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天国塔  作者: 前田瑠希
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第四話 ノアの街


 受付の机へ、一枚の申請書が勢いよく投げ返された。


「申し訳ありませんが、お受けできません」


「ちょっと、何するのよ!」


 返却された申請書を見て、エレンは顔を真っ赤にして声を荒らげる。


 力作──と言いたいところだが、実際は思いつくまま適当に書いただけの代物である。


 受付の男は溜め息をつき、事務的な笑みを浮かべた。


「用件がお済みでしたら、お帰りください」


「全然済んでないわよ! ちゃんと申請書を出したんだから、さっさと許可証を──」


 最後まで言わせることなく、男は口調を変えた。


「ここは遊び半分で来る場所じゃない」


 冷え切った声だった。


「身元が確認できて、実力も認められた者だけが許可証を受け取れる。お前みたいな田舎者の小娘はお呼びじゃない」


 男はエレンの全身を見回す。


 薄汚れた服。


 防具もない。


 腰に一本だけ差した剣。


「天国塔に入ったら三分も保たず死ぬ。悪いことは言わない。今すぐ帰れ」


 虫でも払うように、しっしっと手を振る。


 エレンの額に青筋が浮かんだ。


「この野郎……」


「ほら、後ろを見ろ」


 男が顎で示す。


 振り返ると、受付には長蛇の列ができていた。


 鎧姿の戦士。


 魔術師。


 野盗のような男。


 歴戦の傭兵らしき女。


 誰もが天国塔を目指している。


 願いを叶えるために。


(……なるほど)


 エレンは小さく息を吐く。


 怒鳴り散らしても埒は明かない。


 少しだけ冷静になることにした。


「どうせ流れ作業なんでしょ?」


「……何?」


「申請書をちゃんと見て、許可証を渡せば私はすぐ帰るわ」


「無理だ」


 男は即答した。


「お前、出身は? 姓は? その格好で塔へ入る気か?」


「だから全部書いたじゃない」


 エレンは申請書を男へ押し返す。


「ちゃんと読んで」


「……仕方ない」


 男は面倒そうに紙を開いた。


「どれどれ……」


 視線が文章を追う。


 そして、数秒後。


 男は静かに紙を閉じた。


「……ある意味、お前の精神力には敬意を表したい」


「そう? 褒められると照れるわ」


「褒めてない」


 男は即座に切り返した。


「帰れ」


「……」


「経歴が『天使になりました。しかし神の不正を見つけて堕天使にされたので天国から逃げました』?」


 男は呆れ果てたように続ける。


「名前はエレン。姓は忘れました。出身も忘れました」


 机へ申請書を置く。


「頭がおかしいと思われても仕方ない内容だ」


「全部本当なんだけど」


「なお悪い」


 ぴしゃりと言い切られた。


 エレンは腕を組み、しばらく考える。


 やがて静かに頷いた。


「……そう」


 そのまま踵を返す。


「わかった」


 男がほっと息を吐いた、その瞬間だった。


 エレンは振り返る。


「じゃあ街中で、『受付が仕事しない』って叫び回るわ」


「は?」


「あと、あんたの家も調べる」


 男の顔が引きつる。


「今夜にでも遊びに行くから」


「待て待て待て!」


 男は慌てて立ち上がった。


「落ち着け!」


「落ち着いてるわ」


「全然落ち着いてない!」


 男は額を押さえ、大きく息を吐いた。


「……いいか」


 机の引き出しから一枚の紙を取り出す。


「これを読め」


「何これ?」


「申請書の書き方だ。ちゃんと書けば許可証は渡す……せめて『天使になりました』みたいなことは書かないでくれ。こっちも仕事なんだ」


 エレンは紙を受け取る。


「……細か」


 びっしりと小さな文字が並んでいる。


「読む気失せるんだけど」


 ぶつぶつと文句を言いながら目を通していく。




 内容をまとめると、


・正規の手続きを行わなければ許可証は発行されない。


・虚偽の身分や不正が発覚した場合、許可証は没収される。


・許可証は登録後に有効となる。


・盗難・紛失について教会は責任を負わない。


・宿泊は天国亭をぜひご利用ください。




(最後だけ宣伝じゃない)


