チャプター27
〜シュラーフェンの森・奥地 ヘレンの家〜
「じゃあ、本当の姿、お見せします。ここだと、本当に家を壊してしまうので、外に出ますね。……腰を抜かしても看病はしますけど、鼓動は止めないでくださいね?」
「努力はするけどね、保証はしないよ」
いつも通りの会話を繰り広げながらも、いよいよ本当にエルリッヒがドラゴンの姿とやらを見せてくれるのかと、恐ろしさ以上に、年甲斐もなくワクワクする気持ちが湧いていた。
なにしろヘレンはドラゴンなどという生き物は、生まれてこの方一度も目撃したことはない。おとぎ話の中の存在ではなく、実在する生き物だと言うことは理解しているが、世に伝えられるその姿や能力は、まさにおとぎ話の住人のようで、そんじょそこらの生き物とは一線を画しているようだった。それが、今目の前に現れようと言うのだから、それはもう、柄にもなく興奮を覚えてしまうのも無理はなかった。
「じゃあ、ヘレンさんの努力を信じます。あとそうだ、本来の姿はお見せしますけど、元の姿に戻る様は流石に見せたくはないので、外の景色に変化が現れるまでは、窓の外を見ないでください。元の姿に戻れば、流石に影ができて暗くなると思いますから」
「そんなに大層なものなのかい。けど、わかったよ。外は見ずに待つことにするよ」
こう言う時、ヘレンは約束を反故にして窓の外の景色を覗くようなことをしない人物だと信じられることは大変ありがたかった。いくら覚悟を決めたからと言っても、見せたくない絶対的なラインはあるのだ。
「じゃ、待っててくださいね」
ひらりと手を振りながら、扉を開け、本当に外に出てしまった。頭の片隅にどうしても剥がすことができずに残っている「作り話なのでは」と言う小さな小さな疑念が、音もなく剥がれ始めていた。
ヘレンは言いつけを守り、窓のない壁をじっと見つめていた。一体、元の姿に戻るのにはどれほどの時間がかかるのだろうか。流石に日が暮れるようなことはないと思うが。
「……やれやれ。アタシもこの子達に毒されちまったかね」
と、外の景色を見ないように気をつけながら、ベッドで安らかな寝息を立てるフォルクローレを見遣った。
⭐︎⭐︎⭐︎
「はぁ。約束してしまった……毒キノコを食べちゃったばっかりに」
我ながら迂闊なことをしたものだと後悔はしているが、成り行き上こうなってしまったものは仕方がない。それに、街の人が自分の本当の姿を見た時の反応を想像する手掛かりになるかもしれないし、ここでヘレンが自分に恐怖や拒絶を向けなければ、理解者になってくれれば、それは幸せなことだ。
「よし、やるか」
ヘレンのことは信用していたが、念の為周囲を見回し、人間が誰もいないことを、誰も近付いていないことを気配だけで確認しする。
変化の影響で家を壊さないよう、家から少し離れ、尚且つ家の中から死角になる場所に移動すると、数秒目を閉じ、深呼吸をしてからゆっくりと目を開けた。特に必要な作業ではないが、今はこれが精神的に必要な儀式だった。
(とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよなー)
きっと顔が赤くなっていることだろうと思いながら、ゆっくりと服を脱いでいく。誰にも見られていないと分かっていても、こればかりは慣れることがない。すっかり人間の価値観に染まってしまったものだと思う。
「ふぅ……」
恥ずかしさはどこまで行っても拭い去れないが、それでも、衣類や下着による締め付けがなくなることの開放感は何物にも変え難い。いつものように、脱いだ衣類を丁寧に畳み、木陰に隠すと、天を仰ぎ見た。
「じゃあ、やるか」
ここまで来て、一糸纏わぬ姿になったからには、もう後には引けない。作り話だったと嘯くこともできない。覚悟を新たに、本来の姿を解放した。
⭐︎⭐︎⭐︎
その瞬間、一筋の落雷と共に、強烈な光が差し込んできた。
「!!」
地鳴りのような振動があり、家中が揺れる。家具類が倒れるようなことはなかったが、釜の中のお湯は大きく波打ち、家具も壁にかけているドライフラワーもビリビリと揺れていた。
