第三十話 魔導機ヴァルキュリア
天国塔七十階層。
広大な大広間へ、四人の足音が静かに響く。
エレン。
ルビア。
レイコ。
そして、ハニエル。
四人は警戒しながら、ゆっくりと奥へ進んでいく。
やがて、広間の中央に立つ、一人の少女の姿が見えた。
「……来たわね」
クロエ。
その傍らには、魔導機ヴァルキュリアが静かに佇んでいる。
ヴァルキュリアの紅い瞳が淡く光り、エレン達四人を捉えていた。
「クロエ……」
レイコが、小さく妹の名を呼ぶ。
「約束通り来たわ」
「そう」
クロエは短く答える。
「逃げなかったのね、姉さん」
「ええ」
レイコはクロエを真っ直ぐ見つめた。
だが、杖を構えることはしなかった。
「……クロエ」
「何?」
「戦う前に、少し話をしない?」
「……は?」
クロエの眉が僅かに動く。
「何を今さら話すの?」
「色々とよ」
レイコは静かに答える。
「私は今まで、あなたとちゃんと向き合ってこなかった。あなたが何を考えていたのか、何を望んでいたのか……それを知ろうともしなかった」
「……」
「だから……」
レイコは一度だけ目を伏せる。
「今さらかもしれないけれど……」
再び顔を上げる。
「私は、あなたと話がしたい」
クロエは何も答えなかった。
ただ、レイコを見つめている。
「……ふふ」
やがて、小さな笑い声が漏れた。
「本当に今さらね」
「ええ……今さらよ」
レイコは否定しなかった。
「もっと早く、あなたと話すべきだった。もっと早く、あなたが何を思っているのか知ろうとするべきだった。でも私は、それをしなかった。だから……後悔しているわ」
クロエの表情が僅かに歪む。
「後悔?」
「ええ」
「……笑わせないでよ」
クロエの声が低くなる。
「今まで散々、私のことなんて見てなかったくせに。私が何を作っても、何を研究しても、姉さんは、いつも自分の研究ばっかり。それなのに今になって、私と話したい?」
「……そうね」
レイコは静かに頷いた。
「あなたの言う通りよ。私は自分の研究ばかりしていた。私は、魔法の研究さえできれば、それでよかったから……一族にどう評価されようと、どうでもよかった。だから……あなたも同じだと思っていたのかもしれない……自分がどう評価されているかなんて、気にする必要はないって」
「……」
「でも、違った」
レイコの声が僅かに沈む。
「あなたは、ずっと認めてほしかったのよね」
クロエの瞳が僅かに揺れる。
「一族にも。そして……私にも」
「……黙って」
「クロエ」
「黙って!」
クロエの声が広間に響いた。
ヴァルキュリアの紅い瞳が、一瞬だけ強く光る。
エレン達が僅かに身構える。
しかし、レイコは動かなかった。
「……今さら」
クロエが俯く。
「今さら、そんなこと言って……何になるのよ」
「何にもならないかもしれないわ」
レイコは答える。
「過去は変えられない。私があなたと向き合ってこなかったことも……今さら無かったことにはできない」
「だったら――」
「それでも……」
レイコは静かに言葉を重ねた。
「今のあなたと向き合うことはできる」
「……」
「だから聞かせて。あなたが何を考えているのか。どうして、愛を無くそうとしているのか……私は今度こそ、ちゃんとあなたの話を聞きたい」
しばらく、クロエは何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……私の考えは変わらない」
その声に迷いはなかった。
「愛があるから、人は苦しむ。愛するから、失う。信じるから、裏切られる……だったら最初から、そんなもの無ければいい。私は天国塔の最上階へ行く。そして……」
クロエはレイコを真っ直ぐ見つめる。
「この世界から、愛を無くす」
「……そう」
レイコは静かに目を伏せた。
そして、もう一度、クロエを見る。
「なら……私は、あなたを止める」
クロエの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「やっぱり、そうなるのね」
「ええ。でも……」
レイコは杖を握りながら、それでも優しく言った。
「あなたを否定するためじゃない。私は最後まで、あなたと向き合うわ」
「……好きにすれば」
クロエが一歩後ろへ下がる。
それと同時に、ヴァルキュリアが前へ出た。
重い足音が、広間へ響く。
エレンが黒い剣を構えた。
ルビアも剣へ手を掛けた。
ハニエルは弓を構え、左手首の腕輪へ意識を向ける。
収納されていた一本の実弾の矢が、その手へ現れた。
レイコも静かに杖を構える。
四人の視線が、クロエとヴァルキュリアへ向けられる。
「ヴァルキュリア」
クロエが静かに命じる。
「やりなさい」
紅い瞳が、強く輝いた。
レイコが杖を構えた、その瞬間だった。
エレンとルビアが、静かに前へ出る。
エレンの首元には、『オリヴィエの御守』はない。
七十階層へ足を踏み入れる前に、既に外していた。
「ルビア」
「はい」
二人は互いに頷き合う。
「ヴァルキュリア」
クロエが静かに名を呼ぶ。
「命令よ。迎撃」
命令を受けたヴァルキュリアの紅い瞳が、ゆっくりとエレン達を捉えた。
次の瞬間、床を砕く轟音と共に、ヴァルキュリアが一直線に駆け出す。
「来る!」
ルビアが剣を構える。
その直後、ヴァルキュリアの拳が迫る。
ルビアは咄嗟に剣で受け止めるが、その圧倒的な衝撃に大きく後方へ押し飛ばされた。
「っ……!」
そこへエレンが斬り込む。
黒い剣がヴァルキュリアへ迫る。
一方、その様子を見ていたハニエルは、一歩だけ前へ出た。
レイコの前へ立ち、静かに弓を構える。
「レイコ」
「……?」
「新たな術式に集中してください」
ハニエルの視線は、一瞬たりともヴァルキュリアから逸れない。
「レイコは、私が守ります」
レイコは小さく息を呑み、優しく微笑んだ。
「……ありがとう」
そう答えると、ゆっくりと目を閉じる。
ヴァルキュリアに通用する術式を組み上げるため、思考を深く沈めていった。
◆
レイコは静かにヴァルキュリアを見つめる。
(術式を分解している。その仮説は、おそらく間違っていない)
今、必要なのはその先だった。
(どうすれば、その分解を突破出来る……?)
