。どうやら昨日は絵を描きながらの雑談だったらしい。コメントにいくつか「こんな可愛い子が男の子なんておかしい」とか変なものがあったが無視だ。問題なさそうだったからすぐにSNSを閉じた。
「む、いまのいたいけな声はなんだ? なかなかに愛らしい」
武士の聴覚を侮っていた。軽く息をつく。別に雪那相手に隠すことでもない。
「弟だ」
「弟がいたのか。心をくすぐり解きほぐす実に良い声だ。声の仕事が向いていそうだ」
「実は配信をしててな。それで結構稼いでる」
「なんと、既に仕事をしていたか。ではプロではないか。こうなれば代金を払わねばならぬな」
「弟の配信は無料だ」
「なんだと? 無料で聞けるのか? あの声を? なんという世の中だ」
「気になるか?」
「是非に拝聴したい。おそらく作法があるのだろう? 事前に調べねばなるまい」
「別に外に漏らさなきゃただ好きに聞きゃいいんだ。コメントは前教えたSNSのやりとりを応用すりゃいい」
洗い物を終えた雪那が席につき、スマホを取り出した。
「ではこのYoutubeの四角……ではなく、アプリを開けばよいのだな」
伊豆乃のアカウントURLをチャットで雪那へ送る。彼女は眉間に皺を寄せるが、すぐに思い出したかそれを指でタップする。
「この女子が弟か。ん? 女子? いや、声も確かに女子ではあった。ん? だが直毘は弟と言っていたが……」
「そいつはイラスト、つまり絵だ。vTuberってやつでな。絵が動くんだよ。あと声は地声だから言ってやるな。その辺で昔色々あってな」
雪那が動画をタップしたか、伊豆乃の配信の音が始まる。
「おお、絵が動いている。まさにアニメ。なんと、絵と声が素晴らしく似合っている。かくも愛らしい存在がネットの世界にはいるのか」
初日にスマホを奇妙な物体と呼び不要と断じていた雪那が、遂に伊豆乃の配信を見るに至った。凄まじい成長だ。
雪那がいきなり立ち上がると、椅子の上で正座をする。
「なんで正座?」
「これはまこと素晴らしきものだ。であれば、拝聴する私もそれ相応の格好で挑まねばなるまい」
「これは娯楽だ。気軽にだらけて見ろ。視聴者のひとりに、正座でマジになって見てる奴がいるって知ったら弟がビビる」
「む、気合を入れては駄目か。失敬した。では足を崩そう」
動画を流しながら雪那が座り直す。家の外、まさか寮のリビングで他人が弟の配信を見る姿を眺めるとは、人生思いもよらないものだ。
「兄の話題が出ている。これはお前のことか?」
「マジかよ、やめてくれよ恥ずかしい。何人聞いてたんだよ。同接いくつだ」
「同接? 耳慣れない用語だ」
「同時接続者数な。配信したときに何人見てたかって数字だ」
「視聴回数は五万と書いてあるぞ?」
クソ。兄の話題の部分だけ履歴から消し去りたい。だがアカウント管理者は弟と母だ。でもあの弟がわざわざ話題を出している。編集などもってのほかだ。
「どうやら、直毘は御令弟に好かれているようだな。声の端々からお前に対する愛情を感じる」
「やめろ、弟の声の成分を見極めるな。恥ずかしいだろうが」
「恥ずべきことなどひとつもない。家族の愛はとても良いものだ。ああ、耳が心地いい」
まぶたを閉じて雪那が完全視聴態勢に入る。いや、目開けろよ。見ろよ弟の勇姿を。
「ああ、あの絵がまぶたの裏で動く。いとおかし」
こいつ、言い回しが極まってきたな。
さすがに胸が熱くなるほどの羞恥心が現れる。少し部屋に退散させてもらうとしよう。
しばらく籠る、とだけ伝えて直毘はリビングから自室へ入る。ベッドに座った途端にスマホが鳴った。
SNSアプリの表示には縁久々利のアカウントが表示されている。息を出してから通話を始めた。
「どうだい眞守、ちょうど昼食が終わったところかい?」
「ドンピシャだな。監視でもしてんのか?」
「月読が買い物に行っちゃってね。暇になったんだ。男同士でどうだい?」