 エレンは読み飛ばそうとした。


 しかし、一行だけ、目が止まる。


 盗難・紛失について教会は責任を負わない。


 眉がわずかに動いた。


 紙を畳み、受付へ歩いて戻る。


「ねぇ」


「……今度は何だ」


「つまり……」


 エレンは首を傾げる。


「登録前なら、他人の許可証でも使えるってこと?」


 男は一瞬固まった。


「……言い方は最悪だが」


 溜め息を吐く。


「そういうことになる。最近はそんな奴いないがな。許可証を受け取った者は、そのまま教会で登録する。だから盗まれることもない」


「なるほど」


 エレンは静かに頷く。


「ありがとう」


「満足したなら並び直してくれ。次の方」


 男が次の冒険者を呼ぶ。


 並んでいた男がエレンを押しのけた。


「邪魔だ!」


「いたっ」


 エレンは不機嫌そうに眉をひそめる。


(……三日くらい腹痛で苦しめばいいか)


 誰にも気付かれないよう、小さく詠唱。


 腹痛の魔法。


 押した男は何も気付かない。


(ざまあみろ)


 少しだけ機嫌が直った。


 周囲を見回す。


 許可証を受け取った者達は、そのまま教会へ向かっている。


 その中で、一団だけ足を止めていた。


「親分! 許可証見せてくだせぇ!」


「へへっ、ようやく手に入れたぜ。お前らも早く実力つけろ」


「へい!」


 ごろつき達だった。


 親分が誇らしげに許可証を掲げている。


 エレンは黙って眺める。


 数秒後──口元が、わずかに緩んだ。


(……なるほど。あれなら、ルールは破らなくて済む)


 エレンは迷いなく、ごろつき達の方へ歩き出した。





 エレンは、ごろつき達の前で立ち止まった。


「ねぇ」


「あぁ?」


 親分らしき男が面倒そうに振り向く。


「いきなりだけど……」


 エレンはにっこり笑った。


「私と勝負しない?」


 ごろつき達が顔を見合わせる。


「勝負?」


「そう」


 エレンは淡々と説明する。


「勝った方が、負けた方へ一つだけ要求できる。 負けた方は、その要求を必ず受け入れる。方法は何でもいいわ。どう?」


 親分の口元がゆっくりと歪んだ。


「……何でも、か」


「ええ。何でも」


 その瞬間、ごろつき達の視線が一斉にエレンへ向く。


 頭の先から足先まで、舐め回すような視線だった。


「へへ……」


「親分」


「今日は当たりですねぇ」


 下卑た笑いが広がる。


 エレンは小さく溜め息をついた。


(やっぱり、馬鹿だった)


 親分が一歩前へ出る。


 エレンの服装がボロボロなので、金に困った馬鹿な女がどうにかしようと話を持ちかけて来たとごろつき共は考えたのだろう。


「いいぜ。受けてやる」


「そう」


 エレンは静かに頷いた。


「勝負方法は?」


「相手が負けを認めたら終わり。武器でも魔法でも、人数でも。何でも使っていいわ」


 親分は豪快に笑った。


「面白ぇ!」


 腰の剣を叩く。


「お前、本当に後悔しねぇな?」


「しない」


「なら決まりだ!」


 親分は振り返る。


「野郎共!」


「最初は俺が楽しむ! お前らは終わってから好きにしろ!」


「へい!」


 部下達が歓声を上げる。


 エレンは額へ手を当てた。


「……」


(……疲れる)