術式の構造。
魔力の流れ。
発動の順序。
考えられる可能性を、一つずつ組み立てる。
(焦らなくていい。まずは観察。ヴァルキュリアが、実際に何をしているのか……そこから始めましょう)
◆
次の瞬間だった。
ルビアの姿が、その場から掻き消える。
床を蹴る音すら置き去りにする速度で、一瞬にしてヴァルキュリアの懐へと踏み込んだ。
「はぁっ!」
鋭い斬撃が、一直線に首元へ走る。
だが、ヴァルキュリアは僅かに身体を傾けるだけで、その一撃を避けた。
ルビアは止まらない。
二撃。
三撃。
四撃。
銀閃が幾重にも重なり、あらゆる角度からヴァルキュリアへ襲い掛かる。
しかし、その全てをヴァルキュリアは紙一重で躱し、あるいは腕で受け流していく。
「っ……!」
攻撃は届いている。
それでも、有効打にならない。
その瞬間、背後からエレンが黒い剣を振り下ろした。
ヴァルキュリアはルビアの剣を片腕で受け流したまま、空いた腕を後方へ振るう。
金属のような硬質な音が響く。
黒い剣とヴァルキュリアの腕が激しくぶつかり合った。
ヴァルキュリアの腕が、エレンの黒い剣を受け止める。
エレンは勢いを殺され、そのまま後方へ飛び退く。
その瞬間。
――ヒュンッ!
一本の実弾の矢が、ヴァルキュリアの側面から飛来した。
ヴァルキュリアは即座に反応する。
身体を僅かに傾け、矢を躱した。
「……」
後方。
ハニエルは既に次の矢を番えていた。
レイコの前から動くことなく、エレンとルビアの動きを見ながら、静かに援護を続ける。
そして、その隙を逃さずルビアが再び踏み込む。
横薙ぎ。
突き。
斬り上げ。
息つく間もない連撃。
それでもヴァルキュリアは、一切の乱れを見せない。
ルビアの斬撃を受け流しながら、同時にエレンの攻撃にも対応する。
二人を相手にしてなお、その動きはあまりにも正確だった。
「ここまで学習したの!?」
エレンが目を見開く。
「まさか……私の速さに対応出来るなんて……」
ルビアは驚きを隠せない。
エレンもまた、ルビアの攻撃を捌き続けるヴァルキュリアを見つめ、思考を巡らせる。
(ルシファーも確かに速かった……だけど、私の目から見ても、ルビアの方が速い。そのルビアの剣に、完全に対応している……!?)
