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明日の新聞  作者: ぽむぽむ


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第4章 共通点

縮刷版の紙は、指に細かな粉を残した。3年前の10月。亮は自分の署名を見つけるたび、ページをめくる手を止めた。記事は思っていたより短かった。あれだけ長く人を苦しめた文章が、紙面の中では、たった数段に収まっている。

施設長が改ざんを指示したとみられる。

関係者によると。

捜査関係者への取材でわかった。

亮は主語に線を引いた。誰が見たのか。誰が言ったのか。誰が確かめたのか。書いたときには10分だと思った言葉が、いまは、名前を隠すための壁に見えた。

ノートには葛西の言葉が残っていた。〈印鑑は事務室でも管理している〉。その下に、亮が走り書きした〈責任逃れか〉の四文字。ひとつの発言から疑いを作るのは簡単だ。いま読み返すと、疑いを作るために発言を聞いていたことがわかる。

亮はその5文字を長いあいだ見ていた。

発言を聞く前から、答えを決めていたのだ。資料に押印がある。だから施設長が命じた。否定する。だから責任を逃れようとしている。どちらへ動いても、葛西が悪いという結論へ戻る道しか作っていなかった。

書庫の外で電話が鳴った。誰かが笑い、コピー機が動いた。新聞社の午前は、3年前とほとんど同じ音を立てていた。

亮はあのときの自分を、特別に残酷な記者だったと思いたかった。そうであれば、いまの自分とは違うと言える。けれど、ノートに残っている字は、現在の自分の字と少しも変わらなかった。

*

3年前のことだった。

報道陣のカメラ。門から出てきた施設長・葛西誠一(52)を記者たちが取り囲む。

人垣の外で、若い亮(35)が待っている。

記者たちが去った後、葛西が亮の前に立つ。疲れ切った顔。だが、目だけはまっすぐだ。

「北陵日報の、真柴さんですね」

「明日の朝刊に、記事が出ます。施設長のコメントをいただけますか」と亮が言った。

「一つだけ、お願いがあります。書く前に、もう一度だけ、私の話を聞いてくれませんか」

「資料は揃っています。施設長の押印がある指示書も」

「あの印鑑は……いや」

葛西、言葉を飲み込む。

「真柴さん。あなたは、何もわかっていない。わかっていないまま書いたら、本当に悪い人間が笑います」

「……記事は、明日出ます」

葛西、静かに目を閉じる。

「そうですか。……あなたも、仕事ですものね」

葛西、一礼して去っていく。

その背中を、亮は追わなかった。

*

施設の門を離れたあと、葛西は事務室へ戻った。机には翌月の勤務希望表があった。小さな丸印のそばに、子どもの発表会、通院、母の介護、と書き込まれている。事件の始まりとされる場所に、まず誰かの明日が並んでいた。

葛西はその丸を見ていた。どの希望も、できるだけ通したかった。だが、誰かの休みを通せば、別の誰かへ頼まなければならない。最後は自分が残る。そのやり方を続けたせいで、足りない人数が、足りないままでも回ることになった。

机の電話が鳴った。家族からだった。母の様子を聞きたい。葛西は記録を確かめ、担当の職員へつないだ。自分が新聞に何と書かれるかより、いま聞かれていることへ答える必要があった。

沢渡が入ってきた。門の外の様子を見たのだろう。大変ですね、と言った。

「記者へ、何を渡したんですか」

葛西が尋ねると、沢渡は肩をすくめた。

「事実を説明しただけです」

「私が指示したという書類は、どこから出たんです」

「印鑑は、あなたのものでしょう」

葛西は机の引き出しを見た。印鑑は鍵のかかる場所に置くよう、何度も言われていた。だが、日々の書類が多く、事務室でも扱っていた。管理が甘かった。その事実を、沢渡は使っている。

「人を減らしたのは、法人の判断です」

「施設長として、止めることはできなかったんですか」

沢渡は尋ねた。責めるというより、相談するような声だった。

葛西は答えなかった。止めようとした。だが、止められなかった。だから責任がないとは言えない。そこへ、していない指示まで重ねられようとしている。

「全部、私のせいにするんですね」

「全部とは言っていません。ですが、現場の責任者は、あなたです」

沢渡は勤務希望の紙を見た。

「職員の生活も、守らないといけませんよ。施設がなくなれば、困る人がいる」

葛西は紙を自分のほうへ引き寄せた。職員を守るという言葉で、職員のいない夜を受け入れさせられた。入所者の居場所を守るという言葉で、危険を外へ言うのをためらった。守るべきものが多いほど、動けなくなるようにできていた。