 親分が腕を振る。


「やれ!」


 十数人のごろつきが一斉に飛び掛かってくる。


 拳。


 棍棒。


 短剣。


 好き放題だ。


 エレンは一歩だけ前へ出た。


 そして──


 パン。


 パン。


 パン。


 乾いた音が連続する。


 拳が一人。


 また一人。


 さらに一人。


 顔面へ吸い込まれる。


 十秒後──地面には、ごろつき達だけが倒れていた。


「…………」


 静まり返る広場。


 受付へ並んでいた冒険者達も、思わず口を開けて見ている。


 エレンは軽く手を払った。


「終わり」


 親分だけが立っていた。


「……」


 少しだけ目を見開く。


 しかし、すぐに口元が吊り上がった。


「へっ。なかなかやるじゃねぇか。こいつらが情けねぇだけだ。褒美は無しだな」


 拳を鳴らす。


「俺一人で楽しませてもらう」


「そう」


 エレンは親分の腰を見る。


「剣は使わないの?」


「使う訳ねぇだろ」


 男は笑う。


「傷つけたら楽しめねぇ」


「……そう」


 次の瞬間、親分が拳を振るった。


 エレンは身体を半歩ずらす。


 空振り。


 そのまま、親分の左膝へ──軽く蹴った。


 ──ゴキッ。


 嫌な音が響いた。


 一拍遅れて──


「ぎゃああああああああっ!!」


 絶叫。


 膝があり得ない方向へ折れ曲がっていた。


 エレンは目を丸くする。


「あ。折れちゃった」


 本当に驚いていた。


「手加減したんだけど」


「いっ……!痛ぇぇぇ!!」


 親分は地面を転げ回る。


 エレンは少し考えた。


(暴れると面倒ね)


 小さく詠唱。


 拘束魔法を発動する。


 親分の腕だけが動かなくなる。


 折れた脚を押さえることもできない。


「ぎゃああああっ!」


「ねぇ」


 エレンはしゃがみ込む。


「負けを認める?」


「だ……誰がぁ!」


「……そう」


 エレンは静かに頷いた。


 折れた膝へ。


 ぐりっ。


「ぎゃああああああああっ!!」


 広場中へ悲鳴が響く。


 受付の男が顔を引きつらせた。


 冒険者達も誰一人近付かない。


「もう一回聞く。負けを認める?」


「わ、わかった!俺の負けだ! だから踏むなぁぁぁ!」


「そう」


 エレンはようやく足を退けた。


「じゃあ私の勝ち」


 親分は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


 エレンは笑顔で言う。


「要求するわ」


 親分は嫌な予感しかしなかった。


「……な、何だ」


「その許可証。私に頂戴」


 空気が止まる。


「…………は?」


 親分の顔から血の気が引いた。


「……な、何だと?」


 エレンは首を傾げる。


「聞こえなかった? 許可証を頂戴」


「そ、それだけは駄目だ!」


 親分は必死に首を振る。


「これを手放したら、俺は二度と塔へ入れねぇ!ようやく手に入れたんだ!そんな物を渡せる訳がねぇだろ!」


 エレンは少しだけ考える。


「でも、勝負の前に約束したわよね。負けた方は、要求を必ず受け入れるって」


「そ、それは……!」


「ルールよ」


 エレンは静かに言った。


「約束は守りなさい」


「無理だ! これは駄目だ!」


「……そう」


 エレンは立ち上がる。


「なら──」


 ごろつき達が嫌な予感を覚えた。


「約束を守る気になるまでお願いするしかないわね」


「え?」


 次の瞬間──


 ゴキッ。


 今度は右脚だった。


「ぎゃああああああああっ!!」


 絶叫が広場中へ響き渡る。


 親分は涙を流しながら転げ回ろうとする。


 だが拘束魔法で腕は動かない。


 折れた脚も押さえられない。


 痛みだけが全身を駆け巡る。


「ねぇ」


 エレンはしゃがみ込む。


「許可証。渡す?」


「い、嫌だぁ!」


「……そう」


 ぐりっ。


「ぎゃあああああっ!!」


 折れた場所を踏みつける。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 体重を掛ける。


「ぎゃああああああ!!」


「約束は? 守る?」


「わ、わからねぇ! 痛ぇぇ!」


 エレンは真顔だった。


「困ったわね。ルールを守ってくれない」


 受付の男は思わず一歩後ろへ下がった。


(こ、怖ぇ……)