次の瞬間、ルビアが再び床を蹴る。
銀色の閃光が幾重にも走る。
首。
肩。
胴。
脚。
一瞬のうちに放たれた斬撃は、あらゆる死角からヴァルキュリアへ襲い掛かった。
しかし――ヴァルキュリアは一歩も退かない。
最小限の動きだけで刃を躱し、受け流し、弾く。
まるで、次にどこへ剣が来るのか最初から知っているかのようだった。
「っ……!」
ルビアはさらに速度を上げる。
空気を裂く連撃。
常人なら目で追うことすら出来ない剣速。
それでもヴァルキュリアは、冷静に全てへ対応していく。
その隙を狙い、エレンが横合いから黒い剣を振り抜く。
ヴァルキュリアはルビアの剣を腕で受け流しながら、反対の腕を瞬時に後方へ回す。
甲高い音が響く。
エレンの黒い剣は、その腕によって受け止められた。
二人による息の合った連携攻撃。
それでもヴァルキュリアの動きに、一切の乱れは生まれなかった。
◆
クロエは静かに戦場を見つめていた。
ルビアの斬撃。
エレンとの連携。
二人の猛攻を、ヴァルキュリアは一つ残らず捌いている。
(……よし)
口元が僅かに緩む。
予想通りだった。
ヴァルキュリアは学習している。
エレン達との戦闘を重ねる度に、その動きはより洗練されていく。
(そのまま覚えなさい。もっと速く、もっと強く。そして、誰にも負けない力になりなさい)
クロエは静かに杖を持ち上げる。
その切っ先が、戦闘には加わらず術式を組み立て続けるレイコへ向けられた。
「姉さん」
低く呟く。
「悪いけど……邪魔」
魔法陣が展開される。
次の瞬間、一筋の魔法が一直線にレイコへ向かって放たれた。
◆
クロエが放った爆破魔法が、一直線にレイコへ迫る。
だが、ハニエルは一歩も動かない。
「――『光の盾』」
淡い光が広がり、巨大な光の盾がレイコの前に展開される。
次の瞬間、轟音と共に爆発が巻き起こった。
激しい爆炎が光の盾を包み込む。
しかし、盾は僅かに揺れただけだった。
爆炎が晴れる。
レイコは無傷のまま、その場で静かに思考を続けていた。
「行きます」
ハニエルは即座に弓を引く。
番えたのは、魔法ではない。
一本の実弾の矢。
その視線は、ヴァルキュリアだけを見据えていた。
一方、エレンとルビアが再び同時に踏み込む。
左右から放たれた二本の剣が、寸分違わぬタイミングでヴァルキュリアへ迫る。
その瞬間だった。
ハニエルは弦を放つ。
放たれた矢は風を裂き、エレンとルビアの剣戟に重なるように一直線に飛翔する。
ヴァルキュリアは二人の剣へ反応した。
両腕で二人の斬撃を受け止める。
だが、その一瞬。
死角から飛来した実弾の矢が、ヴァルキュリアの脇腹へ突き刺さった。
「……!」
僅かではある。
しかし、確かに命中した。
ヴァルキュリアは表情一つ変えない。
両腕を剣へと変形させ、そのまま力任せに振り抜いた。
「っ!」
「くっ!」
エレンとルビアは同時に弾き飛ばされ、距離を取る。
その間にも、ヴァルキュリアの身体は静かに蠢いていた。
突き刺さった矢を、内側からゆっくりと押し出す。
床へ落ちた矢が乾いた音を立てる。
傷口は瞬く間に塞がり、何事もなかったかのように元の姿へ戻っていく。
レイコは、その一連の光景を静かに見つめていた。
(……実弾の矢。魔法は分解される……でも、実弾の矢は防がれたんじゃない。ちゃんと命中した)
赤茶色の瞳が僅かに細まる。
(自動修復……つまり、傷は負わせられる。なら、ヴァルキュリアは“無敵”じゃない。まだ……突破口はある)
レイコは静かに目を閉じる。
(……実弾の矢。物理現象)
魔法とは違う。
矢は放たれた瞬間から、ただの物質として飛翔している。
(魔法は違う。発動して初めて、炎や雷、氷といった物理現象を引き起こす)
だから、ヴァルキュリアは、その物理現象が起きる前に──
(術式を分解している……)
それなら説明がつく。
炎は燃えない。
雷は走らない。
氷は生まれない。
術式そのものが分解される以上、その先の現象は起こりようがない。
レイコはさらに思考を巡らせる。
(天使に魔法が通用する理由も、それと同じ……)
魔素を極限まで減らした魔法。
それは魔法でありながら、限りなく本物の現象に近い性質を持つ。
だからこそ、魔素そのものの性質よりも、生み出された現象の性質が勝る。
その結果、天使にも通用する。
(なら……)
赤茶色の瞳がゆっくりと開かれる。
「ハニエルちゃん」
レイコは穏やかな声で呼びかける。
「はい」
「今度は、魔法の矢を撃ってみて」
◆
ルビアが偽剣を抜く。
柄を握ると、自身の魔力が偽剣へ静かに流れ込んでいくのを感じた。
魔力流を習得した今だからこそ知覚できる感覚。
ヴァルキュリアとの戦闘前、一度試した時と同じだった。
(大丈夫。ちゃんと流れてる)
次の瞬間、ルビアの背後に十本の偽剣が現れる。
銀の刃が宙へ並ぶ。
「行きます!」
床を蹴る。
ルビアは紅い閃光となり、一瞬でヴァルキュリアとの距離を詰めた。
その背後を、十本の偽剣が神速で追従する。
まるで、紅い稲妻だった。
一方、エレンはルビアの戦いを見つめ、小さく息を吐く。
(……ルビアの邪魔になる。だったら……)
紫の瞳がクロエを捉えた。
(クロエを狙う)
その頃、クロエは再びレイコへ杖を向ける。
魔法陣が静かに展開された。
「させない!」
エレンが一気に踏み込む。
「っ!」
クロエの表情が強張った。
その瞬間、ヴァルキュリアは右腕を変形させた剣で、ルビアの斬撃を受け止める。
同時に、左腕をクロエへ向かって伸ばした。
水銀のように滑らかに形を変えながら伸びる左腕は、一瞬でクロエの目前へ到達する。
エレンの黒い剣がクロエへ届く。
(このままなら――)
一瞬だけ、エレンは迷った。
(殺したくない)
剣筋を僅かに逸らす。
狙いは急所ではない。
左肩。
しかし、クロエの前まで伸びた左腕は、その場で巨大な盾へと変形した。
――ガァンッ!!
