第18話 暴食の牙ラヘタッハ
2リート(8メートル)先も見えない暗闇の中、三人は息を殺して進んでいた。 目を凝らしても何も見えず、敷石を踏みしめる足音だけが聞こえる。
どれだけ進んだのだろうか。ついさっき入ったばかりなのに、入口が見えないだけで、かなりの距離を進んだように錯覚する。
「……戻れるんでしょうか」
リンデが背後を振り返りながら言った。そして床に視線を落とし、まっすぐ進んでいるのだろうかと不安がよぎる。
「そっか。閉じ込められることを考えてなかったな」
クラッサスがのんきに応えた。これが罠ではないという保証はどこにもないのだ。
「いまさら言っても仕方あるまい。ん? 待て、何かある」
コランが足を止め床に松明の明かりを近づけた。そこには、金属のような光沢を放つ何らかの人物の像や調度品、宝飾品などが乱雑に並べられていた。
「ようやく、財宝らしいものにありつけたな」
そう言いながら、統一感のない供物の山に手を伸ばしたコランが動きを止めた。それらに埋もれるように、マグ・ドラフを思わせる鱗に覆われた太い足が2本立っていたからだ。
松明を上に向けると大きな胴体があり、その上には、短く鋭い牙が並ぶ長く突き出した顎があった。そう、これはラヘタッハの石像だ。体長は1リート(4メートル)近くある。
「ふむ。こいつがラヘタッハか」
「間違いなさそうですね」
「いかにも動きそうだな」
クラッサスは太い尻尾をまたいで一周し、鱗に覆われた体に手を置いた。そのとき、手に妙な感触があった。粘性のある液体が付着したのだ。掌を見れば赤黒くベタついている。
「なんだ?」
石像の表面を、毛細管現象のように鱗の縁に沿って液体が上へと流れている。足先で供物をどかすと、そこには黒ずんだ水たまりがあり、ラヘタッハの足を覆うようにわだかまっていた。気が付かなかったが、柱の部屋からここまで敷石の溝に沿って流れていたようだ。
「これ……熊に食われた奴の血か!?」
改めて石像を見上げると、表面を這い上がる血の線は上に登りながら集まり、獰猛な口の中へと束になって流れ込んでいた。驚くことに、この石像は犠牲者の血を「飲んで」いるのだ!
クラッサスの背筋にゾクリと悪寒が走った。この異様な光景に目を奪われ、声も出せずに口を動かしながらコランの肩を叩いた。
抜け目なく金目の物を所持品欄に放り込んでいたコランが顔を上げ、クラッサスの表情を見て眉を上げた。
「ん? どうした」
「……よく見てみろ。こいつ、熊に食われた奴の血を飲んでやがる」
クラッサスは気力を総動員して何とか声を出し、血の流れに沿って投げ槍の穂先を床から口へと動かした。
「どういうことです?」
コランとリンデは、怪訝な顔で彼が指し示す槍の先に目を向けた。そして、クラッサスが言わんとしていることを理解した。
「うっ、これって……」
リンデが口に手を当てて、敷石の溝の流れから逃れるように横へ飛びのく。
「なるほど、こいつはたしかに邪悪だな」
コランが注意深く石像に目を光らせながら言った。もう動くのか、まだ時間があるのか。どちらにしろ、留まるのは危険だ。
「まだか! まだ目覚めないのか獣よ! ズー・グラー・ラヘタッハ! ああジアクス! 我が言葉を聞き届けたまえ! 血が足らないというのなら、そいつらの血を捧げます!」
邪教徒の叫びのような邪悪な祈りが聞こえてきた。
「あのやろぉ、俺たちを生贄にするってのか」
クラッサスが声のした方向に顔を向けたその時、ドドドと地面の奥底から振動が伝わり、部屋全体をぐらつかせた。
「きゃっ、今度はなんですか!?」
続いて、古びたエンジンめいたグロロロロという音が聞こえたかと思うと、無理やり言葉を絞り出したかのような低い唸り声へと変わっていった。それが石像の口から出ていることに気がつき、三人は顔を見合わせた。
