第二十四話 再会
ルシファーは、地上へ落ちていくエレンを冷ややかに見下ろした。
そのまま追撃しようと翼を動かした、その瞬間――目の前で爆発が起こった。
轟音と共に爆風が巻き起こり、視界が一瞬で白く染まる。
「……っ」
ルシファーは思わず足を止めた。
爆風はすぐに晴れる。しかし、その先にエレンの姿はなかった。
「ちっ……隠れたか」
舌打ちを一つ。そのまま視線を地上へ向ける。
崩れた街並み。瓦礫。煙。
隠れる場所などいくらでもある。
一度地上へ降りて探すべきか。
そう考えたルシファーだったが、すぐにその考えを捨てた。
「……いや。あいつは必ず戻ってくる」
そう確信していた。あの女は逃げるような人間ではない。
だからこそ、ここで待つ。
上空という絶対的な有利を捨てる必要はない。ルシファーは腕を組み、静かに待ち始めた。
「まさか、あの程度で死ぬとは思えん……いや、確実に仕留めたと確認出来なかった以上、警戒はしておくべきか」
冷静に状況を分析する。その時、不意に違和感を覚えた。
「……そう言えば」
目を細める。
「人間共の気配がしないな」
先程まで地上に無数に存在していた人間達。
エレンとの戦闘中は意識を向けていなかったが、いつの間にかその気配がほとんど消えていた。どこかへ避難したのか。あるいは、まとめて隠れているのか。
「まぁいい。どうせ後で殺しに行けば済む話だ」
興味を失ったように呟く。今、優先すべきはエレンだけだった。
再び静寂が訪れる。
その静寂を破るように、一つの気配が近付いてきた。
ルシファーは振り返る。
そこには、一人の天使が静かに頭を下げていた。
「どうした、ラファエル」
「そろそろ加勢しようかと思いまして」
ルシファーは鼻で笑う。
「必要ない。それに、お前では奴には勝てまい」
ラファエルは否定しなかった。
「……その通りです。私では反逆者エレンには敵わないでしょう。ですが、少しでもルシファー様のお力になれればと思いまして」
その言葉に、ルシファーは僅かに口元を緩めた。
「ふっ、そうか。なら、手伝え」
「はい。喜んで」
二人は並び立ち、静かに空を見据える。
ただ一人の反逆者が戻って来る、その瞬間を待ちながら。
◆
エレンは地面へ叩き付けられる寸前、黒い翼を大きく広げた。
翼で空気を掴み、落下速度を強引に殺す。
それでも勢いは消し切れない。
身体はそのまま地面を滑るように叩き付けられ、激しい衝撃が全身を襲った。
「ぐっ……!」
仰向けのまま何度も転がる。
痛みに歯を食いしばりながら、近くにあった崩れた建物の陰へ身体を滑り込ませた。
そのまま息を潜める。
気配を消す。
「……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸だけが静かに響く。
建物へ背中を預け、ゆっくりと腰を下ろした。
身体が重い。
全身が鉛になったようだった。
「まさか……少し掠っただけで、ここまで蝕まれるなんて……」
エレンは左腕へ視線を落とす。
光の斬撃が掠めた二の腕。
そこだけが黒く変色し、じわじわと腐食していた。
聖気。
瘴気で必死に侵食を食い止めている。
だが、このままでは時間の問題だった。
エレンは静かに黒い短剣を創造する。
刃先を、自らの左腕へ向けた。
「まずは……」
一度だけ深呼吸をする。
そして――
迷いなく刃を振るった。
◆
エレンは傷口へ治癒魔法を掛け、ゆっくりと立ち上がった。
身体はまだ重い。
だが、動けないほどではない。
ここで立ち止まる訳にはいかなかった。
「次は……」
エレンは静かに空を見上げる。
今度は、あの光の斬撃を完全に防ぎ切らなければならない。
もう一度まともに受ければ、次こそ命はない。
「やるしかないわね……」
エレンは静かに目を閉じ、頭の中で創造を始めた。
先程受けた光の斬撃。
その軌道。
速度。
魔力の流れ。
構造。
