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閑話・ソルミアの苦悶

 【リンボの鍵】の幹部級の魔法使い、ソルミア・ヴェルハインの部屋は、いつものように湿った闇に満ちていた。

 白銀の髪が燭台の薄明かりを反射し、彼女の頬に蒼ざめた光を投げかける。


 扉が閉ざされるやいなや、空間そのものが軋み始めた。見えない歯車が噛み合い、きしむような低音が壁を這う。上級吸血鬼レオノーラ・エヴァルティーヌの両手首には、透明の「輪」がはめられた。空気で編まれた枷は、わずかに動かすだけで鋸の刃が肉を削ぐような痛みを走らせる。


「遅いわ。呼んだらすぐ来なさい……」

 ソルミアの声は震えていた。だがその震えは怯えではない。飢えにも似た渇望が底に潜んでいる。


 次の瞬間、レオノーラの頬に乾いた音が響いた。ソルミアの掌だ。白磁のような頬が赤く染まり、遅れて熱い痛みが滲む。レオノーラは奥歯を噛みしめたが、こらえきれず声を洩らす。


「……っあ!」


「痛い? そう……あなたはいつも、痛みすらも美しく見せる」

 ソルミアは囁きながら、指先でレオノーラの腕をつねる。だがつねったその跡は、数秒も経たずして再生してしまう。


 「やめて……!」

 レオノーラの声が震える。しかし次の瞬間、空間に刻まれた見えないノコギリが肌を撫でた。浅い切り傷が幾筋も浮かび、直後に再生する。傷が塞がるごとに、神経を逆なでするような熱と疼きが全身を駆け巡った。


「いやぁっ……!」

 高い叫びが部屋に響く。痛みに強いわけではない彼女の体が反射的にのけぞり、涙が滲む。


 ソルミアはその悲鳴を聞き、陶酔と絶望の入り混じった笑みを浮かべた。

「どうして、どうして……私はこんなに惨めなのに。叩いても、裂いても、あなたは壊れない……」


 声が震え、白銀の髪が顔に張りつく。彼女自身も涙を流していた。レオノーラを痛めつけるたび、嫉妬と劣等感が噴き出す。その一方で、再生する白い肌に指を這わせると、陶然とした吐息が漏れる。


 「……なんて美しいの」

 ソルミアの指が血も残さぬ滑らかな肌をなぞる。自分の爪で腕を裂き、同じように治癒させてみる。だが違う。違いすぎる。鏡に映る自分はみすぼらしく、目の前の彼女は、憎らしいほどに完成されていた。


 「っ……あ、ぐぅ……!」

 レオノーラの呻きが漏れる。空間の板が胸を締めつけ、呼吸を阻む。息を吸うたび、鋸で擦られるような痛みが胸郭に走り、叫ばずにはいられなかった。

「やぁあっ! やめてっ、ソルミア……!」


 その声を聞くたび、ソルミアは泣き笑いする。自分の掌で顔を覆い、子どものようにしゃくり上げながら、それでも拘束を強める。


 レオノーラは気づいていた。ソルミアはまるで駄々をこねる赤子のようだ。けれど、それはただの癇癪ではない。妬みと自己嫌悪と孤独が絡み合った、病的な依存。赤子のように泣きわめきながらも、爪と刃で容赦なく肉を裂く危険そのもの。


 耐えながら、レオノーラは胸の奥で囁く。

(終わらせられるのは、あの人しかいない……ルーサー、あなたが来る時に、この娘を――)


 祈りのような夢想は甘く、しかし絶望に裏打ちされていた。オルフェクトの恐怖に縛られ、ソルミアに無言で従わざるを得ない自分。その哀れな姿を、ルーサーがいつか見つけてくれるのではないかという、一縷の希望だけが彼女を支えていた。


 ソルミアは泣きながらレオノーラを抱きしめ、爪を立てる。

「お願い……私を、見て……私を、置いていかないで……!」


 絞め上げられるレオノーラの唇からは悲鳴と嗚咽が交互にこぼれる。苦痛にのたうちつつも、その瞳の奥では、確かな憐れみが光っていた。


 壊れているのはソルミアだけではない。彼女を抱きしめ返すことはしない。だが拒絶することもできない。

レオノーラもまた、壊れつつある自分を感じていた。

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