チャプター29
〜シュラーフェンの森・奥地 ヘレンの家〜
エルリッヒが穏やかにお茶を飲む様子を見て、ヘレンは「何を話そうか」と考えていた。三百年前から生きていたというのであれば、訊きたいことは色々あるはずなのに、それでも質問が急には出てこなかったのが先程のことだ。人の姿に戻ってくれた今、この状態なら積極的に話の種が出てくるかと思ったが、やはりそこまですぐには出てこないのだった。
それでも、こんな機会はなかなかないので、気になることを絞り出してみる。
「お前さんは、あの姿なら、かなり強いんだろう? やっぱり、魔王の時代は大活躍したのかい?」
「そんなことはないですよ?」
と、口の端についたお茶をぺろりと舐め取りながら、こともなげに言う。いくら人の前で正体を明かさないとしても、あれだけの巨躯で空を飛べ、炎を吐けるドラゴンであれば、魔物相手にさぞかし活躍したのだろうと思ったのだが、これには流石のヘレンも驚きを禁じ得なかった。
「いや、いくらなんでもそれはないんじゃないかい? 謙遜もほどほどにおしよ」
「あぁ、弱いっていう意味じゃないですよ? ほら、私は人間の世界で生活していたので、基本的にみんなといる時はか弱い女の子だったんです。もちろん、一人でいる時に魔物に襲われたら、自衛はしますけどね。それでも、基本的にはこの姿で戦いましたよ。魔法も使えないから、武器を手にドカンと」
流石に若い娘が長剣や斧などを買おうとしても、店ではなかなか売ってくれず、そもそもそこまでの蓄えもなかったので、基本的には竜殺しの剣を振るっていたが、呼び出す余裕のない時は、やむをえず直接腕力でねじ伏せていた。そのことを思い返すと、「料理の勉強を始める前だったから今ほどではないにしろ、人ではないために、並の戦士以上の力はあった」ということになるのだが、何しろ立ちはだかってきた魔物は当時のエルリッヒから見れば明らかに弱く、地方には強い魔物は配置されないのかと思っていた。
「武器を手に、ドカンかい」
「はい。ドカンです。でも、大きな都市はあんまり行かなかったんで、強力な魔族みたいなのを相手にすることはなかったですね。それに、移動のために馬車で街道を走ってる時は、だいたい護衛の戦士が同伴でしたしね。魔物や盗賊が現れたら、そう言う戦士たちが守ってくれました」
話しながら、当時の護衛の戦士たちを思い出してみた。若々しくてフレッシュな剣士から、熟練の屈強な戦士まで、多種多様な男たちが馬車で移動する一般の人たちを守ってくれていた。中には魔物との戦いで怪我を負った者もいたが、少なくとも自分の身を守ってくれた戦士たちに死者が出なかったのは幸いだった。
やはり、直接顔を合わせる戦士たちとそう言う別れはしたくない。
「移動に護衛が必要ってのは、いつの時代も同じだね。けど、お前さんが魔法を使えなかったってのは意外だね。アタシの師匠も若い頃言ってたけど、昔はみんな使えたんだろ? 魔法の力が使えりゃ、それでやっつけるって手もあったろうに」
「あー、やっぱ気になりますよね。フォルちゃんにも同じこと訊かれました。私は魔法の力はからっきしだったんですよ。周りの人に教えてもらって試したこともあるんですけどね、ほんとさっぱりで。私以外にもいたんですよ、魔法の素質のない人が。だから腐らずに済みましたけど、本当に自分以外全員魔法が使えたらと思うと、恐ろしいですよ。そういえば、魔法使いもいましたから、魔法の力で護衛に入ってくれる人もいましたね。この話をしてて思い出しましたよ」
護衛の魔法使いはどうしても身体能力の関係で後方からの攻撃や支援に限られ、魔力は枯渇することもあるので、肉体と武器で戦う戦士に比べると数は少なかったが、魔法による攻撃や支援は魔法の使えないエルリッヒにとってはとても見応えのあるものっだのを思い出した。魔法の力が人間から失われて百余年、そう言う存在がいたことをすっかり忘れていたことに、申し訳ない思いがした。
