表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/72

セレスの来訪

 昼下がり。

 王都の石畳に馬車の音が響く。

 リュシエルが煙管を弾いていた工房の前に、銀糸で家紋をあしらった幌馬車が止まった。


 扉が開き、白磁の肌に菫色の瞳をもつ女が降り立つ。

 セレスティア・ドレイクハルト――セレス。王家の縁を持つ旧家の令嬢であり、今は貴族子女たちに魔法を教える「優しいお姉様先生」として評判を集めている。

 しかしリュシエルを見た途端、その口元は冷ややかな線を描いた。


「……相変わらず、煤と薬液の匂いね。これじゃ貴婦人どころか、下働きの子たちにも逃げられるわ」


 外では誰からも慕われる声色なのに、リュシエル相手だと途端に棘を帯びる。

 リュシエルは紫煙を横へ吐き、片眉を上げた。


「こっちは工房。匂いが嫌なら、鼻を摘んで作業するんだね」


「……鼻を摘んだままでも、あなたより正確に仕上げてみせるわ」


「口の減らない女だ。だったら手を動かしな」


 工房の中。

 石造りの床と魔素を逃がさぬ布で覆った壁。整然と並ぶ薬草、粉末、瓶。

 リュシエルは机の上に素材を置き、さらりと言った。


「今日やるのは二つ。《ひんやりステッカー》の再現と、“面”の試作。後者は新作の下ごしらえだ」


「“面”……鏡を作る気ね?」


「想像に任せるよ。やれるかい?」


「やれるに決まってるわ」


 セレスの菫色の瞳が、狩人のように鋭くなる。

 彼女は水と風を合わせ、薬草を細断。粉末を舞い上げ、落下の軌道で粒径を揃える――。学園時代から得意とした、繊細な操作。


 リュシエルは腕を組み、鼻で笑う。


「口に似合わず、手は器用だねぇ」


「当然でしょう」


 しかし混合の段になって、セレスの鼻がぴくりと動いた。


「……なに、この臭い。薬草の汁と……煙草? ああもう、最悪!」


「匂いに文句言う暇があったら混ぜる。――寝かす、均す、畳む。三拍子でやれ」


「命令口調ですって?! ……いいわ、やってあげる!」


 ぐつぐつと湧き立つ魔力を押さえつつ、セレスは作業を続ける。

 一枚目――失敗。波紋が走る。

 二枚目――まだ曇り。

 三枚目――中央にかすかに影が映る。

 四枚目――リュシエルの指先が淡く反射した。


「……今の感覚、忘れるんじゃないよ」


「ふ、ふん……当然よ」


「顔、真っ赤じゃないか」


「う、うるさい!」


 リュシエルはくつくつと笑い、机を指で叩いた。


「次、《ひんやりステッカー》だ。配合はこの通り。数で覚えな」


「煙草臭いのに集中しろって、鬼畜ね……!」


「工房は戦場だ。匂いに泣き言言う奴は生き残れない」


「誰が泣き言を……っ!」



 夕刻。

 机の上には、成功した《ひんやりステッカー》の束。そして“面”の試作片が十数枚。


 セレスは額の汗を拭い、へたり込む。


「……地獄みたいな一日だったわ」


「本番は明日からだよ」


「え?」


「本当に地獄ってのを見せてやる。あたしが欲しい“面”は、まだ先にある」


 リュシエルは試作片を持ち上げ、光を映し、紫煙の向こうに未来を描いた。


「セレス。ごちゃごちゃ言ってる暇があったら――」


「分かってるわよ。やるわ。やって、あなたを追い抜く」


「へぇ、上等」


 工房に笑いが落ちる。

 窓の外、王都の空は茜に染まり、灯りがともりはじめていた。


 忙しい日々の幕開けだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