今日の天気は決して悪くなかったはずだ。
「いったい何があったんだい!」
ヘレンが、驚きながら窓の外を確認しようとした。咄嗟のことで、エルリッヒとの約束が頭から離れていた。だが、窓を開けようと駆け寄った時、別れ際に聞いた言葉が脳内に蘇ってきた。
『流石に影ができて暗くなると思いますから』
その言葉通り、”何か”が日照を遮っており、家の中が暗くなっていることに気づいた。先ほどの落雷では、目が眩むほどの光が突き刺さってきたと言うのに、今度はまるで大雨でもきそうなくらいに、暗い。ここは森の中でも特に広く空間が開いており、家を建てる時も、日照が少しでも多く降り注ぐよう考えて位置を決めたのだ。何十年と住んできて、この天気でこれほど暗いと言うことは、ただの一度もなかった。
それはつまり、
「これが、あの子の本当の姿とやらが作った影だってのかい……」
それだけで、腰を抜かしそうになるが、ここでも約束通り、踏ん張ることにした。まだ衰えきっていないこの双眸でその姿をしっかりと脳裏に焼き付け、心のままに、できればその姿を、存在を、肯定してやらねばならない。
王都を守ったという、その姿を。
「こ、こりゃ、アタシも随分と大きな力に手を出しちまったもんだよ……」
頭の中に、おとぎ話の挿絵で見たドラゴンの姿を必死に思い浮かべ、できるだけ驚かないように心の準備をしながら、ゆっくりと扉を開けた。
そのドアノブこそ、ほんの数刻前にエルリッヒが掴んでいたのだ。何を今更驚くことがあろうか。そう、自分に言い聞かせて、己を奮い立たせた。
「どれどれ、ドラゴン、ねぇ……」
一歩外に出て、視線を影の方に向けると、
「な、なんだいこれは……」
眼前の威容に、思わず足がすくんでしまった。腰が抜けなかったことは、自分を褒めてもいいだろう。そこにいたのは、鮮やかなピンク色の鱗に覆われた、巨大な竜だった。
確かに、その色は女性的と言えなくもなかったが、勇ましさを感じるその姿形は、どこからどう見てもおとぎ話の中のドラゴンそのもので、さらに、自宅前の空き地をほぼ全て占拠するような大きさは、その頭を確認するのには、遥か上空を見上げる必要すらあった。おとぎ話の中に出てくるドラゴンがどれほどの大きさを想定しているのかは作者に聞かなければわからないが、少なくとも自分が子供の頃に読んだ物語で描かれていた個体はここまで大きくはなかったように思える。
なんの予備知識もなくこのようなドラゴンが目の前に現れたら、恐ろしい化け物が自分を食べようとしているのではないかと恐れ慄いてしまうことは間違いない。今、そこまでの怯えを覚えていないのは、前情報としてそれがエルリッヒが本来の姿に戻ったものだと教えられているからだ。それでも、実はエルリッヒはその辺に隠れていて、目の前にいるのは全く関係のないドラゴンなのではないか、という思いを拭い去ることができなかった。
「ア、アンタ、エルリッヒなのかい?」
『……』
目の前のドラゴンはじっと佇んだまま何も語らなかった。しかし、ゆっくりと脚を動かし、その鋭い爪で、地面を何やら抉り始めた。
「これは……」
それは、見慣れた文字であり、「はい」と書いてあった。わざわざ、ヘレンに読みやすいように、上下逆に書いている。それこそが、今目の前にいるドラゴンが自分を取って食おうと現れた獣ではない証拠だった。
「ふん、筆談ってわけかい。面白いことをするじゃないか。じゃあ、それで話を続けようじゃないか」
エルリッヒとしては、この姿でも人語を話すことはできるのだが、いつもの声色とはまるで異なるので、竜言語を解する相手以外とは、できるだけ話したくなかった。そうは言っても何らかの形でコミュニケーションを取らなければならない。そこで思いついたのがこの筆談だった。そこまで細かい動きができるわけではないのだが、文字を書くくらいのことはできた。
『せっかくだから、気になることはいろいろ聞いてください』
そう地面に刻むと、二人の奇妙な会話は続いていくのだった。
〜つづく〜




