第三話 堕天
「エレン、起きて下さい」
エレンはまどろみの中、身体を優しく揺らされる。目を擦りながら起きる。どうやら疲れていたのか、だいぶ深い眠りについていたようだ。
起こした天使が声を掛けてくる。
「エレン、宴はもう終わりましたよ」
「……そう。あなたは誰?」
どうやら、寝ている間に宴は終わってしまったみたいだ。エレンは自分を起こした天使を天使の目に切り替えて見てみる。寝起きは非常に機嫌が悪い為、もしも中級天使三隊から上の階級なら、その化け物じみた気持ち悪い姿を見た瞬間、ぶん殴ってやろうと心に決める。
だが、目を切り替えてもエレンを起こした天使は人間の女性の姿のままだ。翼も標準サイズだった。どうやら天使だったようだ。髪の色は茶髪で、髪型はハーフアップだ。顔立ちはとても美しい。いわゆる絶世の美女という奴だ。
「はじめまして。私はハニエルです。クラディウス様にあなたに色々と教えるようにと指示を頂きました」
「そう。よろしくお願いするわ」
クラディウスに指示をもらったからハニエルはエレンの元に来たようだ。追い払うのも面倒なので素直に従う事にした。
ハニエルはまず天空城内の案内をすると言い、翼をはばたかせ飛ぶ。エレンも背中に収納していた翼を広げて飛び、ハニエルを追いかける。
先程知ったのだが、翼を小さくする事が出来、背中に張り付かせる事で翼を隠す事が出来るようだ。横になる時に翼が邪魔だったのでどうにか出来ないか試行錯誤していたら、翼を収納する事が出来た。
まず、ハニエルはエデンの園がある場所に案内してくれた。エデンの園には智天使が沢山いる。阿修羅像が沢山いるなぁとエレンは思う。先程のクラディウスの説明にあった通り、エデンの園の警備をしているのだろう。
「ここに全ての智天使が居ます。エデンの園を守ってくれているのですよ」
「へぇ。これがエデンの園ね。なんて言うか、想像していたより普通ね」
大きな木に白い実が実っている。白い実は先程聖獣の肉に変化したマナだ。マナが実っている大きな木を取り囲むように智天使が警備にあたっている。そして少し離れた所に、自ら回転し続ける炎の剣が空中を漂っている。
「ハニエル、あの空中で回転している燃えている剣は何?」
「あの回転している炎の剣が木に栄養を与えているのですよ。あの回転している炎の剣があそこから離れてしまうと、木が枯れてしまいます。あの炎の剣を掴むと私達でも炎に焼かれて死んでしまいますので触らないように気をつけて下さいね」
(なるほど。あの炎の剣なら天使を殺す事が出来そうね。一応覚えておこうかしら。使えるかどうかは試してみないとわからないけど)
もしも何か不測の事態があった時の為にエレンは保険を掛けておく。保険は多ければ多い程それに越した事はない。
ハニエルは次の場所に案内すると言い、翼を羽ばたかせ移動を開始する。移動している間に色々と聞いておこうと思い、エレンはハニエルに話し掛ける。
「ねぇ、ハニエル。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんですか?」
「天使の寿命ってどれくらいあるの?」
「だいたい五百年ぐらいは生きれますよ。五百年から六百年までの間で寿命が来ます」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、天使はどうやって増えるの?私の場合は特殊だけど。天使同士で性行為でもするの?」
「天使に人間のような性行為などは存在しませんよ。天使は人間の魂から天使になれる者を選別し、天使にします。良い行いをした人間の魂は天国に来て、次の新しい人間の魂になる為に転生の準備をします。その中から素質がある魂を私達が認める事により天使になります」
「なるほどね。そういう仕組みか。人間の魂を天使にする方法は?」