「魔法使いねぇ。師匠も若い頃は魔法が使えたって言ってたからね、嘘だとは思わないけど、実際に見たことのないアタシからすると、やっぱりおとぎ話の世界の力に思えちまうよ」
「ですよねー。私は、魔法の力が人間に宿ったその時にも居合わせてますけど、その時もみんなおんなじような反応でしたもん。とりあえず色々やってみる、見たいな感じで。その後、素質全般が個人に依存するってわかってきたんですけどね」
カップをテーブルに置き、人差し指で炎を放つような仕草をしてみせる。当時から全く素質がなかったので人畜無害なただのポーズだが、魔法の力を備えた者であれば、これで本当に火の玉が飛んだのだ。そこから百年以上、遠い時代になったものだ。
「でも、ある時一斉に魔法の力は消えたんだろう? お前さん、何か知ってるのかい?」
「はい。これは、私が戦った魔族の話を聞いただけなんですけど、魔王がいた時代、魔王はあまりにも強大な魔力を持っていたんで、その力が世界中に漏れ伝わっていて、その影響で素質のある人間が魔法を使えるようになったらしいです。だから、魔王が勇者に倒されて封印されちゃったんで、今度はみんなからその力は失われちゃったと言う話みたいです」
魔王が倒すべき人類共通の敵だったのと同時に、みんなに魔法の力をもたらしてくれたと言うのは、知ってしまうと皮肉でしかないのだが、兎にも角にも勇者が魔王を討伐したことで、世界からは再び魔法の力が消えたのである。それは、結局のところ魔法の力が人間の持ちうる能力ではなかったと言う証拠でもあった。
「なるほどねぇ。魔王の存在と連動してたなんて、興味深いもんだよ。でも、そう言うことなら、今はまた魔王が復活したんだろ? 倒せてなかったってのも驚きだけどさ、復活したってんなら、また魔法の力に目覚めてもおかしくないんじゃないのかい?」
「そう、そこなんですよね。今のところ、誰にもその兆候はありません。と言うことは、実は因果関係はなかったんじゃないかとか、魔王の力はまだ完全には戻っていないんじゃないかとか、百年前勇者に倒されたことで、大きく力を損なったんじゃないかとか、色々考えられちゃいますよね。まあ、この辺はなるようにしかなりませんよね。魔王復活にしたって、勇者の子孫が旅立ったって噂も聞きましたし」
再びお茶に口をつけると、そこで話を切った。向かい合って座るヘレンを見ると、その表情には驚きの色が色濃く現れていた。
初めて聞くような話ばかりで、それを咀嚼することに時間を要していた。
「やれやれ、とんでもない話だね。けど、魔王の時代を超えてお前さんは今ここにいる。すごいもんだよ」
「いえいえ。それに、こうして秘密を直接明かして色々お話しできる人ができたんで、すごく楽になりました。今、街の人たちは漠然とした座学として私が街を救ったドラゴンだって知ってるだけで、やっぱり直接元の姿で接したことのある人はいませんでしたし、その辺、すごく気にしてたんですよ」
当初ヘレンが言った通り、こうして一人だけでも本来の自分を受け入れてくれる人がいると言うことが、こんなに心を軽くしてくれるとは、思わなかった。こういう、人の心のケアをしてくれるのもまた、『魔女のお仕事』なのではないだろうか。
「それにしても、まさかドラゴンがあんなに大きな生き物だとは思わなかったよ。初めてお目にかかったけど、ありゃあ驚いたね」
「そんなことないですよ? あ、やっぱり勘違いさせちゃいますよね。これは説明してていいかなと思うんですけど、私は竜族の中ではかなり大きい方なんですよ。今は普通の身長ですけどね。一応、私竜族では王女なので、血統的に体が大きくて」
その一言を聞いた時のヘレンは、ここ一番の驚きで目を丸くしていた。
〜つづく〜




