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第五章 01

 中間テストが近づいている。中学までの直毘なら、家事を終えた時間を勉強に当てていた。それが休みにでもなればなおさらだ。だが、高校の寮に入り、五月になってからというもの、ひとりの時間は徐々に無くなっていった。


 昼食が終わった時間、リビングのソファーで久々利はひとりでのほほんと茶をすすっている。キッチンでは月読が忙しそうに立ち回り、雪那へ鋭い指示を飛ばしている。


「待って、動かないで、まだいい、まだ大丈夫だから」


「む、だが月読、私はホイップクリームを完璧に仕上げた。であれば、次の段階に進んでも良いと思うのだ」


「えーと、えっとー……果物! 果物切ってくれる?」


「む、今日はイチゴタルト。であれば、微塵に斬ってみせよう」


「タンマ! 待って、えっとー」


 どうやら月読はキッチンにおける雪那の扱いを完全には心得ていないらしい。存分に困れ。


 雪那の手がビニール箱に入ったままの苺に向かう。イチゴの群れが空中に投げられ、空気が揺らぐ。彼女がさっと出したボウルの上に、十字に斬られたイチゴがぼたぼたと落ちる。細かく切り過ぎだよ。もうそれジャムにした方がいいんじゃねえかな。


「イチゴがあああ! のおおおお!」


 月読が眼前の凄惨な光景にバグったらしい。直毘は即座に退散を判断。


「久々利、買い出しいくぞ。イチゴが足りなくなった」


「おっけ。行こうか」


 財布を掴んで、直毘と久々利は早々に部屋から逃げ出す。しばらく走って大通りに出ると、どちらともなく笑って歩きはじめる。


「冬月がイチゴでやらかした?」


「空中で切りやがった。あいつだけ漫画の世界の住人だな」


「月読のあんな声初めて聞いたよ」


「海外のドラマみたいだったな」


 久々利が両手で軽く拳を作って振る。野球のバッティングポーズだ。


「バッセン行かない? イチゴってどうせ最後にいるだけだろ?」


「たぶんな。作ったことないから知らんけど。行くか」


「で、今日何するために集まったんだっけ?」


「定期考査があるから勉強だろ。それに月読がイチゴタルト作るとかいいだして、あの惨劇だ。帰りたくねえ」


 あはは、と一切何もしていない久々利が爽やかに笑う。


「勉強した?」


「毎日適度にな。お前は?」


「部活終わって帰ってからちゃんとやってる。真面目だろ?」


 真面目なら手伝ってやれよタルト。


「合コン行ってる奴がそれ言ってもな」


「付き合いだよ付き合い。そんな日だってあるって。いつも一次会で切りあげてるし」


 まだ五月だぞ。何回もあったのか。その間、月読は家で料理か。ちょっと労わった方がいい気がする。


「ああ、言っとくけど相手側には大体月読がいるんだ。いっつも会計ちょろまかしてる」


 前言撤回だ。あいつは処すべきだ。


「これも言っとくけど、俺と一緒で穴埋め役ね」


「うわー、めんどくさそうだなそれ」


「会話を回して男子を他の女子に散らしてるんだ。あれは芸術だね」


「めんどくせぇ」


「俺もそれやってる」


「最低だな」


「これでも、何組か成立させてるんだ。感謝されてもいいだろ?」


「何人泣かせたんだろうな」


「言いたいことは分かるさ。でも、全部真正面から受け止めてたらこっちがもたない」


「まあ、それもそだな」


 橋を歩いて川を越える。ショッピングモールを横目に眺めながら歩き続けるとラウンドワンが見えてくる。無駄に大きいガラス張りの建物に入って、受付で会計を済ませる。内部は学生が多い。