沢渡が去ったあと、葛西は日誌を開いた。今日のことを書いた。自分が記者へ何を言い、記者が何と答えたか。怒りをそのまま書くと、あとで読んだ人が事実と気持ちを分けられなくなる。だから、言葉を確かめながら書いた。

帰宅したのは遅かった。典子は夕飯を温め直した。葛西は、先に食べていてよかったのにと言った。典子は、食べた、と答えた。自分の皿は、もう洗ってあった。

「湊は」

「部屋。明日、早いって」

葛西はうなずいた。息子の仕事のことを聞こうと思いながら、いつも自分の仕事の話になる。今夜は何も話したくなかった。

典子は食卓に座った。

「新聞の人が来たの」

葛西は箸を止めた。

「家にも?」

「電話。あなたが帰ったら話したいって」

葛西はすまない、と言った。典子は、私に謝るより、何が起きているか話して、と答えた。

葛西は少しずつ話した。人が足りないこと。記録が直されていること。自分の名前で指示したことになっていること。典子は途中で口を挟まなかった。聞き終えてから、あなたがしたことはどこまで、と尋ねた。

葛西はようやく息ができた気がした。信じていると言われるより、あなたは何をしたの、と聞かれるほうが答えられる。妻は彼を裁かず、かばうために嘘もつかなかった。

「人を減らすのを、止められなかった。自分が残ればいいと思った」

「それは、書類を直せと言ったこととは違うでしょう」

「違う」

「じゃあ、違うと話し続けて」

典子はそう言った。

廊下で物音がした。湊が台所へ来て、水を飲んだ。父の顔を見て、何かあった、と尋ねた。葛西は、仕事で少し、と答えた。典子が夫を見た。葛西は視線を下げた。

家族へ心配をかけたくない。その言葉で、自分が助けを求めることまで止めていた。湊が部屋へ戻ったあと、葛西は明日、話すと言った。

典子は、明日ね、と答えた。

「明日ね」。典子はそう答えた。その約束が果たされなかったことを、典子は長いあいだ自分のせいにした。約束を交わした夜の箸の位置まで、覚えていた。

*

現在の真柴家の台所に、時間が戻った。

亮はスマホを耳に当てている。呼び出し音。

留守番電話に切り替わる。

「真柴です。今夜9時半、北陵川の河川敷に行かないでください。お願いします」

亮はもう一度かける。繋がらない。

*

県警本部の正面玄関。

出勤してきた桐生を、亮が待ち構えている。

「留守電、聞きましたか」と亮が言った。

「聞いた。次は俺か」

亮は紙を差し出す。桐生は、読んで、鼻で笑う。

「よくできてる。だがな、真柴。脅迫状ってのは、普通こういう形で来るもんだ」

「俺が作ったと?」

「お前じゃなきゃ、お前の周りの誰かだ。3件続けて現場にいた男が、今度は刑事の死を予告してきた。俺の立場なら、どう考える」と桐生が言った。

「……行かないでください。それだけでいい」

「俺は毎晩、あの河川敷を歩いて帰るんだ。10年な」

桐生は亮の横をすり抜けて庁舎に入っていく。

*

北陵日報の資料室。

埃の積もった資料室で、亮は三年前の縮刷版を広げた。冊子の背がぎしりと鳴り、頁の端から小さな紙粉が落ちる。

自分が書いた一連の記事。第一報。続報。施設長の死。

亮は赤ペンを手に、記事を一行ずつ追っていく。

死亡した入所者のうち一人は、北陵市内の水野ハルさん(当時81)……

亮の手が止まる。

「水野……」

紗季の祖母。

三人の死亡診断書には、いずれも嘱託医が「誤嚥性肺炎」と記載……

「嘱託医……堀田正臣」と亮が言った。

法人関係者によると、夜勤体制の記録は施設長の指示で書き換えられていた……

「法人関係者……経理の、柏木奈緒」

続報。施設長の死亡記事。

葛西施設長は東町踏切で列車にはねられ死亡。県警は自殺とみて捜査を終結した。捜査一課の担当者は……

亮はその名前を指でなぞる。

「……桐生、透」

亮は縮刷版を見下ろしたまま動けない。

水野紗季。堀田正臣。柏木奈緒。桐生透。

全員が、3年前に自分が書いた記事の中にいる。

全員が、あの記事の中にいた。偶然という名の逃げ道は、四人目の名前を見つけた瞬間に塞がった。

*

亮は記事の前後に載った小さな続報も読み返した。目立つ不正の記事を追うあいだ、閉鎖された施設からどこへ移されたか、誰が退職したか、といった暮らしの変化を欄外へ押し出していたことに気づいた。