「それはですね、天使になれると認めた人間の魂を、その認めた天使が儀式を行い、天使に転生させます。魂が転生した元人間の天使は、魂を転生させた天使の眷属になります。人間の魂を転生させた天使は、自分が死ぬまで転生させられ天使になった者の面倒を見なければならないのです」
「なるほど。そういう風に増えていくのね。でも、どうしてわざわざ人間から天使に転生させるの?天使を増やす方法って、それしか方法がないの?」
「エレン、人間界にも記録として残っていると思いますが、遠い昔にあった神話の戦いって知っていますよね?」
「ええ。書物で読んだ事があるわ。確か、天国と地獄が戦争をしたんでしょ」
「はい。私もクラディウス様から聞いた話なのですが、かつて天国には三人の神がいたんですよ。統一神クラディウス様と、創造神エリザベード様、天空神シルヴィア様。しかし、地獄の神アウローラとの戦いでエリザベード様とシルヴィア様は滅んでしまいました。クラディウス様が天国と地獄を繋ぐ門を封印した事により神話の戦いは終結しましたが……。創造神エリザベード様は、天使の生みの親なのです。ですが、神話の戦いにより滅んでしまいましたのでもう天使を誕生させる事が出来なくなったのです。そこでクラディウス様が人間の魂から天使に転生させる事を思いつき、それが成功し今に至るみたいです」
「なるほどね。エリザベードって神様じゃないと天使を生み出せないのね。人間界の書物には載っていない事だわ。天空神シルヴィアって何者なの?」
「シルヴィア様は天国を造り出した始まりの神様です。人間界と天国の繋がりを作ったのもシルヴィア様なんですよ」
「そのシルヴィアって神様も滅んで今はクラディウス様だけなのね。天国も大変なのね」
エレンは他人事のように言う。正直、何人神が滅んでいようがあまり興味は無い。エレンの目的は友達を作る事なのだから。天国でも友達が出来なければ見限るつもりだ。人間界でもずっと友達が出来ないのは苦痛そのものだった。もしも天国でも人間界の二の舞になるのであれば、ここにいる理由はない。
ハニエルが思い出したようにエレンに告げる。
「そういえばエレン、あなたには天国に来た人間の魂の管理をしていただきます。後程仕事の説明をしますが、今はまだ天空城内を案内しないといけませんので」
どうやらエレンにも仕事があるようだった。面倒だが仕方がないので指示に従う事にする。
次にハニエルに連れてこられた場所は黄金に輝く扉の前だった。無論、なんの扉なのかはわからないのでエレンはハニエルに質問をする。
「ハニエル、この派手な扉は何?」
「その扉は四次元の扉です。私達はゲートと呼んでおります」
「四次元の扉?」
「ええ。扉を開ける者の意志を読み取って、扉を開ける者の望む場所に繋がる扉です。どこにでも行けるのがこのゲートです」
「へぇ。それは凄いわね」
エレンは扉をまじまじと見る。黄金に輝いていてとても派手だ。しかし、この派手なだけの黄金の扉がどこにでも繋がるのだから、それは素直に凄いと思う。
「ああ、なるほど。この扉を使って人間界の見回りとかをするのね」
「ええ。そうですよ。このゲートには行けない場所は存在しません」
「それって、例えばだけどさっき言ってた地獄にも行けるのかしら?」
「行けますよ。さっき話に出て来たクラディウス様が封印した天国と地獄を繋ぐ門は別の場所にあります。それにこのゲートは天国側にしかないのですよ。地獄にいる悪魔が天国に踏み入る事は出来ないのです」
この扉を使えば天国から外に出る事が出来る。試しにエレンは手を扉に当てて押してみるが全く動かない。
「…………」
さらに力を入れ押してみるが全く動かない。エレンの眉が徐々につり上がっていく。苛ついてきたので、爆破の魔法を使おうかとエレンが物騒な事を考え始めた時、エレンの表情を読み取ったのか、ハニエルがエレンに言う。