「さって、月読の顔面を打ちに行こう」


「それ本人聞いたらブチ切れるぞ」


「直毘、俺たちはもう同士だろ? 冬月に対して、もうあるだろ?」


「……そうだった」


 バッティングセンターの区画に入る。帽子を深く被った学生が見事なスイングで球を飛ばしていた。持ってきたバットを久々利に渡され、直毘もバッターボックスに立つ。


「で、これどうすりゃ球出てくんの?」


「目の前にボタンあるだろ? それ押せば出るよ」


 直毘は素直に見つけたボタンを押した。130km/hと書いてあった。


 とりあえずなんとなく構える。ぼけーっと待っていたら、剛速球が大気を貫いた。ぽとん、とネットに当たって速度が落ちたボールが床を転がる。


「……速くね?」


 またボールが来る。振りかぶることすらできない。


「え……なにこれ、こんな難易度高いのか?」


 ネットの外で見ていた久々利が笑い出した。


「直毘がそんな速いの打てるわけないじゃん」


 知ってたならもっとちゃんと教えろよこのドSが。


「おい、こんなの打てねえ。代わってくれ」


 雪那がこんな速度で来たら恐怖でしかない。あいつホントに消えるからできそうで怖い。超怖い。


 仕方ないなー、と未だけらけら笑う久々利に場所を譲り、直毘は安全圏へ逃げる。


 一打目――バットが芯を逃し、ボールが地面にバウンドする。


 二打目――ボールが真上に上がり天井に当たる。


 三打目――真正面に打ち返した。


「お前の運動神経は神がかってんな」


 四打目――


「死ねえええつくよおおお!」


 おい、ここで叫ぶな。


「俺は財布じゃねええええ!」


 やめろ、近くにいる学生が思いっきり振り返ってるんだよ。仲間だと思われるだろうが。


「クソったれええええ!」


 やべぇ、こいつポンポン当てるじゃん。人少なくて良かった。でもちょっと距離を置こう。


 近場のベンチに座ると、近くにいた学生も終わったのかネットの外に出てくる。久々利の怒声とフルスイングに目を奪われているようだ。


「うわ、すご……」


 声で気づいた。


「……なにしてんのお前」


 え、と学生が直毘にふりかえる。野球帽から亜麻色がのぞいていた。


「直毘? なんでここに? あれ、直毘って球技不得意じゃ……」


「いらんこと言うなよ朔」


「じゃあいま打ってるのって……」


「久々利だな。聞かなかったことにしてやってくれ。あいつ、ストレスやべえんだわ」


「いまも叫んでるんだけど……」


「俺もお前もなんも聞いてない。忘れろ。忘れてやってくれ」


「あのさ、さっきからちょくちょく月読って名前が――」


「やめろ、掘り下げるな。それは地雷だ。触れたら爆発するぞ」


「なにその人間関係。怖いんだけど」


 帽子を上着のポケットに突っ込んだ朔が隣に座る。ふたりして久々利の奇行を眺める。シュールな絵面だった。


「直毘はやらないの?」


「さっき久々利に騙されて130キロを選んじまってな。ふることすらできなかった」


「やっぱ下手じゃん」


「うっせ。お前は……いや、言うな。さっきぽんぽん打ってたな。得意だもんな運動」


「私はもっと遅い球だけどね。直毘も一番遅いのなら打てるんじゃない?」


「やめろよそのフォロー。地味に傷つくわ」


「きっと掠るよ」


「フォローにすらなってねえんだよなそれ」


 久々利の叫びが止まらない。従業員が来ない事実が不思議だ。


「あれがカースト最上位なんだ……」


「そだな。昔、俺たちが目指した姿があれだ」


「……あれかぁ」


「悲しくなるだろ」


「知りたくなかったなぁ」


 ため息した朔が帽子を出して顔に被せる。


「なにやってんの?」


「恥ずかしいから顔隠してる。この前のこともう忘れたの?」


「ああ、私は悪女、とか言ってちょっと調子乗ってたやつがいたな」


「うるさいなぁ。でも、まだ中二病抜けてないのかなぁ」


「お前ネットにすぐ毒されるからな。まだ陰謀論とか見てんの?」


「別に信じてないから。面白かっただけだからね。ちょっとディープステートとか信じちゃったけど」


「はっ、やっぱな」