 周囲の冒険者達も誰も止めようとしない。


 止めたら次は自分だ。


 本能がそう告げていた。


「もう一回聞く。許可証、渡す?」


「うぅ……!」


 親分は歯を食いしばる。


「だ……!」


 エレンは左腕を見た。


「じゃあ……」


 ゴキッ。


「ぎゃあああああああっ!!」


 左腕が折れた。


「や、やめ……!」


 エレンは首を傾げる。


「あ、ごめんなさい。また断ると思ったから、先に折っておこうと思って」


 悪びれる様子は全くない。


「それで? 何て言おうとしたの?」


 親分は涙と鼻水を垂らしながら叫んだ。


「わ、渡す!渡すから!お願いだから許してくれぇ!」


 エレンはようやく笑顔になった。


「最初からそう言えばいいのに」


 親分は震える右手で懐から許可証を取り出す。


 エレンはそれを受け取り、内容を確認した。


「うん。ありがとう」


 目的の物は手に入った。


 エレンは踵を返すが、二、三歩歩いたところで立ち止まった。


「あ」


 思い出したように振り返る。


「治療費を請求されても困るわね」


 小さく詠唱する。


 淡い光が親分を包んだ。


 折れていた脚が元へ戻り、腕も元通りになる。


 痛みも消えた。


 親分は呆然として自分の身体を見つめた。


「え……? 治った……?」


 エレンは満足そうに頷く。


「これで貸し借りなし。じゃあね」


 そう言って歩き出した。


 広場は静まり返っていた。


 誰一人、声を出せない。


 受付の男は青ざめた顔でエレンを見送る。


(危なかった……最初にちゃんと対応しておいて、本当に良かった……)


 もしあの時、さらに余計なことを言っていたら──今頃地面に転がっていたのは、自分だったかもしれない。


 エレンはそんな周囲の視線など気にも留めず、許可証を片手に天国塔へ向かって歩き始めた。





 許可証を手に入れたエレンは、天国塔の入口へ向かって歩き始めた。


 今の服装は、薄汚れたボロボロの服だ。


 腰には剣を一本差しているだけだ。


 そして――


「……お腹空いた」


 所持金はゼロ。


 服も買えない。


 宿にも泊まれない。


 だが、天国塔へ入れば聖獣の肉は食べられる。


(とりあえず塔へ入ろう。お金を稼ぐ方法は、そのあと考えればいい)


 エレンは真剣だった。


 頭の中は聖獣の肉でいっぱいである。


「あ、あのー……」


 後ろから誰かの声が聞こえた。


「……」


(気のせいね)


 そのまま歩く。


「す、すみません!」


「……お腹空いた」


(幻聴まで聞こえてきた。そろそろ限界かしら。死ぬなら地獄がいい。天国だけは勘弁)


「すみませーん!」


(まだ聞こえる)


 少しだけ鬱陶しい。


 しかし振り返らない。


 どうせ自分に話しかけている訳ではない。


 そう思いながら歩き続ける。


 すると、一人の少女が正面へ回り込んできた。


「すみません!」


 エレンは立ち止まる。


「……逃げ道を塞ぐの?」


「え?」


「新手の強盗?」


「ち、違います!」


 少女は慌てて両手をぶんぶん振る。


「本当に違います! その、もしよろしければ! 私と一緒に天国塔へ行きませんか?」


「なんで?」


 即答だった。


 少女は一瞬だけ固まる。


「あ、えっと……さっき受付の前で見ていました! あなた、とても強かったので! 一人より安心かなって思って……」


 エレンは少女をじっと見つめる。


 赤いショートヘア。


 赤い瞳。


 赤い鎧。


 赤い盾。


(赤い。とにかく赤い)


 少女はそんな視線にも気付かず続けた。


「強くなるには努力が大事なんですよね! 鍛錬を続けて! 目標を持って! 毎日積み重ねて! だから私は――」


「ねぇ」


「はい!」


「人の話、聞いてる?」


「…………」


 少女はぴたりと口を閉じた。


「あ。す、すみません……」


 エレンは小さく息を吐く。


(悪い人ではなさそう。でも、この人、ちょっと疲れる)


 もう一度少女を見る。


 鎧も盾も剣も手入れが行き届いている。


 真面目で、努力家。


 そんな印象を受けた。


「……まあいいわ。ちょっと久々にこっちへ来たから、わからないことが色々あるの。あんたに教えてもらうわ」


 少女の表情がぱっと明るくなる。


「はい! 何でも聞いてください!あ、申し遅れました!」


 少女は姿勢を正し、深々と頭を下げる。


「私、ルビア・ノアと申します! このノアの街はノア一族が繁栄させた街で、今は父様が皇帝をしています!」


「私はエレン。よろしく」


「はい!」


 ルビアは満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔は、驚くほど眩しかった。


(……なんなの、この人)