一つ一つを思い返しながら、頭の中で分解していく。
(原理は……鎌鼬の魔法と似ている)
空気を切り裂き、刃を飛ばす。
そこへ聖気を纏わせることで、あの異常な威力を生み出している。
(なら、瘴気を纏わせた鎌鼬なら……)
思考を止めない。
さらにそこへ超加速の魔法を重ねる。
速度を限界まで引き上げる。
頭の中で術式が組み上がっていく。
エレンは手にした黒い瘴気の剣へ意識を集中させた。
刀身へ瘴気が絡み付き、目にも留まらぬ速度で魔力が循環していく。
「……いける」
小さく呟く。
思い描いた通りの術式は完成した。
これなら、あの光の斬撃にも対抗出来るはずだ。
エレンは深く息を吐く。
「出来るかどうかじゃない。やるしかない」
(やらなければ……街の人達が殺される。人間を……護らないと)
そう言って瓦礫の陰から一歩踏み出す。
再び空へ飛び立とうとした、その時だった。
「相変わらず無茶ばかりしてるんですね」
不意に、背後から、一人の少女の声が聞こえた。
その瞬間、エレンの身体がぴたりと止まる。
「…………え?」
聞き間違えるはずがない。
忘れるはずがない。
三百年前に、何度も聞いていた声。
ずっと。
本当にずっと会いたかった声。
(そんな……嘘……まさか……)
心臓が激しく脈打つ。
呼吸が止まる。
振り返りたい。
でも、振り返るのが怖い。
もし違ったら。
もし幻だったら。
そう思うだけで、胸が締め付けられた。
エレンは震えるように息を呑み、ゆっくりと振り返る。
そして――
そこに立っていた姿を見た瞬間。
エレンは目を大きく見開いた。
「……ハニエル」
茶色の髪を風になびかせながら、一人の天使が優しく微笑んでいた。
その姿は、三百年前と何一つ変わっていない。
ずっと。
ずっと会いたかった友達だった。
ハニエルはエレンの名を呼ぶ。
「お久しぶりです。エレン」
その穏やかな声を聞いた瞬間。
エレンはようやく理解する。
夢じゃない。
幻でもない。
本当に。
本当にハニエルが目の前にいるのだと。
ハニエルは静かにエレンの前まで歩み寄る。
エレンはまだ信じられないように、その姿を見つめていた。
「……本当に、ハニエルなの?」
震える声だった。
ハニエルは優しく微笑む。
「はい。本物ですよ」
その返事を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、エレンの肩から力が抜けた。
「そっか……良かった……」
そう呟いた、その時だった。
ハニエルは一歩踏み出す。
そして――
パシンッ!!
乾いた音が響いた。
エレンの頬が僅かに横を向く。
何が起きたのか理解出来ず、エレンは目を丸くした。
「……ハニエル?」
ハニエルは俯いていた。
握り締めた拳が、小さく震えている。
「……心配、したんですよ」
静かな声だった。
「三百年間。ずっと」
その一言一言に、押し殺してきた想いが滲んでいた。
「どうして、一人で行ってしまったんですか。どうして、何も言ってくれなかったんですか。どうして……」
声が少しだけ震える。
「私も、一緒に行きたかったのに……」
エレンは何も言えなかった。
三百年前。
ハニエルを巻き込みたくなくて、一人で地獄へ向かった。
それが最善だと思っていた。
でも、残された側の気持ちを、考えていなかった。
エレンはゆっくりと俯く。
「……ごめん」
その一言しか出てこなかった。
ハニエルは静かに首を横へ振る。
「もう謝らなくていいんです」
そう言うと、一歩近付き、そっとエレンを抱き締めた。
その温もりは、三百年前と何も変わっていない。
「こうして、また会えたんですから。それだけで、十分です」
エレンもゆっくりと腕を回す。
抱き締め返した瞬間、胸の奥に張り詰めていたものが、少しだけほどけていく。
「……私も、ずっと会いたかった」
小さく呟く。
ハニエルは嬉しそうに微笑んだ。
