第二十二話 魔力流
ウリエルの声を合図に、集まった天使達が一斉にルビア達へ襲い掛かった。
「ハァァァッ!!」
ルビアは迷わず地面を蹴る。
赤い閃光が戦場を駆け抜けた。
「行きます!」
「オオォォッ!!」
魔獣達も咆哮を上げ、一斉に駆け出す。
ブラッド・モルフィンが空から急降下し、ヘル・タイガーが敵陣へ飛び込む。
ルナティック・ラビットが屋根を駆け、ダーク・タウラスが真正面から突破する。
ナイトメア・バッドは上空から敵の位置を叫び、デス・ホースは住民を守りながら戦場を駆け回った。
激戦だった。
天使が倒れる。
また別の天使が襲い掛かる。
その度にルビア達は剣を振るい、牙を振るい、街を守り続けた。
やがて――。
最後の一体が地面へ崩れ落ちる。
「ハァ……ハァ……」
ルビアは肩で息をする。
魔獣達も全身傷だらけだった。
誰も無傷ではない。
それでも、全員立っている。
その光景を、ウリエルは静かに眺めていた。
「ふふっ」
小さく笑う。
「ありがとう。今日は退屈せずに済みそう」
ゆっくりと歩き出す。
槍は肩へ担いだまま。
まるで散歩でもするかのような足取りだった。
「ここまで私の部下を倒した人間は、本当に久しぶり」
ルビアは剣を構え直す。
ウリエルはその姿を見て、さらに笑みを深めた。
「安心して。まだ殺さない。あなたの全部を見てから」
黄金の槍が静かに持ち上がる。その切っ先が、真っ直ぐルビアへ向けられた。
「さあ。始めましょう」
その瞬間だった。
地面が爆ぜる。
ルビアの瞳が見開かれた。
(速い――!)
姿が消えた。
そう思った次の瞬間。
ギィィィン!!
激しい金属音が戦場へ響き渡る。
咄嗟に構えた剣へ、黄金の槍が叩き付けられていた。
受け止めた。
そう思った刹那。
ウリエルが嬉しそうに笑う。
「へぇ。今のが見えるの」
槍がわずかに捻られる。
たったそれだけ。
ルビアの剣は容易く弾かれ、その身体が大きく吹き飛んだ。
瓦礫を砕きながら地面を転がる。
「ルビア!」
魔獣達が駆け出そうとする。
「動かないで」
ウリエルは振り返ることもなく告げた。
「今はこの子。邪魔をしたら、あなた達から殺す」
静かな口調だった。
怒鳴るでもなく、脅すでもない。
だからこそ、その場の誰もが足を止めた。
ルビアはゆっくりと立ち上がる。口元の血を拭い、剣を握り直した。
その姿を見て、ウリエルは満足そうに頷く。
「そう。その目。諦めない子、大好き」
ルビアは何も答えない。
そのまま地面を蹴った。
真正面からではない。
左右へ細かく軌道を変えながら、一気に間合いを詰める。
上段。
返す刃で横薙ぎ。
さらに踏み込み、下段から斬り上げる。
連続する剣閃。
だが。
カンッ。
ガギィン。
キィィン。
一本の槍が、その全てを受け流していく。
最小限の動きだけで。
一歩も退かず。
一切の無駄なく。
「いい。速くなってきた」
楽しそうだった。
まるで弟子の成長を喜ぶ師のように。
ルビアはさらに踏み込む。
(まだ……!)
剣へ力を込める。
その瞬間、剣先がほんの僅かにウリエルの頬を掠めた。
一筋の青い血が頬を伝う。
ルビアは目を見開いた。
(届いた……!)
ウリエルはゆっくりと頬へ触れる。
指先に付いた青い血を見つめる。
そして、小さく笑った。
「あはっ。そう……まだ強くなれる。あなた、まだ先があるのね」
嬉しそうに血を拭う。
「最高」
その笑顔は歓喜そのものだった。
怒りなど微塵もない。
槍を静かに構え直す。
「もっと強くなって。もっと私を楽しませて」
次の瞬間だった。
ウリエルの姿が、再び掻き消える。
「――っ!」
ギィィィン!!
