第16話 邪神の使徒
「少し来なかっただけなのに、なんだか懐かしいですね」
リンデが旧校舎を見上げて言った。曇り空が落とす薄暗い光が、もの悲しい雰囲気を醸し出している。用が無ければ視界に入っても意識されない、そんな忘れ去られた場所だ。
メリー、ショー、リンデの三人は、現実との境界線のような旧校舎の入口をくぐり、資料室へと向かう。学園祭の準備で時間が取れなかったこともあり、数日ぶりのサークル活動に気持ちが高揚して、きしむ廊下もどこかリズミカルだ。メリーが資料室の扉を開けると、冷めた空気が廊下へと逃れるように流れ出た。
「急に寒くなったよな」
ショーがカーテンを開けながら言った。窓を少しだけ開けて換気をする。
「暖房がないから、何か考えないといけないわね」
「寝ている間に、風邪ひきそう」
リンデは冷えた椅子に腰を下ろして、ブルっと震えた。そして、鞄から胴体の長い白いぬいぐるみを出すと、顎を乗せた。「あら、いいわね」とメリーが言うと、窓辺から戻って来たショーが、ガサガサと音を立て手ごろなサイズの包みを取り出し、メリーの前に置いた。
「今日は、何かあったかしら?」
記念日でもないのにと、ショーの顔を見る。早く開けろと、包みを指さしてニヤニヤしているだけで、答えようとしない。
メリーが丁寧に包装紙を外す。中から出て来たものは──山の形をしたクッションだった。タグに「ラムクト山脈クッション」と書かれている。
蛮人王コランが信仰する神が山の神だ。メリーにぴったりだと、ショーはこのクッションの購入を決めた。凸凹した形が寝やすいのか疑問を持つが、山であることが重要なのだ。
「ふふ、ありがとう、ショー。いいチョイスだわ」
そう言うと、メリーは山に顔を押し付けて無邪気に喜んだ。「ショーさんナイスです」と、リンデが遠話端末を向けている。
「何かお返しをしないといけないわね」
「いいって、ついでだったし」
手をヒラヒラ振って席に着くショー。 彼もコンテナの形をしたクッションを取り出し、自分の前に置いた。そう、よく貨物船が運んでいるあの四角いコンテナだ。
メリーは二人のクッションを見て、自分のラムクト山脈クッションを見つめた。何かに思い当たったのか「……そう……ついでね」と小さくつぶやいた。
頃合いを見計らい、ワースブレイドと書かれた白い箱が開き、中から仮面がフワリと浮かび上がる。それを目で追う三人。
「おやおや。みなさん、準備万端のようですねぇ? それでは、冒険の世界にぃ出発いたしましょう!」
仮面の目が青白く光り、三人の意識が剣の時代へと導かれていった。
◇ ◇ ◇
亜熱帯のむせかえる熱気が、草木の匂いと共に三人を包んだ。地には邪教徒とマグ・ドラフの死体が横たわり、折れた石の柱が並ぶ先には、低いピラミッド型の石造建築が黒い口を開けている。
「そういや、こんな状況だったな」
クラッサスが投げ槍を担ぎ、肩をトントンと叩きながら言った。
「では、中を拝見といこうか」
コランが松明に火をつけ、遺跡の入口へと向かう。その後を、死体から目を背けながらリンデが付いていく。
入口を入り、すぐにT字路に行き当たる。正面にはサビついた扉。通路は左右に伸び、右はそのまま進むと左に曲がり、左に進むと正面に階段があり、通路は右へと続いている。外から続く何かを引きずった跡は、右へと進んでいた。
「うーん、こいつの正体を知っておきたい気もするけど、どうする?」
クラッサスが扉に耳を近づけ、気配を探りながら言った。音は聞こえない。そもそも、マグ・ドラフが、開けた扉を閉めるのだろうか。
「ふむ。背後を取られる危険はあるが、それはどこに行っても同じだろう。終わりが見えている上からだ」
コランが愛用の破斬剣を抜き、松明で階段を示した。遺跡の形状から、一階よりも二階の方が狭い。手短に探索を済ませて戻るつもりなのだ。
