チャプター28
~シュラーフェンの森・奥地 ヘレンの家の前~
「じゃあ、何から教えてもらおうかね。ありきたりなところで、火は吹けるのかい? ドラゴンと言ったら火吹き竜ってのが、アタシが子供の頃からのお約束だからね」
本来の姿に戻ったエルリッヒとコミュニケーションが取れるとなり、いろいろ話ができることにはなったが、いざその時になると、じゃあ何を話せばいいのか、いい話題が浮かんでこない。そもそも、人の姿に戻ってもらってから改めて話せばいいことではないのか。そんなことを考えると、ついありきたりな質問しか浮かんでこなかった。
(ヘレンさん……なんてしょうもないことを。でも、実際この姿を前にしたら、好奇心が生きてる方が不思議だよね。見せちゃってる以上、隠すことももうほとんどないし、何を訊かれてもいいけど)
などと考えながらも、地面に爪で答えを書いていく。
『はい。簡単にこの森を焼き払うことができてしまうので、絶対吐きませんが』
「何やら物騒な話だね。あとは、そうだね。今の姿は、空も飛べるのかい?」
初めは色々訊いてやろうと思ったのだが、結局当たり障りのない質問しか出てこない。確かに、見るからに立派な翼が生えており、訊いてみたくはなったのだが、もっと踏み込んだ話や、デリケートな話題をしてやろうと思ったのだが、この巨大なドラゴンの姿を前にすると、ついつい思考が鈍くなってしまう。威圧されているわけではないのだが、圧倒されているのは事実なのだろう。
エルリッヒはそんなヘレンの思いを知ることもなく、ゆっくりと文字を刻んでいった。
『どこに行くのも、ひとっ飛びですよ』
「ほう、やっぱりそうなんだね。そりゃ、すごいもんだ。というか、こうやって会話するのもやっぱりもどかしいもんだね。アタシはお前さんが人じゃないって話を信じたし、その姿に驚きこそしたけど、恐怖は感じなかったし、石を投げようとも思わなかった。それで十分じゃないのかい?」
ドラゴンの姿に戻ったエルリッヒの顔を見上げながら、珍しく笑顔を見せた。高く見上げることになってしまい、正直首が少々痛かったが、顔を見合わせてその意思を伝えたかった。人間にはドラゴンの表情はわからなかったが、向こうはこちらの表情を理解することができる。気恥ずかしかったので、つい憎まれ口を足してしまうのがヘレンの性分だったが。
「ま、街の連中がどう思うかは別だけどね。みんながみんな、アタシのようにはいかないだろうさ」
それはわかっている。わかっているからこそ、ヘレンが今の自分を目の前にしても動じないでいてくれることが嬉しかった。もし、人間の姿をしていたら、きっと気恥ずかしくて顔が真っ赤になっていることだろう。表情を悟られにくいこの姿で良かった、と思った。
「そろそろ、人の姿に戻ってもいいんじゃないかい? 筆談するのも大変だろう」
『いいですよ。それじゃあ、また変身しますね』
ヘレンの提案は尤もだった。この姿で喋る時の声を晒さずにコミュニケーションが取れる画期的な方法を思いついたと、自分を褒めたくなったものだが、実際に使ってみて、この筆談は筆談で、それなりには面倒だということを思い知った。逐一足下に書く手間と時間はかかるし、字形の細かいものはちょっと書きづらい。
そもそも、ドラゴンの中でも体の大きなエルリッヒは、人の姿をしている時の平均的な身長とは勝手が大きく異なる。当然、脚もそこから生える鋭い爪もその分だけ大きくなるので、必然的に細かい作業が苦手になっていく。ちゃんとコミュニケーションが取れることはわかったし、それなりには書けているのだが、羊皮紙にペンで書くのとは全然違う。
だから、その不便さがじわじわと効き始めていたところに降ってきたヘレンの提案は、正直ありがたかった。
『それじゃあ、先に家に戻っててください』
「そうかい? 今更秘密にするものでもないだろうに」
