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天国塔  作者: 前田瑠希
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第三十四話 天国塔


 水晶が静かに輝きを失う。


 次の瞬間、エレンの姿が水晶の外へ現れた。


「エレンさん!」


 ルビアが真っ先に駆け寄る。


 レイコも安堵したように息を吐き、外で待っていたハニエルも静かに微笑んだ。


「お帰りなさい、エレン」


 ハニエルはエレンを見つめる。


「水晶の中で……何があったのですか?」


 ルビアとレイコもエレンへ視線を向ける。


 二人は黒龍に勇気を認められ、水晶の外へ出された。


 その後、エレンが黒龍と何を話したのかは知らない。


 エレンは小さく頷いた。


「最後に、ノワールと少し話をしてきたわ」


「ノワール?」


 ハニエルが首を傾げる。


「黒龍の名前よ」


 エレンは左腕へ視線を落とした。


「それと、私の左腕をノワールが治してくれた」


 そう言うと、左腕へ意識を向ける。


 黒い光が左腕を包み込んだ。


 やがて現れたのは、黒い鱗に覆われた龍の左腕だった。


「……!」


 ハニエルは思わず息を呑む。


 ルビアとレイコも改めてその姿を見つめる。


「それと……シルヴィアから預かっていた伝言も伝えてきた」


「シルヴィア様の伝言?」


「『もう帰ってきていい』って」


 エレンは少しだけ微笑んだ。


「ノワールは、そのままシルヴィアの元へ帰ったわ」


 エレンは左腕を元へ戻し、オリヴィエの御守(アミュレット)を身に着けた。


「話はこれくらいね」


 エレンは前を向いた。


「行くわよ」


 三人は静かに頷く。


 目指すのは九十階層。


 クラディウスとの決戦前、最後に休息できる場所だった。


 道中、現れた聖獣をルビアが剣で斬り伏せる。


 ハニエルが実弾の矢で仕留める。


 倒れた聖獣を包む聖なる炎は、レイコが水魔法で消し去り、ハニエルが腕輪へ収納していく。


「後で焼いて食べましょう」


「ええ」


 そんな短いやり取りを交わしながら、一行は九十階層へ辿り着いた。


 四人は腰を下ろし、束の間の休息を取る。


 静かな時間が流れる。


 その沈黙を破ったのはレイコだった。


「……そういえば、ずっと疑問に思っていたのだけれど……」


「何?」


 エレンが視線を向ける。


 レイコは少し考えてから口を開いた。


「そもそも……天国塔って、何の為に作られたの?」


 ルビアも小さく頷く。


「確かに……言われてみれば、私も考えたことありませんでした」


 ハニエルも静かに続けた。


「私は神々の試練なのだと、ずっと思っていました。ですが……本当の目的は、存じません」


 三人の視線が、エレンへ集まる。


 エレンは少しだけ目を閉じた。


 そして、小さく笑う。


「……最もな疑問ね」


 一拍置く。


「私も、三百年前……地獄でシルヴィアへ、全く同じ質問をしたわ」


 その言葉と共に、エレンの意識は、三百年前の記憶へと静かに沈んでいった。



◇ ◇ ◇



 三百年前。


 地獄で修行を続ける中、エレンはふと一つの疑問を抱いた。


「……シルヴィア」


「何かな?」


「……なんで、天国塔を作ったの?」


 シルヴィアは一瞬だけ目を丸くする。


「どういう意味?」


 エレンは考えを整理するように言葉を続けた。


「……願いを叶えるだけなら、試練はいらない。 試練を与えるだけなら、願いもいらない。クラディウスもいる。 天使もいる。全部、バラバラに見える……何がしたかったの?」