説明会の記事には、家族から不安の声、とあった。誰が、何を不安に思ったのかは書かれていない。亮は当時の取材メモを探した。別の記者が書いたものだった。連絡すると、その記者は、いまは別の部署にいると言った。

「覚えてますか。家族の説明会」

「細かくは。あのころ、毎日だったから」

亮はわかりますと答えそうになった。毎日だったから、覚えていない。記者にとってはそうでも、家族には、一度しかない日だった。

相手は古いノートを探してくれた。夕方、折り返しが来た。

「家族の人が、施設長の説明を聞きたいって言ってる。法人の説明じゃなくて、本人のって」

亮はペンを握り直した。

「記事には、なぜ入ってないんですか」

「字数かな。施設長の責任を追及する声もあったから、まとめたんだと思う」

〈不安の声〉。責任追及と説明を求める声。向きの違う言葉を一つにまとめたのは、紙幅を守るためだった。削られたのは文字だけではない。質問の行き先まで削られていた。

亮はノートの写しを見せてもらえるか尋ねた。相手は、会社の保管の扱いを確認すると答えた。亮は待った。急がせれば、また、必要な手順を飛ばす理由を自分で作る。

資料室の窓には、細かな埃がついていた。向こうの通りを、人が歩いている。3年前の記事は、棚の中では動かない。だが、その記事を読んだ人の暮らしは、3年間、止まらなかった。

亮は葛西の死後の記事を開いた。施設長死亡、事件との関連を捜査。自分の署名はなかった。だが、署名がないから自分の仕事ではないとは言えなかった。最初の記事が、その後の読み方を決めていた。

携帯電話が鳴った。古いノートを探してくれた記者からだった。

「真柴。俺も、確認に加わっていいか」

亮は少し驚いた。

「いいんですか」

「俺が聞いて、書かなかった言葉があるんだろ。だったら、他人の話じゃない」

亮は礼を言った。自分一人が罪を引き受ければ、すべてが済むわけではない。誰が何をしたかを、一人ずつ確かめる必要があった。

*

北陵日報の資料室の前の廊下。

亮が資料室を出ると、制服姿の少女が立っている。水野紗季。

「……やっと見つけた。受付で聞いたら、ここだって」

「水野さん。学校は」と亮が言った。

「サボった。……この前は、ありがとうございました」

紗季はぺこりと頭を下げる。そしてスマホを差し出す。

「警察には、まだうまく話せていないことがあるんです。あの『ゆりかご』ってアカウント、最初に私に話しかけてきたのは、私がこれを投稿した次の日だった」

画面には、紗季が一か月前に投稿した短い動画。

古いスマホの画面を撮影したもの。そこから、かすれた老女の声が流れる。

「……紗季ちゃん。夜はね、だあれも来ないの。ナースコール押してもね、来ないの。人が足りないんだって。理事長さんがそう決めたんだって。……葛西さんだけ。葛西さんだけが、夜中にね、来てくれるの……」

亮は凍りつく。

「おばあちゃんの、最後の留守電です。久我って人が知事選に出るってニュースを見て、悔しくて、投稿したんです。『おばあちゃんは、施設に殺された』って」

「……葛西さんだけが、来てくれた」と亮が言った。

「施設長さんって、悪い人だったんでしょう? 新聞にそう書いてあったって、ママが」

亮は答えられない。

「水野さん。元の動画は消さずに保存しておいてくれ。公開を続けるかは、お母さんと警察にも相談しよう。それから、しばらく一人で出歩かないでくれ」

「……おじさん、顔、真っ青だよ」

*

北陵総合病院のICU前。

美咲が通りかかると、スーツ姿の男が、ICUのガラス越しに柏木を見つめている。

「ご家族の方ですか」と美咲が言った。

「……ええ。遠い親戚で。容体は」

「申し訳ありません、ご家族以外には」

「そうですか」

男は、穏やかに微笑んで一礼し、去っていく。

美咲はその背中に違和感を覚える。上着の襟に、小さな議員バッジのような金色の何か。

*

宮内は3年前の記録を読み返す仕事が嫌だった。終わった事件を掘り返すからではない。そこに、若いころの自分の字があるからだった。

当時、宮内は捜査一課に来たばかりだった。現場で何を見ればよいか、報告書に何を残せばよいか、先輩のやり方を真似して覚えた。葛西の件では、聞き込みの記録をまとめた。近隣の住民は、大きな音で目を覚ましたと言った。車を見た人もいたが、色も車種も曖昧だった。