重い衝撃音が響く。
エレンの剣は、その盾に受け止められた。
「くっ……!」
一方、ルビアはヴァルキュリアと鍔迫り合いを続ける。
「まだですっ!」
その声と同時に、背後へ浮かぶ十本の偽剣が一斉に放たれた。
銀の刃が四方八方から襲い掛かる。
ヴァルキュリアの紅い瞳が、高速で飛来する十本の偽剣を一本一本正確に追う。
迎撃のため、その意識は十本の偽剣へ集中した。
「今です」
ハニエルが静かに弦を放つ。
放たれた光の矢は、ルビアのすぐ脇を駆け抜ける。
そして一直線に飛翔し、ヴァルキュリアの肩へ深く突き刺さった。
ヴァルキュリアはルビアと鍔迫り合いを続けたまま、右脚を剣へと変形させる。
鋭い刃がルビアを薙ぎ払う。
「っ!」
ルビアは咄嗟に後方へ跳び、斬撃を回避した。
その瞬間、クロエを守っていた左腕の盾が、大鎌へと変形する。
大鎌はクロエの前を薙ぐように振るわれ、そのまま腕が本来の形へ戻っていく。
刃の軌道は、ちょうどエレンへ向かっていた。
「危ない!」
エレンは身体を捻り、大鎌を紙一重で躱す。
さらに、ヴァルキュリアは肩へ突き刺さった光の矢へ、一瞬だけ視線を向けた。
次の瞬間、光の矢は跡形もなく消滅する。
その全てを、ヴァルキュリアはほぼ同時に行っていた。
ヴァルキュリアの右腕の剣が高速で閃く。
四方から迫る十本の偽剣を、一振り、また一振りと正確に迎撃していく。
その最中、さらに一本。
ハニエルの実弾の矢が、十本の偽剣に混じるように飛来した。
ヴァルキュリアの剣が即座に動く。
――キィンッ!
矢を弾く。
だが、その間にも、十本の偽剣は止まらない。
ヴァルキュリアの紅い瞳が、高速で動く。
偽剣。
実弾の矢。
ルビアの剣。
次々と迫る攻撃を、一つずつ処理していく。
全ての迎撃を終えると、ヴァルキュリアは静かに数歩後退し、再びクロエの前へ立った。
エレンとルビアも無理に追撃はせず、ハニエルとレイコの前まで下がる。
一瞬だけ、戦場に静寂が訪れた。
レイコはヴァルキュリアを見据えたまま、静かに思考を巡らせる。
(やっぱり……天使に魔法が通用する理由は、魔素を極限まで減らしたから)
魔法は本来、魔素によって構成される。
だが魔素を極限まで削ぎ落とした魔法は違う。
魔法そのものが、本物の現象へ限りなく近づく。
その結果、魔素としての性質よりも、魔法が生み出した現象そのものの性質が勝る。
だからこそ、天使にも通用する。
(そして、ヴァルキュリア)
レイコの視線は、肩に刺さっていたはずの光の矢へ向く。
既に、その姿はどこにもなかった。
(やっていることは、おそらく魔法の分解。しかも、一瞬)
魔法そのものを破壊しているわけではない。
そうではない。
(分解しているのは……)
レイコの瞳が僅かに細められる。
(魔素だけ)
魔法が生み出した現象から、魔素だけを抜き出している。
そう考えれば辻褄が合う。
魔素を失った魔法は、その瞬間に成立できなくなる。
だから、一瞬で崩壊する。
(……やっぱり、そういう仕組み)
◆
エレンもまた、ヴァルキュリアを見据えていた。
(速い……)
いや、速くなったのではない。
処理能力が、前回戦った時とは比べ物にならないほど向上している。
ルビアの神速にまで対応しているという事実が、それを物語っていた。
(私の剣じゃ……)
エレンは静かに結論を出す。
(もう、おそらくほとんど通らない)
ヴァルキュリアは自分の剣筋を学習し、対応してしまっている。
真正面から斬り込んでも、防がれるだけ。
だが、視線をルビアへ向ける。
ヴァルキュリアは今もなお、最も警戒しているのはルビアだった。
神速の斬撃。
十本の偽剣。
その全てに処理能力を割かなければならない。
(まだ……ルビアなら通せる)
ならば、自分の役目は決まっていた。
「ルビア!」
「はい!」
「援護するわ!」
「わかりました!」
二人は短く言葉を交わす。
エレンは一瞬だけ後方へ視線を向けた。
レイコはヴァルキュリアを見据えたまま、静かに思考を巡らせている。
エレンは小さく息を吐いた。
「ハニエル、頼んだわよ」
「任せてください」
ハニエルは迷うことなく頷いた。
◆
クロエは静かにヴァルキュリアを見つめる。
(いいわ。順調に学習してる)
前回とは比較にならない。
ヴァルキュリアは確実に成長していた。
クロエは敵戦力を頭の中で整理する。
(まずは……銀髪の女)
前回戦った時、一番厄介だと判断した相手。
だが今は違う。
ヴァルキュリアは既にあの剣筋を学習し、対応している。
それに、前回の戦いで、黒い翼を広げ飛翔する姿も見ている。
(堕天使)
あの女の正体は、既に分かっている。
そして先ほども、真っ先に私を狙ってきた。
術者である私を倒せば、ヴァルキュリアは停止する。
極めて合理的な戦術。
警戒は必要。
だが――
(今のヴァルキュリアなら対応できる)
次。
(姉さん)
クロエの視線がレイコへ向く。
今は戦っていない。
だからこそ危険だった。
時間を掛ければ掛けるほど、姉は必ず考える。
ヴァルキュリアを攻略する方法を。
今は戦力外。
だが、長引かせるのはまずい。
次。
姉の前に立つ、弓を構えた茶髪の女。
(あれは……何?)