 エレンはほんの少しだけ不思議に思う。


 こんなにも真っ直ぐな人間は、今までほとんど見たことがなかった。


「じゃあ最初の質問」


「はい!」


「天国塔へ入るのに許可証が必要になったのは、いつから?」


 ルビアは少し考えてから答えた。


「三百年くらい前からですね。母様からそう聞きました」


「……そう」


 エレンは静かに頷く。


 その声は、いつも通りだった。


 だが、ルビアは気付かない。


 その一瞬だけ、エレンの瞳から笑みが消えていたことに。


 しかし、それもほんの一瞬。


 エレンは何事もなかったかのように表情を戻す。


「じゃあ次。許可証を貰わないと自由に天国塔へ入れなくした理由……つまり、誰でも入れないようにした理由はなんで?」


「それは……私の先祖がそう決めたので」


「あんたの先祖?……つまり、あんたの先祖が天国塔へ自由に入れないようにしたってこと?」


「そう、なります……」


「面倒なことしてくれるわね」


 エレンは腕を組み、小さくため息をつく。


「目の前にいたら、とりあえず一発ぶん殴ってるわ」


「す、すみません!」


 ルビアは勢いよく頭を下げた。


「私の先祖がご迷惑をお掛けしてしまって、本当に申し訳ありません!だから、どうか私だけは殴らないでください!」


 エレンは思わず目を瞬かせる。


「……なんであんたを殴るのよ。文句があるのは先祖。あんたじゃない」


「あ……」


 ルビアは恐る恐る顔を上げた。


「そ、そうですよね……」


「そうよ」


 エレンは呆れたように肩をすくめる。


「変なところで真面目ね」


 ルビアは照れたように笑った。


「よく言われます」


「自覚あるのね」


「あります!」


 即答だった。


 エレンは少しだけ吹き出しそうになった。


(……やっぱり疲れる)


「まあいいわ。次の質問。このノアの街って、天国塔を中心に栄えた街なの?」


「はい!」


 ルビアは嬉しそうに頷く。


「この街は天国塔を囲むように築かれました! 偉大なる神、クラディウス様へ少しでも近付きたいという願いから、私達ノア一族が発展させた街なんです!」


 誇らしそうに語るルビア。


 エレンは街並みを見回した。


 石造りの建物。


 活気ある市場。


 人々の笑い声。


 確かに、自分の知っている街とは比べものにならないほど発展している。


「なるほどね」


(三百年もあれば、これくらい変わるわけだ)


