ふたり目の弟子
工房に戻った夜、リュシエルは煙草をくわえながら、テーブルの上に並べられた道具と材料を見つめていた。
「……王都から持ってきた在庫、これで全部か。もうちょっと粘れるけど、正直ギリギリだねぇ……」
「……補充が必要か」
横でルーサーが静かに呟いた。
リュシエルは頷きつつ、煙草の灰を指で弾いた。
「材料集めはもちろんだけど、実地で採れる素材の方が効果が強いこともある。弟子の修行にもなるし、なにより……スライムの粘膜系、ここらじゃ全然見かけないからね」
ルーサーは苦笑した。
「この国、スライムとは縁遠いようだな」
リュシエルはふっと笑い、すぐ真顔に戻る。
「それと、あんたに礼を言っとかないとね。王都の工房再建のとき、資金出してくれたろ? あれがなきゃ、一年くらい営業再開はなかったかもしれない。感謝してるよ、マジで」
ルーサーは軽く手を振った。
「私にできることをしただけだ」
「……けどさ。これからあたし、6つの国に弟子を取って、工房を持つつもりなんだ。今はこれまでの売上金も潤沢にあるけど、設備と育成ってのは、いくらあっても足りないもんだよ」
「なるほど。それで、冒険者ギルドか」
リュシエルは片眉を上げて笑った。
「うん。あたしはステッカー作りに集中する。ラシィナにも修行を始めさせたいし……で、あんたには悪いけど、ちょいと素材集めを頼みたい」
「了解した」
ルーサーは即答した。
翌朝、ルーサーは冒険者ギルドへと向かい、リュシエルは仮工房にて初の制作に取りかかることとなる。
ラシィナはステッカー作りを見よう見まねで真似しようとするが、当然のように失敗し、リュシエルに何度も注意されながらも粘り強く作業を続けていた。
そんなある日。
「やあ、そこの職人様……見学って、してもいいのかな?」
控えめな声と共に現れたのは、白装束に身を包んだ、やや痩せ型の少年だった。年の頃は十三ほど。だがその目は知識への渇望でぎらついていた。
「……あんた、王宮の?」
「第4王子、ナイールと申します。グルバザーンの末の子……でもまあ、落ちこぼれみたいなものさ。お忍びで来たんだ。……君が、ステッカーを作っているリュシエル様?」
リュシエルはじろりと睨んだ。
「で? 何の用だい?」
「……錬金術が趣味でね。君の作業、ずっと見ていたいと思った」
「……まあ、邪魔さえしなきゃ、勝手にしな」
それからナイール王子は、何度も工房に足を運び、時に材料運びを手伝い、時にスケッチを取るほど真剣に作業を見つめた。
そしてある日、リュシエルが少しだけ手伝わせてみたところ――
「おおっ……お前、なんだその手付き……。素材の乾燥具合、ちゃんと見抜いてるじゃないか」
ナイールは恐縮しながらも嬉しそうに笑った。
ラシィナは遠巻きにその様子を見ていたが、次第に目を細め、手元の作業に集中し始める。
「……負けてらんない、かも……」
数日が過ぎたある日。
仮工房の一角では、ラシィナとナイールが黙々と作業に打ち込んでいた。
ラシィナは小さな炎を指先に灯しながら、ステッカーの魔紋へと魔力を流し込んでいる。
ナイールはその横で、取り出したばかりの薄い半透明のシートを、丁寧に並べていた。
「……あーっ! また焦げたっ!」
ラシィナが叫んだ。ステッカーの縁が黒くなり、わずかに溶けている。
ナイールが眉をひそめながら言った。
「君、魔力が強すぎるんだよ。もっと抑えないと」
「そんなの分かってるよぉ!」
ラシィナはむくれてそっぽを向いたが、すぐにリュシエルの視線を感じて、黙り込んだ。
リュシエルは口元に手を当て、静かに二人を見つめたあと、ふっと息をついた。
「ちょっと、あんたたち、手を止めて見てな」
そう言って、自らの机に材料を並べる。
ナイールとラシィナが目を丸くする中、リュシエルは華麗な手つきでインクを調合し、素早く下地を重ね、流れるように魔紋を描いた。
最後に指先で魔力を流し込むと、ステッカーが青白く光り、ピンと張ったまま定着する。
「……これが、基礎の完成形。ステッカー作りは繊細だけど、慣れればこの通り。素材の気持ちを読んで、魔力と相談しながら仕上げるのさ」
二人の弟子はしばらく言葉を失って見入っていた。
リュシエルは微笑み、次にラシィナの手元を指差す。