辛うじて槍を受け止める。
しかし、その衝撃は先程とは比べものにならなかった。
腕が痺れる。
足元の石畳が砕け散る。
「ふふ。いい」
槍が踊る。
突き。
薙ぎ払い。
振り下ろし。
まるで一つの演舞だった。
流れるような連撃が、休むことなくルビアへ襲い掛かる。
ギィン!
ガンッ!
キィィン!!
受ける。
受ける。
受ける。
だが、防ぐだけで精一杯だった。
(速い……!いや……違う)
見えている。
槍の軌道は追えている。
どこへ来るかも分かる。
それなのに、剣が間に合わない。
「どうしたの?」
ウリエルは笑う。
「さっきまでの勢いは?」
槍がルビアの剣を弾き上げる。
がら空きになった胴へ、肘がめり込んだ。
「ぐっ……!」
身体が宙へ浮く。
そのまま地面へ叩き付けられた。
息が詰まる。
肺の中の空気が一気に押し出された。
それでも、ルビアはすぐに立ち上がる。
「……まだ、です」
「そう」
ウリエルは嬉しそうに頷いた。
「その顔、本当に好き」
ルビアは剣を構え直す。
額から汗が流れ落ちる。
腕は重い。
息も乱れている。
それでも視線だけは、決して逸らさなかった。
(何が違う?見えている。反応もできている。なのに……届かない)
剣の腕ではない。
速さでもない。
力でもない。
何か決定的に足りないものがある。
だが、それが分からない。
ウリエルは槍を肩へ担ぎ直し、優しく微笑んだ。
「考えて。もっと考えて。私は、あなたが答えに辿り着く瞬間を見たい」
そう言うと、再び静かに槍を構えた。
「さあ。続きをしましょう」
ルビアは地面を蹴った。
これまでで最も速く。
最も鋭く。
全身全霊の一撃だった。
「はあああぁっ!!」
剣が一直線にウリエルへ迫る。
しかし。
カンッ。
あまりにも軽い音だった。
ウリエルは槍をわずかに傾けただけで、その一撃を受け流していた。
「惜しい」
直後。
槍の石突がルビアの脇腹へ叩き込まれる。
「ぐっ……!」
身体が大きく吹き飛び、石畳を転がった。
それでも、止まらない。
立ち上がる。
息を整える暇もなく、再び駆け出した。
斬る。
踏み込む。
突く。
蹴る。
あらゆる攻撃を繰り出す。
だが、その全てが届かない。
ウリエルは最小限の動きだけで躱し、受け流し、いなしていく。
まるで子どもの成長を見守るように。
「そう。その調子。もっと見せて」
笑顔は変わらない。
楽しそうだった。
だが、その実力差だけは残酷だった。
ギィィン!!
