第二話 天使九階級
聖獣の肉を平らげ、すっかり満腹になったエレンは、宴を楽しむ天使達をぼんやりと眺めていた。
見渡す限り、誰もが美しい人間の女性の姿をしている。
髪の色や翼の大きさには多少の違いがあるものの、整いすぎた顔立ちはどれも似通っており、正直なところ、誰が誰なのか見分けがつかない。
「宴は楽しんでいるかね?」
不意に声を掛けられ、エレンは振り返った。
すぐそばに、クラディウスが立っている。
神という存在は、自分のような新参者へわざわざ話し掛けに来るほど暇なのだろうか。
「クラディウス様。驚きましたよ」
「何にだ?」
「あんな、ぶにぶにした正体不明の気持ち悪い白い物体を、天使達が食べていることにです」
エレンは先ほどまでマナの入っていた黄金の壺へ目を向けた。
「念じれば想像した食べ物へ変化するのは凄いと思いますが、あれも魔法の一種なのでしょうか?」
その瞬間、近くにいた数人の天使達が目を見開いた。
動きまで完全に止まっている。
あの一角だけ、時間が停止してしまったかのようだった。
やがて、そのうちの一人が険しい表情を浮かべ、エレンの前へ歩み寄ってきた。
「貴様! 無礼であろう!」
天使は怒声を上げると、すぐさまクラディウスへ向き直った。
「我々の神であるクラディウス様に対し、何という恐れ多い物言いを! クラディウス様、どうか無礼を働いたこの者をお許しください!」
そう言って、深く頭を下げる。
自分達の会話へ勝手に割り込んできた上、頼んでもいないのに謝罪まで始める。
正直、鬱陶しい。
少しだけ懲らしめてやろう。
そう思い立ったエレンは、素早く詠唱した。
拘束の魔法。
その名の通り、対象の身体を縛り、動きを封じる術である。
ただし、術者よりも対象の実力が大きく上回っていれば、拘束は成立しない。
魔法を受けた天使は、頭を下げた姿勢のまま硬直した。
「な……っ」
顔を上げようとしているようだが、見えない巨大な万力に押さえ付けられているかのように、全身がまるで動かない。
腕にも脚にも力を込めているらしく、身体は小刻みに震えている。
それでも、少しも姿勢を変えられなかった。
つまり、この天使はエレンよりも弱いということになる。
その光景を見たクラディウスの口元が僅かに震えた。
「……ぷっ」
やがて堪え切れなくなったのか、声を上げて笑い出す。
「アハハハ! エレン、そなたは実に面白い!」
「そうですか?」
エレンは拘束した天使を冷たく見下ろした。
「私達の会話へ勝手に割り込んできた、この頭の悪い天使が悪いのです。 こういう礼儀知らずは、天国にもいるのですね。 ですから、少し懲らしめてやろうと思いまして」
「まあまあ、エレンよ。そろそろ許してやってくれ」
クラディウスが短く詠唱する。
すると、エレンの掛けた拘束が一瞬で解かれた。
自由を取り戻した天使以上に、エレンの方が驚いていた。
通常、魔法を解除できるのは、その術を使用した本人か、術式に深い知識を持つ者だけである。
しかしクラディウスは、エレンの魔法を当然のように打ち消した。
さすがは神、といったところだろう。
解放された天使は、怒りで顔を真っ赤に染め、エレンを鋭く睨み付けた。
その態度が気に入らなかったエレンも、殺気を込めて睨み返す。
天使はすぐに視線を逸らした。
顔色が青ざめ、身体が小刻みに震えている。
膝まで明らかに笑っていた。
天使はクラディウスへ一礼し、エレンへ小さく舌打ちすると、逃げるようにその場から立ち去った。
友達を作るどころか、天使になった初日から敵を作ってしまったらしい。
「逃げるくらいなら、最初からこちらへ来なければいいのに」
エレンが呟くと、クラディウスは愉快そうに笑った。
「エレンよ。そなたのように、思ったことを神である私へ直接口にできる者は、ここにはほとんどおらぬ」
「そうなのですか?」
「ここだけの話だが、皆、私の機嫌を損ねぬよう必死なのだ。私はそれがどうにも退屈でな」
クラディウスは宴を楽しむ天使達へ視線を向ける。
天使達は皆、こちらを気にしているにもかかわらず、露骨に視線を逸らしていた。
「そなたのような者は初めてだ。 確かに、周囲から見れば失礼な態度なのだろう。 しかし私としては、胸の内を隠されるよりも、正直に話してもらう方がよい」
「自分より格上の存在へ、へこへこと頭を下げるのは、人間の世界と同じなのですね」
「その通りだ」
エレンにとって、クラディウスが自分を面白いと思っているかどうかなど、さほど重要ではない。
それよりも、もっと確かめたいことがある。
「クラディウス様。お聞きしたいことがあります」
「何だ?」
「天使にも、友達という概念は存在するのでしょうか?」
「……ふむ」
クラディウスは、すぐには答えなかった。