 その問いを聞いたシルヴィアは、少しだけ考え込む。


 そして、小さく笑った。


「……なるほど。その質問を待っていたよ」


 エレンは首を傾げる。


 シルヴィアはゆっくりと口を開いた。


「本来、この天国塔は、私が考えた――生命の可能性を観察する巨大な実験場なんだ」


 エレンは静かにその言葉を繰り返す。


「……生命の可能性?」


 シルヴィアが何度も口にしている言葉だった。


「うん」


 シルヴィアは優しく頷く。


「人間は極限の状況で、何を選ぶのか。 友情か、欲望か、絶望か、希望か、力か、知恵か、愛か、憎しみか……その全てを知りたかった」


 静かな声だった。


 しかし、その言葉には長い年月を掛けてきた者だけが持つ重みがあった。


 エレンは少し考え、


「だから……試練」


 と呟く。


「そう」


 シルヴィアは微笑む。


「試練そのものが目的じゃない。 観察するための手段なんだ」


 エレンは納得したように頷く。


「じゃあ……願いは?」


「人は理由がなければ命を懸けない。だから、願いを用意した。願いがあるから登る。 願いがあるから極限で選択する。だからこそ、本当の姿が見える」


 エレンは静かに息を吐く。


「じゃあ……クラディウスは?」


 シルヴィアの表情が少しだけ変わった。


「……管理者。本来は、この実験が正常に進むよう監視する存在だった」


 一拍置く。


「……だったんだけどね」


「?」


 シルヴィアは肩を竦め、苦笑した。


「管理するどころか、自分の欲望に忠実になっちゃった。 人間を支配し、自分だけが神になろうとした。 実験の管理者としては、落第点だね」


 エレンは苦笑する。


「なるほどね。だから、シルヴィア達はクラディウスを止めなかった」


「うん」


 シルヴィアは静かに頷いた。


「止めようと思えば、いつでも止められた。でも、私達はそれをしなかった……それもまた、一つの観察だったから」


 それに、とシルヴィアは続ける。


「文明は、自分達で積み重ねて、自分達で答えを出すものだからね。 私達が答えを与えたら、それはもう観察じゃない」


 エレンはシルヴィアを見つめる。


「……あなた達は、本当に観察者なんだね」


「そう」


 シルヴィアは微笑んだ。


「私達は“答え”を与える存在じゃない。生命が、自分達でどんな答えを出すのか。それを、ずっと見届けてきた」


 その言葉を聞き、エレンは静かに地獄の空を見上げた。


 天国塔。


 それは、願いを叶える塔ではなかった。


 それは、試練を与える塔でもなかった。


 そう思っていた場所は、本当は違った。


 生命が極限の中でどんな答えを導き出すのか。


それを見届けるために造られた巨大な実験場。


 ――それが、天国塔の本当の姿だった。



◇ ◇ ◇



 エレンの話が終わる。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 静寂だけが流れる。


 最初に口を開いたのはルビアだった。


「……なんだか、少し寂しいですね」


 エレンが視線を向ける。


「寂しい?」


「はい」


 ルビアは苦笑した。


「願いを叶えるための塔だと思ってました。みんなを試すための塔だとも思ってました。でも、本当は私達は……ずっと観察されていたんですね」


 エレンは静かに頷く。


「そういうことになるわね」


 今度はレイコが口を開く。


「私は、逆に納得したわ」


 三人がレイコを見る。


「これで全部繋がった。願い。試練。天使。クラディウス。今まで目的が見えなかったものが、一つの理論として成立した」


 レイコは静かに息を吐く。


「生命を観察する。最初にその結論があって、全てが設計された……そう考えれば、何も矛盾していない」


 エレンは小さく笑う。


「さすがね。理解が早いわ」


 レイコは肩を竦めた。


「悔しいけれど、よく考えられている……少なくとも私は、こんな発想には辿り着けなかった」


 そして最後に、ハニエルが静かに目を伏せた。


「……私は」


 少しだけ言葉を選ぶ。


「ずっと、神々は人類を導いてくださる存在だと思っていました。ですが……違ったのですね」


 シルヴィア達は導かなかった。


 答えも与えなかった。


 ただ、人類が自ら答えへ辿り着くことを見守っていた。


 ハニエルは穏やかに微笑む。


「ですが、だからこそ、人類はここまで歩いてこられたのでしょうね」


 その言葉に、エレンは少しだけ驚いたような表情を見せる。


「……怒らないの?」


 ハニエルは首を横に振った。


「もし神々が全ての答えを教えてしまえば、それは人類の歴史ではありません。神々の歴史になってしまいます。ですから……私は、これで良かったのだと思います」


 レイコも静かに頷く。


「ええ。文明は与えられるものじゃない。私達人類が、自分達で考えて、積み重ねるもの。その考え方は、私も好きよ」


 ルビアは階層内を見回す。


「なんだか……天国塔が、少し違って見えてきました」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 静かな空気だけが流れる。