槍が剣を大きく弾き飛ばす。
体勢が崩れる。
その隙を、ウリエルは見逃さない。
一歩。
静かに踏み込む。
次の瞬間、細い指が、ルビアの首を掴んでいた。
「……っ!」
そのまま軽々と持ち上げられる。
足が宙を蹴る。
呼吸が止まる。
剣を振ろうとしても届かない。
両手で腕を掴んでも、まるで岩のように動かなかった。
「苦しい?」
ウリエルは優しく問いかける。
「でも、大丈夫。まだ終わらせない」
ルビアの視界が揺れる。
息が吸えない。
力が入らない。
魔獣達は歯を食いしばりながら、その光景を見つめることしかできなかった。
飛び出せば、ウリエルは本当に全員を殺す。
それが分かっていたからだ。
ルビアの意識が少しずつ遠のいていく。
(このままじゃ……負ける。私は……)
ウリエルの細い指が、ゆっくりと首へ力を込める。
ルビアの身体から力が抜けていく。
手足は動かない。
意識も、徐々に遠のいていく。
ウリエルはその様子を静かに見つめていた。
「……なんだ。もう終わりなの?」
どこか寂しそうな声だった。
「残念ね。限界を迎えれば迎えるほど、その強さはもっと輝くと思っていたのに……本当に残念」
ゆっくりと目を細める。
「私は、その輝きを壊す瞬間が一番好きなの」
それでも、ルビアは何も反応しない。
身体は動かず、瞳からも力が失われていく。
ウリエルはしばらく黙って見つめていた。
やがて、小さく息をつく。
「……残念ね」
そう呟くと、静かに槍へ手を掛けた。
「これ以上ないのなら、ここで終わり」
黄金の槍がゆっくりと持ち上がる。
その切っ先が、ルビアへ向けられた。
その瞬間だった。
「オオォォォォッ!!」
ヘル・タイガーが咆哮を上げる。
続いて、ブラッド・モルフィン。
ダーク・タウラス。
ルナティック・ラビット。
デス・ホース。
そしてナイトメア・バッド。
六体の魔獣が、一斉にウリエルへ飛び掛かった。
その力の差は理解していた。
ウリエルがどれほど圧倒的な存在なのかも。
誰よりも分かっていた。
それでも、見捨てるという選択だけは、誰一人として選ばなかった。
ウリエルは小さく息をつく。
「仕方ないわね」
そう呟くと、ルビアの身体を無造作に放り投げた。
力なく宙を舞ったルビアは、数メートル先の地面へ叩き付けられる。
それでもウリエルの視線は、一瞬たりとも魔獣達から逸れない。
「ふふっ、いい子達。そういう子、嫌いじゃない」
黄金の槍が静かに構えられる。
「なら、あなた達から」
次の瞬間――。
黄金の槍が閃いた。
ギィィィン!!
轟音と共に衝撃波が戦場を駆け抜ける。
「ガァァッ!」
「ギャアァッ!」
ヘル・タイガーの巨体が吹き飛ぶ。
ブラッド・モルフィンは空中で体勢を崩し、地面へ叩き付けられた。
ルナティック・ラビットは建物を突き破り。
ダーク・タウラスは何度も地面を転がる。
デス・ホースは住民を庇いながら倒れ込み。
最後にナイトメア・バッドが空中から墜落した。
たった一撃。
それだけで、六体全てが戦闘不能になった。
「これで邪魔者はいない」
ウリエルは静かにルビアへ視線を戻す。
ルビアは地面へ倒れたまま、指一本動かない。
呼吸も浅い。
意識は、闇へと沈み始めていた。
周囲の音が遠ざかる。
視界も霞む。
もう何も聞こえない。
何も見えない。
意識が、深い闇へ沈んでいく。
(ああ……私……死ぬんですね)
身体の感覚が遠ざかっていく。
痛みさえ薄れていく。
もう立ち上がる力は残っていなかった。
その時だった。
(アキラメルナ)
声が聞こえた。
低く、力強い声。
(マダ、終ワッテイナイ)
(……え?)
薄れていた意識が少しだけ戻る。
視線を動かす。
そこには、満身創痍になりながらも、なお立ち上がろうとする魔獣達の姿があった。
翼は傷付き、身体は血に染まり、それでも誰一人として逃げようとはしない。
ウリエルだけを見つめている。
(皆さん……)
その時、再び声が響く。
(オレ達ハ、オ前ヲ信ジテイル)
ナイトメア・バッドだった。
超音波で直接、脳へ語り掛けている。
(でも……私には、もう戦う力がありません)
一瞬の沈黙。
そして。
(ナラバ、強クナレ)
その一言だけだった。
(強く……どうやって……?)
(考エロ。答エハ、オ前ノ中二アル)
その言葉が、ルビアの心へ静かに落ちる。
(今の……私)
考える。
今までの戦い。
エレン。
レイコ。
自分。
そして、魔法が使えない自分。
(……待って)
そこで、ある言葉を思い出した。
レイコが何気なく話していた知識。
『魔法が使えなくても、人間には誰でも魔力が流れているの』
(魔力は……ある。でも、私は魔法を使えない。だったら、魔法じゃなくて……魔力、そのものを……)
鼓動が一つ鳴る。
(流れている。身体の中を……魔力が流れている)
その瞬間だった。
ルビアは初めて、自分の身体の奥底に流れる”何か”を感じた。
温かく。
静かで。
確かに存在する力。
(これ……これが、私の魔力?)
