焼け跡にて
王宮での騒乱が収まったのは深夜近くだった。
だがリュシエルの胸はざわめき続けていた。
胸の奥に灯った不穏な直感に導かれるように、彼女は王宮を飛び出した。
夜の石畳を駆け抜け、大通りを曲がった先――。
鼻を衝いたのは、焦げた木と紙の匂い。
視界に広がったのは、火に呑まれ、崩れ落ちる木造の工房。
「……っ!」
リュシエルのステッカー屋だった。
窓から炎が噴き上がり、屋根が音を立てて崩れる。
鮮やかに積み上げてきた夢と笑顔が、容赦なく灰になっていく。
「リュシエル!」
駆けつけたルーサーが、燃え盛る店を睨みつけて歯を食いしばる。
周囲には既に人だかりができていた。
泣きじゃくる子供たち、肩を落とす常連客、涙で顔を濡らす街の人々。
「……俺のコレクションが……」
「嘘だろ、全部……」
人々の嗚咽が、夜気に混じって燃え盛る炎に吸い込まれていく。
リュシエルは、炎の前で静かに立ち尽くした。
――コモンステッカーはすべて灰になった。
だが、マジックステッカーだけは《収納魔法》に収めてある。
まだ、全てが失われたわけではない。
ルーサーが低く声を落とした。
「……すまない、リュシエル。こんなことになるとは思わなかった。
もっと強く警戒していれば守れたはずなのに」
彼の言葉には深い悔恨が滲んでいた。
しかしリュシエルは首を振る。
炎に照らされたその横顔は、涙を浮かべながらも毅然としていた。
「遅かれ早かれ、奴らは来たんだろうさ。
あたしのステッカーが世界を動かした以上、狙われるのは当然さね。
これは……始まりに過ぎないんだよ」
その時だった。
「……その通りです」
背後から澄んだ声が響いた。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
長い黒髪に虎獣人の耳、しなやかなエルフの輪郭を併せ持つ、美しい女。
ハーフタイガーエルフのエルネストリオン外交特使――アネモネだった。
彼女は燃え盛る工房を見つめ、静かに歩み寄る。
「あなたが今、標的になったのは偶然ではありません。……この影に“奴ら”の気配を感じます」
リュシエルの眉が動く。
「“奴ら”ってのは……」
アネモネは頷き、声を潜めた。
「名は出せませんが――魔道具による支配を目論む闇の組織が存在します。
私も幼い頃から、建国の師父エルネストとその魔導鎧開発者に連なる血筋ゆえに命を狙われてきました。だから、あなたが同じように狙われるのも必然なのです」
ルーサーが険しい顔をする。
「……やはり実在するのか。だが、なぜ今リュシエルを」
アネモネは炎を映す瞳で、二人を見つめ返した。
「彼女のマジックステッカー。あれは“奴ら”にとって、支配の道具の雛形に見えているのでしょう。だから私は言います――リュシエル、どうか気をつけて。あなたは、今や世界で最も重要な存在なのだから」
その言葉に、リュシエルは肩をすくめてみせた。
「まったく、厄介な連中だね。けど、あたしゃあんた達みたいにあちこち嗅ぎ回ったりは得意じゃない。ルーサーみたいに国を守る、みたいな立派な人間でもない。できるのはステッカー作りだけさ」
アネモネは首を振り、優しく微笑んだ。
「だからこそ、私たちが守るのです。……リュシエル、ここで共に戦わせてください」
炎の赤と、涙の光に包まれながら、
三人はただ静かに夜を見上げていた。
燃え盛る工房はもう戻らない。
だが、その焼け跡から――新たな絆と決意が、確かに生まれようとしていた。