しかし、その穏やかな時間は長く続かなかった。
ハニエルはゆっくりと身体を離し、真剣な表情で空を見上げる。
「ルシファーと戦っているんですよね」
「あ、うん」
エレンも表情を引き締める。
「なら……」
ハニエルは真っ直ぐエレンを見つめた。
「私も共に戦います」
その言葉の意味を、エレンは誰よりも理解していた。
それは、天界を裏切るということ。
神であるクラディウスへ刃を向けるということ。
もう二度と、以前の生活には戻れないということだった。
エレンは静かに問い掛ける。
「……覚悟は出来てるの?」
ハニエルは一切迷わなかった。
「覚悟なら、三百年前から出来ています」
その瞳に迷いはない。
エレンはその覚悟を受け止め、小さく頷いた。
「……分かった。一緒に行こう」
ハニエルは力強く頷く。
「はい!」
二人は同時に地面を蹴った。
黒い翼と白い翼が大きく広がり、再び空へ舞い上がる。
目指す先は一つ。
最強の天使、ルシファーが待つ戦場だった。
◆
ルシファーは腕を組んだまま、静かに空を見据えていた。
(……遅い)
苛立ちが募る。
あれからしばらく経つというのに、エレンは姿を現さない。
(まさか、本当に逃げた訳ではあるまい)
そう考えた、その時だった。
背後に二つの気配を感じる。
ルシファーはゆっくりと振り返った。
そこには、黒い翼を広げたエレン。
そして、その隣には白い翼を持つ一人の天使が並んでいた。
ルシファーは二人を見据える。
「……やっと来たか」
視線をもう一人へ向ける。
「ハニエル。何故、お前がそこにいる」
その声には怒りよりも、僅かな疑問が混じっていた。
ハニエルは一歩前へ出る。
その表情は穏やかなままだった。
「私は、もう天使の味方ではありません」
静かな声が空へ響く。
「これからは、エレンと共に戦います。つまり、貴方達と戦うということです」
ルシファーは鼻で笑った。
「そうか。ならば、お前も反逆者だ。構わん、エレンと共に葬ってやる」
ハニエルは真っ直ぐルシファーを見据える。
「簡単には負けません。私も、全力で貴方達へ挑みます」
ルシファーはゆっくりと聖剣を構えた。
「ラファエル。援護しろ」
「御意」
その瞬間、四人が同時に動いた。
最初に空を駆けたのはハニエルだった。白い翼が大きく広がる。
流れるような動作で、一振りの弓を構える。
弦が静かに引き絞られた。
次の瞬間、眩い光が迸る。
放たれた光の矢は、空気を裂く音すら残さず一直線にルシファーへ迫った。
「――っ!」
あまりの速度に、エレンは思わず目を見開く。
(速い……! こんな矢、見たことがない……!)
矢は一瞬でルシファーの眼前へ到達する。
だが、ルシファーは表情一つ変えなかった。
右手をゆっくりと伸ばし――
光の矢を、指先だけで掴み取る。
「……悪くない」
その一言だけだった。
だが。
次の瞬間、エレンは一直線にルシファーとの距離を詰める。
その動きを見据え、ルシファーは静かに聖剣を構えた。
「来るか」
次の瞬間、聖剣が振るわれる。光の斬撃が空を裂いた。
音よりも速く迫る光の刃。
エレンは逃げない。
黒い剣を振り抜くと同時に、その軌跡へ瘴気が集束する。
漆黒の斬撃がその場で創造され、一直線に放たれた。
轟音。
瘴気と聖気、二つの斬撃が真正面から激突する。
衝撃が空を震わせ、爆風が雲を吹き飛ばした。
だが――。
押し返したのは光だった。
ほんの僅か。
それでも確かに、ルシファーの斬撃が競り勝つ。
エレンは最初からそれを読んでいた。
身体を半身に捻る。
光の斬撃が眼前を通過し、髪を揺らして消えていく。
あと数センチ近ければ、それだけで決着だった。
爆風を利用し、一気に懐へ飛び込む。
黒い剣と聖剣が激突した。甲高い金属音が空へ響く。
ルシファーは一切の無駄なく剣を振るう。
鋭く。
速く。
そして正確に。
全てが急所を狙った一撃。
エレンは受け止めない。
