追跡①
北東の峠。
夜の帳が降りる中、松明と篝火に照らされて、検問の列はじりじりと進んでいた。
天久国の武士たちが槍を構え、役人が一つひとつ荷を改める。
緊張と苛立ちが混じる空気の中で、ひときわ重い荷車が列に加わっていた。
鉄格子の檻に詰め込まれた、痩せこけた人々。
鎖を繋がれ、虚ろな目で揺られるその姿は、誰が見ても「借金奴隷」にしか見えない。
荷馬車の護衛たちは口を噤み、粗野な奴隷商人を装っていた。
だが、その中に混じるひときわ大柄な影――赤布で片目を覆い、歩くだけで周囲を威圧する男。
【赤鎌】グラド。
大鎌は荷の下に隠してあったが、その身に宿る殺気は隠し切れず、武士たちは思わず間合いを取っていた。
「……妙に騒がしいな」
武士の一人が小声で呟く。
峠の後方では怒号が上がっていた。
別の隊商から、違法魔道具と麻薬が発見され、役人たちが荷をひっくり返している。
木箱から転がり出るのは、使用不能になった魔道具や、匂いを誤魔化された袋詰めの薬。
武士たちが叫び、持ち主の商人の男が泣き叫んでいた。
「ち……チクショウ! 俺は知らねえ! こんなもん積んでねえ!」
縄を掛けられて連行されるその様子を見て、グラドの口元が歪む。
「……うまく騒ぎは起こったようだな」
実際、その違法品を忍ばせたのは、彼らが金を握らせたチンピラだった。
関係のない隊商を囮に仕立てる――検問を混乱させ、目を逸らすための策である。
兵士の視線がそちらに集中している隙に、奴隷商を装ったグラドの一団は静かに進み出る。
「急げ。関所が完全に締まる前に抜けるぞ」
低い声で部下を促し、彼は鉄格子の中で眼をギラつかせていた。
〜〜〜〜〜
夜更けの森を進むルーサー達。
篝火と祭りのざわめきは遠ざかり、代わりに冷えた夜気と虫の声が濃さを増していた。
先頭に立つ狼獣人・水木清次郎は、歩みを止めて鼻をすんと鳴らす。
月影に浮かぶ横顔は、修羅場を渡ってきた者特有の鋭さを湛えている。
「……荷そのものの匂いは断ち切られてやがる。乾いた薬草と獣脂で覆い隠してる。鼻の鈍い連中なら、これで完全に誤魔化されるだろうな」
玄道が後ろから声を掛ける。
「では、お前でも追えんのか?」
清次郎は振り返らず、牙を覗かせて笑った。
「誰にものを言ってる? 狼獣人の嗅覚は伊達じゃねぇ。ただ――俺が嗅ぐのは血や汗じゃない。もっと目に見えないものだ」
小虎の虎耳がぴくりと立つ。
「……まさか、魔力か?」
清次郎はゆっくり頷いた。
「そうだ。強い術者は、歩くだけで空気を揺らす。魔力の痕は煙みてぇに漂うんだ。普通の獣人には感じ取れねぇが、俺の鼻はそれを拾える」
小虎は瞳を大きく見開き、感嘆の息を洩らす。
「魔力を嗅ぐ……聞いたことがない。獣人でも到達できる境地か」
ルーサーが蒼白な顔を上げ、短く言葉を挟む。
「ならば……リュシエルは必ず辿れる。彼女の魔力は、誰より濃い」
清次郎は鼻先を森へ向け、深く息を吸い込んだ。
「……ああ。確かに痕跡は残ってる。ただ、念入りに消されてる。相当な手練れが関わってやがるな」
その声音に険が宿る。
玄道は目を細め、内心で冷ややかに呟いた。
(……やはり只者じゃない。忍びの網から逃れたのも、この嗅覚あってのことか)
小虎がそこで、背に括った銀の剣を外して見せた。
「これも役立つだろうか。リュシエル殿の剣だ。」
清次郎は片手で受け取り、鼻を寄せる。
月光に照らされた横顔がわずかに緩み、低く唸る。
「なるほど……確かに強烈な匂いだ。魔力の膜が張り付いてるような感覚だな。これは……おそらく噂の“ステッカー”ってやつだろう」
清次郎は剣を返し、歩みを再開する。
「匂いは東へ伸びてる。だが妙だ……途中で不自然に途切れてる。わざと囮を仕掛けてやがるな」
玄道は口を挟んだ。
「北東の峠は検問が厳しい。囮に使うならそこだろう」
清次郎はにやりと笑い、牙を光らせた。
「同感だ。連中はその裏で別の道を選ぶはずだ。おそらく、北西のはずだ。俺の鼻が証明してやる」
小虎は息を整える。
「よし、なら進もう。……清次郎、あとはお前の鼻に賭ける」
篝火の名残が消え、夜風が肌を撫でる。
四人の影は森に溶け、リュシエルを追うための新たな足跡を刻み始めた。