先ほど放った魔法。
不可解な光の盾によって防がれた。
未知の能力。
情報が足りない。
検証が必要。
そして、クロエは最後に、赤い髪の少女を見る。
(あの赤い女)
異常な速度。
さらに、背後へ浮かぶ十本の剣。
おそらく姉が造った魔道具。
そして、ヴァルキュリアが最も処理能力を割いている相手。
つまり──
(一番厄介)
クロエは静かに目を細めた。
(優先すべきは……)
姉さんか。
赤い女か。
どちらかを先に排除しなければならない。
だが──
(……どう攻略する)
◆
ルビアが床を蹴る。
紅い閃光がヴァルキュリアへ走る。
それに呼応するように、ヴァルキュリアも駆け出した。
「っ!」
クロエは即座に杖を向ける。
魔法陣が展開される。
「――爆ぜなさい」
爆破魔法が一直線にルビアへ放たれた。
しかし──
「させない!」
エレンが右手を掲げる。
その周囲に次々と銃火器が創造されていく。
そこから現れたのは、突撃銃、機関銃、多銃身回転式機関銃。
様々な銃火器だった。
銃口が一斉にクロエへ向く。
――ダダダダダダダッ!!
無数の銃弾が放たれ、爆破魔法を空中で撃ち抜く。
轟音と共に爆炎が弾け飛んだ。
「……銃!?」
クロエが目を見開く。
その瞬間、脳裏に蘇る。
先日、天使が街を襲撃したあの日。
空から鳴り響いていた、聞き慣れない轟音。
(まさか……あの時の銃声。あれも、この女……)
クロエが思考する間にも、エレンは次々と新たな銃火器を創造する。
「撃て!」
無数の銃口がヴァルキュリアへ火を噴いた。
「ルビア!」
「はい!」
ルビアは一度後方へ跳び、射線を空ける。
無数の銃弾がヴァルキュリアへ降り注ぐ。
何発もの銃弾がヴァルキュリアの身体へ突き刺さる。
しかし、ヴァルキュリアは止まらない。
突き刺さった弾丸は、次々と床へ落ちていく。
カラン。
カラン、カラン。
浅く食い込んだ傷は瞬く間に塞がっていく。
「今!」
その一瞬、ルビアが再び動いた。
神速。
一瞬でクロエの目前へ迫る。
使うのは剣ではない。
気絶させるための蹴り。
だが、ヴァルキュリアが即座に反応する。
ルビアを追い越す勢いで割り込み、クロエを守ろうとする。
「甘いです!」
ルビアは速度を緩めない。
クロエへ迫りながら、背後から襲い来るヴァルキュリアの剣を偽剣で受け流す。
硬質な音が幾重にも響く。
そして、ルビアの蹴りがクロエへ届く。
「っ!」
クロエは咄嗟に杖を構え、防御する。
だが衝撃は殺し切れない。
身体ごと後方へ吹き飛ばされた。
その背後へ、ヴァルキュリアが滑り込む。
クロエを受け止め、その身体を支える。
直後、再び銃声が鳴り響く。
ヴァルキュリアは腕を盾へ変形させる。
――ガガガガガッ!!