「エレン、このゲートはクラディウス様の許可があった場合にのみ開ける事が出来ます。魔法でも開ける事は出来ませんよ」
「……そう」
それは非常に残念だ。自由に考えた場所に行けると思ったのだが無理なようだ。エレンは盛大な舌打ちをした。ハニエルに注意されると思ったが、何も言ってこなかった。
他にも天空城内をハニエルに色々と案内してもらったが特に興味は起きなかった。だいたいの天使達は人間界に関わる仕事をしている。仕事をしている天使達の様子を見て回ったが、大して面白くはなかった。ただ、空中に浮かんでいるペンが黄金の紙に文字を記入していく様子は面白かった。
一通り見終わり、ハニエルがエレンに告げる。
「天空城内の大体は案内しましたが、何か質問はありますか?」
「特にないわ。慣れていない身体でもう疲れちゃった。今日はもう休みたいわ」
「わかりました。明日になりましたらエレンにも仕事をしてもらいます。ところでエレン、あなたに聞きたい事があります」
「何かしら?」
「なぜ、天使になろうと思ったのですか?」
「内緒よ。ハニエル。女には秘密が多いの」
エレンは適当にはぐらかす。そのうち喋るとハニエルに言うと大きな欠伸をした。
「いつか教えて下さいね。……そういえばエレン」
「何?」
「エレンの言う通り、聖獣の肉ってとっても美味しいんですね。興味が湧いたので試しにマナの実を変化させて食べてみましたが、とても美味でした。あんなに美味しいなんて正直驚きましたよ」
「ハニエル。あなたわかっているじゃない!」
一気に機嫌が良くなるエレン。なんとなくだがハニエルとは友達になれそうな気がした。
だが、今はとにかく眠い。ハニエルともう少し話をしたかったが、睡魔には勝てないようだ。また明日とハニエルに言い、先程ハニエルに教えてもらった自室へと向かう。
フカフカのベッドに横になるとエレンは直ぐに眠ってしまった。
◆
翌日、ハニエルが部屋に起こしに来てくれた。今は仕事の説明を受けている。
天使の身体はあんまりお腹が空かないみたいだ。お腹が空かないというのも中々慣れないがそのうち慣れるだろう。
「エレンの仕事は、天国に来た人間の魂の数のチェックをしてもらいます。他の天使が魂の数を数えたのをチェックする作業です。簡単に言えば、確認作業です。何人の魂が来たのかを数えるだけでいいので」
「つまり馬鹿面見せながら、ボケっと人間の魂を数えてればいいんでしょ?面倒だけど」
エレンなりにハニエルを笑わそうと思ったのだが、ハニエルの表情が面白い事になっている。どうやらあまり冗談が通じない性格のようだった。
「……エレン。大事な仕事なので気を引き締めて仕事をして下さい」
「ハニエル、冗談よ。そんな顔をしていると小皺が増えるわよ」
エレンの言葉にハニエルは慌てて真面目な表情に戻す。天使の癖に面白いなぁと、エレンは思った。
エレンはハニエルに言われた通り、人間の魂の数をチェックしていく。非常に退屈な時間でしかないが、頑張って仕事をしていく。ハニエルは他の仕事があるらしくエレンのそばを離れた。
エレンは人間の魂を観察する。人間の魂は白く光っておりフワフワしている。生前良い行いをすればするほど輝きが増すようだ。
(……それにしても暇ね)
ただ数を数えるだけの単純作業にエレンは飽きてくるが我慢をする。エレンは欠伸を噛み殺しながら魂の数を数えていく。
数時間経過した所でハニエルがエレンの様子を見にやってきた。
「エレン、慣れましたか?」
「ハニエル。暇過ぎて嫌なんだけど」
「我慢して下さい。もうすぐ交代しますから」
こうして毎日、人間の魂の数をチェックしていく仕事をエレンはハニエルと交代しながらも我慢してやり続けた。退屈過ぎて何度も天国を出ようと思ったが、実行には移さなかった。