 ルビアは嬉しそうに頷く。


「はい!」


 そして、何かを思い出したように声を上げた。


「あっ! エレンさん、お腹空いてるんですよね!」


「ええ」


「だったら先にご飯にしましょう! 私、天国亭に泊まってるんです!食事もすごく美味しいんですよ!」


「……お金がないのよ」


 エレンはあっさりと言った。


 ルビアはきょとんと目を丸くする。


「え?」


「一文無し。服も買えないし、宿にも泊まれない。だから天国塔へ入って聖獣の肉を食べようと思ってたの」


 数秒、沈黙が流れた。


「えぇぇっ!?」


 ルビアは思わず大きな声を上げた。


「そんな生活だったんですか!?」


「そうよ。だから今、お腹が空いて死にそう」


「それは駄目です!」


 ルビアは慌ててエレンの両手を掴む。


「まずはご飯を食べましょう! 私がご馳走します! 付き合っていただくお礼ですから!」


 エレンは少しだけ目を丸くした。


「……いいの?」


「もちろんです!遠慮しないでください!」


 エレンは数秒だけルビアを見つめる。


 嘘をついているようには見えなかった。


「……ルビア」


「はい!」


「あんた、本当に良い奴ね」


 その一言だけだった。


 ルビアは照れくさそうに笑う。


「ありがとうございます!じゃあ、その前に……」


 ルビアはエレンの服装へ視線を向けた。


「あの、その服……」


「ん?」


「少しだけ……目立ちます」


 エレンは自分の服を見下ろす。


 ボロボロの服。


 あちこち擦り切れ、いかにも旅の途中という格好だった。


「……確かに乞食みたいね」


「い、いえっ!そこまでは言ってません!」


「三秒だけ後ろ向いて」


「え?」


「いいから」


「は、はい!」


 ルビアは慌てて後ろを向いた。


 その隙にエレンは素早く詠唱する。


 淡い光が身体を包み込み、ボロボロの服が消えていく。


「もういいわ」


 ルビアが振り返る。


「えっ!?」


 思わず目を見開いた。


「ふ、服が……!変わってる!?」


「手品よ」


 エレンはくるりと一回転する。


 黒を基調とした衣装。


 肩から腕へ流れる羽のような黒布。


 胸元には蝶の装飾。


 背中は大胆に開き、全身には六芒星の意匠が散りばめられている。


「どう?私が自分で作った服なんだけど」


 ルビアは何度も瞬きを繰り返す。


「あの……」


「何?言って」


「怒らないですよね?」


「多分」


「た、多分?」


 エレンはじっと見つめる。


 ルビアは恐る恐る口を開いた。


「まるで……」


「まるで?」


「悪い魔女みたいです」


 一瞬、静寂が流れる。


「……悪い魔女」


 エレンは少し考え込んだ。


「尖り帽子は被ってないんだけど」


 首を傾げる。


「堕天使には見えない?」


「だ、堕天使ですか?」


「うん。天使達が見たら嫌がりそうな服にしてみたんだけど」


 ルビアは改めてエレンを見つめる。


「堕天使には見えません。でも……凄く強そうです」


 エレンは満足そうに頷いた。


「なら十分ね。さ、早く行きましょう。お腹が空き過ぎて、本当に死にそうなの」


「はい!」


 ルビアは笑顔で頷く。


「天国亭なら、きっと気に入ります!」


 二人は並んで天国亭へ歩き出した。





 天国亭の看板には、天使の翼が描かれているだけだった。


 その下に、大きく『天国亭』と書かれている。


「エレンさん!ここですよ!」


「見れば分かるわ」


 エレンは看板を見上げる。


「……ねぇ」


「はい?」


「この看板、もう少し何とかならなかったのかしら?」


「何とか、と言いますと?」


「絵を増やすとか。色を使うとか。美味しそうな料理を描くとか。これじゃ文字を書いただけじゃない」


 ルビアは首を傾げる。


「シンプルでいいと思いますけど」


「……そういうものなの?」


「そういうものです!」


「へぇ」


 納得はいかなかったが、エレンはそれ以上何も言わなかった。


 二人は店の中へ入る。


 一階は食事処になっていた。


 料理の香りが店いっぱいに広がり、酒を飲む冒険者達の笑い声が響いている。


「エレンさん、好きな席どうぞ!」


「じゃあ窓際」


 二人は腰を下ろす。


 店員が水とメニューを運んできた。


「エレンさん、好きなだけ食べてくださいね!」


「……本当にいいの?」


「もちろんです!」


「女に二言は無いわね?」


「ありません!」


 エレンは店員へ視線を向けた。


「すみません」


「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」


「ええ。このメニュー全部ください」


 店員の動きが止まる。


「……全部ですか?」


「うん。全部。飲み物は水」


 店員はルビアを見る。


 ルビアも店員を見る。


 二人とも固まっていた。


「エ、エレンさん……」


「何?」


「全部って……」


「全部よ。好きなだけって言ったじゃない」


「そ、それはそうですけど……」


 店員は恐る恐る聞いた。


「……本当に全部でよろしいのでしょうか?」


「ええ、全部。お願いします」