「ラシィナの“お願い”、つまり呪術による言霊……どうやら精霊にまで作用してるみたい。属性魔法も精霊魔法も、普通なら精霊の意志が必要だけど……あんたの呪術はそれをすっ飛ばす」
「……やっぱ危ないの?」
ラシィナが不安げに聞く。
「危ないけど、便利。例えば、大精霊と契約でもしようもんなら、あんたの『お願い』一つで火山も凍らせられるってわけさ」
リュシエルはくすりと笑った。
「けどまあ、うちはステッカー屋さんだから。マジックステッカー限定なら……その力、すごく役に立つ」
リュシエルはラシィナの手元のステッカーを拾い上げ、慎重に観察した。
「……定着力、異常なほど強い。普通なら暴走するか、逆に魔力が抜けて死んだステッカーになるとこなのに……これ、コモンステッカーだよ? 花の絵から本当に花が咲きそうだよ、こりゃ」
ラシィナの頬が緩む。
だが、その裏でナイールは別の苦労に直面していた。
「……素材が耐えきれないんだ」
彼は一枚の失敗したシートを持ち上げて言った。中央が焦げ、魔力により破損している。
「ラシィナさんの魔法は強い。だから、素材の方を強くしなきゃいけない」
「それで……何枚、ダメにした?」
リュシエルが訊くと、ナイールは静かに答えた。
「三十五枚。……でも、やっと分かってきた。スライムの粘膜と、乾燥温度のバランス。あと、糊に混ぜる薬草の比率」
彼はそっと、新しい一枚をリュシエルに差し出した。
それは滑らかで透明感があり、魔力を吸い込むように光を帯びていた。
リュシエルは息を呑む。
「……これなら、ラシィナの魔法でも耐えられるかもしれない」
数日後。
仮工房の作業台に、一枚のステッカーがそっと置かれていた。
ラシィナの手で呪術魔紋が刻まれ、ナイールが調整した下地がそれを支える。
絵柄はまだ描かれていない。ただの透明なステッカーに見える。だが——
「……お願い、風を……」
ラシィナが小さく囁いた瞬間、空気が震えた。
ステッカーからふわりと風が吹き、天井の埃が舞い上がる。
「……発動、した」
ラシィナの声が震える。自分でも信じられないようだった。
ナイールはその横で、小さく安堵の息を吐く。
「……ようやく、か。五十一枚目、だったな」
リュシエルは、作業台の向こうからゆっくり歩み寄り、ステッカーを手に取る。
「魔力の安定、定着、発動反応……」
目を細めながら、ステッカーを光にかざす。
「……うん、間違いない。これはちゃんと“動く”マジックステッカーだ」
ふたりの弟子が、同時に顔を上げた。
「ナイール、あんた、やるね。魔法はからっきしだけど、素材にかける執念は本物だ」
リュシエルはそう言って、笑った。
「ラシィナの魔力は普通の素材じゃ暴走する。けど、あんたが作ったこの下地……見事に魔力の圧に耐えて、かつ滑らかに流してる。ちょっと悔しいくらいに、完璧だよ」
ナイールは驚いたように目を見開いたあと、しばらく沈黙し——
「……俺なんかでも、役に立てたなら……うん、よかった」
静かにそう言った。
ラシィナが隣で呟く。
「ナイールでなきゃ、無理だったよ。あたしの“お願い”って、精霊にも届いちゃうし……普通のステッカーじゃ壊れちゃうんだ。……だから、ありがとう」
彼女は照れくさそうに、顔をそらす。
ナイールも、それを見て少しだけ微笑んだ。
リュシエルは、二人を交互に見つめながら、手を腰に当てて小さく頷く。
「よし。これで“ふたり目”の弟子が確定、だね」
真っ直ぐナイールを見据えた。
「ナイール、あんたを正式に弟子にする。……これで、ラシィナと同じ立場だ」
ナイールは驚いたように目を見開いたあと、小さく息を呑み、深く頷いた。
「……光栄、です。俺、もっと素材の研究をします。ラシィナさんの魔法にも耐えられるような、もっとすごい下地を作れるように」
ラシィナも真剣な目で言った。
「……あたしも、“お願い”の力を、もっと正確に使えるようにする。ナイールの下地にちゃんと応えられるように」
二人の言葉を聞きながら、リュシエルはふっと笑う。
「——あとは、絵柄を描けるやつだねぇ」
まだ未完成なステッカーたち。
けれど、それぞれの得意分野がかみ合い、ようやく“動く製品”が生まれ始めた。
そして、リュシエルは心の中で確信する。
——この二人がいれば、きっと“六つの工房”も夢じゃない。




