第7話 好きだと気づいたら
――エレナ嬢が好き。
そう自覚した翌朝。
アレクシスは、いつもより早く目を覚ました。
目覚めて最初に思ったことは。
昨日のことだった。
自分は、エレナに恋をしている。
「…………」
ベッドの上で、しばらく天井を見つめる。
これまで、女性に好意を向けられることは何度もあった。
けれど、自分から誰かを好きになったことはない。
だから。
どうすればいいのか、まったく分からなかった。
――まずは、いつも通りにすればいい。
そう決めた。
仕事では今までと何も変わらない。
上司と部下。
それだけだ。
そう思って王宮へ向かった。
◇
「おはようございます、局長」
「……お、おはよう」
エレナがいつものように挨拶をする。
アレクシスは一瞬、固まった。
――近い。
いや。
近くない。
いつもと同じ距離だ。
なのに。
昨日まで何とも思わなかった距離が、今日は妙に近く感じる。
「……?」
エレナが不思議そうに首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「いや。何でもない」
「そうですか」
エレナは気にした様子もなく、自分の席へ戻っていった。
アレクシスはその背中を見送り。
心の中で深く息を吐いた。
――落ち着け。
たかが挨拶だ。
これまで何度も交わしてきた。
なのに。
好きだと自覚しただけで、こんなにも変わるものなのか。
◇
午前の仕事が始まる。
「局長、この書類を確認していただけますか?」
「……ああ」
エレナが書類を差し出してくる。
アレクシスは受け取ろうとして。
ふと、彼女の指先に目が止まった。
細くて、きれいな指。
いつも書類を丁寧に扱っている。
そんなことまで、今まで気にしたことはなかった。
「局長?」
「……何でもない」
「?」
アレクシスは急いで書類へ視線を落とした。
「問題ない。ありがとう」
「はい」
エレナが離れていく。
その瞬間。
アレクシスは椅子の背にもたれた。
――これはまずい。
仕事にならない。
……いや。
なる。
仕事自体は問題なくできる。
むしろ。
こういうときほど、仕事に集中すればいい。
アレクシスは目の前の書類へ視線を戻した。
数字を確認する。
計算をする。
報告書を読み込む。
問題ない。
完璧にできる。
ただ。
頭の片隅には、ずっとエレナがいる。
◇
昼休み。
エレナが同僚と話している。
「この前教えていただいた店、とても良かったそうです」
「本当ですか?」
「はい。婚約者がとても喜んでくれたので」
「それならよかったです」
アレクシスは、少し離れた席で昼食を取っていた。
聞くつもりはなかった。
けれど。
耳に入ってしまう。
――婚約者。
その言葉に、胸がざわついた。
……いや。
待て。
今のは男性文官の話だ。
エレナに婚約者がいるという話ではない。
そこまで考えて。
アレクシスは、はっとする。
自分は今。
何を考えた?
エレナに婚約者がいるかどうか。
なぜ、それが気になる?
昨日までなら、そんなこと考えもしなかった。
アレクシスは静かに目を伏せる。
――好きだと自覚すると、こうなるのか。
知らなかった。
こんなにも。
些細なことが気になるなんて。
◇
午後。
「局長」
「……何だ?」
「こちらの資料ですが」
エレナが机の横に立つ。
「この部分について、確認をお願いできますか?」
「ああ」
アレクシスは書類を受け取る。
「……問題ない」
「ありがとうございます」
エレナが微笑む。
「では、失礼します」
「ああ」
彼女が離れていく。
アレクシスは、その背中を見ながら思った。
――もっと話したい。
昨日までなら、そんなことは考えなかった。
仕事に必要な会話だけで十分だった。
それなのに。
今は。
もう少し話したい。
彼女のことを知りたい。
休日は何をしているのか。
好きなものは何なのか。
どんな店に行くのか。
あのとき街で見かけた服は、本人が選んだのか。
……眼鏡を外していたのは、なぜなのか。
次々と疑問が浮かんでくる。
「…………」
アレクシスは額に手を当てた。
――私は、どうしてしまったんだ。
そして。
恋愛経験ほぼ皆無の男は。
この日から。
エレナに対してだけ、妙にぎこちない上司になった。
◇
一方。
エレナは、自分の席で首を傾げていた。
最近。
局長の様子が、少しおかしい。
以前はもう少し普通に話してくださっていた気がする。
仕事の確認をしても、以前より短い返事が増えた。
今日も。
「問題ない」
それだけだった。
もちろん、忙しいのだろう。
局長なのだから、仕事が多いのは当然だ。
けれど。
昨日までは、もう少し柔らかな雰囲気だったような気がする。
「……私、何かしてしまったのかしら」
小さく呟く。
思い当たることはない。
仕事で大きなミスをした覚えもない。
それでも。
もし、自分の何かが原因だったら。
そう思うと、少しだけ不安になった。
エレナは、ちらりと局長を見る。
アレクシスは黙々と仕事をしている。
今日も完璧に。
いつも以上の速さで。
――やっぱり、お疲れなのかもしれない。
そう思った。
けれど。
その日。
エレナはまだ知らなかった。
自分のことが好きすぎるあまり、どう接すればいいのか分からなくなっている男が。
すぐ近くの席で、必死に平静を装っていることを。




