ラシィナの弟子入り
昼下がりの小村は、日差しに焼けてひび割れた石壁と、ひとつの泉を囲むだけの寂しい場所だった。馬に水を飲ませるため立ち寄ったリュシエルたちを、村人たちは歓迎するどころか怯えた顔で後ずさる。
その理由はすぐに分かった。
「やだって言ってるだろぉぉお!! 誰も勝手に泉使うなぁ!!」
泉の縁で、痩せっぽちの少女が泣き顔で叫んだ。次の瞬間、手桶を持っていた農夫が腕を跳ね上げ、顔に水をぶちまける。別の村人が文句を言おうと口を開いた途端、喉がきゅっと詰まり、真っ赤になって咳き込む。
「ラシィナがまただ!」
「逃げろ、巻き込まれるぞ!」
村人たちは蜘蛛の子を散らすように退いていった。
リュシエルは煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら片眉を上げた。
「へぇ……呪術かい。言霊で動きを縛るなんざ、なかなか厄介じゃないか」
黒衣のルーサーが腕を組み、低く唸る。
「……幼いのに、脳に直接干渉している。呪いにも似ているな」
少女――ラシィナは鼻水を垂らしながら、涙声でなおも叫ぶ。
「どうせ誰も、あたしの言うことなんか聞かないんだ! だったら全部止まれぇぇッ!」
その声に応じ、泉の水流が一瞬にして凍りついたかのようにぴたりと止まった。風すらも凪いだようで、あたりは不自然な静寂に包まれる。
リュシエルはぷはぁと煙を吐き、肩を竦める。
「癇癪で世界止めるんじゃ、村の連中も迷惑するわけだよ」
ラシィナは足を踏み鳴らし、両手を振り回す。
「動くなぁぁ! 目を閉じろぉ! ぜんぶ黙れぇぇ!」
けれど、リュシエルは煙草をくわえたまま荷台にひょいと飛び乗り、軽く笑った。
「残念、効かないね。あたしは気まぐれで動くもんでねぇ」
ルーサーも指先で小さく印を切ると、呪術の波をあっさりはじき返す。
「子供の力では、俺には届かん」
少女は地面にぺたりと座り込み、拳で土を叩きながら大泣きした。
「やだやだやだぁ! あたしだってすごいんだぁぁ!」
リュシエルはしゃがみ込み、煙草を灰に落としながら、じっとその魔素の流れを観察する。
「……なるほどね。言霊が脳に触ってる。制御できりゃ立派な戦術になるさ」
ルーサーは眉をひそめる。
「こんな暴走、呪いそのものだろう。放っておけば危険だ」
だがリュシエルは口角を吊り上げ、煙を吐いた。
「いや、化けるよ。この子は。才能は腐らせるより磨いた方がいい。弟子にする価値はあるさね」
泣きじゃくるラシィナを見やりながら、村人たちは怯えと安堵の混じった視線を交わした。彼らの目には「厄介払いしてくれるのなら助かる」という思いが透けていた。
リュシエルは立ち上がり、灰を払うように手を振った。
「……安心しな、ラシィナ。あんたを理解してくれる奴は必ず現れる。まずは、あたしが教えてやるよ」
煙の香りとともに、その言葉だけが少女の耳に残った。
ラシィナの癇癪騒ぎが収まった後、リュシエルとルーサーは村長の家に通された。土壁の狭い室内で、村長は深く頭を下げる。
「……あの子は、親兄弟すら持て余している厄介者です。ですが、畑や水汲みではちゃんと働き手でもありまして……」
その言葉にリュシエルは煙草をくわえ、机に肘をつきながら視線を走らせた。部屋の隅には乾かされたサボテンの茎が山と積まれている。
「……へぇ、粉にして保存してんのかい」
リュシエルの目が僅かに光る。サボテンを砕けば、澱粉質を多く含む白粉が得られる。それはステッカーの下地紙に練り込める、優秀な素材となるはずだった。
彼女は煙を吐きながら笑った。
「提案があるよ。あの子はあたしが首都まで連れてって弟子にする。その代わり、このサボテン粉を定期的に卸してくれるなら……ちゃんと買い取るよ」
村長は目を見開き、思わず身を乗り出した。
「……買い取る、ですと? そんなもの、今までは売り物にもならず……!」
「だからこそさね。ゴミが金になるなら、損はないだろう?」
村人たちの間にざわめきが広がる。農作物の乏しいこの土地にとって、安定収入は何よりの救いだった。ラシィナという厄介者を抱えるより、働き手を一人減らしてでも得られる安心の方が勝ったのだ。
「……分かりました。その条件で、ラシィナをお願いします」
深々と頭を下げる村長に、リュシエルはにやりと口角を上げた。
「よし、決まり。あの子はあたしが鍛えてみせる」
部屋を出たところで、ルーサーが半眼でリュシエルを見やる。
「……君は本当に、商売に抜け目がないな」
リュシエルは肩を竦め、煙草をくわえ直す。
「タダで引き取ったんじゃ、村にしこりが残るさね。お互い得すりゃ角は立たない。……それに、材料が手に入るなら万々歳だろ?」
呆れたように息を吐くルーサーを横目に、リュシエルは笑みを深めた。
「人も素材も、拾えるものは拾う。それがあたしのやり方さ」
翌朝。村の外れ、岩影にラシィナは膝を抱えて座っていた。昨日の騒ぎのせいで村人から距離を置かれ、砂を蹴るばかりで目を合わせようとしない。
そこへリュシエルが歩み寄り、煙草をくわえたまま腰を下ろす。
「よぉ、昨日は派手にやってくれたねぇ」
ラシィナはびくりと肩を震わせる。
「……どうせ、あたしを捨てに来たんだろ。村も親も、あんたに押しつけて楽になるだけ」
リュシエルは笑いもせず、ただ煙を吐いた。
「……勘違いすんじゃないよ。あたしが欲しいのは、あんたのその力さ」
ラシィナが顔を上げる。瞳にまだ不信の色が残っている。
「“止まれ”の一言で大人を固めるなんざ、なかなか出来ない芸当だ。今は制御も効かないし、癇癪ばっかりだけど……磨けば光る。あんたには弟子入りの資格がある」
「……弟子、に……?」
リュシエルは煙草を指で弾き、砂に落とした。
「そう。あたしの工房で学べば、ただ厄介者じゃなくなる。いつか必ず、あんたを理解してくれる人間も現れるさ。――だから、来るか?」
ラシィナの喉が小さく鳴った。泣き出すまいと唇を噛み、震える声で答える。
「……い、行く。あたし、あんたに付いてく」
リュシエルは口元をわずかに緩め、軽く肩を叩いた。
「よし、決まりだ。今日からあたしの弟子ラシィナだ」
遠くで見守っていたルーサーは、呆れたように首を振りながらも、口元にはかすかな笑みを浮かべていた。




