表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/72

外伝『エルネスト戦記』・【火種】


 雨音が止んだ後の夜は、不自然なほど静かだった。

 収容区の片隅で、焚き火の明かりに照らされたドワーフの少女は、まだ体を震わせていた。

 彼女の名はティリス。帝国の強制労働を科された鍛冶工房からの逃亡者。帝国に逆らった一族の生き残り。


 泥に塗れた頬を伏せ、言葉を飲み込む少女に、エルネストは黙って草の煎じ液を差し出した。

 温もりが掌を伝うと、彼女はわずかに目を見開いた。


「どうして……助けるんだ」

 震える声。問いかけというより、自分でも理解できないという吐露。


 エルネストは短く答えた。

「お前は、生きている。それだけで理由は足りるだろ?」


 焚き火の火花が弾ける。

 その言葉に、少女の目から涙が溢れた。押し殺していた嗚咽が零れ、肩が震える。


 奴隷たちはその場を黙って見守った。

 虎の青年の言葉には、なぜか人の心を解きほぐす力があった。


 ──エルネストは慰めない。憐れまない。

 ただ事実を見据えて、肯定する。


 それは奴隷たちが一番欲していたものだった。


 数日後、ティリスは収容区に残る決意をした。


 逃げ続ければ、追っ手に捕らわれるだけ。だが、ここには彼がいる。


 エルネストの瞳を見たとき、自分の手で何かを変えられるかもしれないと直感したのだ。


 ティリスは働き始めた。

 炭の残り火を使い、釘を打ち直し、壊れた桶の金具を直す。

 その手さばきに、奴隷たちは目を丸くした。


「ドワーフって……やっぱり鉄の扱いが上手いんだな」

「いや、あの子は子供だろ? それでも、俺らよりずっと手際がいい」


 エルネストは黙ってそれを見ていたが、やがてぽつりと呟いた。

「力を合わせれば、もっとできるはずだ」


 その一言が火種になった。



 ティリスの知識と、エルネストの理論。

 二人の存在は、徐々に収容区の空気を変えていった。


 文字を知らない獣人に、エルネストは泥に指で文字を書いて見せる。

 力しか知らない男たちに、ティリスは工具の使い方を教える。


「力だけじゃ鉄は曲がらない。熱と道具がいるの」

「考えれば、戦う以外のこともできる」


 小さな講義。小さな工夫。

 けれど、その積み重ねは確かに人々の目を変えていった。


 奴隷たちは気づき始める。

 檻の中でも、未来を思い描くことができると。



 夜。焚き火の前で、ティリスがぽつりと聞いた。

「ねえ……あなたは、檻から出たい?」


 エルネストは炎を見つめたまま答えた。

「虎は檻に慣れることはない。……だが、出るには牙がいる」


 その目は鋭く、けれど静かに燃えていた。

 その視線に、ティリスは震えながらも頷いた。


「じゃあ、私が鉄を打つ。あなたがわたし達を導いて。きっと、何かを変えられる」


 焚き火が大きく弾けた。

 その音は、檻の中に眠る者たちの心を揺さぶった。


 その日、確かに火種が灯った。

 まだ小さな光。だが、やがて帝国を焼き尽くす炎の始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