宮内はその曖昧さを、重要度の低い情報だと判断した。記録には残した。だが、桐生へ口頭で報告するとき、車の話は最後にした。

自殺として処理されたあと、宮内は判断がついたのだと思った。自分が判断したのではない。だから自分の責任ではない。そう考えたことを、いま思い出した。

桐生は机の向かいで、当時の現場の見取り図を広げていた。

「ここ、車が止まってたって話、覚えてるか」

宮内はうなずいた。

「覚えてます。確認できなかったので」

「確認できなかったことと、なかったことは違う」

桐生の声は低かった。宮内を責めているのか、自分へ言っているのか、わからなかった。

「桐生さんも、当時、そう言ってくれれば」

口に出してから、宮内はしまったと思った。桐生は顔を上げた。

「そうだな」

それだけだった。

宮内はかえって、言葉を失った。怒られれば、若かったからと言い訳ができた。認められると、自分のしたことが、そのまま残った。

「俺も、もっと強く言うべきだった。上に止められた、で終わらせた」

桐生は見取り図を畳まなかった。

「いま、お前に同じことをさせる気はない。だが、俺が言ったから正しいと思うな。おかしいと思ったら、俺にも言え」

宮内ははい、と答えた。いつもの返事より、少し時間がかかった。

記録をめくると、遺族への説明の欄があった。家族は強い動揺を示した。短い1文だった。その下には、説明した警察官の名前がある。宮内の名前もあった。

強い動揺。便利な言葉だと思った。何を言われたか、どんなふうに否定されたか、何も残さずに済む。

宮内は当時の手帳を探すことにした。公的な記録に移す前の、走り書きが残っているかもしれない。机の奥から取り出した古い手帳は、輪ゴムで留めてあった。開くと、遺族の言葉があった。

明日、県へ行くと言っていた。

宮内はその一行を見た。自殺と考える材料にならない言葉だった。だから報告書には、家族は納得していない、という形でまとめた。

言葉をまとめることで、消したものがあった。

宮内は手帳を桐生の前へ置いた。

「これ、記録に追加します。俺が当時、こう聞いていたことも」

桐生は読んだ。長いあいだ、何も言わなかった。

「原本は、そのまま保全しろ」

宮内はうなずいた。新しい手帳に、古い手帳を見つけた日付と時刻を書いた。3年前の失敗を、いま見つけた証拠のように扱って、自分を手柄の側へ移してはいけない。これは、残すべきものを残さなかった記録でもあった。

*

県警本部の捜査一課。

桐生は亮の紙を机に広げて睨んでいる。

「桐生さん、今日は車で送りますよ」と宮内が言った。

「いらん。俺は歩いて帰る」

「なんでそこまで」

「本当に俺が狙われてるなら、犯人の顔が拝める。真柴が仕組んでるなら、真柴が現れる。どっちにしても、答えが出る」

*

午後9時25分。北陵川の河川敷の市道。

街灯がまばらな川沿いの道。桐生が一人で歩いている。

少し離れた土手の上に、亮が身を潜めている。

午後9時29分。

桐生の背後、遠くで車のエンジンがかかる。

ライトを消したワゴン車が、ゆっくりと動き出す。

次の瞬間、急加速。

「桐生さん!」と亮が言った。

亮は土手を駆け降りる。

桐生が振り返る。ワゴン車が目前に迫る。

亮は桐生の体に横から飛びつく。二人は、道路脇の草むらに転がり込む。

ワゴン車のサイドミラーが亮の左腕をかすめ、鈍い音。

ワゴン車は止まらずに走り去る。

桐生は跳ね起きて、テールを睨む。

「……『北陵 500 ろ 38』……下2桁しか見えねえ」

亮は左腕を押さえてうずくまっている。

「真柴!」

「……大丈夫です。たぶん、折れてはいない」

*

北陵川の橋の下。

コンクリートの橋脚にもたれて座る二人。

桐生は自分のネクタイで亮の腕を固定してやる。

「……悪かったな。疑って」と桐生が言った。

「俺だって、自分を疑ってました」

長い沈黙。川の音。

「3年前、葛西誠一の件は、俺の担当だった」

「知ってます。今日、自分の記事で読みました」

「自殺で処理した。上の判断でな。だが、俺は納得してなかった」と桐生が言った。

「……」

「あの晩は雨だった。だが、葛西が歩いたとされる道の泥と、靴に残った土は一致しなかった。誰かの車で踏切へ来た可能性がある。死ぬ十三分前には、非通知の着信もあった。三分間だ」。桐生は一度、言葉を切った。「当時の記録は残っている。俺が何を見落としたかもな」