 それぞれが、今聞いた真実を胸の中で整理していた。


 願いを叶える塔。


 試練を与える塔。


 そう思っていた場所は違った。


 生命の可能性を観察するための巨大な実験場。


 その事実は、四人の胸に静かに刻まれていった。





 レイコは腕を組み、静かに考え込む。


「じゃあ、クラディウスは最初から……」


 エレンは頷いた。


「そうよ。シルヴィア達が観察するために創り出した、一番最初の人間。本当の神ではない」


 ルビアは驚いたように目を見開く。


「でも……みんな、クラディウスを神様だと思ってました。人類は、そう教えられてきました」


 エレンは首を横に振る。


「違うわ。クラディウスは、人類を管理する役目を与えられただけ……神を名乗る資格なんて、最初から持っていない」


 ハニエルは静かに俯く。


「だから……天界でも、クラディウス様を”創造神”とは呼ばなかったのですね」


「ええ」


 エレンは頷く。


「天国では、クラディウスはシルヴィアとエリザべードに管理者として扱われていたらしいの」


 レイコは静かに息を吐いた。


「なるほど。管理者が、いつしか自分を神だと思い込んだ。権力を持てば、自分を特別だと思い始める人間は少なくないわ」


 少し皮肉を込めた口調だった。


 ルビアは納得できない様子で尋ねる。


「でも、どうしてシルヴィアさんとエリザべードさんは止めなかったんですか? そんな勘違い、放っておいたら危ないって分かりますよね?」


 エレンは少しだけ考え、


「止めようと思えば止められた。でも、止めなかった……それも観察だったから」


 レイコは小さく頷く。


「つまり……管理者という立場を与えられた一人の人間が、どこまで変化するのか。それも生命の可能性の一つだった……そういうことね」


「ええ」


 エレンは静かに答えた。


「クラディウスだけが特別だったわけじゃない……私達と同じ、一人の人間だった」


 その一言に、三人は黙り込む。


 人類最初の人間。


 天使を従え、世界中から神と崇められ、絶対的な権力を手にした存在。


 それでも本質は――


 一人の人間。


 レイコは静かに呟いた。


「……なら、クラディウスが証明したのは、神の在り方じゃない。力を手にした人間が、どんな答えを出すのか……」


エレンは静かに頷いた。


「そう。クラディウスもまた、観察される側だった……私達と同じように」


 エレンは三人をゆっくりと見渡した。


「……でも」


 一度言葉を区切る。


「真実を知ったところで、私達がやることは変わらない」


 三人は静かにエレンを見つめる。


「クラディウスを止める。その為に、ここまで登ってきた。そして、そのために、これから最後の準備をする」


 ルビアは真剣な表情で頷く。


「はい!」


 レイコも腕を組み直した。


「そうね。知識だけで勝てる相手じゃない。勝つための準備が必要ね」


 ハニエルも静かに頷く。


「決戦まで残された時間は多くありません。今できることは、全て済ませましょう」


 エレンは小さく笑った。


「そういうこと。クラディウスは三百年前より、ずっと強くなっているはず。こちらも、それ以上の準備をしないと勝てない」


 その場に張り詰めた空気が流れる。


 誰も気を抜いてはいなかった。


 次の戦いが、最後になる。


 全員が理解している。


 エレンは、四人の顔を見回した。


「じゃあ、今ある戦力を、一つずつ確認していきましょう。足りないものは補う。使えるものは全部使う。ここで出し惜しみはしない」


 レイコは、静かに頷く。


「賛成よ。戦力を整理すれば、足りない部分も見えてくる」


 ルビアは魔導刀を膝の上へ置く。


「私も確認しておきたいことがあります」


 ハニエルも弓を手元へ置いた。


「私もです」


 四人は自然と円を作るように座り直す。


 これまで積み重ねてきた力。


 ここで得た力。


 そして、まだ足りない力。


 その全てを洗い出し、最後の戦いへ備える。


 ――最終決戦まで、残された時間はわずかだった。





作戦会議を終え、食事を済ませると、エレン達は交代で休息を取ることにした。


聖獣の侵入しない九十階層とはいえ、ここは天国塔。


万が一に備え、一人は見張りとして起きていることにしたのである。