「直毘だってあの赤い科学雑誌よく読んでたじゃん。なに、時間について読んでた、一般相対性理論が書いてあった、とかさ。知的に見せたかったの?」


「お前と一緒にするなよ。あれ普通に面白いんだよ。Newtonバカにすんな。量子力学はロマンだ」


「なにそれ。よく分かんない」


「はっ、これだから科学が分からんやつは困る。ブラックホールとか存在がすげーだろうが。空間も光も歪むんだぜ?」


「興味ない」


「はいはい、そうだったな。話続けてわるーござんした」


 ふと、ぽんぽんと指で横腹をつつかれる。なんだよ。


「ね、直毘も打ってみてよ」


「……なんで?」


「見てみたいんだよね。直毘が素振りする姿」


「暗に当てられねえって言うなよ」


「大丈夫だって。当たるって……たぶん」


「なんで最後濁すんだよ。もっと希望持たせろよ」


「いいから、早くやってって。ちゃんと動画も撮るからさ」


「おい、余計なもん追加すんな。それどうすんだよ」


「寝る前に観て笑う。安眠できる自信あるんだ」


「お前……俺の残念な姿を睡眠導入剤にすんなよ。動画の俺が可哀そうだろうが」


「ほらほら、直毘のちょっといいとこ見ってみったい~」


「ウゼえ、こいつウゼえ、いいよやりゃいいんだろ。一本くらい打ってやるから覚悟しとけ」


 バットを右手で握って、目の前の空いているバッターボックスに入る。今度はちゃんと速度の表示を見る。一番遅い速度は70km/hだった。


「あ、私100キロでやったよ」


「いらん情報出してくんな!」


 対抗して100キロにしたいところだが、絶対空ぶる。今夜の朔に安眠を提供するのはプライドが許さない。70キロを選ぶ。


 両足を肩幅に開き、見よう見まねでバットを構える。テニスはできた。バットはどうにも当てる場所が少ないが、きっと行ける。


 来る。


 遅い。130キロの球を見慣れたお陰だ。のろ過ぎる。


 直毘は思い切りバットを振り、虚空を切った。


「ぶふっ!」


 吹き出す声は無視。いまのはあれだ。練習だ。


 来た、遅い。


 バットが空ぶる。なぜだ。


「ぶっふぉっ!」


 三球、四球、五球、ぜんぶ外れる。掠りもしない。


「え、俺……センスねえの?」


 一度ボールの射出を止める。右を見る。ネットの外のベンチで、朔が腹を抱えていた。もう笑い方が妊婦がやる呼吸みたいだった。ちゃっかりスマホだけはこっちを向けている。叩き折りたい、そのスマホ。


「な、なお……ぶふっ、もう、やめ……」


「もうやってねえよ。いつまで笑ってんだよ。良かったな、お前の今日の安眠は約束されたわ」


 朔の笑いが収まらない。くっそ、ホント殴りたくなってきた。


「直毘、お前それも打てないのか……」


 いつの間にか久々利もいた。え、なに、ふたりに観られてたのか?


「うっせ。俺は大抵の球技苦手なんだよ」


「な、直毘は……ぶふぅ、サッカー、空振り……ぶふぉっ、するもんね?」


 なんで余計な話をするんだろうなこの女。


「……だからテニス選んだのか直毘。あれ、主夫だから体力使いたくないとか、もしかして嘘?」


「嘘じゃねえよ。あれだ、ちょっとサッカーボールと仲良くねえんだ」


「直毘……」


 久々利が残念な目で見てくる。朔はバシバシとベンチを叩いている。


「……あれだ、人間誰でも苦手なこととかあるだろ? もっとお互い尊重してこうぜ」


 朔が顔を上げ、久々利と視線がぶつかる。やがて、ふたりが直毘を指差しながら笑い始めた。


「まっけおしみ~!」


「ダセえ!」


 なんでこの二人急に仲良くなるんだよ。コミュ力お化けかよ。


「ねえねえ、縁くん、見る? 直毘のベストシーン」


「見せて、というか動画くれ。月読に流す」


「はい、いま送った~」


「ぶっ、なあ直毘。お前の素振り、芸術点が低いぞ。もっと盛大に空ぶれ」


 無茶言うなよ。


「ほら直毘。まだ球は残ってるんだから、早く続き!」


「ほら、もっと高い点数狙おうぜ!」


 なんのだよ。


 もう色々諦め、直毘は開始ボタンを押して構えた。それだけで笑われるが知ったことじゃない。ボールが来る。今度こそ――

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