『 |バーロク・ハーン・ソス《ちにうえている》、|バーロク・ハーン・スレン《にくにうえている》』
──マジか、これって「あの」言葉だろ!? なに言ってっかわかんねぇけど。
クラッサス(ショー)には聞き覚えがあった。そう、ノエリアが祈りをささげたときに聞いた『神の言葉』だ。
「マジでマズイな……どうする? 破壊するって言っても、槍と剣じゃな……」
「今さら間に合わんか。ラヘタッハとやらが闇の中でも活動できるのだとしたら、ここで戦うのは不利だ。柱の部屋まで戻るぞ」
コランが腰の剣に手をかけたが、すぐに思い直すと、親指で背後を指さした。
「……出口、わかります?」
リンデが不安そうに周囲を見回して言った。ラヘタッハの像を注視していたせいか、入口の方角を完全に見失っていた。
「流れて来たってんなら、その流れをさかのぼれば出口につくはずだ」
いつもの調子を取り戻したクラッサスが言った。コランは後ろ髪を引かれる思いで供物を一度チラリと見て、すぐに頭を切り替え石像から離れた。
「走るぞ、遅れるな!」
「は、はいっ!」
コランが先頭に立って走り出した。壁に激突する恐れもあるため、盾を前に突き出している。その後ろにリンデ、最後尾はクラッサスだ。
文字通り闇雲に走り抜ける三人。背後で重たい何かが動くズズズという音が聞こえた。低い唸り声は一度小さくなり、そして、ひときわ大きく響くと、その振動は三人の背中を震わせた。
不安に耐え切れず後ろを振り返るリンデ。切羽詰まったクラッサスの顔を見て、さらに不安を積もらせた。
突如、視界が開けた。闇を抜けたのだ。コランはすぐに後ろを振り返り、二人の無事を確認した。止まり切れずによろめくリンデを、コランが受け止める。
「はぁ、はぁ……たぶん、追ってくるよな?」
クラッサスが呼吸を整えながら言った。たいした距離は走っていないはずだが、緊張からか息が乱れる。
「あの大きさだ、この扉を通るのも一苦労だろう」
「出てこられねぇってオチなら、笑えるんだけど」
コランとクラッサスは、各々盾と武器を構えて待ち構える。
「もうちょっと離れた方がいいんじゃないですか?」
ラヘタッハの顎の長さを警戒して、リンデは扉から距離を取った。確かに、噛みつかれでもしたら、ひとたまりもない。
「ふーむ、そうだな。階段まで下がるぞ」
優位性は待ち伏せしているこちらにある。コランは二人を下がらせて松明を階段に置くと、弓に持ち替え矢をつがえる。
それを見たクラッサスも「そういや、こいつのことを忘れてた」と、小型のクロスボウを取り出して弦を巻き上げた。
ふと、柱に縛り付けた邪教徒が視界に入った。男は狂気じみた笑いを浮かべ闇の空間を凝視している。そして、引きつったようなニヤケ顔をクラッサスに向けた。
「くっくっく……目覚めたな、ラヘタッハが! ジアクスによる世界再生が始まる! はははっ、その瞬間に立ち会っている!」
クラッサスはこいつを先に撃ってやろうかと思ったが、こんな奴に腹を立てた自分に苛立ちを覚え、無視を決め込んだ。
「……ラヘタッハは常に飢えており、血が通っているものであれば何でも食らいつき、その耐久度と特性を我がものにすることができる……そう書かれています」
こうしている間にも、リンデは役に立つ情報はないかと、ジアクスの聖書を開いていた。だが、まだ続きがあるようだ。全てを知るには、さらに高い達成値を出す必要があった。
「そんじゃ、好き嫌いしないで、こいつも食らってくれよ」
クラッサスはクロスボウを構え、闇の中に狙いを定めた。敷石を引っ掻く爪の音。引きずられる太く重い尾。そして、喉を震わす低い唸りが迫る。
『|ヌスト・ロスト・ヴォマインド《まだたりない》!』
固唾を飲んで見守る中、皺のある鱗に覆われた長い口先が闇から突き出された。それは、獲物を求めてガツンガツンと開閉を繰り返しては、血に塗れた牙から赤い雫を飛ばした。