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
ルビアの口元が動く。
「……感じました」
ルビアはゆっくりと目を閉じた。
周囲では、なおも魔獣達がウリエルへ立ち向かっている。
その音さえ、今は遠く聞こえる。
(強く……なる。どうすれば……)
その時だった。
幼い頃の記憶が、不意によみがえる。
まだ幼かった頃。
父の執務室の前を通りかかった時のことだ。
中では父と騎士達が何かを話していた。
『──魔力流』
その言葉だけは、何故か今でも覚えている。
意味は分からなかった。
当時のルビアには興味もなかった。
ただ、不思議とその言葉だけが記憶の片隅に残っていた。
それから数年後。
剣の修行で旅をしていたある日。
立ち寄った街の図書館で、その言葉を思い出したルビアは、何気なく魔力流について書かれた書物を手に取ったことがあった。
そこには、
『魔力流とは、体内を流れる魔力の流れに寄り添い、魔力によって身体を動かす技術である』
そう記されていた。
しかし、その頃のルビアには意味が理解できなかった。
結局、書物を閉じ、そのまま忘れてしまった。
(魔力流……)
その言葉に続くように、今度はレイコの声が脳裏に響く。
『魔法が使えなくても、人間には誰でも魔力が流れているの。もちろん量には個人差があるけれど、まったく持っていない人はいないわ』
その二つの記憶が、一つに繋がる。
(……そうか。魔法じゃない。魔力、そのもの)
ルビアは静かに自分へ意識を向ける。
鼓動。
呼吸。
血液。
そして、それとは違う、もう一つの流れ。
身体の奥底を巡る、温かな力。
(これが……)
初めて感じた。
確かに、自分の中を流れている。
魔力。
誰にでも存在するとレイコが言っていた力。
(感じる。流れている。だったら……)
ルビアは、自らの体内を流れる魔力へ静かに意識を向ける。
流れを止めるのではない。
逆らうのでもない。
ただ、流れに寄り添う。
すると、全身へ、じんわりと熱が広がっていく。
重かった腕が、ほんの少し軽くなる。
震えていた脚へ、力が戻る。
鼓動が力強く脈打った。
(これが……)
傷は治っていない。
疲労も消えていない。
それでも、身体の芯から、力が湧き上がってくる。
血液ではない。
鼓動でもない。
もう一つの”流れ”。
確かにそこに存在していた。
今まで誰も気付かなかった。
いや。
気付けなかった。
魔法を扱う者は魔法を磨き続けた。
魔法を扱えない者は、自らを才能が無いと諦めた。
誰も。
誰一人として。
体内を巡る魔力そのものへ意識を向けることはなかった。
だからこそ。
今、この瞬間。
誰も到達したことのない領域へ、一人の少女が足を踏み入れる。
魔法ではない。
剣術でもない。
第三の力。
魔力を、自らの肉体へ巡らせる技法。
ルビアはゆっくりと立ち上がる。
剣を握り直す。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「なるほど……」
小さく息を吐く。
「これが――」
――魔力流。
◆
ルビアはゆっくりと瞼を開いた。
視界は澄んでいた。
身体中に残る傷は消えていない。
疲労もそのまま。
それでも、先程まで鉛のように重かった身体が、不思議なほど自然に動く。
まるで身体そのものが、自分の意思に応えてくれているようだった。
ルビアは静かに立ち上がる。
剣を握る。
深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
その一連の動作には、先程まであった無駄な力みが一切なかった。
「……なるほど」
ルビアは小さく呟く。
「これが……魔力流」
その声は驚くほど落ち着いていた。
魔獣達も思わずルビアを見つめる。
「ルビア……?」
ヘル・タイガーが小さく呟く。
どこか違う。
何が違うのか説明はできない。
だが、先程までのルビアとは明らかに空気が変わっていた。
一方。
ウリエルも歩みを止める。
口元から笑みが消えた。
「……」
静かにルビアを見つめる。
傷はそのまま。
魔力が溢れているようにも見えない。
何も変わっていない。
それなのに、本能だけが警鐘を鳴らしていた。
(……何?)
