セレスの来訪
昼下がり。
王都の石畳に馬車の音が響く。
リュシエルが煙管を弾いていた工房の前に、銀糸で家紋をあしらった幌馬車が止まった。
扉が開き、白磁の肌に菫色の瞳をもつ女が降り立つ。
セレスティア・ドレイクハルト――セレス。王家の縁を持つ旧家の令嬢であり、今は貴族子女たちに魔法を教える「優しいお姉様先生」として評判を集めている。
しかしリュシエルを見た途端、その口元は冷ややかな線を描いた。
「……相変わらず、煤と薬液の匂いね。これじゃ貴婦人どころか、下働きの子たちにも逃げられるわ」
外では誰からも慕われる声色なのに、リュシエル相手だと途端に棘を帯びる。
リュシエルは紫煙を横へ吐き、片眉を上げた。
「こっちは工房。匂いが嫌なら、鼻を摘んで作業するんだね」
「……鼻を摘んだままでも、あなたより正確に仕上げてみせるわ」
「口の減らない女だ。だったら手を動かしな」
工房の中。
石造りの床と魔素を逃がさぬ布で覆った壁。整然と並ぶ薬草、粉末、瓶。
リュシエルは机の上に素材を置き、さらりと言った。
「今日やるのは二つ。《ひんやりステッカー》の再現と、“面”の試作。後者は新作の下ごしらえだ」
「“面”……鏡を作る気ね?」
「想像に任せるよ。やれるかい?」
「やれるに決まってるわ」
セレスの菫色の瞳が、狩人のように鋭くなる。
彼女は水と風を合わせ、薬草を細断。粉末を舞い上げ、落下の軌道で粒径を揃える――。学園時代から得意とした、繊細な操作。
リュシエルは腕を組み、鼻で笑う。
「口に似合わず、手は器用だねぇ」
「当然でしょう」
しかし混合の段になって、セレスの鼻がぴくりと動いた。
「……なに、この臭い。薬草の汁と……煙草? ああもう、最悪!」
「匂いに文句言う暇があったら混ぜる。――寝かす、均す、畳む。三拍子でやれ」
「命令口調ですって?! ……いいわ、やってあげる!」
ぐつぐつと湧き立つ魔力を押さえつつ、セレスは作業を続ける。
一枚目――失敗。波紋が走る。
二枚目――まだ曇り。
三枚目――中央にかすかに影が映る。
四枚目――リュシエルの指先が淡く反射した。
「……今の感覚、忘れるんじゃないよ」
「ふ、ふん……当然よ」
「顔、真っ赤じゃないか」
「う、うるさい!」
リュシエルはくつくつと笑い、机を指で叩いた。
「次、《ひんやりステッカー》だ。配合はこの通り。数で覚えな」
「煙草臭いのに集中しろって、鬼畜ね……!」
「工房は戦場だ。匂いに泣き言言う奴は生き残れない」
「誰が泣き言を……っ!」
夕刻。
机の上には、成功した《ひんやりステッカー》の束。そして“面”の試作片が十数枚。
セレスは額の汗を拭い、へたり込む。
「……地獄みたいな一日だったわ」
「本番は明日からだよ」
「え?」
「本当に地獄ってのを見せてやる。あたしが欲しい“面”は、まだ先にある」
リュシエルは試作片を持ち上げ、光を映し、紫煙の向こうに未来を描いた。
「セレス。ごちゃごちゃ言ってる暇があったら――」
「分かってるわよ。やるわ。やって、あなたを追い抜く」
「へぇ、上等」
工房に笑いが落ちる。
窓の外、王都の空は茜に染まり、灯りがともりはじめていた。
忙しい日々の幕開けだった。