「よっし。それじゃ階段だな」
コランを先頭に、リンデを挟んでクラッサスが殿を務めた。高さのある汚れた石段を登ると、生ごみのような酷い臭いが漂ってくる。マグ・ドラフの生活臭だ。
クラッサスは鼻をつまみ口で息をするが、臭気が口の中に広がり、余計に吐き気を催した。リンデも「うえっ」と声を漏らした。
階段を登りきると、区切りのない広間になっていた。葉の付いた枝を敷いた寝床や、魚や木の実の食べかすなどが転がっている。金目の物があるようには、到底思えない。
「はぁ……せっかく来たんだし、ちょっと調べるか」
期待はしていないが、クラッサスは捜索ロールにLUCを使った。コランとリンデは、そのままロールした。すると、仮面がフワリとクラッサスの前に降りてきた。
「ふふーん。いいでしょう、クラッサスは1D10を振ってください。これは単に、何が出るかランダムで決めるためのロールです」
「おっ? そんじゃ、いいもんが出たってことか? ほらよっ」
クラッサスの赤いダイスが敷石の上を乾いた音を立てて転がった。出目は10。
「やった! さあ、何が出るんだ?」
「ほほお……次は聖刻器性能表です。1D100を振ってください。これはダイスを二つ振って、どちらかを一の位、もう一つを十の位として出目を見ます」
「へぇ、そんなのもあるのか。そんじゃこれが一の位な」
クラッサスはそう言い、一つ目の出目は5。続けて十の位は9。──結果95だ。
「こうもでかい数が連続で出ると、リアルLUCを消費している気分だぜ」
「おお、すばらしい! 強力な聖刻器が見つかりましたよ? では、その形状を決めます。1D10をどうぞ」
「なんだか、盛り上がってる人が一人いますね」
リンデが不審者を見るようなまなざしをクラッサスに向けた。実は、コランとリンデには、ワースメーカーの姿が見えていない。捜索ロールで高い数値を出したクラッサスだけが、この特別な処理を行っているのだ。
「ふむ。やはり何も出てこんな」
コランが部屋の中央に立ち、周囲を見回しながら言った。リンデも、手についた汚れをうんざりした顔で見つめながら、その隣に並んだ。
「はぁあ? こんなの……オレにどうしろっていうんだ」
突如、素っ頓狂な声を上げるクラッサス。強力な聖刻器が見つかったはずなのだが。どうやら、その形状に問題があるようだ。
「何が見つかったんですか?」
クラッサスがためらいがちに突き出した手が握っていた物は──レースや魔術的紋様の刺繍が施された、女性用の黒い下着。
「……は?」
リンデのジト目が鋭くクラッサスに刺さる。
「そんなもの、どこから持ってきた。まさか……マグ・ドラフの……」
さすがのコランも、これには困惑するしかなかった。
「粧練──魔術的処理──された生地で作られているので、汚れることもありません。安心して使ってください。初の聖刻器がこんな形で出てこようとは、いかな私でも予測できませんでした」
ワースメーカーが、何のフォローにもならないことを言った。
「そうなんだよ……すごい聖刻器なんだぜそれ……見た目を除けばだけど。練法師のリンデならわかるだろ?」
「や、やめてください! いりませんよっ!」
半ば押し付けられるように手渡された下着。だが、練法師の職業特典である『聖刻器鑑定』の効果によって、この下着がSENロール+4という、とんでもない代物だということがわかった。
「はっ……そんな……こんなモノが+4だなんて……これ作った人は、バカなんじゃないですか?」
「うーむ。どう考えても俺やクラッサスが使うわけにもいかんだろう。リンデが使うしかあるまい」
「そんなっ! だったらベルせ……ああ、今は筋肉だったぁーー!」