ほんの僅か。
ほんの僅かだけ。
目の前の少女が先程までとは別人に見える。
ウリエルは槍を構え直した。
「あなた……」
静かな声で問い掛ける。
「何をしたの?」
ルビアはウリエルを見据える。
「大した事ではありません」
赤い髪が風に揺れる。
「ただ……少しだけ、自分の身体の使い方が分かっただけです」
ウリエルは目を細める。
そして、口元がゆっくりと吊り上がった。
「……そう。なら、その答えが本物かどうか……」
槍を構える。
「私が確かめてあげる」
ルビアも静かに剣を構えた。
もう焦りはない。
恐怖もない。
その瞳には、ただ目の前の敵だけが映っていた。
次の瞬間、ウリエルが地面を蹴った。
空気が弾ける。
槍の切っ先が一直線にルビアの喉元へ迫る。
先程までなら、見えていたのに剣が間に合わなかった一撃。
だが今は違う。
(間に合う)
ルビアの身体が自然に動いた。
最小限の動きで槍をかわし、その勢いを殺さぬまま一歩踏み込む。
「ッ!」
剣が閃く。
ギィンッ!!
初めて。
初めてウリエルは槍を大きく動かしてその斬撃を受け止めた。
そのまま二人はすれ違う。
静寂。
互いに背を向けたまま立ち止まる。
ウリエルはゆっくりと振り返った。
その瞳には、先程までなかった色が宿っていた。
「……驚いた」
槍を構え直す。
「今の一撃。もう少し反応が遅ければ、当たっていたわ」
ルビアは静かに剣を下ろす。
「私も驚いています。こんなにも身体が軽いなんて」
呼吸。
鼓動。
そして魔力。
足の裏から指先まで、全てが繋がっている感覚。
身体の隅々まで魔力が巡り、自分の意思に応えてくれる。
(これが……魔力流)
ルビアは自然と口元を緩めた。
その笑みには、もう焦りはない。
追い詰められた者の笑みでもない。
勝機を見つけた者だけが浮かべる笑みだった。
その表情を見た瞬間、ウリエルは思わず目を細める。
「……その顔」
思わず笑みが零れる。
「ふふっ。面白いじゃない」
ルビアは剣を肩へ担ぎ、静かに答えた。
「ありがとうございます。おかげで、大切なことを思い出せました」
そう言って顔を上げる。
赤い髪が風になびく。
「さあ」
ルビアは剣を構える。
「続きを始めましょうか」
その一言に、ウリエルは心の底から楽しそうに笑った。
「あははっ……! あははははっ!!そうね……」
槍を構え直す。
「ここからが、本当の戦いよ」
◆
ルビアの姿が消える。
いや。
消えたように見えた。
次の瞬間には、ウリエルの目前まで踏み込んでいる。
「速い」
ウリエルは初めて驚きを口にした。
槍を横へ薙ぐ。
だが、ルビアは最小限の動きだけでその軌道を外れる。
まるで未来が見えているかのように。
「ハァッ!」
剣が閃く。
ガキィン!!