意外なほど真剣な表情で、僅かに考え込んでいる。
「随分と難しい質問をするな」
「難しいのですか?」
「おそらく、同じ階級の中でなら、友と呼べる関係は存在するだろう。しかし、天使にとって階級の上下関係は絶対だ」
「天使には階級があるのですか?」
「ある。少々長くなるが、説明しよう」
クラディウスは静かに語り始めた。
天使には九つの階級があり、それらは総称して天使九階級と呼ばれている。
九階級は、上級、中級、下級の三つに分けられ、それぞれ三つの位階から成り立っている。
「まず、最上位に位置するのが、熾天使だ」
熾天使。
天使九階級の頂点に立つ、上級第一位。
神に最も近く、純粋な光と思考によって形作られた存在だという。
その名は、燃え盛る炎を意味する。
愛と情熱を象徴し、クラディウスの威光を最も強く受ける者達。
人前へ姿を現す際には、三対六枚の翼を持ち、そのうち二枚で頭を、二枚で脚を覆い、残る二枚で空を飛ぶとされている。
「次が、智天使。上級第二位だ」
智天使は、神の意向を理解し、その真の姿を見ることさえ許された天使だという。
その知識と叡智をもって神性を考察し、得た答えを下位の天使達へ伝える役割を担う。
姿は、人、牛、獅子、鷲という四つの顔と、四枚の翼を持ち、足元には車輪を備えている。
更に、エデンの園と生命の樹へ至る道を守護するという重要な任務も任されている。
「人間界では、なぜか愛らしい幼子の姿で知られているようだがな」
クラディウスは、少し呆れたように付け加えた。
「そして上級第三位が、座天使だ」
座天使は、神の玉座を運ぶ尊厳と正義の天使。
神の意志を受け止め、上位から降りてきた愛と知恵を、その身へ宿す役割を持つ。
姿は、無数の目と翼を備えた巨大な車輪。
その車輪によってクラディウスの玉座を運び、戦場では戦車のような役目も果たす。
「ここまでが上級天使三隊だ。次に、中級天使三隊について説明しよう」
中級第一位、九階級第四位。
主天使。
天使達の務めを統制し、天界の秩序を維持する行政官のような役割を担う。
クラディウスの権威を示し、その統治を広める者達である。
中級第二位、九階級第五位。
力天使。
光り輝く者とも呼ばれ、地上の奇跡を司る。
人々へ勇気と気力を与え、困難へ立ち向かう者の内側に眠る力を引き出す役割を持つ。
中級第三位、九階級第六位。
能天使。
力天使と共に、世界の物理法則を維持する役目を担う。
同時に、悪魔との戦いでは最前線へ立つことが多く、最も危険な任務を課せられる階級でもある。
悪魔と接触する機会が多いため、誘惑へ晒され、堕天する危険性も高い。
そのため、能天使には強靱な意志と忍耐が求められる。
「最後が、下級天使三隊だ」
下級第一位、九階級第七位。
権天使。
地上の国や都市を守護し、人間の指導者を監視する存在。
正義へ進むよう人々を導き、善なる者を悪しき存在から守る役割を担っている。
下級第二位、九階級第八位。
大天使。
階級上は下位に属するが、その実力と権限は別格である。
クラディウス直属の親衛隊として、神の意向を直接聞くことを許され、無数の天使達を指揮する。
中には複数の階位を兼任する者もおり、実際の力が熾天使を上回ることさえあるという。
「そして最後が、そなたの属する天使だ」
天使。
下級第三位にして、九階級の最下位。
人間にとって最も親しみやすい姿で現れ、大天使の指令を受けて任務を遂行する実働部隊である。
人間一人につき、二人の守護天使が付くともいわれている。
人間界へ赴き、時に見守り、時に励まし、必要とあれば悪しき存在と戦う。
九階級の中で、最も人間と接する機会の多い天使達だった。
「そして、この天使九階級全てを統括するのが、私ということになる」
長い説明を終え、クラディウスはエレンを見た。
「何か質問はあるか?」
「あります」
「うむ。何だ?」
「先ほど説明にあった、智天使の姿についてです」
エレンは周囲にいる天使達へ視線を巡らせる。
「人の顔、牛の顔、獅子の顔、鷲の顔。四つの顔と四枚の翼。それに足元には車輪があると仰いましたよね」
「そうだ」
「ですが、私にはここにいる天使達が、皆、人間の女性の姿にしか見えません」
「ああ。それは、そなたがまだ人間の目で見ているからだ」
「人間の目?」
「目を、天使の目へ切り替えてみるとよい」
「天使の目……」
「意識を目へ集中させるのだ。 今のそなたなら、自然に切り替えられるはずだ」
エレンは目を閉じた。自分の瞳の奥へ意識を集める。
すると、視界の奥で何かが反転したような、不思議な感覚があった。
ゆっくりと目を開く。
そこに広がっていたのは、先ほどまでとは全く異なる光景だった。
「……何ですか、これは」
天使達の姿が変わっている。