銃弾は盾へ叩き付けられ、全て防がれた。
ルビアも深追いはしない。
静かに跳び退き、エレンの隣へ戻る。
短い静寂。
エレンは剣を下ろさないまま、クロエを真っ直ぐ見つめた。
「一つ聞きたい」
クロエは無言で見返す。
「……なんで、愛を無くしたいの?」
クロエはため息を吐いた。
「……愛なんてものがあるから、人は期待する。期待するから裏切られる。裏切られるから苦しむ」
淡々と、感情を乗せることなく言葉を紡ぐ。
「最初から愛なんて存在しなければ、誰も傷付かない。誰も失望しない。誰も絶望しない」
エレンは静かに聞いていた。
否定しない。
遮らない。
ただ、最後まで聞く。
「……だから私は消す。愛という概念そのものを」
エレンは静かに目を伏せた。
「……そう」
小さく息を吐く。
「あんたが、そう思う理由は分かった」
紫の瞳がゆっくりとクロエを見つめる。
「確かに、愛があるから、人は傷付く。大切な人を失えば悲しい。裏切られれば苦しい……私も、それは知ってる」
一瞬だけ、エレンの脳裏に三百年前の記憶が過ぎる。
失った母親。
孤独だった時間。
天使になってからの長い年月。
「……でも」
エレンは静かに首を横へ振った。
「私は、それでも愛があって良かったって思う」
「え……?」
クロエが僅かに眉を動かす。
「だって、もし最初から愛が無かったら、大切だった思い出も、幸せだった時間も……全部、最初から無かったことになる」
エレンは優しく笑う。
「私は、それは嫌。傷付いたことを無かったことにはしたくない。苦しかったことも、悲しかったことも、全部ひっくるめて……私の大切な思い出だから」
クロエは黙って聞いている。
エレンは続ける。
「愛は、人を傷付けることもある。でも……人を幸せにも出来る。だから私は──」
黒い剣を静かに構え直した。
「愛そのものを無くしたいとは思わない。 悲しみがあるから消すんじゃない。 悲しみがあっても、笑える未来を作ればいい」
エレンは真っ直ぐクロエを見る。
「私は、そのために戦う」
クロエは俯いたまま、小さく笑った。
肩が震える。
笑っている。
そう思った次の瞬間。
「……ふざけないで」
低い声だった。
怒りを押し殺したような。
静かな声。
しかし──次の瞬間、その感情は爆発した。
「ふざけないでよっ!!」
クロエが叫ぶ。
「何も知らないくせに! 傷付いてもいい? 幸せだったからいい? そんな綺麗事で全部終わらせないで!」
クロエの瞳が怒りで揺れる。
「失った人間の気持ちなんて! 裏切られた人間の気持ちなんて! あんたに何が分かるのよ!!」
その叫びに──ヴァルキュリアが反応した。
紅い瞳が妖しく輝く。
ギィィ……。
全身から、硬質な軋み音が響いた。
両腕が、水銀のように波打つ。
一本だった腕が──
二本。
三本。
四本。
次々と枝分かれしていく。
右腕は十本。
左腕も十本。
二十本の触手のような腕が空中へ広がった。
そして、その先端全てが鋭い剣へと変形する。
まるで巨大な刃の花が咲いたようだった。
エレン達は息を呑む。
レイコだけは静かに呟く。
「……また」
ヴァルキュリアの紅い瞳が妖しく明滅する。
学習している。
いや──更に学習した。
◆
レイコはヴァルキュリアを見つめたまま、思考を巡らせる。
(……なら、最初から分解されない魔法なら……)
すぐに自分で首を横に振る。
(駄目ね……目に見えないだけでは意味がない)
見えなくとも、魔法という情報は存在している。
ヴァルキュリアがそれを認識できるなら、結局は分解される。
(なら……)
レイコの瞳が細くなる。
(現象そのものが見えない魔法なら……)
魔法を発動したという痕跡すらなく、現象だけが静かに起こる。
(それなら……分解できないのでは……?)
その考えが頭をよぎる。
だが、まだ足りない。
(そもそも、ヴァルキュリアは、どうやって〝害のある魔法〟だと判断している?)
クロエに向けられた魔法だけを分解する。
逆に、クロエに害のない魔法には反応しない。
その判定基準は何だ。
(……そうか)
レイコは静かに一つの結論へ辿り着く。
(おそらく……あれはクロエが、事前にヴァルキュリアへ仕込んだ知識。その知識を基準に、危険かどうかを判断している)
ならば、その判断そのものをすり抜ける魔法が存在するはず。
レイコの思考は、さらに深く潜っていく。
◆
ヴァルキュリアが動く。
二十本の剣が一斉に唸りを上げた。
「っ!」
「速い!」
エレンとルビアが同時に迎え撃つ。
しかし、一本を受け流せば、別の一本が襲う。
三本を防げば、さらに五本が迫る。
まるで終わりのない剣の奔流だった。
甲高い硬質な音が絶え間なく響き渡る。
一本の剣をエレンが黒い剣で弾く。
その直後、死角から別の剣がエレンに迫った。
「エレン!」
ハニエルが弦を放つ。
実弾の矢が飛翔し、エレンへ迫っていた剣へ直撃した。
軌道が僅かに逸れる。
刃がエレンの頬のすぐ横を通り過ぎた。
「助かった!」
エレンは振り返らない。
「まだ来ます!」
ハニエルも答えながら、既に次の矢を番えていた。
だが、ヴァルキュリアの二十本の剣は止まらない。
エレンの肩が浅く裂ける。
ルビアの腕にも細い傷が走る。
避けても、防いでも、次の一撃が待っている。
数が、多すぎる。
エレンは歯を食いしばる。
(治癒魔法を使う時間がない……!)