ウリエルは辛うじて槍で受け止める。
重い衝撃が腕へ伝わる。
(力まで……)
違う。
筋力が上がったわけではない。
無駄な力が一切なくなっている。
だから剣速も踏み込みも、一段上の領域へ達していた。
ルビアは止まらない。
一撃。
二撃。
三撃。
赤い軌跡が幾重にも交差する。
その全てを受け切りながら、ウリエルは思わず笑みを深くした。
「ふふっ。いいじゃない」
槍を回転させ、一気に間合いを切る。
距離が開く。
しかし、ルビアは追わない。
静かに剣を構えたまま、呼吸だけを整えていた。
その姿を見て、ウリエルは眉を僅かに上げる。
(さっきまでなら、勢いのまま追ってきた。でも今は違う)
戦い方まで変わっている。
力だけではない。
思考まで研ぎ澄まされている。
「なるほど」
ウリエルは楽しそうに笑う。
「それが、あなたの答えなのね」
ルビアは静かに頷いた。
「ええ。まだ完成ではありません。でも……」
赤い瞳が真っ直ぐウリエルを捉える。
「あなたに教えてもらいました。強くなるとは、どういうことなのか」
その言葉を聞いて、ウリエルは一瞬だけ目を見開き、そして心の底から笑った。
「あははははっ!最高じゃない!」
ウリエルは槍を握り直した。
その表情から笑みは消えていない。
だが、その瞳には先程までとは違う真剣さが宿っていた。
「もう一度」
静かに呟く。
「確かめさせてもらうわ」
次の瞬間、二人は同時に地面を蹴った。
轟音。
剣と槍が激突する。
ガァァン!!
火花が散る。
そのまま二人は幾度も武器を交える。
一撃。
二撃。
三撃。
先程まで一方的だった攻防は、いつの間にか互角の読み合いへ変わっていた。
「……!」
ウリエルは僅かに目を見開く。
(全部、読まれている)
違う。
技術ではない。
ルビアは自分の動きそのものを感じ取っている。
踏み込み。
重心。
筋肉の動き。
その全てを一瞬で察知し、最適な動きを選んでいる。
「面白い……!」
ウリエルは思わず笑みを深くする。
槍の速度をさらに上げる。
しかし、ルビアも迷わず踏み込む。
最小限の動きで槍をかわし、その懐へ滑り込む。
「そこです!」
剣が閃く。
ギィン!!
ウリエルは咄嗟に槍の柄で受ける。
だが、衝撃で数歩後退した。
ウリエルが、押された。
ほんの数歩。
それだけ。
それだけだった。
しかし、それは先程まででは考えられない出来事だった。
ウリエルはゆっくりと足元を見る。
石畳には、自分が下がった跡が残っている。
そして、ふっと顔を上げると。
「あはは……」
笑う。
「あははははっ!!」
心の底から嬉しそうに。
「最高じゃない!」
槍を構え直す。
「その顔。その剣。その成長。全部、私が見たかったものよ」
ルビアは静かに剣を構える。
「……まだ勝っていません」
「ええ」
ウリエルは頷く。
「だから、ここから本気で殺しにいくわ」
その一言で、戦場の空気が一変した。
◆
ウリエルの笑みが消える。
槍を握る指先へ、ゆっくりと力が込められた。
「……ここからは」
静かな声。
「手加減はしない」
その一言だけで、空気が変わる。
周囲の魔獣達は思わず息を呑んだ。
先程まで楽しそうだった笑顔が消えた。
今、目の前に立っているのは、紛れもない”戦士”だった。
ルビアは剣を握り直す。
魔力流は身体へ馴染み始めている。
だが。
(まだ完全じゃない)
流れを感じ取れる。
操ることもできる。
しかし無意識では扱えない。
一瞬でも集中を切らせば、この力は乱れてしまう。
(なら、集中し続けるだけ)
ルビアは静かに息を吸う。
呼吸に合わせて魔力が巡る。
身体の隅々まで。
一本の川のように。
淀みなく。
「行くわ」
ウリエルが地面を蹴る。
今までとは比べ物にならない。
音より早く。
槍がルビアの目前へ現れる。
だが、ルビアは目を閉じた。
見ない。
感じる。
身体を流れる魔力。
相手から伝わる殺気。
空気の揺らぎ。
全てが一本の流れになって伝わってくる。
(そこ)
身体が自然に動いた。
紙一重。
槍が頬を掠める。
赤い髪が数本宙を舞う。
そのまま懐へ潜り込む。
「ッ!」
剣が閃く。
ガァン!!