実行に移さなかった理由はハニエルとだいぶ仲良くなれたからだ。もう、友達と呼んでも良いかもしれない。エレンにとったらそれは素直に嬉しかった。時々配給されたマナの実を聖獣の肉に変化させ、ハニエルと一緒に食べる。その時間はとても充実していて、エレンは幸せというものが少しだがわかった気がした。
それからしばらく時間が経った時のある日の事だ。人間界で言うと約三ヶ月程時間が経過した時の事だが、エレンは首を傾げていた。
いつもと様子が違うエレンにハニエルはすぐに気付き話し掛けてくる。
「エレン、どうしたのです?」
「ハニエル、最近ちょっとおかしいんだけど」
「何がおかしいのですか?」
エレンは近くの天使に聞こえないように小声でハニエルに囁く。
「魂の数が私がチェックしてる数より少ないのよ。相変わらず暇過ぎるからチェックし終わった人間の魂の数をまた一から数え直しするのを最近やり始めたの。そしたらチェックした時の魂の数と、チェックし終わった魂を直接数えた時の数が合わないのよ」
「それはチェックした時の魂の数よりも直接数えた時の魂の数が必ず少ないって事ですか?」
「うん。そう。新しい人間の魂に転生する準備に入る前に全部数えたんだけど、ほとんど毎日数が合わないわ。もし他の天使が人間の魂を天使に転生させたとしたら、こっちに報告が入るはずでしょう?でも最近そういう報告はないわ。これって一体どういう事かしら?」
「……わかりませんね。エレン、クラディウス様に報告は?」
「まだよ。これから行こうと思って。ハニエル、チェックの仕事お願いしてもいい?」
「それは構いませんが……数え間違いは無いのですね?」
「三回も確認してるもの。数え間違いは絶対に無いわ。クラディウス様の所に行ってくるから、ここをお願いね」
エレンは翼を広げ、天空城を飛んで移動する。しばらく飛び、クラディウスの部屋の前に辿り着いたので、飛ぶのを止める。
クラディウスの部屋のドアをノックするが返事がない。
扉に少し力を入れると、鍵が掛かってなく簡単に開いた。クラディウスの部屋の中を伺う。
クラディウスは部屋の中に居て、何かを食べている。クラディウスはエレンが部屋の中を伺っているのには気付いていないようだった。クラディウスの周りに数人の天使が居るのがエレンの視界に入る。
「美味い!これは本当に美味い!こんなに美味い魂は中々味わえないぞ!カマエルよ、よく見つけたな!」
「はい、クラディウス様。輝きがとても美しい人間の魂を見つけましたので。是非ともクラディウス様に食べて頂きたいと思いましてお持ちしました」
「うむ。カマエルよ、よくやった!後で褒美をやろう!」
エレンはクラディウスの部屋の中を覗いて驚愕した。人間の魂の数が合わないのは、チェックし終えた人間の魂を一部の天使がちょろまかしていたのが真相だ。そして、クラディウスが人間の魂を食べているのだ。犯人は神だったのだ。
食事に夢中なのかクラディウスはエレンに気付いていない。クラディウスの周りの天使達もエレンには気付いていないようだ。
神であるクラディウスは天国のルールを破っている。人間の魂を食べるなんて、絶対にやってはいけない事だ。いくら何でも、魂を冒涜するのは神といえども許される事ではない。それに、ルールを破るのはエレンにとっては一番許せない事だ。
エレンは素早く詠唱し、爆破の魔法をクラディウスの部屋の中に放つ。爆破の魔法は二人の天使に命中した。クラディウスの周りの天使達は爆風で吹き飛ぶ。
爆破の魔法が命中した二人の天使は即死だった。損壊が激しく、身体はバラバラに吹き飛んでいた。
そして天使の血の色は青かった。クラディウスの部屋の中は爆破の魔法の餌食となった二人の天使の内臓とバラバラになった身体と、青い血が飛散していた。
クラディウスと爆破の魔法の餌食にならなかった天使達は魔法を放った者を見る。