 店員は何度も振り返りながら厨房へ走っていった。


 ルビアは恐る恐るエレンを見る。


「あの……」


「なあに?」


「たくさん食べるんですね」


「そうよ」


 エレンは真顔で答えた。


「私、魔法を使うから。魔力を維持するために一度で大量に食べるの。今食べれば、しばらくは何も食べなくても平気よ。毎日こんなには食べないわ」


「へぇ……」


 ルビアは感心したように頷く。


「そんな体質もあるんですね」


「そういうこと」


 やがて料理が次々と運ばれてくる。


 焼き魚。


 煮込み。


 肉料理。


 パン。


 スープ。


 山のように料理が並ぶ。


 エレンは早速食べ始めた。


「美味しい」


 一言。


 それだけ言うと、猛烈な勢いで食べ始める。


 フォークが止まらない。


 ナイフも止まらない。


 皿が次々と空になっていく。


 ルビアは呆然と眺めていた。


「……凄い。昔よりずっと美味しくなってる」


 エレンは幸せそうだった。


「料理って進歩するものなのね」


「……昔?」


「ん?」


「いえ、何でもありません」


 ルビアは首を振った。


 エレンは気にせず食べ続ける。


 最後の皿まで綺麗になくなった。


「ごちそうさま」


 満足そうに息を吐く。


「本当に全部食べちゃいました……」


「残すのは好きじゃないの」


 ルビアは少し笑った。


「そういうところ、好きです」


「そう?」


「ええ」


 少しだけ沈黙が流れる。


 エレンは水を飲みながらルビアを見る。


「ねぇ」


「はい?」


「一つ聞いていい?」


「もちろんです!」


「ルビアは、天使って、どんな存在だと思う?」


 ルビアは少し考える。


「人間を守ってくれる存在……でしょうか」


「そう」


 エレンは静かに頷く。


「じゃあ悪魔は?」


「人間と契約して、願いを叶える代わりに魂を食べる存在です」


「そう。じゃあ最後」


 エレンはルビアの目を真っ直ぐ見つめた。


「堕天使は?」


 ルビアは少し困ったように笑う。


「……分かりません」


 エレンは静かにコップを置いた。


 店の喧騒は変わらない。


 けれど、その一角だけ空気が変わったようだった。


 そして──ゆっくりと口を開く。


「堕天使はね──」


 一拍置く。


「神に復讐する存在よ」





 天国亭を出たエレンとルビアは、天国塔の入口へ向かって歩いていた。


「……うっぷ」


 エレンが口元を押さえる。


「気持ち悪い」


「エレンさん!?」


 ルビアが慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


「……大丈夫よ。吐きそうだけど」


「全然大丈夫じゃないです!」


 ルビアが思わず声を上げた。


「まさか最後に、あんな大きな鳥の丸焼きが出てくるなんて思わなかったわ」


 エレンは恨めしそうに呟く。


「あれ絶対わざとよ。私への嫌がらせだったんじゃないかしら」


 ルビアは苦笑する。


「あれは団体のお客様向けなんです。普通は何人かで食べる料理なんですよ。なのに全部注文するから……」


「仕方ないじゃない。好きなだけ食べていいって言ったのはあんたよ。それに……」


 エレンは少し真面目な顔になる。


「あんたのお金で食べたんだから、残す訳にはいかないでしょう」


 ルビアは少し驚いたようにエレンを見た。


「そんなこと、気にしなくても良かったのに……」


「私は気にするの」


 エレンは即答する。


「ご飯を作った人にも悪いし。奢ってくれた相手にも失礼だから」


 少し照れ臭そうに言う。


「だから残さない」


 ルビアはふっと笑った。


「エレンさんって……意外と真面目なんですね」


「“意外と”はいらない」


「ふふっ」


 ルビアは思わず笑ってしまう。


 二人はまた歩き始めた。


 その後ろ姿を見ながら、エレンは小さく考える。


(……不思議ね)


 人間は嫌いだった。


 裏切る。


 嘘を吐く。


 利用する。


 そんな人間ばかり見てきた。


 だから期待なんてしなかった。


 でも、隣を歩く少女は違う。


 真っ直ぐで、優しくて、少し暑苦しくて、そして、とても眩しい。


(……この子なら)


 一瞬だけ、そんな考えが頭をよぎる。


 すぐに打ち消した。


(まだ分からない。人間なんだから)


 それでも、その考えは消えなかった。


 エレンは隣を歩くルビアをちらりと見る。


 ルビアは街の人達へ笑顔で手を振っていた。


 誰に対しても変わらない笑顔。


 その姿を見て、エレンは少しだけ口元を緩める。


(……もしかしたら、友達になれるのかもしれない)


 その答えは、まだ分からない。


 けれど──エレンは、ほんの少しだけ期待していた。


 そんな自分に気付いて、少しだけ可笑しくなる。


「エレンさん?」


「何でもないわ。早く行きましょう」


「はい!」


 二人は並んで歩き出す。


 その先には、空へ届くほど高くそびえ立つ天国塔が静かに待っていた。

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