「それを、上には」

「言った。『動機は10分だ。新聞を読め』と返された」と桐生が言った。

桐生は亮を見る。

「お前の記事が、誰も疑わない理由を用意してしまった。俺たちは、そこへ都合のいい事実だけをはめたんだ」

亮は顔を覆う。

「……今日、水野紗季が祖母の声を聞かせてくれました。夜、誰も来なかった。葛西さんだけが来てくれたって」

「……」

「俺は、あの人を、悪人にした」と亮が言った。

「書いた責任は消えない。だが、葛西の命を奪った手が誰のものだったかまで、決めつけるな」

桐生は立ち上がる。

「真柴。この新聞の死人のリスト、全員お前の記事の中にいるんだな」

「ええ。紗季の祖母、死亡診断書を書いた医者、内部資料を知る経理、捜査を終わらせた刑事」

「3年前の真相を知ってる人間を、片っ端から消そうとしてる奴がいる。第三者委員会が動く前にな」と桐生が言った。

「そして、それを俺に教えようとしてる奴もいる」

「神様も悪魔もいない」と桐生は言った。「いるのは、予定を知っている人間と、そこから目をそらした人間だ」

*

真柴家の居間。

美咲が亮の腕にシップを貼っている。

亮が、全部を話し終えたところ。

「……じゃあ、この新聞を書いてる人は、あなたに償わせたいの?」

「わからない。でも、もし俺を苦しめたいだけなら、助けさせる必要はない」と亮が言った。

「そうね。……毎回、あなたが間に合う時間に届いてる」

亮ははっとする。

「それと、今日、病院に変な人が来た。柏木さんの親戚だって言うんだけど、襟に金色のバッジをつけてた」

「どんなバッジだ」

「丸くて……真ん中に、緑の葉っぱみたいな模様」と美咲が言った。

亮はゆっくりと立ち上がり、ポケットから名刺を取り出す。沢渡の名刺。

その隅に印刷された、久我事務所のロゴ。緑の葉。

*

紗季から送られた音声を、亮は帰宅後にもう一度聞いた。美咲も隣に座った。

老女の声の背後に、テレビらしい音が入っていた。誰かが扉を閉める音。遠くの咳。留守番電話は、その場の空気まで保存していた。

「これ、本人の許可をもらって聞いてるんだよね」

美咲に言われ、亮はうなずいた。

「記事に使うかどうかは、また相談する」

美咲はそれ以上何も言わなかった。その沈黙が、亮にはありがたかった。正しい答えを言ったと褒められるより、ずっと。

音声の最後で、水野ハルは、孫が演奏会に出る日を尋ねていた。葛西の名前が出た箇所ばかり繰り返し聞いていた亮はそこを初めて最後まで聞いた。

「紗季ちゃんの笛、また聞きたいねえ」

笛ではなくクラリネットだ、と紗季はその場で言い返したのだろうか。それとも留守番電話を聞いたあとで笑ったのだろうか。亮にはわからなかった。わからないことを、勝手に埋めてはいけない。

再生が終わると、美咲が言った。

「この人、事件の証拠になるために電話したんじゃないんだね」

亮は携帯電話を伏せた。

「ああ」

「お孫さんと、話したかったんだね」

亮は返事ができなかった。証言。裏づけ。告発。そういう言葉でしか聞いていなかった声の中に、祖母が孫を待っている時間があった。

紗季へ送る連絡文を書いた。音声を保存してもよいか。祖母のことを改めて聞かせてもらえるか。何を記事にしてほしくないか。

質問を書き終えてから、亮は気づいた。3年前、葛西には一度も、書かれたくないことは何かと尋ねていなかった。

*

午前4時。真柴家の玄関前。

ポストの中。新聞。そして一枚の紙。

亮は震える手で開く。

北陵日報 10月15日

本紙デスク、駅階段から転落死 北陵駅南口

14日午後10時5分ごろ、北陵駅南口の階段で男性が転落し、頭を強く打って死亡した。死亡したのは北陵日報社会部デスク、宇佐見修司さん(56)。酒に酔って足を踏み外したとみられる。

「……デスク」

3年前、あの茶封筒を自分の机に置いた男の名前。


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