第四章 04
今日最後のHRを終えて、直毘はのそのそと家路につく。雪那は今日の特売係として、技巧をふんだんに凝らした足捌きで目の前から消えていた。外で使わないって約束したじゃん……。
夕食の献立を考える。昨日はハンバーグ、だから今日は魚だ。冷蔵庫にあるアジにしよう。焼けば大抵魚はうまい。
花が咲く。
いまにも散りそうな花が、道の脇で両手に持ったカバンをぶら下げて佇んでいた。天照朔が、消えゆく笑顔で小首をたおす。
「直毘、待ってた」
呼ばれた直毘は立ち止まって、ひとつ細い息を吸った。
「なんて呼べばいい?」
「朔。朔でいいよ」
「そか。で、朔は俺に何か用でもあるのか?」
「ふたりで、高校生らしいこと、しよ」
カバンを背負い直して直毘は歩き出す。
「で、どこ行くんだ?」
「ファミレス行こっか」
「ド定番だな」
付近のファミレスがどこにあったか考えながら歩いていると、隣に花が並んだ。肩口にかかる程度の亜麻色の髪が、五月の風に少しなびく。それを朔が細い指先で押さえた。
「昔さ、ふたりで女子が怖いって、話してたよね」
「そだな。お前は女社会が苦手だった」
「いまも変わらないよ」
「俺もいまじゃ女恐怖症だ」
「うん」
会話が終わる。ただ黙したままファミレスへ向かった。昔は、もっと下らない話ができたはずだった。
店の中に入ってボックス席に座った。朔は対面に腰を落とす。メニューを見ることなく視線が交錯する。
「同じ学校だったんだな」
「うん、驚いた?」
「お互い様だろ」
「びっくりした。直毘がこの学校に来るなんて予想すらしなかった」
「俺は苗字も名前も変わってることに驚きだよ」
「うち、離婚して苗字変わったんだ。あと、色々考えて改名した」
直毘は言うべき言葉が見つからず、メニューをテーブルに滑らせる。朔は視線を下ろさなかった。
「ずっと、私たちってお互いのことに踏み込まなかったよね」
「……そだな」
「話してたら、あのとき、もっと違ってた?」
過去に横合いからぶん殴られた気分だった。
「たぶん、無理だったな。俺もあれだ、結構しんどかった時期でな。周りに踏み込めるリソースがなかった」
「毎日家事して、ずっと目元にクマあったもんね」
「お前だって、女社会の人間関係、それに家のことで色々あったんだろ。そんだけあれば誰だって疲れる」
ほとんど泣くように朔が笑う。
「それで、私を許せる?」
胸がきゅっと素手で掴まれた気がした。
「そんな理由で、本当に私を許せる?」
「分かんねえよ」
直毘が右手で半分顔を覆う。
「全然過去のこと引きずってんのに、いきなりお前がいて、そんなこと言われて、俺だってどうすりゃいいか分かんねえんだ」
直毘が手を下ろす。花がしおれるように、朔の目が少しだけ細くなった。
「お前だって、一か月まともに反応しなかった俺に言いたいことだってあるだろ。全部棚上げして、話なんてまともにできやしねえよ」
空気が重い。この場所だけ切り離されたように、静寂に沈んでいる。朔の視線が膝に落ちる。それなのに、どうしていいか直毘にはまったく見当がつかない。
「私もね。今朝、直毘に呼ばれて。びっくりした。ずっと、本当に存在自体無視されてると思ったから。ほんとは嬉しくて。でも、直毘の隣にはずっと人がいて、あのときも、怖かった」
「冬月雪那か」
朔が視線を上げる。
「あの子、直毘を守るためならなんでもする、そんな感じだった。私に、できなかったことをしてるよね」
椅子に投げ出された手が拳を握る。
「……そろそろ何か頼むか。さすがに迷惑になる」
「うん、そだね」
直毘はコーヒーを、朔はオレンジジュースを頼む。店員が商品を持ってくるまで、沈黙が続く。テーブルの上に飲み物が置かれ、ようやくほっとできた。
「直毘、女嫌いなのに、周りは女の子ばっかだよね」
「は? んなことねえだろ」
「冬月さん、宮柱さん。それに神薙さんには告白されたんでしょ?」
「結構観察してんのな」
「どうしたって目に入るよ。目立つから」
「月読と久々利のせいだな。俺は目立たん」
「冬月さんが直毘のこと自慢してたよ?」
雪那ぁ――……!
「あいつが言う俺のことはもう真に受けるな。あいつマジでなに言ってんだ……」
「うん? ハンバーグが美味、味噌汁が至高、あとは……なんだったかな、主夫として完璧、とか?」
「言うな。ていうかなんでそれで合コン呼ばれんだ俺。おかしいだろ」
「直毘モテてるよ。どう? 嬉しい?」
「分かってて言ってんだろお前」
「私は嬉しいよ。直毘のいいところ、昔は知ってるの私だけだったから」
「なら、お前のいいところはいま誰が知ってんだ?」
けろっと笑って、朔が言う。
「いないよ」
「あのときから、ずっとあれやってんのか?」
「うん、ずっと。もう、決めたんだ」
「……そか」
「直毘を貶めて、直毘に手を伸ばせなくて、どうして私が私でいられるの? だめだよね、それ」
朔は能面のような表情を落とした顔だった。
「朔、お前さ、学校、楽しいか?」
「知ってて聞かないでよ。直毘なら分かるでしょ?」
「俺に、どうしてほしいんだ」
「分かんないんだ」
オレンジジュースを一気に飲んで、朔が千円札を置く。
「私はね。直毘にだけは幸せになってほしい。そうであってくれれば、きっと私は満足できるから」
「待て。んな重いもん投げて勝手に行くな」
カバンを掴んだ朔が口端を上げる。
「ごめんね。私、やっぱ悪女なんだ」
こっちの言葉を待つことなく、朔が席を立って店から出ていった。空になったグラスの氷が、からん、と鳴った。