「エレンよ、そなた一体なんのつもりだ!?」
クラディウスは怒りの形相で敵対心を露わにしながらエレンを睨みつける。
「それはこっちの台詞よ。あんた、神様でしょ?何胸糞悪い事してんのよ。人間の魂を食べるなんて、神だから許されるとでも思ってるの?」
クラディウスの周りにいる天使の一人がエレンを睨みつけながら腰に装備している剣を抜き、エレンに切っ先を向けた。
「貴様、神の御前だぞ!言葉を慎め!何様のつもりだ!」
「うるさいわね。雑魚は早く死になさい」
エレンは再び魔法の詠唱をし、切っ先を向けてきた天使に炸裂の魔法を放つ。対応が遅れた天使は、炸裂の魔法により、青い血飛沫を撒き散らしながら身体がバラバラに吹き飛んで即死した。吹き飛んだ頭部がエレンの足元に転がって来る。目障りだったのでエレンは足元に転がって来た天使の頭部を思いっ切り踏み潰した。衝撃で天使の脳味噌がニュルッと溢れ出てくる。
残りの天使達がエレンに攻撃を仕掛けてくる。様々な魔法で攻撃してくるが、エレンは全ての魔法攻撃を爆破の魔法で相殺していった。
まとめて相手にするのが面倒になったエレンは、空中に小さな魔法陣を無数に展開し、白く光る光剣を生成する。
無数に生成した光剣を天使達に向けて一斉に射出していく。
天使達の身体に光剣が次々と突き刺さっていき、天使達は串刺しにされていく。断末魔を上げる前に次々と容赦なく光剣を射出していった。絶命してもなお、気に入らないので残りの光剣を射出した。
天使達の身体は串刺しを通り越して原型を留めていない肉片と化した。青い血の海に天使達の肉片が散らばっている。
「後はあんただけよ。クラディウス!」
エレンは詠唱し、爆破の魔法をクラディウスに放った。クラディウスも詠唱し防御魔法を展開した。
「神であるこの私に天使であるそなたが勝てるとでも?」
クラディウスが攻撃する為に魔法の詠唱を開始する。クラディウスの詠唱は、エレンが聞いた事のない詠唱だった。対するエレンも詠唱を始めた。神であるクラディウスは人間界の全ての魔法を知っており、全ての魔法を使える。それと人間には伝わっていない神にしか使えない魔法もいくつかある。
しかし、エレンの詠唱も間違いなく人間界のものなのだが、クラディウスが聞いた事のない詠唱だった。クラディウスは詠唱を続けながら驚く。
エレンとクラディウスはほぼ同時に詠唱を終え、クラディウスが先に魔法を放つ。炎や水、風、土の要素が凝縮された禍々しい丸い塊を物凄い大きさに膨らませ、それをエレンに放つ。当たれば即死してしまうだろう。
対するエレンも魔法を放った。エレンが使ったのは魔法の組み合わせだった。通常、魔法は一つの詠唱につき一つの魔法しか使えない。だが、エレンは独学で魔法の詠唱を組み合わせ、合成魔法を作り出す事に成功した。エレンにしか使えない魔法だから、クラディウスが聞いた事がない詠唱なのは当たり前だった。
爆破の魔法、業火の魔法、炸裂の魔法を組み合わせた魔法を放つ。クラディウスが放った要素の魔法とぶつかり、もの凄い衝撃波がエレンとクラディウスを襲う。衝撃波でエレンもクラディウスも後ろに吹っ飛んだ。天空城自体が頑丈に出来ているのか、クラディウスの部屋自体はなんともない。青い血と天使の肉片で汚れがひどいが。
エレンとクラディウスは防御魔法を展開していたのでどちらも無傷だった。立ち上がりお互いの姿を視認する。
「まさか神である私の魔法を防ぐとは……。エレン、そなたは一体何者なのだ?」
「言ってなかったかしら?私ね、人間界の全ての魔法を知っているし、使えるの。多分、人間界で最強なのは私じゃないかしら。今は天使だけど」