いや、違う。
これこそが本来の姿なのだろう。
人間の女性に見えていた天使達の多くは、もはや魔物としか思えない異形の姿をしていた。
もっとも、全ての天使が変貌したわけではない。
下級天使三隊は、天使の目で見ても人間の女性に近い姿を保っている。
天使は、外見にほとんど変化がない。
大天使も人間の姿のままだが、翼は天使よりも遥かに大きい。
権天使も女性の姿をしているものの、二対四枚の翼を持っていた。
中級天使三隊からは、人間の面影が急激に薄くなる。
人間と魔物を無理やり繋ぎ合わせ、そこへ翼を付けたような、歪な姿。
頭部が異様に大きく、露出した脳のようなものを持つ天使は、能天使だろう。
巨大な両腕と鋭い爪を備えた者は、力天使。
腕の筋肉は、服の上からでも分かるほど盛り上がっている。
主天使の姿は、更に理解し難かった。
細長く伸びた首。植物の蔓のような腕。
脚の代わりに、車輪のようなものが付いている。
なぜ、その姿に落ち着いたのか。考えても答えは出そうにない。
そして上級天使三隊は、もはや完全な異形だった。
熾天使は、幾重もの翼に全身を包み込まれており、羽毛の塊にしか見えない。
智天使は、説明された通り、四つの顔と四枚の翼を持ち、足元には巨大な車輪を備えている。
阿修羅像を更に複雑にしたような姿だ。
座天使は、円形の肉塊へ無数の目と翼を取り付けたような外見をしていた。
視線が合った気がして、エレンは反射的に顔を背ける。
天使達の中で、最も気持ちが悪い姿だった。
最後に、エレンはクラディウスへ視線を向ける。
しかし、天使の目で見ても、その姿は少年のままだった。
どうやら、天使の目をもってしても、神の本当の姿までは見ることができないらしい。
「皆、化け物じみていますね」
エレンは率直な感想を口にした。
「化け物達の宴にしか見えません」
「ハハハ。元人間であるそなたには、そう見えてしまうだろうな」
クラディウスは愉快そうに笑う。
「だが、天使にとっては、あの姿こそが自然なのだ。そういうものだと受け入れてくれ」
「……努力します」
「階級が上がるほど、肉体は人間から遠ざかり、より神聖な姿へ近付いていく」
エレンは、もう一度、上級天使達を見た。
翼の塊。四つの顔。無数の目が付いた肉の車輪。
絶対に、あのような姿にはなりたくない。
この瞬間、エレンは心の底から誓った。
何があっても、下級天使三隊の範囲内に留まり続けよう、と。
「さて、先ほどの質問へ戻ろう」
クラディウスが話を続ける。
「同じ階級の者同士であれば、友人関係にある天使は多い。 しかし、階級が一つでも異なれば、上下関係は絶対だ」
つまり、天使同士であれば友達になれる。
だが、天使と大天使が、対等な友人関係になることはない。
それは他の階級でも同じである。
当然、その全ての頂点に立つクラディウスと、最下位の天使であるエレンが友達になれるはずもない。
天と地ほどの差がある。
もしかすると、クラディウスと友達になれるのではないか。
エレンは密かに、そんな期待を抱いていた。
だからこそ、僅かに落胆する。
「なるほど。よく分かりました。教えていただき、ありがとうございます」
「ふむ。そなたは、まだ天国について知らぬことが多いようだな」
クラディウスは、周囲を見回した。
「だが、私はそろそろ失礼する。 やらなければならない仕事が山ほどあるのでな」
「そうなのですか?」
「宴へ参加していない天使達が、きちんと任務を果たしているかも確認せねばならぬ」
どうやら、本当に暇だったわけではないらしい。
忙しい中、わざわざ新しく天使となったエレンの様子を見に来たのだろう。
意外と面倒見の良い神なのだな、とエレンは思った。
クラディウスの足元に魔法陣が広がる。
「ではな、エレン。宴を楽しむとよい」
光に包まれ、その姿が消えた。
クラディウスが去ると、エレンは小さく溜め息を吐いた。
天使になるという、自分の選択。
あれは本当に正しかったのだろうか。
天国が、これほど異形の存在で満ちた場所だとは思わなかった。
もし人間達が天使の本当の姿を知れば、きっと大きく失望するだろう。
クラディウスがいなくなっても、誰一人としてエレンへ話し掛けてこない。
聖獣の肉を食べていたことが、よほど衝撃的だったらしい。
先ほど天使を拘束したことも、多少は関係しているかもしれない。
「……ちっ」
エレンは誰に向けるでもなく舌打ちした。
友達を作るどころか、話し掛けてももらえない。
(今日はもう疲れた。)
そう結論付けると、エレンはその場へ横になった。
周囲から驚いた視線を向けられている気配がしたが、気にしない。
白く輝く天井を眺めながら目を閉じる。
そして宴の真っ只中で、エレンはそのまま眠り始めた。