「別に悪かねえけど、こっちは買い出しがある。雪那込みでいいなら付き合うが?」
「いいね。月読には内緒にしておこう。あとで怒られそうだ」
「口の重さに期待しとくよ。あと最悪俺は逃げる」
「ひどいな。言い訳くらい一緒にしてくれよ」
「寮ペア相手のご機嫌くらい自分で取るんだな」
「眞守が言うと切実さが違うよ」
どうやら雪那の異常さに気づいているようだ。あれで分からなければカースト上位なんてやっていけないのだろう。
「で、時間と場所は?」
「三十分後に駅前でどうかな?」
「分かった。誘ったんだ、それっぽいエスコート頼むぜ? あと帰りの買い出しは付き合ってくれ。荷物持ちが欲しかった」
「はは、ちゃっかりしてるなあ。了解、じゃあ三十分後に」
電話が切れる。
雪那の高校生らしい日常とやらは久々利に任せてしまおう。直毘は後ろをついて回るだけでいい。楽な仕事だ。
背中をベッドに投げ出す。雪那は問題なし。久々利は男だから警戒は緩めていい。最悪あの武士が暴走してもあの爽やか男を巻き込めばいい。
このまま寝たくなったが、無理やり身体を起こしてリビングに戻る。雪那はまだ瞑目したまま動画を聴いていた。
「縁久々利から遊びの誘いがあった。ちょうど高校生らしい日常が送れる。来るか?」
「む、左様か。では私も行こう。刻限は?」
「三十分後に駅前だ」
「ふむ、では装いを制服から変えるとしよう」
スマホをポケットにしまった雪那が立ち上がる。嫌な予感がした。
「……なにを着るつもりだ?」
「和服だが、どうした?」
「高校生は日常で和服を着ないんだよ」
「む……では、どうすればいい?」
「服は何もってんだ?」
「分からん」
嘘だろ。自分の持ちものくらい把握しとけよ。だから武士なんだよ。
「直毘、部屋に来てくれ。私では選べん」
すっ、と眼前に立った雪那が直毘の袖を引く。だから動きが見えないんだよ。
「分かった。手伝うからその無駄に早い動作を日常で出すな。ちょっとびっくりするんだよ」
「早い? 普段通りにしているだけだが」
「ゆっくり動いてくれ。学校でそれやりまくったらドン引きされるぞ」
「む、承知した。なるべく緩慢に動こう」
雪那が部屋に向かう。ようやく目で追える速度だ。でもちょっと早いが、これ以上は求めるのをやめよう。彼女がドアの前で振り返り、ちょいちょい、と手でこっちへ来いと催促する。
頭をふって痛みを逃し、直毘も雪那の部屋に一緒に入る。途端、目の前に木刀が飾られているのが見えたが、視界から抹殺した。
雪那が部屋奥のクローゼットを開く。少しは躊躇くらいしてくれ。
畳まれた服を次々と床に並べ始める。全部父親が買ったものだろう。ネットで掲載されている服が多い。
「父が買ったものでな。存外、量が多い。だが私にはどれも同じに見えるのだ。どうすれば良い? 適当でいいか?」
「好きな色とかないのか?」
「蒼が好みだ。やはり日本人だからか蒼に目を惹かれるのだろう」
どれ、と直毘はスマホで女子高校生のファッションを調べる。床に並べられたものと比較。デニムジャケットを発見。中は……面倒だ。そこにあるワンピースでも合わせればいいだろ。たぶん万能アイテムだ。黒のベルトでも巻いておけば、色がしまるとかよく分からん理由でいい印象になるだろ。知らんけど。
見繕ったものを指さして雪那に指示していく。
「これでいいだろ。あとはなんか、カバンでも持ってけ。それでお前は女子高生だ。じゃ、俺はここから出る」
「感謝する。私の新たな装いとして覚えておこう」
「ああ、ファッションも覚えてくれ。ネットに載ってる」
「相分かった」
ドアを閉じてリビングの椅子に座る。時計を見る。そこそこの時間を消費している。雪那だから着替えも早いだろう。化粧もしていないようだし、問題はない。
帰宅したら弟の配信をちゃんと見よう。