治そうとすれば、その一瞬で斬られる。
攻撃の手は、一切緩まない。
「エレンちゃん! ルビアちゃん!」
レイコが思わず声を上げる。
思考を中断し、杖を握る。
治癒魔法を発動しようとした、その時──
「任せて下さい」
穏やかな声が響く。
ハニエルだった。
「レイコは術式に集中して下さい」
そう言うと、ハニエルは番えていた実弾の矢を腕輪に仕舞い、静かに右手を掲げる。
眩い光が集まり、一振りの杖が姿を現した。
――光の杖。
ハニエルはその杖を静かに振る。
淡い光が戦場を包み込む。
次の瞬間、エレンとルビアの傷が、見る間に塞がっていった。
「これは……!」
クロエが思わず目を見開く。
(また……また知らない能力!?)
傷が癒えたエレンとルビアは、再びヴァルキュリアへと駆け出した。
「助かったわ、ハニエル!」
「ありがとうございます!」
二人は礼を言うと同時に、再び剣戟の渦へ飛び込む。
エレンの周囲に、大量の銃火器が次々と創造された。
突撃銃、機関銃、多銃身回転式機関銃、狙撃銃。
様々な銃火器が一瞬で空間を埋め尽くす。
しかし、ヴァルキュリアは、それらが姿を現した瞬間に反応した。
二十本の剣が縦横無尽に走る。
鋭い斬撃が次々と振るわれ、創造されたばかりの銃火器を次々と破壊していく。
発砲する暇すら与えない。
砕け散った銃火器は、床へと消えていった。
「……っ」
エレンはすぐさま別の手を試す。
(なら――)
今度は銃ではない。
一本の剣を創造する。
何もなかった空間に、刃が形作られていく。
だが、完成するよりも先に、ヴァルキュリアの剣が走った。
――ガキンッ!
「……!」
形成途中だった剣が砕け散る。
エレンは目を見開く。
もう一度、別の位置へ剣を創造する。
しかし、結果は同じだった。
剣として完全な形を成すよりも先に、ヴァルキュリアの斬撃が届く。
再び、創造途中の剣が破壊された。
(銃だからじゃない。私が創造を始めた瞬間に反応してる……!)
その直後、ハニエルが実体の矢を番える。
「そこです」
放たれた矢は一直線にクロエへ向かう。
だが、ヴァルキュリアは迷うことなく一本の剣を振るった。
硬質な音と共に矢は弾き飛ばされる。
エレンは歯を食いしばった。
(創造しても、完成する前に壊される……魔法も分解される……これじゃ意味がない……)
エレンは思考を巡らせる。
以前使った、クロエとヴァルキュリアの視界から外れた位置へ魔法を発動し、不意を突く戦法。
(……駄目。あれも、絶対に学習済み)
新しい手が必要だ。
今まで使っていない方法。
その時だった。
ふと、エレンの視線がルビアの使う偽剣へ向く。
そして、レイコの家での出来事が脳裏をよぎる。
魔導具の説明を受けていた時、何気なく手に取った偽剣へ魔力を流した。
すると、一振りだった偽剣が大量に複製された。
「……」
エレンの紫の瞳が僅かに見開かれる。
(創造は、一から創る……だから、どれだけ速くても完成までに時間が掛かる)
その僅かな時間を、今のヴァルキュリアは見逃さない。
だが──
(偽剣は違う)
既に完成している剣を、ただ複製するだけ。
一から作る必要がない。
(だから……創造より速い。これなら、ヴァルキュリアに壊される前に完成する)
エレンの視線がルビアへ向く。
(……そうだ。今、偽剣を使うのはルビアじゃない……私よ)
エレンは即座に叫んだ。
「ルビア! 偽剣を!」
一瞬だけ、ルビアの手数は減る。
それでも迷わない。
「はい!」
ルビアは躊躇なく偽剣をエレンへ投げ渡した。
十本あった偽剣は、一振りへ戻る。
エレンはそれを受け取ると、すぐに魔力を流し込む。
次の瞬間、一振りだった偽剣が次々と複製されていく。
二本。
四本。
八本。
十六本。
ヴァルキュリアが反応する。
だが、その剣が動くよりも早く、複製は既に終わっていた。
「……いける!」
さらに増え続ける。
無数の偽剣がエレンの背後に展開された。
その数は、ヴァルキュリアの二十本の剣を上回っていた。
◆
レイコの思考は止まらない。
(……なら)
ヴァルキュリアが認識するよりも先に現象が成立すれば――
魔法を構成する粒子。
それ自体は極めて小さい。
認識した時には、既に遅い。
(そして、その粒子から派生した現象が、ヴァルキュリアが魔素を分解するより速く発生したら……)
レイコの瞳がわずかに揺れる。
(……通用する)
ヴァルキュリアは魔法を分解できる。
しかし、分解できるのは、あくまでも魔法そのもの。
現象が完成してしまえば、それはもう魔法ではない。
(問題は……その“完成”を、分解より先に起こせるか)
そこさえ突破できれば、ヴァルキュリアにも届く。
レイコは静かに息を吐く。
(あと、一歩……)