がっくりと膝をつくリンデ。コランは、そんなリンデの頭に手を置き、かぶっていたハーフヘルメットをすぽんと持ち上げると、代わりに問題の下着をかぶせた。
「わっ、何するんですか!」
「性能を確かめておかないとな」
「それで……どうなんだ? 何か変わったか?」
クラッサスが期待の眼差しを向ける。しかし、リンデはかぶせられた下着に意識を集中させたが、何かが起こる様子はなかった。
「……うーん、よくわかりませんね」
「ふふーん。下着なのですから、下着として使っていただかないと効果は出ません」
仮面を左右に振りながら、ワースメーカーが言った。リンデは下着を掴み、床に叩きつけた。
「はぁ、はぁ……早く下に戻りましょう」
「お、おう……まぁ、オレだって、せっかく出た聖刻器がこんなんで、がっかりしてるんだぜ」
それを言われると、リンデもこれ以上何かを言う気にもなれず、高性能下着を拾ってポケットに押し込んだ。
◇ ◇ ◇
一階へと降りてきた三人は、そのまま入口の方へと進み、錆びた扉の前で止まった。コランが扉に手をかけて押してみたが、劣化が酷く、動く気配が無い。
「これなら、マグ・ドラフが中に入ったということはなさそうだな」
コランが力任せに扉を押した。ギギギとこすれ合う不快な音を立てて扉が開いた。中は、集会をするための部屋だろうか、中央に長い石のテーブルと石の丸椅子が並んでいた。テーブルには、くすんだ燭台や変色して何が書いてあるのかわからない羊皮紙が置かれていた。
「価値がありそうなものは、これぐらいか」
コランがくすんだ銀の燭台を掴み、所持品欄に放り込んだ。『言語学』技能を持つリンデが羊皮紙を手に取り、達筆な筆記体めいた文字に目を落とすも、読み取ることはできなかった。
「会議室として使ってたのだとしたら、重要そうな物があるとは思えませんね」
「宝物庫があれば、一番いいのだがな」
「それじゃ、さっさと次に行こうぜ」
三人は部屋を出た。入口から入る光は弱く、日が落ちてきたのだとわかった。「順路で行くか」とクラッサスが床に残された引きずった跡をジャベリンでなぞる。
騒がしく音を立てたが、何かが出てくることもなく、それが逆に不気味でもあった。邪教徒とマグ・ドラフを襲った襲撃者とは、いったい何者なのだろうか。
松明を持っているのだ、コソコソする意味もない。コランは恐れることなく、堂々と床の跡をたどって行った。しばらく進むと、通路は左に曲がり、まっすぐ進む通路の右手に幅の広い下り階段が姿を見せた。
「この下か」
床の跡は地下へと向かっている。コランが階段を照らすが、底までは光が届かず闇に飲まれていた。
「ちょっと待ってくれ。いいこと思いついたぜ」
クラッサスは所持品欄から松明を数本取り出すと、コランの松明から火を貰って、次々と階下へ放り投げた。
「へへ。これなら、待ち伏せされることもないだろ」
「あっ、今なにか動きました!」
松明の火に追いやられた闇から、動物の白い足のようなものがすっと引っ込められたのを見た。だが、それだけでは正体を特定することはできない。
「動物だと思うんですけど」
「ふむ。あれだけのことをしたのだ、猛獣の類であることに違いはない」
「……わざわざこんなところにきて、夜行性ってやつか?」
そう言いながらも、松明を投げ込むクラッサス。闇は次第に奥へと追いやられ、松明の明かりに支配されていった。すると、引きずり込まれた邪教徒の無残な亡骸が赤く照らし出された。
「うわっ、ここで食ってたのか……」
「どのみち、先に進むには倒す必要がある。いくぞ」
コランが松明を前に突き出し、剣を頭の高さまで振りかぶり階段を下りる。クラッサスも油断なくジャベリンと小さな丸盾を構えて続く。
喉を鳴らす低い唸り声。敷石を擦る爪の音。闇の中から二人の戦士を獰猛に睨みつける黄色く光る眼。
