谷間の襲撃
王都を発ち、街道を南へ数日。森は途切れ、乾いた風が吹き抜ける谷間へ差し掛かった。両側の岩壁は白く陽を返し、空気はじりじりと肌を焦がす。鳥の声もなく、不自然な沈黙が続いていた。
荷台に腰を下ろしたリュシエルは、煙草をくわえたくなる衝動を抑えて空を見上げた。
「静かすぎるねぇ……風が砂ばっかり運んでる」
馬上のカリムは険しい目で周囲を見渡す。
「谷間は絶好の待ち伏せ場だ。油断するな」
黒衣のルーサーが静かに掌を掲げる。
「……気配がある。岩陰に十数……いや二十近い。素人ではないな」
次の瞬間、怒声が谷に響いた。
「止まれッ! 荷を置いていけ!」
岩陰から粗末な鎧の男たちが雪崩のように現れた。剣、槍、弓と武器はばらばらだが、飢えた眼だけは共通していた。
「はぁ……出たねぇ」
リュシエルは大げさにため息をつく。
「せっかく景色を楽しんでたのに。仕方ない、ちょっと遊んでやるか」
盗賊が一斉に駆け寄る。
リュシエルは手を軽く振ると、荷台の上から囁くように呪文を紡いだ。足元の砂が一瞬で泥に変わり、突っ込んできた三人が膝まで沈んで動けなくなる。
「足元見なきゃ、ねぇ」
弓を構えた盗賊が矢を放つ。しかし矢は彼女の前で突風に弾かれ、逆に撃った本人の足元に突き刺さった。
「矢はちゃんと狙って飛ばさなきゃさ。……命中率ゼロじゃあ商売にならないよ」
岩陰から回り込んだ二人に向けて、リュシエルは片手を掲げる。指先から火花が走り、刹那に彼らの剣が灼熱に包まれた。金属は悲鳴のように鳴り、握った盗賊が慌てて手を離す。
「熱いかい? エルフの前で余裕こいて武器へ魔力を流さないのは素人さ。身包み剥がされちまう」
ルーサーの詠唱が響き、眩い光が谷を照らす。十数人が一瞬にして目を押さえ、よろめいた。
カリムは槍を回し、馬上から突き下ろすように盗賊を薙ぎ払った。軍人の動きは淀みなく、迫る敵を次々と押し返す。
戦意を削がれた盗賊たちは、次第に悲鳴と呻き声を上げ始めた。リュシエルは剣に手をかけることなく、魔法だけで彼らを封じ込めていく。
やがて谷間には呻く盗賊ばかりが転がった。
ルーサーが一人を引きずり出し、冷たい眼差しを向ける。
「誰に雇われた?」
盗賊は血の混じった唾を吐き、叫んだ。
「ち、違う! 雇われたんじゃねぇ! 南に行く馬車に金目の荷があるって噂を聞いただけだ!」
別の盗賊も慌てて声を上げる。
「“影の連中”が喋ってたって話だ……俺たちは、ただ噂に乗っただけなんだ!」
リュシエルは腕を組み、口角を吊り上げた。
「影の連中ねぇ……。リンボの鍵が、盗賊にまで名前を売るとは。悪名高いってのも大したもんだ」
カリムは苦い顔をして槍を収める。
「ただの盗賊にまで噂を流す……奴らの手は広いな。国境を越えて浸透している証拠だ」
ルーサーは無言で盗賊を縛り上げ、岩陰に放り出した。
「哀れな駒だ。だが情報は有用だ」
リュシエルは荷台に腰を戻し、空を仰いで笑った。
「剣を抜かずに済んでよかったよ。あたしの剣は、気安く抜くもんじゃないからねぇ」
馬車は再び南街道を進む。照り返しの熱気は強まり、遠くには砂丘の霞が揺れていた。
「歓迎か、罠か……さて、どっちが待ってるやら」
リュシエルの呟きが、砂混じりの風に消えていった。