受け止められない。
最小限の動きだけで、紙一重の回避を繰り返す。
一度の失敗も許されない。
聖剣が再び身体をかすめれば、その瞬間に勝敗は決する。
エレンに残された道は、一度も判断を誤ることなく、この攻防を積み重ね続けることだけだった。
視線はルシファーから逸らさない。
肩の僅かな動き。
握りの変化。
翼の角度。
足先の向き。
全てを読み切り、次の一撃を予測する。
横薙ぎ。
突き。
袈裟斬り。
雨のように降り注ぐ剣閃を、エレンは髪一筋分の距離で潜り抜けた。
刹那。
ルシファーが距離を取る。
再び聖剣が振るわれ、光の斬撃が放たれた。
エレンも同時に黒い剣を薙ぐ。
振るわれた軌跡から、再び瘴気を纏った黒き斬撃が創造される。
二つの刃は空中で衝突し、轟音と共に爆散した。
それでもなお、最後に押し切るのは光。
僅かな差。
だが、その僅かな差こそが絶望だった。
エレンは爆煙の中を縫うように駆け抜ける。
黒い翼を翻し、再びルシファーの懐へ。
ルシファーの表情が僅かに変わる。
「……対抗手段を生み出したか」
エレンは何も答えない。
答える余裕などない。
この戦いは、極限の集中力だけで命を繋ぐ戦場。
たった一度の判断ミスさえ、許されなかった。
◆
その頃。
ハニエルもまた、ラファエルと激突していた。
巨大な肉塊が空を覆う。
無数の翼。
無数の瞳。
その異形は、存在するだけで圧倒的な威圧感を放っていた。
ラファエルの無数の瞳が、一斉にハニエルを見据える。
「貴女の相手は私です」
直後、その巨体の周囲へ幾重もの純白の魔法陣が展開された。
一つ、二つではない。
数十もの魔法陣が空を埋め尽くす。
膨大な魔力が渦を巻き、空気そのものが震え始めた。
「……っ!」
一斉に魔法陣が輝く。
次の瞬間、無数の魔法が豪雨のように降り注いだ。
右。
左。
上空。
退路すら塞ぐように放たれる魔法。
ハニエルは翼を翻し、神速で軌道を変える。
紙一重。
次々と迫る魔法を、髪一筋の距離でかわし続けた。
しかし、回避した先には既に新たな魔法陣が展開されている。
逃げ道を読むように、次の一撃が放たれる。
「全部、見えてるんですか……!」
死角がない。
背後へ回っても。
上空を取っても。
急降下しても。
無数の瞳が全てを捉え、魔法陣が即座に展開される。
距離を詰めることすら容易ではない。
ハニエルは一度大きく距離を取る。
弓を静かに構え、弦を引き絞った。
光が収束する。
一本の矢となって形を成した。
狙うはラファエル中央。
放たれた光の矢は一直線に空を駆け抜ける。
しかし、巨大な翼がゆっくりと閉じる。
矢は翼へ直撃し、眩い光を散らして弾かれた。
「……防御まで完璧なんですね」
索敵。
制圧。
防御。
巨大な肉体そのものが、一つの要塞だった。
ハニエルは静かに息を吐く。
「なら――」
一気に加速する。
真正面からラファエルへ突撃した。
再び無数の純白の魔法陣が展開され、無数の魔法が連続で放たれる。
ハニエルは紙一重で潜り抜け、その勢いを一切落とさず肉薄した。
目前。
ハニエルは弓を両手で握る。
カチリ、と乾いた音が鳴る。
弓は中央から二つに分かれ、一瞬で双剣へと姿を変えた。
そのまま交差するように斬り込む。
巨大な翼が迎え撃つ。
激しい衝突音と共に火花が舞い、衝撃波が空を震わせる。
ハニエルは弾き返される。
しかし、その反動を利用して距離を取り、再び双剣を構え直した。
空では今なお、エレンとルシファーの剣閃が幾度も激突している。
どちらの戦場も、一瞬たりとも気を抜くことのできない死闘だった。
◆
空を裂く轟音が響く。
聖剣と黒い剣。
二つの剣が激しくぶつかり合い、凄まじい衝撃波が周囲へ広がった。
エレンは一歩も退かない。
聖剣が閃く。
その軌道を見切り、身体を紙一重で捻る。
剣先が頬を掠めそうになり、銀色の髪が数本宙へ舞った。
休む暇などない。
直後には二撃目。
