鏡面ステッカーの熱狂
昼過ぎの工房は、普段の倍以上の熱気を帯びていた。
セレスティアが初めて完成させた鏡面ステッカーは、予想以上に滑らかで、光を受けてきらりと反射した。
「……やったわ」
小声で呟いた彼女の横顔は誇らしげで、どこか子供のように無邪気でもあった。
その姿を横目に、リュシエルは黙々と手を動かしていた。
(……このままじゃ、置いてかれる。あたしが煙吐いてぼさっとしてる間にね)
言葉にはせず、ただ集中だけを深める。魔力の流し方を抑え、均し、畳み――やがて彼女の机の上にも、寸分違わぬ鏡面が並び始めた。
セレスは思わず息を呑んだ。
「あら……その魔力の流し方、まるでわたくしの真似ではありませんこと?」
声には皮肉が滲んでいたが、瞳には驚きが隠せなかった。
リュシエルは肩をすくめ、とぼけた笑みを返す。
「どうだかね。煙の流れでも参考にしたんじゃないの」
「っ……!」
セレスは扇で口元を隠しながら、頬を赤く染めた。
翌日――工房の扉を開けると、そこには長蛇の列ができていた。
噂を聞きつけた鍛冶屋、料理人、商人、貴族の従者、兵士、冒険者……。年齢も身分もばらばらの人々が、我先にとステッカーを求めている。
「落としても割れない鏡だと?! 鍛冶場で重宝する!」
「厨房にぜひ! 煤や油で曇っても、拭けば戻るなんて……」
「お嬢様の化粧台に必須ですわ!」
「軍でも使える……いや、むしろ大量に買わねば!」
小さな手鏡から壁掛けサイズまで、用意した在庫は雪崩を打つように消えていく。
孤児院から駆けつけた子どもたちやティオたちも大わらわで、箱を抱えて走り回る。
「リュシエル姉ちゃん! セレス様! ふ、二人とも……お、お嫁さんにする!」
「ば、ばか! オレの方が先だ!」
「オレも、姉ちゃんとセレス様、両方まとめて!」
「ずるい! ボクだって……!」
顔を真っ赤にしてわめく子どもたち。客たちの笑い声が巻き起こり、場が和む。
セレスは扇で口元を隠しながら、上品に目を細める。
「まぁ……可愛らしい求婚者ですこと」
「ほんと、物好きもいたもんだねぇ」
リュシエルが鼻で笑い、工房は笑いの渦に包まれた。
だが、その喧騒の中に割り込むようにして、王宮の遣いが現れた。
「王命により、この鏡面ステッカーを登録し、供給体制を直轄の管理下に――」
声が響くと同時に、工房の空気が凍りつく。
リュシエルは煙管をカチリと鳴らし、眉をひそめた。
「やれやれ……こんな忙しい時に来やがって」
その横で、セレスが一歩前に出る。
背筋を伸ばし、扇をすっと閉じる。白磁のような顔は冷静で、菫色の瞳は鋭い。
「恐れながら――ここは王都の工房であり、今日この場は商いと祝福の場。
王命を軽んじるつもりはございませんが、ここで作業と市井を乱すのは、むしろ王威を損なうことになりましょう」
遣いの顔に動揺が走る。
それでも口を開きかけた瞬間、セレスはさらに一歩進んだ。
「こちらに並ぶ方々は、日々の糧を得るために足を運んでおります。もし今この場を妨げれば、王命の名のもとに“民を踏みにじった”と語り継がれますわよ?」
柔らかな声音でありながら、逃げ場のない言葉。
遣いは額に汗を浮かべ、結局は口ごもったまま退散していった。
人々の間から拍手が起こる。
セレスは涼やかな笑みを浮かべ、一礼した。
リュシエルはぷっと吹き出し、肩を揺らした。
「ははっ……上品に追い出すもんだねぇ。あたしなら椅子投げてたよ」
「野蛮ですわね。……でも、気持ちは同じ」
セレスは小さく扇を広げ、目だけで笑った。
夜更け。
机の上には山のような注文票。
セレスは疲れたように扇で顔を仰ぎ、リュシエルは煙を吐いた。
「……優秀すぎる奴を呼んで、逆に状況が悪化したね」
「な、なにそれ。わたくしのせいですの?」
「さぁね。ただ……旅立つ暇がますますなくなった」
紫煙の向こう、リュシエルの目元にわずかな笑みが宿る。
セレスはその表情に気づき、胸の奥で言葉にならないものを感じていた。
外ではまだ、遠く客たちの余韻の声が響いていた。
鏡面ステッカーが生んだ騒動は、王都の夜を大きく揺らしていた。