クラディウスはエレンの言葉に驚く。人間界の魔法を全て使える存在なんて神以外に聞いた事がないからだ。人間が魔法を使うにも、必ず得意不得意というものがあるはずだ。だが、人間の世界の魔法を全て使えるという事は、少なからず神にとっては脅威になる存在だ。
まともにエレンの相手をしたら、もしかしたら殺されるかもしれないと、突然訪れる恐怖にクラディウスは少しだけ身震いをする。
「……なるほど。元人間でありながら、神である私と同等の力を持っているのか。ならば……!」
クラディウスは素早く詠唱をした。その詠唱もエレンが聞いた事のない詠唱だった。エレンの身体を中心に魔法陣が展開していく。突然の事でエレンは対応出来なかった。
クラディウスが放った何かしらの魔法を発動する為の魔法陣が消えた途端、エレンは急に力が抜けた。身体中が痺れて物凄くだるい感覚がエレンを襲う。ハッとしてエレンは自分の翼を見ると、翼は黒い翼に色が変化していた。何をしたのかとクラディウスを見る。
クラディウスは物凄くいやらしい笑みを浮かべていた。
「フフ、ハハハハッ!エレン、そなたを堕天させたのだ!この天国は聖域。穢れた存在であればあるほど、苦痛を味わうのだよ」
「……なるほどね。あえて人間に戻さなかったのは人間に戻してもあまり意味がないからか。堕天使にした方が私が苦しむと」
「その通りだ。さて、エレンよ。私の食事の邪魔をした罰だ。苦しんで死ね!」
クラディウスは詠唱を始める。エレンは素早く詠唱し、拘束の魔法をクラディウスに掛ける。ここで死ぬつもりはない。
拘束の魔法を掛けられたクラディウスは固まる。だが神だからなのか、徐々に拘束が解除されてしまう。エレンは更に拘束の魔法を何度も重ね掛けした。
効果はあったようでクラディウスは全く動かなくなった。だが、いずれ拘束の魔法が解除され動いてしまうだろう。逃げる為のただの時間稼ぎだ。堕天使になってしまい身体に力が入らない。
「……っち。今の私じゃあんたを殺せないわ」
エレンは爆破の魔法をクラディウスに放ち、クラディウスの部屋をあとにする。
騒ぎを聞きつけたのか、数人の天使が駆けつけて来る。エレンは舌打ちしながら駆けつけて来た数人の天使に業火の魔法を放つ。いきなり攻撃されるとは思っていなかった天使達は叫びながら焼死した。
エレンは黒い翼を羽ばたかせ、一気に天空城の通路を駆け抜ける。途中、エレンを見かけた数人の天使達が驚愕していた。堕天使が飛んでいる、と叫んでいたが、構っている暇はないので攻撃をしてこない天使は放っておく。
徐々に体力が減っていく中、天使達が次々と現れる。エレンを見掛けると天使達は魔法の詠唱をし、一斉に魔法攻撃をしてくる。魔力の消費が激しいがエレンは出し惜しみしなかった。先程クラディウスの部屋で使った魔法の一つである無数の光剣を生成する魔法の詠唱をし、魔法攻撃をしてきた天使達に一斉に射出していく。
エレンが魔法で生成した光剣が天使達に次々と突き刺さっていく。光剣が突き刺さった天使達は訳のわからない奇声を上げながら死んでいった。辺り一面を天使の血で真っ青にしながら、エレンは翼を羽ばたかせ急いで駆け抜ける。目的はエデンの園だ。
エデンの園にたどり着き、エレンは爆破の魔法を次々と智天使に放っていく。数人の智天使を爆破の魔法で殺したところで、エレンに気付いた周りの智天使達が、訳のわからない奇声を上げながら腰に装備している剣を抜きエレンに攻撃を仕掛けてくる。きっと天使特有の怒りの声なのだろう。
「うるさいわね。キーキー喚くな!」
エレンは冷静に智天使の攻撃を避けながら、自ら回転し続ける炎の剣の元に辿り着く。
回転し続ける炎の剣に拘束の魔法を掛け、回転を止める。
残りの魔力は少ない。このままだと逃げ切れないと判断したエレンは残りの魔力を自身の治癒に使おうと考え、自分に防御魔法を重ね掛けしていく。
そして、エレンは炎の剣を掴んだ。剣の炎が身体を燃やそうとしてくるが、重ね掛けした防御魔法のおかげで炎の浸食は今の所は抑えられている。だが、長くは保たないだろう。