三撃目。
怒涛の連撃が襲い掛かる。
エレンは受け流すことすらせず、最小限の動きだけで全てをかわしていく。
一度でも判断を誤れば終わる。
聖剣が身体をかすめた瞬間、この戦いは終わる。
極限の集中。
それだけが、エレンの命を繋いでいた。
ルシファーは無言のまま剣を振るう。
鋭さは変わらない。
速さも変わらない。
それでも、エレンは少しずつ、その剣筋へ順応し始めていた。
距離を取る。
ルシファーが迷いなく聖剣を振るう。
光の斬撃。
それと同時に、エレンは黒い剣を振り抜く。
その軌跡に沿って瘴気が凝縮し、漆黒の斬撃が創造された。
二つの斬撃が激突する。
轟音。
爆発。
空を揺るがす衝撃。
それでも最後に押し切るのは光だった。
僅かな差。
だが、その差は確実に存在する。
エレンは爆煙の中へ飛び込み、その勢いを利用して再びルシファーの懐へ迫る。
ルシファーの金色の瞳が僅かに細められた。
「……短時間で、私の斬撃への対抗手段を生み出したか」
黒い剣と聖剣が再び激突する。
金属音が響く。
ルシファーは静かに続けた。
「並の天使ならば、防ぐ術を見出す前に命を落としていた」
エレンは答えない。
視線を逸らすことなく、ただルシファーだけを見据える。
「だが、それでも届かない」
ルシファーは聖剣を振り抜いた。凄まじい剣圧が空を切り裂く。
エレンは紙一重で身をかわしながら、再び黒い剣を振るう。
攻防は終わらない。
互いに一瞬の隙すら見せないまま、空には無数の剣閃が描かれ続けた。
黒い剣と聖剣が激しくぶつかり合う。
轟音。
衝撃波が空を震わせる。
互いに距離を取った、その瞬間だった。
ルシファーの周囲へ、幾重もの純白の魔法陣が展開される。
一つ。
二つ。
十。
二十。
その数は瞬く間に増え続け、空一面を埋め尽くし、膨大な魔力が渦を巻く。
大気そのものが震え始める。
エレンは一瞬だけ空を見上げる。
だが、それもほんの一瞬。
すぐに視線をルシファーへ戻した。
今は、創造を途切れさせるわけにはいかない。
新たな魔法を詠唱したり、魔法を創造する余裕はない。
だから、攻撃は創造した銃器に任せる。
――ただ一つ。
ルシファーが放つ光の斬撃だけは別だった。
あれだけは、瘴気の斬撃を即座に創造して迎え撃たなければ防ぐことができない。
エレンの周囲に、何もない空間から数多の銃火器が姿を現した。
多銃身回転式機関銃。
突撃銃。
機関銃。
狙撃銃。
大型滑空砲。
多弾頭誘導弾。
超大型誘導弾。
数十を超える銃火器が空中へ並び、一斉にルシファーを照準へ捉える。
対するルシファーは静かに聖剣を構えた。
無数の魔法陣が眩く輝く。
次の瞬間、空を覆うほどのルシファーの魔法が解き放たれた。
轟音が響く。
エレンが創造した数多の銃火器が一斉に火を噴いた。
瘴気を纏った無数の銃弾。
瘴気を纏った無数の弾頭。
それらがルシファーの魔法と真正面から激突する。
爆発。
爆発。
さらに爆発。
白と黒の閃光が何度もぶつかり合い、凄まじい衝撃波が空を揺るがした。
その爆煙の向こうを、エレンは静かに見据える。
(多銃身回転式機関銃は効かない)
瘴気を纏わせた銃弾ですら、ルシファーには傷一つ付けられなかった。
だから、通常の銃撃は決定打にはならない。
(本命は――)
大型滑空砲から放たれた弾頭が、爆煙を切り裂いて一直線にルシファーへ迫る。
ルシファーは他の銃撃を一切気に留めない。
身体へ命中した銃弾は乾いた音を立て、次々と砕け散る。
ルシファーの魔法はなおも降り注ぐ。
その中で、ルシファーは聖剣を振るった。
光の斬撃。
エレンも即座に黒い剣を振り抜く。
その軌跡に沿って瘴気の斬撃が創造され、真正面から激突した。
轟音。
光と瘴気の斬撃が空中で爆発する。
わずかに押し勝った光の斬撃は、勢いを失いながらエレンの脇を通り過ぎた。
そして、その直後、大型滑空砲の弾頭がルシファーの視界へ飛び込む。
