王宮舞踏会・前編
リュシエルがその夜会への招待を受けたのは、工房に夜更けまで煙を漂わせていた折だった。
「すまないが、頼みたいことがある」
扉を叩いて現れたのは、王宮魔術師ルーサー・グランディール。
「藪から棒に、なんだい」
リュシエルは紫煙をくゆらせながら、書類の束を机に叩きつけた。
「王宮の舞踏会だ。諸国から使節が来る。君にも出てほしい」
「……冗談じゃないね。あたしにドレスなんざ似合わないよ」
「こちらで用意する」
「タダ酒飲めるなら考えてやるさね」
舞踏会当日
王宮の大広間。金糸の織り模様が天井を覆い、燭台には無数の光が灯る。
その中央にドレスを纏ったリュシエルが姿を現した瞬間、ざわめきが広がった。
「エルフ……?」
「異種だぞ」
「いや、あれは……あのステッカー屋だ!」
庶民派の文官や書記官たちは驚きと敬意を入り混ぜた目を向け、一方で貴族の令嬢や古い血筋の者たちは、扇で口を隠して囁きあった。
「昔なら下働きにしかなれなかったはず」
「エルフ風情が王宮に……」
その偏見は、かつて隣国に存在した古き帝国が奴隷制度を敷いていた影を思い出させる。
王国はすでに奴隷制から解放されたとはいえ、旧帝国の血に連なる貴族の心には未だ澱が残っていた。
リュシエルはそんな視線を正面から受け止め、にやりと笑った。
彼女が広間の中央へ進むと、有象無象の男たちが群がった。
ワインの杯を持って軽口を叩く者、
自慢話を始める者、「異種のくせに」と舌打ちする者。
女たちは嫉妬を隠そうともせず、視線でドレスを値踏みし、「王宮に似つかわしくない」と冷笑を浴びせる。
リュシエルはそれを真正面から受け、口角を上げた。
そこへ一人の令嬢が進み出て、ドレスの裾を横切るように歩み寄る。
足先がわざと布を踏もうとしたその瞬間、
リュシエルは軽く腰をひねり、裾を翻した。
緑の布が舞い、まるで彼女の意思で風が吹いたかのように。
令嬢はよろめき、扇を落とした。
「……っ」
リュシエル気遣う仕草だけをして、低く囁く。
「おっと、あたしのドレスは安物じゃないからね。あんたの靴の泥は似合わない」
周囲に笑いが漏れ、令嬢の頬は赤く染まった。
ワインに顔を赤くした地方領主がリュシエルの腕に手を伸ばす。
「俺の妻になれ。エルフでも構わんぞ。財産も爵位もくれてやる!」
リュシエルは指先でその手を軽く弾き飛ばし、「けっこうなお話だね。けどあたしゃ売り物じゃない」と静かに言い切った。
周囲がざわついたその時――
「やめろ」
低く、凛とした声が響いた。
王宮魔術師ルーサーが一歩進み出る。
「ここは王宮だ。己の欲に任せて客人を辱める場ではない」
その眼差しは冷徹で、魔術師としての威圧が広間を圧した。
領主は舌打ちをし、手を引っ込めざるを得なかった。
リュシエルは、すぐに皮肉を飛ばす代わりに、「助かったよ、まったく。あたしゃ商品じゃないんだ」と呟いた。
ルーサーが手を差し伸べた。
「踊っていただけますか」
「……しょうがないね、ここまで来たら付き合うさ」
音楽が流れ、二人は舞踏の輪へ。
リュシエルは自分の心臓の高鳴りを意識してしまう。
これまで冒険でも工房でも、胸を騒がせることはなかった。
(何だい、この感じ……前の世界じゃ、あたしはこんなふうに心揺れることはなかったのに)
ルーサーの手は紳士的で、視線は真っ直ぐ。
彼女はエルフとして、異邦人として、常に強く構えてきた。
だがこの瞬間だけ、周囲の視線も、偏見の囁きも、今は遠い。
ただ一人の女性として舞っている自分がいる。
紫煙も皮肉も持たぬ、素直な心が、胸の奥で熱く脈打っていた。