エレンは神器・偽で簡素なベッドを三つ創造し、ルビア、レイコ、ハニエルは順番に眠りについた。


今は、エレンが見張りの番だった。


静寂だけが辺りを包む。


エレンは壁にもたれながら、これまでのことを静かに振り返っていた。





 初めて、天国塔を登った日。


 母親を失い、父親と仲違いし、化物と呼ばれ、家族を失った。


 それでも、子供の頃に見た一人の天使に、もう一度会いたい。


 その想いだけを胸に、エレンは塔を登った。


 そして最上階へ辿り着き、クラディウスによって天使となった。


 天界で、あの日の天使を探し続けた。


 だが、見つけることはできなかった。


 だけど、ハニエルと友達になれた。


 やがてクラディウスが人間の魂を喰らっているという真実を知る。


 堕天使となり、天界を追われ、クラディウスを倒す方法を求めて、地獄へ向かった。


 そこで、シルヴィアとエリザベードが生きていることを知った。


 さらに、終焉神アウローラと出会い、三百年という途方もない年月を地獄で過ごした。


 人間界へ戻ると、ルビアと出会った。


 レイコと出会い、クロエと出会った。


 ルビア、レイコと互いの過去を語り合い、自分が、本当は何を求めていたのかを知った。


 街を守るために戦い、ルシファーを退け、ハニエルと再会した。


 ルビアは父親を乗り越えた。


 クロエとの戦いでは、救いたかった命を救えなかった。


 そして、ノワールと再会した。


 三百年以上、一人でいた黒い龍。


 そして――友達になった。


 静寂の中。


 エレンはゆっくりと目を閉じる。


 これまでのこと。


 出会った仲間。


 失ったもの。


 得たもの。


 その全てが、一つの線となって頭の中を巡っていく。


 ――その時だった。


 ふと、一つの考えが脳裏をよぎる。





 ――あまりにも突飛な考えだった。


 今までの出来事を何気なく振り返っていた。


 その時だった。


 一つの可能性が、頭の中をよぎる。


「……」


 エレンは静かに目を閉じる。


 あり得ない。


 そんなことが、本当にできるのか。


 そう思いながらも――


 胸の奥では、不思議な確信があった。


「……できる」


 エレンは神器・偽へ意識を向ける。


 創造。


 それは、形あるものだけではない。


 可能性すら形にする力。


 神器・偽が静かに応える。


 まるで──


 「それは創造できる」


 そう告げるように。


 エレンは小さく微笑んだ。


「……切り札は、一つでも多い方がいい」


 眠る三人へ静かに歩み寄る。


 ルビア。


 レイコ。


 ハニエル。


 三人は安らかな寝息を立てている。


 エレンはオリヴィエの御守(アミュレット)を外し、そっと手をかざした。


 そして──


 静かに詠唱を始めた。





 休息を終えたエレン達は、再び歩き始めた。


 目指す先は一つ。


 天国塔最上階。


 ──百階層。


 全ての試練の果てにある場所。


 四人は静かに階段を上っていく。


 誰も口を開かなかった。


 もう話すべきことはない。


 残されたのは、クラディウスを倒すことだけだった。


 やがて──四人の前に、一枚の巨大な扉が姿を現す。


 天国塔最上階へ続く、最後の扉。


 エレンは静かにその扉を見つめた。


「…………」


 三百年前。


 一度だけ、自分はこの扉を開いた。


 あの時は、何も知らなかった。


 だが今は違う。


 全てを終わらせるために──この扉を開く。


 エレンはゆっくりと扉へ手を掛けた。


 力を込める。


 重厚な扉は鈍い音を響かせながら、ゆっくりと開いていく。


 長い静寂を破るように、その音だけが最上階へ響き渡った。


 やがて扉は完全に開かれる。


 レイコは静かに息を呑んだ。


「ここが……」


 ルビアも目の前の光景を見つめる。


「……最上階」


 広大な空間の最奥。


 そこには、もう一枚の巨大な扉が静かに佇んでいた。


 クラディウスが姿を現す、その扉。


 四人が見守る中――


 重苦しい音とともに、その扉が静かに開き始めた。

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