「来たぞ!」
「今のうちにダメージを稼がねぇとな!」
コランとクラッサスが矢を放つ! 上顎の中ほどに突き刺さるが、意に介した様子はない。
長い顎に続き、ギョロリと突き出した大きな黄色い目が露になった。頭だけでもかなりの大きさだ。案の定、肩を戸口にぶつけ無理やり這い出てこようとしている。
「ははっ、やっぱり通れねぇのか、ワニ頭!」
クラッサスはクロスボウを巻き上げ、コランは二射目を放った。これだけ大きければ外す方が難しい。
ラヘタッハは次々と突き立つ矢を振り払うように、頭を大きく振って苛立ちの唸り声をあげた。
『ヌズ・ウンスラード!』
ラヘタッハは頭を左右にひねりゴキンと鈍い音を立てると、ずるずると外へ滑り出て来た。この怪物は、体の骨を変形させて狭い戸口を通ろうとしているのだ。
「出てきましたよ!」
リンデが悲鳴のような声で言った。戦闘向きではない彼女は、この光景を見守ることしかできなかった。補助となる呪文が無いわけではない。ただ、限られた精神耐久度を使い、今この場で使うべきかどうか迷いがあった。
「マジか……こいつ、体を蛇みたいに変えやがった」
「ぬぉお!!」
負けじとコランも一声吠えると、獲物を狙う猛獣めいて飛び掛かった! ガツンと肉厚の破斬剣がラヘタッハの固い鱗を激しく打ち据える。渾身の一撃は、鱗を砕き、その下に隠れる皮膚を切り裂いた。硬いが、刃は通る。コランは獰猛に口角を上げた。
その傷口めがけ、クラッサスが突進する。気闘法が乗ったジャベリンが筋肉で固められたラヘタッハの首筋に深々と入り込んだ。
『ングオオオ!!』
どこからともなく「武器の完全成功!」という声がファンファーレのように鳴り響いた。
苦痛の叫びをあげるラヘタッハ。振り回した顎先が当たり、柱へと叩きつけられるクラッサス。
「ぐっ……へへっ、けっこういけるんじゃないか?」
クラッサスは再び全身に気を巡らし、腰を落として突撃の構えをとる。どうなるかと思ったが、ダメージが入るならやれないことはない。
ラヘタッハは体をくねらせ、ついにその全貌を見せた。立ち上がりながら太い尾が柱の一つを叩き、大きなヒビを入れた。
「どうしたラヘタッハよ! ジアクスの獣がその程度ではあるまい! 旧世界を破壊する先兵となるのではないのか!」
そう喚き散らす邪教徒の男を、ラヘタッハの腕が伸びて掴む。力任せに男を柱から引きはがすと、そのまま口の中へと放り込んだ。ゴシャリ! 嫌な音を立てて口が閉じられた。
「なっ!? うああっ!!」
「ひっ!」
男の悲鳴はすぐに聞こえなくなった。リンデは目の前の惨状に後ずさり、階段に踵をぶつけて尻もちをつく。ラヘタッハは喉を鳴らして男を飲み込むと、先ほど負わせた傷が泡立ち、塞がっていくではないか。
「ぬう。我がものにするとは、そういう意味か」
「ボスが回復とかありかよ」
ラヘタッハの体がメキメキと音を立てて本来の姿へと戻る。でかい。天井に頭が当たり、窮屈そうに前傾姿勢をとる。その威圧感は半端ではない。
「……こんなにでかかったか?」
「ふーむ。このままでは押しつぶされかねんな。外へ出るぞ! この巨体ならすぐには追ってこれまい」
「よし、それなら従兵機で応戦だ!」
コランは言うや否や、腰を抜かしたリンデを担ぎ上げると階段を駆け上がった。クラッサスは足を止めてラヘタッハを振り返り、買っておいたランタン用油を数本出すと、階段にまき散らして火を放った。
そして、ダメ押しとばかりに、ラヘタッハの腹に向かって瓶を投げつけた。
「回復する奴には、継続ダメージってな」
油の流れに沿って炎が広がる。不敵な笑みを浮かべ、クラッサスはすぐに二人の後を追って階段を駆け上がった。
揺らめく炎の奥から、憎々しく目を細めたラヘタッハがその背中を睨んでいた。
『足止めのつもりか』