見られたくない秘密がまだあるのかと思ったが、そこにわざわざ踏み込むほど野暮ではなかった。ヘレンは大人しく踵を返し、自宅に戻って行った。自宅から窓の外を覗いて人間の姿に変身する様を盗み見ることもできたが、やはりそれも野暮というものだろう。本音で言えば少し興味があったが、そこを堪えることができる程度には、長く生きていた。
(……よし、いいかな)
ヘレンが家の中に戻ったことを確認すると、ゆっくりと窓のない場所に移動し、念の為覗き見られないようにすると、人の姿に戻った。
竜の姿が白い光を発したかと思うと、それが収束するように人の姿を取り、光が収まるとそこには人の姿のエルリッヒがいた。
「ふう。まさか、元の姿をヘレンさんに見せることになろうとは。直接見せたのは、ヘレンさんが初めてかも」
ここまで生きてきて、元の姿を自分であると認識させた上で晒したことは一度もなかった。それでも、変身する様子を直接見せたことは一度もなかったが、ここまでギリギリで姿を変えたことは初めてだった。
そう考えると、ヘレンとのコミュニケーションは不思議な経験になった。もしかしたら、これもまた、魔女のお仕事なのかもしれない。
「っとと、考え事してないで早く服を着て戻らないと」
先ほど脱いだ衣服を隠しておいた木陰に戻る。こうして、元の姿に戻るために毎度毎度服を脱ぎ、変身の衝撃で吹き飛ばないように木陰などに置いておかなければならないのは非常にめんどくさい。が、こればかりはどうしようもないので毎回のルーチンになっていた。
その作戦通り、木の裏に畳んで置いていた服は、きちんとそのまま残っていた。もし、これが獣や男の人にでも持ち去られたとなれば、大変なことになってしまう。
「よし、これでいいかな」
服を着ると、衣類による特有の締め付けが体を覆う。毎度少し息苦しくて窮屈だが、竜から人へ、身を置く社会が切り替わるような気がしていて、「人間の営みの一員になったぞ」という気持ちにさせてくれるのだった。
それは、人間社会の一員として生活することを許されたような気持ちと言ってもよかった。
「さて、戻らなきゃね」
後はもう、何もいうこともすることもない。誰にも目撃されていないことは気配で十分に気をつけていたから間違いない。一路家の中へ戻るだけだ。
「お待たせしました〜」
「おかえり。遅かったね。けど、やっぱりこっちの方が見慣れてるし話しやすくていいね。まだフォルクローレも寝てるし、そこに掛けな。お茶でも飲みながら話を続けようじゃないか」
思いの外温かく迎え入れてくれたヘレンに感謝しつつ、促されるまま椅子に座った。確かに、こうして直接言葉でコミュニケーションが取れるのは非常に楽ちんだ。自分なりの思いがあって元の姿では人間相手に口を開かないようにしているわけだが、こうして同じ目線で会話ができるのは、やはり同じ種族感があって良い。
「ほら、これを飲みな。魔女と恐れられたヘレン様特製のお茶だよ」
「ありがとうございます。ふふ、いい香りですね」
ヘレンは爽やかな香りのする赤茶色のお茶を出してくれた。この数日自分が使っているカップを使ってくれていることが、すでにありがたかった。しかし、キッチンでは湯沸かししておらず、火が炊かれているのは調合用の大釜にはフォルクローレに飲ませた薬草茶が入っていたはずだ。そしてその薬草茶と今目の前に出されたお茶とでは香りが違う。おそらく、薬草茶をベースに何か別の茶葉やハーブを混ぜて、より飲みやすい一般的なお茶に仕立ててくれたのではないだろうかと考えた。
「いただきますね」
カップに口をつけ、ゆっくりと口に運ぶ。温かなお茶が喉と体内を潤していく。が、爽やかな風味の奥に、わずかに苦味が顔を出しており、これが元になった薬草茶の風味ではないだろうか。料理人としての経験が内側からそう伝えていた。
「落ち着くだろう? アタシは若い頃からお茶には自信があってね」
「ありがとうございます。ほんと、落ち着きました。それじゃ、話を続けましょうか」
ヘレンからどんな質問が来るのか、それともこの話はここで終わるのか、そこはヘレンに委ねようと思った。今はただ、手元に美味しいお茶がある。それでいい。
〜つづく〜