ウリエルは咄嗟に槍を返す。
今度は受け止めた。
しかし、衝撃で大きく後退する。
「……!」
着地したウリエルは、初めて笑わなかった。
静かにルビアを見る。
「今の……偶然じゃないわね」
ルビアは剣を下ろさない。
「はい」
短く答える。
「もう、見えてきました。あなたの動きが」
一瞬、沈黙が流れる。
そして、ウリエルは小さく息を吐いた。
「……そう」
口元がゆっくりと緩む。
だが、それは先程までの楽しげな笑みではない。
どこか嬉しそうで、どこか寂しそうだった。
「人間は、本当に、面白いわね」
再び剣と槍が激突する。
轟音。
火花。
二人の姿が何度も交差し、その度に石畳が砕け散る。
先程までとは違う。
今はウリエルも、一切手を抜いていなかった。
それでも、ルビアの剣は確実に届き始めていた。
頬を掠める。
肩を裂く。
衣服を切り裂く。
致命傷には届かない。
だが、一撃ごとに距離は縮まっていく。
ウリエルは大きく後方へ飛び退いた。
槍を構えたまま、静かにルビアを見る。
「……十分ね」
ルビアも追撃はしない。
静かに剣を構えたまま、その言葉を待った。
ウリエルはふっと笑う。
「このまま続ければ、勝つのは私でしょう」
その言葉に嘘はない。
ルビア自身も理解していた。魔力流を覚えたとはいえ、体力は限界だ。長期戦になれば先に倒れるのは自分だろう。
しかし、ウリエルは続けた。
「でも、今日は、ここまでにしておくわ」
翼を大きく広げる。
「……どういうつもりですか」
ルビアが問い掛ける。ウリエルは肩を竦め、小さく笑った。
「あなたを殺すことは、いつでもできる。でも……」
赤い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「今のあなたを殺してしまうには、少し惜しくなった」
一拍置く。
「もっと強くなりなさい。もっと私を楽しませて」
そう言って笑う。
その笑みは、美しく。
どこか狂気を孕んでいた。
「次に会う時……今度こそ、本気で殺してあげる」
その言葉だけを残し、ウリエルは翼を羽ばたかせる。
白い羽根が舞う。
その姿は、あっという間に空の彼方へ消えていった。
◆
静寂。
しばらく誰も動かなかった。
ルビアは空を見上げたまま、小さく息を吐く。
残るのは、崩れた街並みと戦いの跡だけだった。
剣を下ろした、その瞬間。
「っ……」
張り詰めていた緊張が一気に解ける。
全身から一気に力が抜ける。
膝から力が抜け、その場へ座り込んだ。
「ルビア!」
魔獣達が一斉に駆け寄ってくる。
ヘル・タイガーが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫カ?」
そう言ったものの、その声には疲労が滲んでいた。
「はい……少し、魔力を使い過ぎたみたいです」
身体は鉛のように重い。
魔力流を使った反動なのだろう。
指先一本動かすだけでも力がいる。
それでも、心だけは、不思議なくらい軽かった。
すると、ヘル・タイガーが静かに口を開く。
「……ヨク頑張ッタ」
その一言だった。
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが音を立てて切れた。
「……っ」
涙が溢れる。止めようとしても止まらない。
「怖かった……本当に……怖かったです……」
ルビアは子供のように泣き続けた。
魔獣達は何も言わない。
ただ、静かに彼女の側にいてくれた。
それだけで十分だった。
しばらくして涙が止まる。
ルビアは袖で目元を拭くと、小さく笑った。
「ありがとうございます。皆さんがいてくれたから、私は諦めずに済みました」
魔獣達は誇らしげに頷く。
「オ前ガ諦メナカッタカラダ」
その言葉に、ルビアはもう一度笑った。
そして、空を見上げる。
(エレンさん……)
一瞬そう思う。
だが、すぐに別の人物の顔が浮かんだ。
(レイコさん)
今もどこかで戦っているはずだ。
自分が立ち止まっている暇はない。
ルビアは深く息を吸うと、ゆっくり立ち上がった。
まだ身体は重い。
それでも、一歩ずつ前へ進む。
「行きましょう」
その言葉に魔獣達も頷く。
「オウ!」
天使達に半壊させられたノアの街を、ルビア達は再び歩き始めた。