ルシファーの瞳が僅かに細められる。
聖剣が閃く。
一閃。
弾頭は真っ二つに裂かれ、そのまま空中で爆散した。
その光景を見たエレンの瞳に、確かな手応えが宿る。
(やっぱりだ。弾頭系だけは、必ず斬る)
聖剣が大型滑空砲や、多弾頭誘導弾、超大型誘導弾へ向けられた、そのほんの一瞬。
エレンは爆煙の中へ飛び込んだ。
爆煙を切り裂き、エレンが疾走する。
視界は白煙で閉ざされている。
だが、その位置は読めていた。
聖剣が大型滑空砲や、多弾頭誘導弾、超大型誘導弾を斬るために振り抜かれた瞬間。
その軌道。
その姿勢。
その一瞬だけ生まれる隙。
そこへ、エレンは踏み込む。
一歩。
二歩。
三歩。
距離を一気に詰める。
爆煙の向こうで、ルシファーがエレンを捉えた。
ルシファーは驚かない。
迎え撃つように聖剣を構え直す。
速い。
聖剣が大型滑空砲や、多弾頭誘導弾、超大型誘導弾を斬った直後とは思えないほどの速度で、聖剣が正面へ戻される。
(やっぱり速い)
だからこそ、この一瞬しかない。
エレンは黒い剣を振り抜いた。
漆黒の斬撃が空を裂く。
ルシファーも迷うことなく光の斬撃を放つ。
二つの斬撃が激突する。
爆発。
衝撃波が二人の髪を大きく揺らした。
その爆風すら利用し、エレンはさらに一歩踏み込む。
ついに両者の間合いは、剣一本。
至近距離での斬り合いが始まった。
◆
ハニエルの前に浮かぶのは、異形の天使。
巨大な球体の肉塊。
全身を埋め尽くす無数の眼。
幾枚もの羽を広げ、静かに空中へ浮遊している。
ラファエル。
無数の眼が一斉にハニエルを見据えた。
純白の魔法陣が幾重にも展開される。
(天使九階級のうち、上級の天使だけが扱える多数展開の魔法……やはり厄介ですね)
次の瞬間、無数の魔法が一斉に放たれた。
ハニエルは双剣を振るう。
一閃。
二閃。
三閃。
迫り来る魔法を斬り払いながら、一気に距離を詰める。
ラファエルは滑るように後退し、再び純白の魔法陣を展開した。
魔法。
剣。
魔法。
剣。
互いに一歩も譲らない攻防が続く。
(近付けば双剣……離れれば弓……攻守の切り替えも速いですね。ですが、それだけで私を倒せるとは思えません)
ハニエルは一度だけ後方へ飛び退いた。
(長引かせるわけにはいきません。エレンの援護へ向かわなければ。なら……)
双剣を交差させる。
カチリ。
二本の剣が噛み合い、一つの弓へと姿を変えた。
ラファエルの無数の眼が、一斉にその武器へ向けられる。
(武器が変形した……先程から思ってましたが……なんですか、あの武器は。なぜ、天使九階級最下位の天使が、あのような武器を……)
ハニエルは静かに弓を引く。
放たれた一矢。
ラファエルは身体を僅かに傾ける。
矢は肉塊を浅く掠め、そのまま後方へ抜けていった。
(浅い。その程度では戦況は変わりません)
一歩、退こうとする。
その瞬間だった。
身体が重い。
羽ばたこうとしても、魔力を巡らせようとしても、僅かに遅れる。
(違う……身体が、遅い……矢に特殊な効果が……?)
ハニエルは静かに前へ踏み出した。
眩い光が奔る。
無数の光の鎖がラファエルの巨体へ絡みつき、その動きを封じた。
(今度は鎖……!? そんな魔法、聞いたことがありません!)
ラファエルは咄嗟に純白の魔法陣を展開し、再び魔法を放とうとする。
だが。
遅い。
(双剣になる弓……動きを遅くする光の矢……見たことも、聞いたこともない光の鎖……なぜ、天使九階級最下位の天使が、あのような武器を扱えるのですか……なんなんですか、本当に!)
ハニエルは静かに弓を引き絞る。
「これで終わりです」
放たれた一矢は一直線に空を駆ける。
魔法が放たれる、その刹那。
ハニエルが放った光の矢はラファエルの中心を貫いた。
純白の魔法陣は音もなく崩れ去る。
無数の眼が静かに閉じられ、異形の天使はゆっくりと地上へ落ちていった。