「どけっ!時間が無いのよ!」
エレンは鬼のような形相で向かってくる智天使達を次々と斬殺していく。斬られた後に剣の炎が智天使の身体を燃やし、肉片すら燃やし尽くした。斬ると焼くを同時に味わった智天使は、この世のものとは思えない苦痛の悲鳴を上げながら死んでいった。
あっという間に智天使を刈り尽くしたエレンは、ハニエルに教えてもらったゲートへと向かう。ゲートなら天国から出られるはずだ。ただ、クラディウスの許可がないと開かないのが問題だ。
ゲートに向かう途中、エレンはハニエルとばったり会った。
「エレン!?一体どうしたのです!?それにその炎の剣はエデンの園のですよね!?」
「あー、ハニエル、今は時間が無いのよ。炎の剣はちょっと今必要なのよ。気にしないで」
エレンはハニエルに真実を言おうとしたが、もし話してしまったらハニエルはその事実を確認する為に間違いなくクラディウスの所に行くだろう。そして、真実を知られたクラディウスに殺されてしまう。ハニエルが殺されるのは自分が死ぬより嫌だった。
エレンはハニエルには真相を伏せる決意をする。嘘を吐く事にしたのだ。
「あー、ハニエル。どうやら私の数え間違いだったみたい。ちょっとクラディウス様を怒らせちゃって。それで堕天使にされたから、天国を抜け出そうと思って」
「……しかし」
ハニエルは後ろを振り向こうとする。ハニエルの後ろにはエレンが殺した天使の肉片が無数に転がっている。
エレンはハニエルの顔を掴む。
「後ろを振り向くな。私の目を見ろ」
エレンはハニエルに催眠の魔法を掛けた。正義感が強く、真面目なハニエル。そんなハニエルをエレンは大切に思っている。ハニエルを死なせたくない。だから、余計な事は知らなくていい。
ハニエルはエレンに何かを言おうとしたが、何かを言う前にエレンの催眠の魔法により、眠ってしまった。
「ハニエル、ごめんね。……さようなら」
エレンはハニエルにお別れを言い、ゲートに向かった。
ゲートにたどりつきあ、ゲートの前でエレンは魔法の詠唱をする。詠唱を終え、爆破の魔法をゲートに放つが、やはりハニエルの言った通りゲートは魔法では開けられなかった。
(やはり駄目か。まあ、だから炎の剣を持って来たんだけど)
エレンは炎の剣を振り上げる。もう身体の防御魔法は限界に近い。堕天使になったので体力も限界だった。それに、聖域に居続けるのが何よりも苦痛だった。
その時、クラディウスが後ろからエレンに叫ぶ。
「逃げられると思っているのか!エレン、今ここで死ね!」
「……くそ!もう嗅ぎ付けたの!?」
クラディウスは様々な魔法でエレンを攻撃していく。クラディウスの魔法攻撃でエレンの身体に衝撃が走る。今の所は防御魔法で守られているが、このままだといずれ殺されてしまうだろう。
エレンはクラディウスの魔法攻撃に構わずに、ゲートに炎の剣を振り下ろす。一撃でゲートにひびが入り、ひびに剣の炎がどんどん浸食していく。まさかゲートに一撃でひびが入るとは思っていなかったエレンは心底驚いた。
クラディウスの魔法攻撃が激しくなる中、防御魔法が徐々に効力を失っていく。エレンはもう一度炎の剣を振り下ろした。
ゲートの扉はその一撃で完全に壊れた。それと同時に炎の剣を掴んでいた右手が焼け落ちかける。
右手が焼け落ちかける痛みに耐え、治癒魔法を右手に掛けながらエレンはクラディウスに告げる。
「いつかあんたを必ず殺しに行くわ。けど、今はあんたを殺せるだけの力が足りない。クラディウス、覚えていなさい!私があんたを必ず殺す!」
エレンはクラディウスの魔法攻撃を身体中に受けながら宣言した。クラディウスが何か言う前に、エレンは自分の行きたい場所を強く望みながら、ゲートに飛び込んだ。
ここまでがプロローグ。