白い獣が、ゆっくりと闇から顔を出した。熊だ。白く透き通る熊。こんな生物は見たことがない。その巨体があらわになり、透き通る腹の中には──犠牲者の成れの果てが、血のスープの中で揺れていた。
「ぐえっ……リンデ、くるんじゃねぇぞ。こりゃ、そうとうエグい」
「悪夢のような獣だな……すぐに終わらせるぞ」
コランが熊に向かって松明を投げ、背負っていた盾を握る。「るぉお!」そして、一声吠えると、盾で身を隠しながら熊に突進した。クラッサスは素早く熊の背後に回り込み、練気をする。
コランのバスタードソードが熊の肩口に深く食い込んだ。だが、奇妙な弾力のある体が衝撃を吸収し、望んだダメージは出なかった。
「見た目通り、ただの熊ではないな」
コランは盾で熊の体を押しながら剣を引き抜いた。痛みを感じないのか、熊は怯むことなく、凶暴な爪をコランに叩きつけた。がつんと盾で受け止め、コランの体が大きく揺れる。
「喰らえっ!」
クラッサスの闘気を込めたジャベリンが熊の背中を貫き、その気が体内で爆発的に広がり、内側から肉体を破壊する。
どこからともなく「完全成功!」という声がファンファーレのように鳴り響いた。
「気闘法さいこー!」
ジャベリンを引き抜くと、腹にたまっていた血がボタボタと流れ出た。床が傾斜しているのか、その血は敷石の溝に沿って部屋の奥へと流れていく。レベル3の気闘法を経験した身としては物足りないが、今はこれで満足するしかない。
熊が唸り声をあげ、腕を振り回しながら振り向いた。気闘法の威力に気をよくしていたクラッサスは、反応が遅れ、盾越しに強烈な打撃を浴びることとなった。その衝撃で柱に背中をしたたかに打ちつけ、息が詰まる。
「ぐあっ! ……くそっ、へましたぜ」
コランは盾を捨て、両手でバスタードソードを掴むと、渾身の力で背を向けた熊の後頭部に振り下ろした。熊の体がぐらりと傾く。今のは効いたようだ。
「やってくれたな、次で終わらせてやる」
痛みを堪えて再び練気をするクラッサス。熊は目の前のクラッサスに狙いを絞ったのか、覆いかぶさるように獰猛な爪を振りかぶった。だが、警戒していたクラッサスは、かろうじて爪をかわし呼吸を整える。
「……そのまま引き付けていろ」
コランは熊を見据え、剣を腰だめに構えてチャンスを待った。熊が立ち上がり、背中を大きく晒した。コランの目がギラつき、地を蹴った。暴力の塊となったコランは、全身でぶつかるように熊の背へと猛烈に突進した。
バスタードソードが深々と突き刺さり、剣先が腹から飛び出した。それで最後だった。熊は体がボロボロと崩れ落ちるようにうずくまり、白い砂粒になって消えると、中に入っていた犠牲者が、ビチャビチャと床にぶちまけられた。
「……ぬう。何だったんだこいつは」
コランは剣を振って血を飛ばし鞘に納めると、落とした盾を回収した。
「いてて、終わったぞリンデ」
戦いの行く末を見守っていたリンデが小走りに寄ってくる。
「大丈夫ですか? 傷薬、買っていましたよね」
「ああ、下は見ない方がいいぜ」
クラッサスがリンデに顔を向けると、彼女の後ろに黒い人影があることに気が付いた。咄嗟にジャベリンを持ち上げる。
「動くなよリンデ!」
「えっ!?」
リンデが立ち止まると、クラッサスはその影にジャベリンを投げつけた。LUCを使い確実に命中させる。
気を込めたジャベリンが、リンデのすぐ横を光の軌跡を描いて走り抜け、狙い違わず背後の影に突き刺さる。
「ぐっ、あ……なん……」
男は槍を掴んでうめき声をあげ、仰向けに倒れた。クラッサスは松明を拾い、そいつの顔を照らす。若そうに見えるが、頬が痩せこけ病的な目元をしている。格好は外に倒れている黒いローブの男と同じ。つまり邪教徒だ。




