連合の始まり
炎に焼かれた《街のステッカー屋》の煤煙がまだ空に漂う翌朝、王宮では急遽、各国使節と要人を集めた評議が開かれた。
重厚な扉の向こう、長卓を囲んだ顔ぶれは緊張に覆われている。
王国からは王宮魔術師ルーサーと近衛騎士団長。
東のエルフの国・ファーフォールンからはリュシエルの実兄であり、賢者ホロウム。
西のカナリア聖国からは神官資格を持つ外交官セラフィン・ド・アルヴェロ。
南の砂竜国グルバザーンからは元副将カリム・アル=サルハーン。
北からはハーフタイガーエルフの特使、アネモネ。
東の天久国からは忍び上がりの芦屋玄道。
そして、工房を失ったばかりのリュシエル本人が、場の端に腰を下ろしていた。
「……昨夜、王宮を襲撃した連中について調べはついた」
ルーサーが低く告げた。
「襲撃を仕掛けたのは《リンボの鍵》と呼ばれる闇組織。違法魔道具の流通に関わり、各国でも問題視されている連中だ」
「リンボの鍵……!」
セラフィンは聖印を握りしめた。「やはり奴らか。市井の信徒の間でも黒い噂が絶えなかった。だが、ここまで大規模に動くとは……」
ホロウムが眉を顰める。
「聞いた事があるよ。かつてエルフの国にも精霊魔術絡みで戦闘があってね。エルフ族の誘拐や違法奴隷にも関わりがあるって噂だ。まさか妹を狙うとはね」
カリムが拳を握る。
「連中は我が国グルバザーンで“呪符の劣化品”をばら撒いていると報告を受けていた。だが、もはや放置できん。砂竜軍の兵を惑わすどころか、ステッカー屋を焼くとは……」
芦屋玄道は目を細め、扇子を鳴らした。
「裏の裏まで徹して潜む一団。こちらでも追跡は難しかった。だが、昨夜の手口を見るに、ただの盗賊ではない……組織立った思考人形のような兵を操っていた」
沈黙が落ちた。
その中で、アネモネが立ち上がる。虎の縞を宿した尾が揺れる。
「――我が祖国エルネストリオンは、この《リンボの鍵》をかねてより警戒してきた。彼らは単なる犯罪者ではない。背後に、もっと古い悪意が潜んでいる」
重い言葉に、一同の視線が集まる。
だが彼女は首を振り、具体名は出さなかった。
「詳しくは語れません。だが一つだけ言えます―リュシエル殿の事業と命を狙う者がいる。理由は単純だ。あなたのステッカーは、世界の秩序を変えるほどの力を持つからだ」
視線がリュシエルに集まった。
彼女は椅子に深く腰をかけ、焦げ跡の残る指先で煙草を弄んだが、ここでは火を点けず、ただ短く吐き捨てた。
「遅かれ早かれ来てたんだろ、あいつらは。燃えたのは残念だけどね、泣いても灰は元に戻らない。……ただ、商売の邪魔はさせないよ」
その声音には、煤に覆われても揺るがぬ芯があった。
昨夜、焼け跡を見て涙を流した子供たち、肩を落とした常連客の顔が浮かぶ。
それでも彼女は前を向いた。
ルーサーが静かに頭を垂れる。
「守り切れず、すまない」
リュシエルは片眉を上げた。
「謝るこたぁないよ。あんたが悪いわけじゃない。むしろ、次はもっと派手にやってくるだろうね。だから――備えときな」
その言葉に呼応するように、セラフィンが立ち上がった。
「ならば聖国は、彼女を守るために力を貸そう。信徒たちの恩義に報いるためにも」
カリムも頷く。
「砂漠の兵も同じだ。ひんやりとほかほか、あのステッカーで何人が救われたか分からん」
玄道は笑みを浮かべ、扇を閉じた。
「陰陽寮の連中は渋面を作るでしょうが、私が動けば口出しできまい。天久国も協力を惜しみませぬ」
ホロウムは優しい笑顔でリュシエルを励ました。
「当然、国としても、兄としても協力を惜しまない。ここまでされて黙ってるわけにはいかないでしょ」
アネモネは両手を卓に置き、鋭い瞳で言い切った。
「エルネストリオンも同じだ。リュシエル殿は人類にとって希望だ。《リンボの鍵》を人類共通の敵と認め、必ずや討ち果たす」
長卓の上に、国も種族も異なる拳が並んだ。
誓いは一つ。
リュシエルを守り、闇に潜む《リンボの鍵》を討つ事。
奇しくもこの会議はリュシエルが世に出したステッカーで各国が一丸となった瞬間だった。
重苦しい沈黙を断ち切るように、フィルバーレル王がゆっくりと立ち上がった。
老いを刻む額に、燭光が影を落とす。だがその眼は曇らず、鋼のように光を宿していた。
「……全て聞いた通りだ。もはや疑う余地はない。《リンボの鍵》は、この世界の秩序そのものを蝕む病巣だ」
王は一拍置き、卓上に置いた拳を固く握る。
「我らが王国だけではない。人も獣も、森も砂漠も、すべてを呑み込もうとしている。ならば答えは一つだ。――この場に集った者たちを以て、国境を越えた連合の誓いとしよう」
その声は、石造りの広間を震わせた。
「リュシエル。お前は職人であり商人にすぎぬ。だが今や、お前の才は人類すべての礎となった。
ゆえに我が名の下に宣言する。フィルバーレル王国は、お前を守る楯となろう。
そして我らは、リンボの鍵を人類共通の敵と断じ、必ずや討ち果たす」
その言葉に、各国の特使たちが次々に立ち上がり、沈黙のうちに頷いた。
それはもはや一王国の決議ではなかった――世界の歴史を動かす、新たな連合の始まりだった。




