闇人・水木清次郎
山道を抜け、月明かりの下を三人は歩いていた。
静けさの中、玄道がふと小虎に声を掛ける。
「……一つ気になることがある。お前、昨日は“森で迷っていた”と言ったな」
じろりと横目を向ける。
「そんな者が、本当にタガネ村まで案内できるのか?」
小虎の虎耳がぴくりと揺れた。
「……ギクッ」
しばし沈黙――そして気まずそうに笑う。
「だ、だいたい道は分かってるさ。……多分?」
玄道は額を押さえ、ため息をついた。
「まったく……」
小虎は尾をぱたりと振り、誤魔化すように笑った。
やがて森の切れ間から、灯の瞬く村影が見えてくる。
玄道は歩みを緩め、低く語った。
「……天久国にはいくつも闇の組織がある。だが大きく分ければ二つだ。
一つは人族のヤクザ者。詐欺師、泥棒、賭場を仕切る連中……リンボの鍵に手を貸しているのは主にこっちだ」
「ふむ」
ルーサーが静かに頷く。
「もう一つは獣人の集団。任侠を気取り、的屋や用心棒を仕切っている。人族と抗争は絶えんが、裏の秩序を守っているのはむしろ彼らだ」
小虎は目を丸くして耳をぴくつかせた。
「へぇ……そんな事情があるのか。流浪の身じゃ、そこまでは知らなかったな」
玄道は表情を崩さぬまま続ける。
「水木清次郎は、その獣人側の人間だ。狼獣人で、鼻の利きは群を抜いている。……リュシエル殿の足跡を辿らせるには最適だろう」
小虎は感心したように頷き、口元を緩める。
「なるほどな。やっぱり忍び上がりは物知りだ」
玄道は内心で苦く笑った。
(……いや、知りすぎているんだ。あの清次郎は、かつて俺が仕留め損ねた男だからな)
夜のタガネ村は、灯籠と篝火の赤で揺れていた。
屋台の煙と焼き物の匂い、子どもたちのはしゃぎ声、笛と太鼓のリズムが混ざり合い、夜祭りの喧噪が一帯を包む。だがその喧騒の裏側、細い裏路地や人垣の陰には鋭い視線が潜み、玄道たちの足取りを追っていた。
尾をゆらす小虎が、広場から少し外れた通りを歩いていると、大柄な男がふと立ち塞がった。狼の血を引く獣人だ。白交じりの毛並み、深い傷が刻まれた片目、羽織は派手で、笑うと牙が光る。
「――よう、久しいな」
低くしゃがれた声が、夜のざわめきに溶けこんだ。
「確か“湯原新吉”って名前だったよな? おもしれぇ天久者だったから、忘れられねぇんだ。今はなんて名で生きてやがる?」
玄道の背筋が、ふっと強張る。忍びとして使っていた偽名を、今そこにいる男――水木清次郎がぽんと口にしたのだ。十年、二十年を経ても消えない鋭さが、その瞳に残っている。狩の名残のように、過去を掘り返すような声だった。
小虎が一歩前に出る。尾の先がぴくりと揺れる。
「なんだ、清次郎。面の傷、増えたんじゃないか?」
清次郎の片眉がぴくりと動き、やがて豪快に笑った。
「――おう。こないだぶりだな、小虎。厄介事なら、喜んで手を貸すぜ」
怒号と笑いが混じる広場の中で、二人のやりとりは不思議に柔らかい。玄道は目を細め、さりげなく間合いを詰める。
「小虎、おまえ……こいつに何をしたんだ」
小虎は肩を竦めるだけだ。
「あたしが通りかかったら、丁度やつが槍に突かれててな。見捨てるほど冷酷じゃない。敵を蹴散らして、ほら、そこで終わった話よ」
清次郎は頷き、声色を落とす。
「あの時の借りはでかい。だから言っておく――おめぇらが探してる『女』の匂い、まだ残ってる。俺の鼻は一度嗅いだ匂いは忘れねぇ」
その一言で、小虎の目が輝いた。尾の先がぴん、と跳ねる。
「頼もしいじゃないか」
清次郎は酒の匂いを漂わせながら、牙を見せて笑う。しかし笑いの後、彼の瞳には影が差した。
「だが……条件があるぜ。ここの抗争、ただでさえ厄介だ。裏社会にリンボの鍵も絡んでやがる。おめぇらがその女を追うなら、俺も首を突っ込ませてもらう。借りを返す意味もあるし、ついでに手柄も欲しい」
篝火の赤が狼の瞳に映り、夜風が三人の間を走った。玄道は深く溜息をつき、やがて苦笑を浮かべる。
「……相変わらずいやらしい男だな、清次郎」
「いやらしい、ってのは誉め言葉だぜぇ」清次郎が肩をすくめる。だが、玄道はすぐに要点へと切り出した。
「匂いを追うには、どんな手がかりがある?」
清次郎は周囲をちらりと見回し、声を潜める。
「運び屋の跡、馬の蹄跡、焚かれた薪の焦げ具合……だが、今回の連中は賢い。荷を軽くして、素早く検問を通す気だ。だが、奴らの慌て方が逆に手がかりになる。途中で高価な品物を捨てたり、隠し物を見落としたり。――これまでの動きなら、東の小道を抜けて北の峠へ出るのが定石だろうが、そっちは囮だ。おそらく時期を見て南下し、耳長族の森を何らかの方法で横断するつもりだ。」
小虎は興奮を隠しきれない。獣の鼻が仕事を見つけた狩人のように光る。
「ファーフォールン辺境だな。嗅ぎ回る価値があるってもんだ」
玄道は式札で既に追加の伝令を飛ばしていた。
「陰陽師と数名の武士を既にこちらへ向かわせている。追跡中に合流し、挟み撃ちにしてもらうつもりだ」
清次郎は腕を組んで鼻を鳴らす。
「お前、忍びの上に陰陽師だったのか?まさか、お上の手の者だったとはな。ともあれ、援軍が出るなら安心だ。俺も手を貸す。ついて来い、若いの」
小虎はうっすら笑い、剣を背に括り直した。尾をひと振りすると、夜風が彼女の毛を撫でる。
玄道は小さく目を細めた。
(……利用できるものは利用するさ)
玄道の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
四人は祭りの熱気に背を向け、夜陰に紛れて動き出した。篝火の灯りが遠ざかると、村の喧噪は次第に薄れ、冷えた夜気が肌を刺す。だが誰の顔にも、決意の色が浮かんでいた。追跡は始まったばかりだ。