◆
エレンの背後に、無数の偽剣が浮かぶ。
その数は二十を超え、なお増え続ける。
ヴァルキュリアの紅い瞳が静かに揺れた。
直後、エレンが右手を振り下ろす。
無数の偽剣が、一斉にクロエへ襲い掛かった。
「っ!」
ヴァルキュリアは即座に反応する。
二十本の剣が高速で交差し、飛来する偽剣を次々と迎撃した。
硬質な音が絶え間なく響く。
一本。
二本。
三本。
斬っても、斬っても終わらない。
偽剣は雨のように降り注ぎ続ける。
「まだよ!」
エレンがさらに魔力を流す。
新たな偽剣が次々と複製され、空中へ現れる。
ヴァルキュリアの剣は止まらない。
だが、二十本という限界は変わらない。
迎撃へ割かれる剣が増えた、その瞬間。
「ルビア!」
「はい!」
ルビアが一直線に駆ける。
ヴァルキュリアは迎撃を優先している。
その一瞬だけ生まれた隙を、ルビアは見逃さない。
一気に間合いへ踏み込む。
狙うのは、クロエ。
ルビアは剣を振るうことなく、低い姿勢のまま懐へ潜り込み、そのまま気絶させるための蹴りを放とうとした。
だが、その瞬間、ヴァルキュリアの足が地面を砕く。
二十本の剣で偽剣を迎撃しながら、一瞬でクロエとの間へ割り込んだ。
「っ……!」
ルビアは咄嗟に剣を振るう。
同時に、ヴァルキュリアも一本の剣を振るった。
甲高い音が響く。
二本の刃が激しくぶつかり合う。
「っ……!」
ルビアはそのまま力任せに押し込む。
ヴァルキュリアも一歩も退かない。
その間にも、残る十九本の剣は休むことなく偽剣を斬り落とし続けていた。
◆
(……違う。私は、発動速度ばかり考えていた……それでは遅い。なら……術式を先に空間へ配置する。目には見えないほど微細な魔法粒子として。そして、粒子が対象へ触れたその瞬間、術式は魔法を放つのではなく、現象だけを発生させられれば……)
爆発。
衝撃波。
岩槍。
放電。
氷槍。
(どれも一瞬で完結する現象。ヴァルキュリアが分解する対象は魔法……なら、現象が成立した後では遅い。つまり……術式を配置し、接触を条件として現象を発生させる……これなら、ヴァルキュリアの分解より速く届く)
レイコは静かに顔を上げた。
「ハニエルちゃん」
ハニエルが視線を向ける。
「出来たわ。待たせたわね」
その言葉が戦場に響いた瞬間──
「させない!」
クロエがヴァルキュリアの脇から魔法を放つ。
魔法弾は一直線にルビアへ迫る。
ルビアは咄嗟に後方へ飛び退き、紙一重で回避した。
その隙を、ヴァルキュリアは逃さない。
紅い瞳がエレンを捉える。
だが、その時──
「っ……!」
堕天使の身体に強い痺れが走る。
一瞬、全身の動きが鈍った。
空中を舞っていた無数の偽剣が僅かに乱れる。
「しまっ……!」
エレンは咄嗟に後方へ飛び退き、無数の偽剣を一振りへ戻した。
これ以上の維持は危険だと瞬時に判断したのだ。
ハニエルは光の杖を静かに消す。
光が粒子となって散り、代わりに弓を手へ呼び戻した。
そして一歩、横へ下がる。
入れ替わるように、レイコが静かに前へ出た。
クロエの瞳が大きく見開かれる。
(まさか……ヴァルキュリアに通用する魔法を完成させたというの!? くそっ……戦力を削り切れなかった……!)
レイコは静かにヴァルキュリアを見据えた。
「……理論は完成したわ」
右手を前へ差し出す。
魔法陣が静かに展開される。
クロエはその魔法陣を見て、すぐに叫んだ。
「ヴァルキュリア!」
紅い瞳が光る。
魔法分解、開始。
だが、レイコの展開した魔法陣からは何も現れない。
炎も、雷も、氷も、風も、何も。
「……え?」
クロエが眉をひそめる。
ヴァルキュリアも警戒したまま動かない。
魔法陣は展開されている。
なのに、何も放たれない。
だが、次の瞬間──
ドォンッ!!
爆音が戦場へ響いた。
「!?」
ヴァルキュリアの胸部が内側から爆ぜる。
クロエの目が見開かれた。
「なっ……!」
レイコは静かに呟く。
「……今よ!」
レイコの声が響く。
「はい!」
ルビアが地を蹴る。
同時にエレンが黒い剣を構え、一直線に駆け出した。
ハニエルの実弾の矢が閃き、レイコは再び魔法陣を展開する。
爆発。
衝撃波。
放電。
次々と発生する一瞬の現象が、ヴァルキュリアの体勢を崩していく。
「ヴァルキュリア!」
クロエが叫ぶ。
ヴァルキュリアは瞬時に腕を盾へと変形させる。
実弾の矢を弾き、エレンの剣を受け止める。
さらに衝撃波を踏み込みで相殺し、岩槍を斬り砕き、放電を受けながらもクロエの前へ立ち続けた。
「くっ……!」
ルビアの一撃を受け流し、傷ついた身体が瞬く間に修復されていく。
それでも、ヴァルキュリアは確かに押し込まれていた。
クロエは唇を噛み締める。
「……くそっ」




